われわれを分つもの
間灯 海渡
第1話
〈ある薄暗い閉じた場所から、友人達へ向けて〉
ーーいつの時代にもこういった輩はいるのでしょうが、ある所に殺人鬼がいました。
その時代はまだ、飛行機や電車などと言った便利なものはなく、また今ほど沢山の国も出来ておらず、人々が地球は平らに続いているのだと信じきっていた頃でした。
その殺人鬼は地中海にある大きな街に生まれ、物心つく幼い頃からなにかを殺すのが大好きでした。そうして、大人になった殺人鬼は沢山の人を殺しました。
今だったら法律や警察や或いは倫理が彼を許さないでしょうが、その頃にはまだそれらのものはあやふやな状態であった為、殺人鬼は思う存分に人を殺す事が出来ました。
「人を殺すのはなんて楽しいのだろう! 何故この楽しみを誰も知らないのだろう? 不思議な事だ。
物を食い、歌を歌う。俺のやっている事はそれと同じ事だというのに」
殺人鬼は、いつもそんなふうに考えていました。
ある日、殺人鬼がいつもの様に人殺しをしていた時に、その殺していた人が、こんな事を言ったのです。
「あなたは、何故人を殺すのですか?」
ーーと。その人は思想家でした。
思想家の問いに殺人鬼が答えようとしましたが、しかし思想家は殺人鬼に執拗に刺されていた為、その答えを聞く前に息絶えました。殺人鬼はそれを見て、こう考えました。
「思想家とはなんてバカで傲慢な生き物なのだろう! そうだ、俺はこれから沢山の思想家を殺そう!
そして殺す時に『何故俺が人を殺すのか』と聞いてやるのだ! きっとバカで間の外れた答えを返すに違いない!」
殺人鬼は突然閃いた名案に、胸を小鳥の様にときめかせました。
そうして、殺人鬼は自らの名案を実行に移したのでした。
石造りの街角の、昼間なのに夜よりもくらい路地裏に殺人鬼は身体を潜め、沢山の思想家の居場所を盗み聞きし、探り当てました。
街角の人々は、どこどこの誰々が……ここそこに某が……と言った風に、不用心にも沢山の思想家の居場所を殺人鬼に教えました。
それを聞いて、殺人鬼は意気揚々と思想家を殺しに行ったのでした。まずは東の果てに住む思想家の元でした。
東の果ての思想家は、草花の揺れる丘の上で、石の上に腰を下ろし、どんぶりに入った果物をむしゃむしゃと食べていました。
その眼前に、草花の影から忍び寄った殺人鬼が躍り出て、手に持った石を突きつけました。
「おい、思想家。今から俺はお前を殺してやるぞ。
この石で、お前の手に持ってるそのどんぶりよりも浅い頭をカチ割り開いて、果物と一緒に混ぜてやる」
思想家は慌て驚き、命乞いをしました。しかし、殺人鬼は聞き入れません。
「ダメだダメだ! 俺はお前を殺すと決めたのだ!
おい、思想家。最後に聞いてやる。何故俺が人を殺すかお前にわかるか?」
そう問われると、思想家は震える声でこの様に言いました。
「あなたはおそらく不安なのです。自分を脅かすものを恐れ、あなたは人を殺すのです」
それを聞いて、殺人鬼は高らかに笑いました。
「バカめ! 俺が恐れるのは、落馬して手足が折れ、二度と人を刺せなくなった時だけだ。臆病者め! 死ね!」
そういって殺人鬼は思想家を殺し、先程言った通りに頭に果物を一生懸命に詰めるのでした。
「やはり、思想家はバカな生き物だ。よし、次へ行こう」
そう言って、殺人鬼は次は北の果ての思想家の元に向かいました。
北の果ての思想家は、来たる冬に向けて、自宅の側で薪割りをしている最中でした。
殺人鬼は、森の影から思想家に向けて体当たりをかまし、斧を奪い取って言い放つのでした。
「やい、思想家。今から俺はお前を殺してやるぞ。この斧でお前を真っ二つに叩き割り、暖炉に焚べてやるのだ」
思想家は、身体をさすりながら事態を把握すると、諦めた様にひざまづくのでした。
「ものわかりのいい奴だ。思いっきりやってやるぞ!
おい、最後に聞いてやる。何故俺が人を殺すかお前にわかるか?」
そう問われると、思想家は沈んだ声でこの様に言いました。
「あなたは悲観しているのです。身の回りのあらゆる事が冷たく悲しく感じて、あなたは人を殺すのです」
それを聞いて、殺人鬼は穏やかに笑いました。
「バカめ! 俺が悲しくなる時は、水浴びして血を洗い流した後に髪を乾かし忘れた時だけだ。辛気臭い奴め! 死ね!」
殺人鬼は言った通りに思想家を斧で真っ二つに割って殺し、側の家の中にあった暖炉に焚べて暖まるのでした。
「全く見当違いばかりであくびがでるな。よし、次に行くぞ」
そう言って、殺人鬼は次は西の果ての思想家の元に向かいました。
西の果ての思想家は、弟子達から受けた質問の答えを考える為に、湖のほとりで瞑想をしていました。
殺人鬼はその後ろから縄を持ってそっと近づき、真後ろまで来ると、勢いよく思想家をぐるぐる巻きにするのでした。
「おう、思想家。今から俺はお前を殺してやるぞ。まだ余っている縄でお前を縛首にして、湖の鳥どもの餌にしてやる」
それを聞いて思想家は、簀巻きにされた身体をバタバタさせながら、怒り狂うのでした。
「はっはっは! 威勢のいい奴だ。たっぷり可愛がってやるぞ。
おい、最後に聞いてやる。何故俺が人を殺すかお前にわかるか?」
そう言われると、思想家は声を張り上げながら叫ぶのでした。
「お前は憤怒に取り憑かれとるのだ! ムカムカムシャクシャして、それが我慢できんから人を殺すのだ! ワシもお前を殺してやりたいぞ!」
それを聞いて殺人鬼は、悠々と笑いました。
「バカめ! 俺が怒る時は人殺しをした次の朝、雄鶏がいつもよりやかましく鳴いた時だけだ! 騒々しい奴め! 死ね!」
殺人鬼は、思想家の首をぐるぐると巻いて締め付けると湖にドボンと沈めて、そこに群がった水鳥達が思想家の肉を啄むのを眺めるのでした。
「やっぱり奴らはこんなものなのだ。よし、次だ」
そう言って、殺人鬼は次は南の果ての思想家の元に向かいました。
南の果ての思想家は、誰もいない酒場で一人陽気に酒を飲んでいました。
殺人鬼は、酒場で働く下僕を装い、思想家にもっといい酒があると言って路地裏におびき寄せると、突然殴り倒し、懐にあった毒を突きつけて言いました。
「やあ、思想家。今から俺はお前を殺してやるぞ。お前は呑兵衛みたいだから、この毒を飲んでお前が吐いた血をまた何度も飲ませてやるんだ」
思想家はグデングデンに酔っ払っていたので、殺されるとは本気で思わずヘラヘラ笑っているのでした。
「どこまでも呑兵衛な奴め。今に目が覚めるぞ!
おい、最後に聞いてやる。何故俺が人を殺すかお前にわかるか?」
そう言われると、思想家ははにかみ、しゃっくりをしながら答えるのでした。
「あんたさんは、気持ちよくて気持ちよくてしょうがないんじゃないか? だから…ッヒック!……人を殺すんだ」
それを聞いて、殺人鬼は愉快そうに笑いました。
「バカめ! 俺が気持ちよくなるのは殺した連中が無様に腐っていくのを見た時だけだ。
しかしその答えは惜しいかもしれんな……まぁいい! 死ね!」
殺人鬼は思想家に無理やり毒を飲ませました。そして急に青ざめ今まで飲んでいた酒よりも多くの血を吐き出しながら倒れた思想家に、傍にあった桶で何度も濁った血を呑ませたのです。
ーー「全く、思想家なんてどいつもこいつもこんなものだ。あいつらのいう思想など、俺には何の役にも立たない。
やはりあいつらは知ったようなふりをしているバカものなのだ……しかし、ずいぶんと殺して回ったなぁ」
あらかた殺し終えた殺人鬼は、酒場を出て、港の方までぶらぶらと歩いて行きました。
街はすっかり日も暮れて、港の岸辺に続く石畳の道を水平線の向こう側から夕日が照らし、そこに潮風が運んできた波の音が、ザァーン……ザァーンと聞こえてくるのでした。石畳には時折小さなカニが、ちょこちょこと這っているのでした。
「あぁ、なんて美しいのだろう……あぁ! そうか! 俺の人殺しはこれと同じなのだ! この何とも言えない一日の終わりのひととき……これと全く同じ事なのだ!」
殺人鬼は、天の啓示を受けたとばかりにご機嫌に港を闊歩しました。
すると、殺人鬼の目にあるものが止まりました。
「これは……船か? とても大きな船だなぁ」
その船は、木造で大きな帆を三つも掲げた立派な船でした。船の側面をよく見ると、華麗な装飾が沢山ついており、一眼見ただけで素晴らしい船だとわかりました。
「なんていい船だろう。そうだ! この船に乗って、また新たな奴を殺しに行こう! 外の世界の色んな奴を殺して回って……そしてそいつらにも俺が殺しをする理由を聞いてやるんだ!」
またまた名案が浮かんだ殺人鬼は、早速船に乗り込みました。
するとまもなく、船は出航したのです……。
夕刻と夜の狭間の海は、水平線に浮かぶ夕日と、その上から包み込む様に降りてくる暗闇の為、橙と藍色の混じった複雑で鮮やかな色に染まりつつあるのでした。
その上を、潮風に受けて大きく張り出した帆を掲げて、船はゆるゆると進みました。
殺人鬼は、船の中を探索していると、ある事に気がつきました。
「なんだ? ここは不思議な船だな?」
その船の中には、様々な動物達が、
「不思議だ……まるでノアの方舟だ」
殺人鬼が見惚れていると、不意に、後ろから声がかかりました。人間の女の声です。
「あなたはどなたですか?」
と、女は殺人鬼に問いかけました。その女は、殺人鬼が今まで見たこともないほど美しい女でした。
長い髪は清流の様に流れて女の身体を両側から包み込み、その内側にある尻や腹、乳房は豊かな桃の様に柔らかで、肌は白く、顔はその美しい青い瞳を携えながら素晴らしい均衡を保っているのでした。そして女は真っ裸でした。
この女が貴族なのか? 船員なのか? 娼婦なのか? 奴隷なのか? 殺人鬼には全くわかりませんでしたが、ただ一つ殺人鬼は、この女を何としても殺したいと思い、懐にしまってあった刃物を取り出すのでした。
「おい、女よ。お前は本当に素晴らしいくらい美しい女だ。
だから俺はお前を殺すぞ。お前のその美しい腹をへそから切り開き、その瞳よりも潤んだ内臓を引きずり出してやるんだ。なぁいいだろ?」
女はその一言を聞くと、ただ、その宵闇に照らされて煌びやかに輝いた髪の間から顔を上げて、真っ直ぐ天に仰ぎ、細く染み入る様な溜息をつき、こう言いました。
「わたしは、あなたには殺されたくはありません」
それを聞いた殺人鬼は、意気揚々と答えるのでした。
「何故だ? やはり死にたくないのか? 痛いのが怖いか? 失うことが怖いのか?」
「そうではありません。わたしは死が怖いのではないのです。
死は生まれた時からずっと側にいるのですから……人が分かち合える唯一のものが、死と孤独なのですから」
殺人鬼はそれを聞くと、一瞬だけ女の瞳の内側の、もっと、より深い方に吸い込まれて行きそうになりました。
しかしすぐに殺人鬼は自分自身を取り戻し、言いました。
「バカめ! 俺はそんな事はとうにわかっているのだ! お前も思想家達と同様に、バカな奴だ。
おい、最後に聞いてやる。俺が人を殺すのは何故だと思う?」
すると、女はおもむろに、自分の太腿の陰に隠されていた、一本の笛を取り出し、それを手に携えて口に咥え、その小さい桃色の唇を震わせ、笛の音を響かせ始めたのです。
もう、夜に包まれた海上の船の上で、細くしなやかな笛の音が、鳴り響きました。
それを受けて、ちょうど今天に輝き始めた月と星々が、音に応えるように瞬き、船体の周囲にだけ薄いヴェールの様な霧がかかり始めました。
殺人鬼は、生まれてこのかた初めて、他人に対して殺す以外の感情が産まれそうになりました。
「やめろやめろ! どうかしている。何をしているんだ? 何故こんな時に笛を吹く?」
すると、笛を吹く手を止めて、女はこう答えました。
「わたしが今この笛を吹く理由は、あなたには永遠にわからないでしょう。
そして、同じように、あなたが人を殺す理由も、わたしには永遠にわからないのです」
殺人鬼はその時、捉えようのない、激しい、或いは、全く空虚の様な不思議な感覚に囚われたのです。
すると殺人鬼は、無我夢中になり、女の元に駆け寄り、その腹を裂き、首を突き刺し、女を殺したのです。
「あぁーー! あぁ!! 全く、全くバカな奴らばっかりだ! みんなみんなわかっていないのだ。あの女もそうだったのだ! あの女だって思想家の一人だったのだ! そうだ、そうに違いない。俺は……俺は正しいのだ! 何一つ間違ってなんていない!」
ひとしきり叫ぶと、殺人鬼はまだ殺し足りないと思ったのか、船の中にいる動物達を全て、殺して回りました。
すでに、満月が上り切った船上で、殺人鬼は一人っきりになりました。そして、散々殺して回った殺人鬼の肩に、夜の空気と霧を吸って重くなった潮風が、どっしりと、のしかかるのでした。
「あぁ……しかし、しかしもう殺すものがいなくなってしまった」
殺人鬼は、船上の板張りに散らばる血肉を踏み締めながら、甲板に出ました。
そして、ある声を聞いたのです。それは、天の遥か先の遠雷が轟いたかと見紛う、低い低い声でした。
ーー聞け! 己の内にばかり生きたものよ。全てを知り尽くしたと思っている傲慢者の内の一人よ。お前の望むものを、目の前に用意した。
殺人鬼は、驚き耳を澄ませました。
「何処だ? 何処から俺に問いかける? お前はなんだ? さっきの女か?」
声は尚も殺人鬼の耳に届いてきます。その声がより近くで聞こえる様に、殺人鬼はどんどん船首に近づいて行きます。
ーーさぁ、この下を見るがいい! 全てと同じ形の人の子よ。誰とも交わる事のない人の子よ。
これがお前の殺したいものだ! お前が殺す理由そのものだ!
殺人鬼が船首の縁に立ち、甲板の下を覗くと……そこには驚くべきものが写っていました。
ーーそこにあったのは、海の一面に写った人の肉の群れでした。いや、というよりは、海そのものが脈動する肉にすげかわっているのです。
それは皆一様に波の様に揺れ、渦を巻き、飛沫を上げて、先ほどから燃え尽きるほど輝き始めた月光に照らされ、ギラギラとした肌の色を水平線の果ての果てまで続けているのでした。
ーー殺人鬼は、絶叫しました。どの様な思いで叫んだのかはわかりません。それは絶望だったかも知れないし、歓喜だったかも知れません。
そして、まもなく、殺人鬼はその肉の肌の群れに飛び込んだのです。
しばらく、その面を掻くように、あるいは刃物で切り裂くようにもがいていましたが、やがて静かになり、深い、深い場所へと沈んで行きました……。
ーーさて、この話しの殺人鬼が果たして一体何の為に殺しをし、最期に海に身を投げたのかは、私の知る由ではありません。
それは、夕暮れのひとときの為であったかも知れないし、あの神ようなものが用意したものの為であったかも知れない。
そして同じ様に、殺されそうになっていた女が最期に笛を吹いた理由も、全くわからないものなのです。
しかし、一つ思うのは、笛の音の女も、殺人鬼も、そして数多の思想家達も、皆全て傲慢であったのではないかと思うのです。
われわれは皆孤独であり、死を意識し、だからこそ傲慢にならざるを得ないのかも知れません。
……そしてもしそうだったとしたら、私は願うのですが、同じ傲慢であるしかないのであれば、出来ればより美しいものを選びたいと考えるのです。
私にとって、何よりも美しき傲慢は、この笛の音の女でした。
恥を忍んで言わせてもらえるならば、私も、この笛の音の女の様に生きたいと考えているのです。
ーーあなたは、どうですか? そう、あなたです。いまこの話を、ページを捲る、あるいは電子画面をスクロールしながら見て頂いたあなたに聞いてみたいのです。
あなたの選ぶ傲慢は何ですか?
思想家ならば、その時は思う存分語らうのがいいでしょう。笛の女であるならば、その時は、月の出る夜に
そして殺人鬼であるならば、その時は……私の腹の奥深くに、刃物を突き立てるといいでしょう。
われわれを分つもの 間灯 海渡 @tayutakk
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