エピローグ

第40話 太陽のある世界

 翌日の早朝。

 夜中に雨が降っていたので天気が心配だったが、湿っている地面とは対照的に空はどこまでも青々と澄み渡っていた。

 気持ちのいい晴れ空だ。

 これならば、アンネリーゼの『実験』も恙なく行えるだろうな。


「ほら、タダオミ、早く」

「いや、でも、本当にこれで大丈夫なのか?」


 昨日、ロロットを一応説得できた後も一悶着あった。騒ぎを聞きつけた邸の使用人たちがわらわらと駆けつけてきたからな。邸の壁一面を木っ端微塵にしたのだから当然だ。

 見つかったらアウトな俺と紗那は無駄に広いクローゼットの中に隠れ、彼らへの状況説明という名の言い訳はアンネリーゼとロロットに任せた。


 シナリオは俺が考えました。

 ロロットが洗剤代わりのスライムを使おうとしたところ、嫌がったアンネリーゼが過剰砲撃で壁ごとぶっ飛ばしてしまった――咄嗟に思いついた馬鹿馬鹿しい内容で誰も信じないかと心配だったが、使用人たちはあっさり納得して呆れた様子で解散してくれた。

 ロロットの変態性はどうやら周知らしいな。知らないのはご主人様だけである。


「なにを今さら恥ずかしがってるのよ。裸になってるあたしの方が恥ずかしいんだからね」

「いや、恥ずかしいってお前裸族じゃないの?」

「違うわよ!?」


 顔を赤くして反論するアンネリーゼは、今さらながらもじもじチラチラと恥じらう素振りを見せてくる。とはいえ、全裸ではない。昨日のデートで買っていた水着をつけてもらった。学校に置いたままだったから朝早くに取りに行ったんだ。

 自分の部屋に際どい水着姿の美少女がいる。いや、裸エプロンだったり全裸だったりする美少女もいたことはあるが……慣れるには大変な努力が必要そうだな。

 これからやることは、正直、いつもと変わらない。

 ただ日焼け止めのクリームを塗るだけだ。

 ごくりと息を呑み込んで、俺は背中を向けたアンネリーゼの柔肌にソフトタッチ。


「ひゃんっ」

「その声やめません? わざとか? わざとなのか?」

「だって……んあ……ぬるってして……んんっ」


 肩から背中にかけて塗っていく間もアンネリーゼは艶めかしい喘ぎ声を連発。俺の理性にダイレクトアタックを仕掛けてきやがる。

 だが、今回ばかりは妄想に逃げて集中を途切れさせるわけにはいかないんだ。


「また爆発しないだろうな?」

「そうならないようにゆっくりやってよ! ゆっくりよ!」


 俺は今、覚えたばかりの拙いやり方で力を制御している。己の中にある暗素でも陽素でもあり、どちらでもない灰色の力。それを日焼け止めに流し込むように強くイメージして塗っているんだ。

 アンネリーゼから流れた暗素と、封印に使われた陽素が相殺せず混ざり合って生じたハイブリッド。

 太陽の光で消滅せず、暗黒魔界人にも優しい力。

 それを塗ることで暗黒魔界人でも太陽の下を平気で歩けるようになる。その媒介として最も効果的な物が日焼け止め――というのがアンネリーゼの推測だった。だから俺が塗った時だけ効果があったんだ。

 俺にかけられていた封印は、アンネリーゼと再会したことで記憶が刺激され弱まっていたらしい。おかげで僅かに漏れ出た力が日焼け止めを介してアンネリーゼを守っていたって感じだ。


「これで終わりだッ!」


 宿敵にトドメを刺すかのごとく叫ぶ俺。や、やっと日焼け止めを塗り終えた。激しい戦いだったよ。


「アンネリーゼ様、お気をつけてください」


 燃えてもいい服ということでダサT&ジャージ姿になったアンネリーゼを、ロロットが不安そうに見ていた。ちなみに今回のダサTは胸元に『インフレ』と書かれています。


「大丈夫よ、ロロット。なにも心配することはないわ」


 アンネリーゼはそう告げると部屋の窓を開け放ち、裸足のまま陽光照りつける庭へと降り立っ――って!?


「ちょ、日傘とサングラス!?」


 目や髪なんかは日焼け止めを塗れないんだぞ! そのまま出て日光を浴びてしまったら燃えてしま――わない?

 アンネリーゼは、何事もないように日差しの中で佇んでいた。


「すごいわ。タダオミの力がヒヤケドメを塗ったところから全身に浸透してる。冷たいけど温かい。暗いけど明るい。不思議な感覚。ふふっ、タダオミに包まれてるみたい♪」


 感動した様子でくるくると回転するアンネリーゼ。両腕をいっぱいに広げて太陽の光を受け止めるように浴びているな。


「どう? これで文句はないでしょ?」

「いいえ、まだ油断はできません」


 ロロットは慎重にアンネリーゼを観察する。そうだ。日傘とサングラスが必要だったとはいえ、ここまでなら今までと大して変わらない。

 問題は、日焼け止めの効果時間だ。

 今までは一時間が限度だった。

 だが、完全に封印が解け、下手糞なりにも制御を覚えた今の俺なら――


 十分……ニ十分……三十分……そして一時間が過ぎた。


 そこから先もアンネリーゼが燃え上がるようなことはなかった。十分ごとに調子を聞いているが、なんとビックリ絶好調だそうだ。


「ふふん、今度こそ問題ないって認めなさい、ロロット」

「……あなたという人は、いえ、それでこそアンネリーゼ様ですね」


 ロロットはまだ気を抜いてこそいないものの、楽しそうに庭を駆け回るアンネリーゼを見て口元を僅かに綻ばせていた。


「あなたもタダオミに塗ってもらってこっちに来ればいいのに」

「それは遠慮させていただきます。生ゴミ臭が移るので」


 腕をクロスさせて『×』を作り断固拒絶するロロットは……このまま庭に突き落としてくれようか? それをやってボコボコにされるのは俺なんで大人しくするけども。


「そんで、いつまでそうしているつもりだ? そろそろ学校だぞ」

「じゃあこのまま行くわ。なんだか全然燃える気がしないもの」


 いつもならここで燃えて泣き顔を晒すところなんだが、今回ばかりはそんなことも起きない。ふむ、これはひょっとして本当に大丈夫なやつでは?


「どうやら成功したみてえですね」


 と、紗那が玄関の方から回り込んで来た。太陽の下で平気そうにするアンネリーゼを見てほっと胸を撫で下ろしている。


「あ、サナちゃん! そっちはどうだった?」


 紗那は今回の件を教会に報告していたんだ。学校での騒動から始まり、アンネリーゼが戻ってきたこと、俺の力についても隠し通すわけにはいかなかったからな。


「暗黒魔界人の監視は続行ですが、前よりは緩和してもよさそうです。ボランティアに参加して教会関係者の目の前でいい子にしてたのがよかったみてえですね」


 あの時はアンネリーゼも一生懸命働いていた。若いシスターたちを不良から守ってくれた。悪魔だ魔王だと騒ぐ前に、一人の人間としてそのことを評価してくれた誰かがいたようだな。


「寧ろ先輩への対処の方が厄介だったです。勝手に封印を解いたこともめっちゃ怒られたですし、陽素と暗素のいいとこ取りしたような謎の力をどうするか揉めに揉めたですね。やれ解剖して力の正体を研究するとか言ってやがったです」

「待って!? 俺、殺されたりしないよな!?」


 たった今案外優しい人が多いのかもしれないと思いかけた矢先にどうしてそうなった?


「そんなことになったらその人たちの希望通りあたしが教会を滅ぼすわよ?」


 アンネリーゼも恐いこと言ってますね。こっちじゃまともに暗黒魔術使えないのに、返り討ちに遭うんじゃないかな? いやでも暗素の満ちる夜ならワンチャンあるか?


「いえ、結局そちらについても現状維持です。事情を聞いた団長がなぜか馬鹿ウケして、面白ぇからそのまま監視しとくようにと」


 紗那曰くテキトーな人らしいが、よくそれで団長になれたものだな。いや俺にとっては有り難いことだけども。


「ん?」


 なんか、家の前が騒がしい気がする。


「そういえば、アンネリーゼに会いに来た物好きが紗那以外にもたくさんいたですね」

「え?」


 俺が玄関の様子を見に行くと、そこには紅鏡高校の制服を着た男女がわらわらと集まっていた。


「あー、忠臣、アンネさんすぐに退院できたんだってなー」

「学校でも会えるけど、待ち切れなくて来ちゃった」

「マジで間咲の家に住んでるのか……」

「許せん、許せんぞ間咲忠臣!」

「アンネちゃん大丈夫? 間咲に変なことされてない?」


 杉本を筆頭としたクラスメイトたちだった。


「お前ら……朝から暇人ばっかりかよ」


 俺は苦笑いすると、すぐにアンネリーゼを呼んだ。飼い主に呼ばれたわんこみたいに駆け寄ってきたアンネリーゼは、クラスメイトたちの姿を見て目を大きく見開いた。


「みんな……」


 思わずといった様子で感嘆の声を漏らすアンネリーゼ。


「――ってアンネちゃんなんて格好してるの!?」

「インフレ……うん、インフレしてますな。おっぱいが」

「クソダサいTシャツなのにアンネリーゼさんが着るとなんかこう……いい!」

「超わかる!」


 言われてアンネリーゼは自分の格好を思い出したようで、かぁあああああっ! と一瞬で赤面して家の陰に身を隠した。もう無駄だと思うぞ。


「ほら隠れてないで出て行けよ。あいつらに言うことがあるんだろ?」

「そ、そうね」


 俺が手首を掴んで引っ張り出すと、アンネリーゼは意を決したようにごくりと息を呑み、自分の足でクラスメイトたちの前に立った。

 その真面目な雰囲気に、おちゃらけていたクラスメイトたちも静まってアンネリーゼを見詰める。

 アンネリーゼは一つ深呼吸をし――


「改めて、みんな……あたしと、友達になってください!」


 今度こそ、ちゃんと言うことができたな。

 頭を下げて差し出された手に、クラスメイトたちは歓声を上げて餌を待っていた鯉のように群がっていく。

 学校ではまだ悪い噂は立っているけど、少なくとも俺たちのクラスは大丈夫だってことがこれできちんと証明されたな。

 嬉し涙を零すアンネリーゼに、俺も言わないといけないことがある。


「そういえば、まだ言ってなかったよな」

「タダオミ?」


 数日前の俺だったら絶対に言わないような言葉。

 我が家に暗黒魔界が巣食ってから一週間近くあったのに、一度も伝えてなかった言葉。


「おかえり、アンネリーゼ。そしてようこそ、『太陽のある世界』へ」

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部屋の片づけをしていたら異世界の美少女が出てきて同棲することになりました。 夙多史 @884

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