第10話 貴方を好きでいてもいいですか?
屋敷に着くと、中には何故か沢山の猫が集まっていた。
そしてウィルバートを見つけるなり、皆が目を輝かせてわらわらと寄ってくるのだった。
「騒がしくてすみません。 数が多すぎてまだ捌ききれてないんです。 先に座って待っててください」
「はぁ……」
そう告げてウィルバートは外套をソファにかけるなり、猫達を引き連れて慌ただしく厨房へと入っていった。
想像以上に忙しそうだ。 エミーリアは大きな欠伸をしているラズをチラリと見る。
「こんなに沢山の猫さんを集めて何か始めるんですか?」
『いいや、単に借りを作りすぎただけだ』 「借り?」
『以前小太りな男がいただろう。 主はそいつの悪事を暴く為に、町中の猫に情報提供してもらっておったのだ』
「え?!」
確かにステラを連れ戻してからレイドリーが爵位剥奪されるまで、さほど日はかからなかった。
しかもレイドリーと関わっていた貴族達も続々とあぶり出されていて、今でも逮捕者が後を絶たない。
どうやらそこに、街中の猫達の活躍があったみたいだ。
『我々に何かを頼む時は、その対価に手料理で労うのがしきたりでな。 その始末に追われておるのだ』
「そうだったんですか……」
『余程そなたに惚れておるんだろう。 まぁあやつが勝手にやってる事だから気にするな』
「ほ、惚れ……?!」
ボンッと頭から湯気を出すエミーリアをラズは特に気に留める素振りもなく、ゴロリと身体を横たえ眠ってしまった。
何だか信じ難い言葉を聞いた気がした。
「エミーリアさん」
「はい?!」
「お、脅かしてしまってすみません。 お茶でもどうですか?」
「あ、ありがとうございます……」
いつの間にかウィルバートもお茶の用意をしてエミーリアの側に立っていた。
テーブルに置かれたカップに香りのいい紅茶が注がれると、 エミーリアは緊張した面持ちでそれを一口飲んだ。
「そういえば、妹君の結婚式はどうでしたか?」
「あ……」
先に話題を振られドキリと心が揺さぶられるが、エミーリアは何とか取り繕って会話を続ける。
「無事に終わって、今朝ロスウェル様の所に行きました」
「そうですか」
するとまたウィルバートが少し淋しげに笑った。
それを見てエミーリアの胸はちくりと痛んだが、カップを置いてウィルバートへと向き直った。
「ウィルバート様も、やっぱりステラが好きなんですか?!」
「え?」
「この前も、今だってすごく淋しそうにしてるじゃないですか」
「淋しそう、ですか? エミーリアさんではなく、僕が?」
コクンと小さく頷くエミーリアを見てウィルバートは腕を組み、んんんと天を仰ぐ。
「ちょっと待ってください。 何故僕が妹君に好意を寄せていると思ったんです?」
「だってステラに対して『可愛い』とか『嫌われたくない』とか言ってたじゃないですか!」
「それは客観的な意見であって……」
「ステラは本当に可愛いし、私なんかが敵わないのも分かってます。 でも……」
「何か勘違いしてるみたいですが、僕は一度も妹君をそんなふうに思ったことはありませんから」
「え……?」
泣きそうになりながら顔を上げると、何故かウィルバートの顔がみるみる赤く染まっていく。
そして声を絞り出すように話し始めた。
「確かに妹君は可愛いですし、嫌われたくないです」
「……はい」
「でもそれは貴女の家族だからです」
「……」
「僕が懸念していたのは、妹君が結婚した後のことです。 エミーリアさんが淋しい思いをするんじゃないかって、それが心配だったんです」
「そ、そうだったんですか……」
するとウィルバートは椅子から立ち上がり、エミーリアの肩に手を置いた。
「本心で『可愛い』とか『嫌われたくない』と思ってるのはエミーリアさんだけです。 だから誤解しないで下さい」
ウィルバートが触れている所から熱が伝わってくる。
駄目だ。
そんな事言われたら、感情が溢れてしまう。
エミーリアはウィルバートの手に自分の手をそっと重ねた。
「じゃあ私が……、ウィルバート様の側にいたいと言っても、迷惑じゃないですか?」
「勿論です!」
今度はウィルバートがエミーリアの手を取り力一杯に握りしめる。
「僕は貴女を目一杯可愛がりたいんです!」 「えっ?!」
「勿論僕が毎日ご飯を作ります」
「は、はい……」
「ちゃんと毎朝ブラッシングもします。 夜は健やかに眠れるように最高の寝床も用意します!」
「えっ……ね、寝床?」
「勿論聖獣達とは別室にしますから」
「いえ、そういう事ではなくて……」
するとウィルバートの指がエミーリアの頬を掠めるように触れた。
「隅々まで僕で埋め尽くしたいです。 他に何も入る余地がないぐらいに……」
「待って、待って! ウィルバート様止まってぇ!!」
いきなりこれでもかと愛情をぶつけられ、思わず耳を覆いたくなる。
でも受け入れられないから、という理由ではなくて。
「今はまだちょっと考えさせて下さい!!」
とにかく恥ずかしすぎて、今はそう答えるのが精一杯だった。
だがその返事が、ウィルバートに大きなダメージを与えていた事にはまだ気付いていなかった。
◇
「あの、ウィルバート様……」
「何でしょう……」
「さっきはすみません」
「何を……」
「だから、咄嗟にウィルバート様の気持ちにお答えできなくて……」
「良いんです。 こんな自分、気持ち悪いと思われても仕方ありませんから……」
暗い影を背負いながらラズのブラッシングをするウィルバートを見て、エミーリアは自分の失言を悔いていた。
この様子だと何を言っても耳に入らないだろう。
するとラズが顔だけを上げてフフンと意地悪に笑った。
『以前はそやつを全面に推しておったのに、娘もなかなかな悪女だな』
悪女と言われるのは心外だが、でも言い返せず口を噤む。
するとパンサーのカルダがそばに来てエミーリアに寄り添った。
「貴方は相変わらず側に来てくれるのね」
エミーリアはカルダの両頬を優しく揉んでやる。
するとカルダは気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
その様子をジト目で見ていたウィルバートが、ブラシを置いてスッと立ち上がった。
「すみません。 ちょっと席を外します」
そう言ってリビングから出て行ってしまった。
その背中を見送ったエミーリアは小さく溜息をつく。
さっきのことで相当ショックを受けてるのが見て取れる。
(何とかできないかな…………)
嬉しい筈なのに躊躇ってしまうのはその溺愛っぷりだろう。
沢山助けてもらっているのに何も返せていないから気が引けているのだ。
これ以上気まずくなりたくない。
エミーリアはウィルバートの後を追いかけた。
「ウィルバート様!!」
「は、はい?!」
厨房に向かうとエプロン姿のウィルバートが立っていた。
だが後ろ手で何やら隠すような怪しい動きをしている。
「ウィルバート様……もしかして今、取り込み中ですか?」
「いえ! 何でもありません!」
その慌てっぷりが余計に怪しいのだが、それは今は置いといて。
「ウィルバート様、私に何か出来ることはありませんか?」
「え?」
「いつも私ばかりしてもらってばかりでやっぱり申し訳ないです。 私に出来ることがあれば何かお返ししたいんです!」
「それは僕がしたくてしてるだけなので、そんなふうに思わないで下さい」
眉を下げて笑ってみせるウィルバートを見てまた胸が苦しくなる。
生活力だってエミーリアよりも断然上をいく。
実際に役に立てる事は無いのかもしれない。
それでも。
「対価……」
「え?」
「助けてもらったらその対価に相手を労うのがしきたりなんですよね? だったら私がウィルバート様を労います!」
「労い……」
そう呟いたウィルバートの頬が心なしか赤い。
その表情が妙に色っぽくて、エミーリアも思わず息を呑んだ。
(まさか……)
以前ウィルバートに迫った時の事を思い出した。
途端にグググッとエミーリアの身体が熱くなる。
言い方を間違えたと慌てるがもう遅い。
今否定してしまったら今度こそウィルバートの心が離れていってしまいそうだ。
(だ、大丈夫! ウィルバート様となら嫌じゃない。 今度はちゃんと受け入れなくちゃ!!)
エミーリアは決意を固め、ジッとウィルバートを見つめた。
するとウィルバートも意を決して口を開いた。
「じゃあ、頭を撫でてほしいです」
「……え?」
「その、カルダみたいに、僕も撫でてもらいたいです」
視線は地に向けたまま、耳まで真っ赤に染めながら何だか申し訳無さそうに。
その顔にキュウッと胸が締め付けられた。
純粋なんだ、この人は。
変なことを想像していた自分が急に恥ずかしくなってきた。
でもそんな事でいいのなら。
「じゃあウィルバート様、こっち来て下さい!」
エミーリアはウィルバートの手を引いてリビングへと向かった。
そして椅子ではなく床に座り、ウィルバートに向かって両手を広げた。
「え、エミーリアさん?」
「膝枕、してあげます」
「え?! で、ですが、そんな恐れ多い……」
「嫌ですか?」
「滅相もありません!!」
暫くしてようやくウィルバートは『失礼します……』と緊張した面持ちでエミーリアの膝に頭を置いた。
エミーリアはその頭を優しく撫でる。
すると強張っていたウィルバートの表情が徐々に和らいでいくのが分かった。
「気持ちいいですか?」
「はい、天に召されてしまいそうです」
「それは困ります! 私達これからんですから!」
「これから?」
「はい。 これからは忙しいウィルバート様を、私がこんな風に労いますから」
「僕を、エミーリアさんが?」
「はい、今そう決めました。 だから、私達はこれからです」
だから時間は一杯ある。
だから焦らないで大丈夫。
その意図が伝わったのか、ウィルバートは身体を起こし、エミーリアと向かい合った。
「じゃあこれを、受け取ってもらえませんか?」
エプロンのポケットから取り出したのは、小さな翡翠色の石がついた革紐のペンダントだ。
「その石はここの瘴気を和らげる効果があるんです。 もしも本当に『これから』があるなら、受け取ってもらえませんか?」
先程の怪しい動きはこれを隠す為だったみたいだ。
ウィルバートこそ、これからの二人の事を考えてくれていた。
エミーリアはペンダントを受け取り、そのままぎゅっと胸に抱いた。
「ありがとうございます、ウィルバート様」
笑顔で伝えると、ウィルバートは目尻を更に下げて微笑んだ。
あぁ、今すごく幸せだ。
「……ウィルバート様」
「はい?」
「大好きです」
エミーリアはちゅっとウィルバートの唇に自分のを押し当てた。
それは一瞬で、ウィルバートは琥珀色の瞳をパチパチと瞬かせる。
そしてジッと動かなくなってしまった。
「あの……ウィルバート様……」
すぐ目の前で手を振ってみても動かない。
だが次の瞬間グラリと倒れてしまった。
「ウィルバート様?!」
よく見ると、小刻みに身体を震わせながら両手で顔を覆っている。
だがすぐに身体を起こし、エミーリアを抱き締めた。
「貴女という人は、どこまで僕をおとしたら気が済むんですか!」
「それは……」
ギュウギュウと抱き締められて苦しいものの、エミーリアの頬は緩みっぱなしだ。
「貴女がその気なら僕だって大人しくしてませんからね。 覚悟してください」
ウィルバートの瞳がギラリと光り、そのままエミーリアを抱き上げる。
「ま、待って下さい! ウィルバート様!」
「待ちません。 手始めにお風呂に入れます」
「え?! やだっそれは駄目です!!」
「まずはお風呂でしっかり温めて、ブラッシングして、ご飯用意して、しっかり食べてもらって……」
そしてジタバタと暴れるエミーリアと、心の声がだだ漏れのウィルバートはリビングを出ていってしまった。
その一部始終を聞いていたラズは、欠伸をしながらのそりと体を起こす。
そして隣りでオロオロとしているカルダに声をかけた。
『おいカルダ、暫く外で寝るぞ。 こんな甘ったるい空気は胃がもたれる』
そう言ってラズは、まだ空気の読めないカルダを連れて、屋敷の屋根へと向かっていった。
引き籠もり聖獣番は令嬢を溺愛したくて仕方がない 夢屋 @-yumeya-
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