第10話 貴方を好きでいてもいいですか?


 玄関の扉を開けると、中には何故か数十匹程の猫がくつろいでいた。

 それらがウィルバートを見るなり、目を輝かせてわらわらと寄ってくるのだ。

 ニャアニャアと擦り寄られ足を取られそうになりながら、ウィルバートは苦笑いを浮かべる。

 

「騒がしくてすみません。 思ったより数が多くてまだ捌ききれてないんです。 先に座って待っててください」

「はぁ……」


 そう告げてウィルバートは外套をソファにかけるなり、猫達を引き連れて慌ただしく厨房へと入っていった。

 想像以上に忙しそうだ。

 エミーリアは大きな欠伸をしているラズをチラリと見る。


「こんなに沢山の猫さんを集めて、何か始めるんですか?」

『いいや、単に借りを作りすぎただけだ』 「借り?」

『以前小太りな男がいただろう。 主はそいつの悪事を暴く為に、町中の猫に情報提供してもらっておったのだ』

「え?!」


 確かにステラを連れ戻してからレイドリーが爵位剥奪されるまで、さほど日はかからなかった。

 しかもレイドリーと関わっていた貴族達も続々とあぶり出されていて、今でも逮捕者が後を絶たない。

 どうやらウィルバートが街中の猫を集めて情報収集し、関係を暴いていったらしい。

 

「だからあんなに早く警察が動いたのね……」

「主の名誉の為に言っておくが、あれから大変だったのだぞ」

「何がですか?」

「引き籠もり癖が再発して、鬱陶しいぐらいに娘を案じておったぞ」

「え……」


 思わぬ事実にエミーリアは目を丸くした。

 それを見てラズはフン、と鼻を鳴らした。


『我々に何かを頼む時は、その対価に手料理で労うのがしきたりでな。 あれからずっとその始末に追われて会いに行ける状態ではなかったのだ』

「という事は、ずっと料理を作ってて……?」

『余程そなたに惚れておるんだろう。 まぁあやつが勝手にやってる事だから気にするな』

「ほ、惚れ……?!」


 ボンッと頭から湯気を出すエミーリアを見てラズはニヤリと大きな犬歯を見せた。

 そしてそのままゴロリと身体を横たえ眠ってしまった。


(私の為に、ずっと……)


 熱くなった頬に両手を当てて、多幸感を噛みしめる。

 逆に悩んでばかりだった自分が恥ずかしく思えてきた。


「エミーリアさん」

「はい?!」


 いつの間にかウィルバートがお茶の用意を持って、エミーリアの側に立っていた。


「お、脅かしてしまってすみません。 お茶でもどうですか?」

「あ、ありがとうございます……」


 テーブルに置かれたカップに香りのいい紅茶が注がれると、 エミーリアは緊張した面持ちでそれを一口飲んだ。

 その様子を見届けた後、ウィルバートも向かいの椅子に腰掛けた。


「そういえば、妹君の結婚式はどうでしたか?」

「あ……」

 

 先に話題を振られドキリと心が揺さぶられるが、エミーリアは何とか取り繕って会話を続ける。


「無事に終わって、今朝ロスウェル様の所に行きました」

「そうですか」


 するとまたウィルバートが少し淋しげに笑った。

 また胸がちくりと痛む。

 エミーリアは覚悟を決めてカップを置き、ウィルバートと向き直った。


「ウィルバート様も、やっぱりステラが好きなんですか?!」

「え?」

「この前も、今だってすごく淋しそうにしてるじゃないですか」

「淋しそう、ですか? エミーリアさんではなく、僕が?」


 眉を下げてコクンと小さく頷くエミーリアを見てウィルバートは腕を組み、んんんと天を仰ぐ。


「ちょっと待ってください。 何故僕が妹君に好意を寄せていると思ったんです?」

「だってステラに対して『可愛い』とか『嫌われたら』とか言ってたじゃないですか!」

「それは客観的な意見であって……」

「ステラは本当に可愛いし、私なんかが敵わないのも分かってます。 だから、正直に話して下さい……」


 頑張って向き合うと決めた。

 だがその決意は尻すぼみして、とうとうエミーリアは目に涙を溜めて俯いてしまった。

 困惑するウィルバートは、気分を変えようともう一度カップにお茶を注いだ。


「何か勘違いしてるみたいですが、僕は一度も妹君をそんなふうに思ったことはありませんから」

「え……?」


 フッと顔を上げると、二人の視線がぶつかった。

 どうすれば笑ってくれるんだろう。

 ウィルバートは視線を泳がせながら、必死に言葉を探した。


「確かに妹君は可愛いですし、嫌われたくないです」

「……はい」

「でもそれは貴女の家族だからです」

「……」

「僕が懸念していたのは、妹君が結婚した後のことです。 エミーリアさんが淋しい思いをするんじゃないかって、それが心配だったんです」

「ウィルバート様……」


 するとウィルバートは勢いよく立ち上がり、エミーリアの手を取り跪いた。


「本心で『可愛い』とか『嫌われたくない』と思ってるのはエミーリアさんだけです。 だから誤解しないで下さい!」


 ここは逸らす訳にはいかないと、宝石の様な琥珀色の瞳にエミーリアを映し込む。

 エミーリアの手に、ウィルバートの熱意がぐんぐんと伝わってくる。

 駄目だ。

 そんな事言われたら、感情が溢れてしまう。

 エミーリアはウィルバートの手に自分の手をそっと重ねた。


「じゃあ……、私がウィルバート様の側にいたいと言っても、迷惑じゃないですか?」

「勿論です!」


 ウィルバートはエミーリアの手を取り直し、力一杯に握りしめた。


「僕は貴女が好きなんです!」

「……!!」


 飾り気のない告白だが、エミーリアの心臓がドクンと高鳴った。


「貴女を目一杯可愛がりたいんです」

「え?!」

「勿論ご飯だって僕が毎日作ります」

「は、はい……」

「ちゃんと毎朝ブラッシングもします。 夜は健やかに眠れるように最高の寝床も用意します!」

「えっ……ね、寝床?」

「勿論聖獣達とは別室にしますから」

「いえ、そういう事ではなくて……」


 まるで人が変わったかの様に真っ直ぐと見つめ、思いの丈を語るウィルバート。

 整った顔がグッと近づき、エミーリアはその破壊力に卒倒しそうになった。

 するとウィルバートの指がエミーリアの頬を撫でた。


「隅々まで僕で埋め尽くしたいです。 他に何も入る余地がないぐらいに……」

「待って待って! ウィルバート様止まってぇ!!」

「待ちません」


 耳を覆いたいが、ウィルバートに掴まれているのでそれも出来ない。

 いきなりこれでもかと愛情をぶつけられてしまい、エミーリアはとうとう声を張り上げた。


「まだちょっと考えさせて下さい!!」


 でも受け入れられないから、という理由ではなくて。

 とにかく恥ずかしすぎて、今はそう答えるのが精一杯だった。

 だがその返事が、ウィルバートに大きなダメージを与えていた事にはまだ気付いていなかった。



「あの、ウィルバート様……」

「何でしょう……」

「さっきはすみません」

「何を……」

「だから、ウィルバート様の気持ちに咄嗟にお答えできなくて……」

「良いんです。 こんな自分、気持ち悪いと思われても仕方ありませんから……」


 暗い影を背負いながらラズのブラッシングをするウィルバート。

 その様子を眺めながら、エミーリアは自分の失言を悔いていた。


 勿論自分も同じ気持ちだった。

 ただいきなり溢れんばかりの愛を語られては、誰だって逃げ出したくなる。

 だが今更やり直すわけにもいかず、部屋の空気は重くどんよりとしていた。

 するとラズが顔だけこちらに向けてフフンと意地悪に笑った。


『前はこやつを全面に推しておったのに、娘もなかなかな悪女だな』


 悪女と言われるのは心外だが、でも言い返せず口を噤む。

 するとパンサーのカルダがそばに来て、スッとエミーリアの隣りに腰を下ろした。


「貴方は相変わらず優しいのね」


 エミーリアはカルダの両頬を優しく揉んでやる。

 するとカルダは気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。

 その様子をジト目で見ていたウィルバートが、ブラシを置いてスッと立ち上がった。


「すみません。 ちょっと席を外します」


 そう言ってフラフラとリビングから出て行ってしまった。

 その背中を見送ったエミーリアは小さく溜息をつく。

 さっきのことで相当ショックだったのが見て取れる。


(何とかできないかな…………)


 嬉しい筈なのに躊躇ってしまうのはその溺愛っぷりだ。

 片想いだと思っていたのに、実は両想いだったなんて。

 こんな幸せな事はない。

 ただ沢山助けてもらっているのに何も返せていないから気が引けている。

 だがこれ以上気まずくなりたくない。

 エミーリアはウィルバートの元へと駆け出した。


「ウィルバート様!!」

「は、はい?!」


 厨房に向かうと、エプロン姿のウィルバートが立っていた。

 だが後ろ手で何やら隠すような怪しい動きをしている。


「ウィルバート様……もしかして今、取り込み中ですか?」

「いえ! 何でもありません!」


 その慌てっぷりが余計に怪しく見えるが、それは今は置いといて。


「ウィルバート様、私に何かできることはありませんか?」

「え?」

「いつも私ばかりしてもらってばかりでやっぱり申し訳ないです。 私に出来ることがあれば何かお返ししたいんです!」

「それは僕がしたくてしてるだけなので、そんなふうに思わないで下さい」


 眉を下げて笑ってみせるウィルバートを見てまた胸が苦しくなる。

 生活力だってエミーリアよりも彼の方が断然上をいく。

 自分が役に立てる事は無いのかもしれない。

 それでも。


「対価……」

「え?」

「助けてもらったらその対価に相手を労うのがしきたりなんですよね? だったら私がウィルバート様を労います!」

「労い……」


 そう呟いたウィルバートの頬が、心なしか赤い。

 その表情が妙に色っぽくて、エミーリアも思わず息を呑んだ。


(まさか……)


 以前ウィルバートに迫った時の事を思い出した。

 途端にグググッとエミーリアの身体が熱くなる。

 言い方を間違えたと慌てるがもう遅い。

 今訂正してしまったら、今度こそウィルバートの心が離れていってしまいそうだ。


(だ、大丈夫! ウィルバート様となら嫌じゃない。 今度はちゃんと受け入れなくちゃ!!)


 エミーリアは決意を固め、ジッとウィルバートを見つめた。

 するとウィルバートも意を決して口を開いた。


「じゃあ、頭を撫でてほしいです」

「……え?」

「その、カルダみたいに……僕も撫でてもらえますか?」


 視線は地に向けたまま、耳まで真っ赤に染めながら何だか申し訳無さそうに。

 その顔にキュウッと胸が締め付けられた。

 純粋なんだ、この人は。

 変なことを想像していた自分が急に恥ずかしくなってきた。

 でもそんな事でいいのなら。


「じゃあウィルバート様、こっち来て下さい!」


 エミーリアはウィルバートの腕を引いて、リビングへと向かった。

 そして椅子ではなく床に座り、ウィルバートに向かって両手を広げた。


「え、エミーリアさん?」

「膝枕、してあげます」

「え?! で、ですが、そんな恐れ多い……」

「嫌ですか?」

「滅相もありません!!」


 そこは即答だった。

 暫くしてようやくウィルバートは『失礼します……』と緊張した面持ちで、エミーリアの膝に頭を置いた。

 エミーリアはその頭を優しく撫でる。

 すると強張っていたウィルバートの表情が徐々に和らいでいくのが分かった。


「気持ちいいですか?」

「はい、天に召されてしまいそうです」

「それは困ります! 私達これからんですから!」

「これから?」

「はい。 これからは忙しいウィルバート様を、私がこうやって労います」

「僕を、エミーリアさんが?」

「はい、今そう決めました。 だから、私達はこれからです」


 『ずっと一緒にいるから』

 その意図が伝わったのか、ウィルバートは身体を起こし、エミーリアと向かい合った。


「じゃあ、これを受け取ってもらえませんか?」


 エプロンのポケットから取り出したのは、小さな翡翠色の石がついた革紐のペンダントだ。


「その石はここの瘴気を和らげる効果があるんです。 もしも本当に『これから』があるなら、受け取ってもらえませんか?」


 先程の怪しい動きはこれを隠す為だった。

 瘴気に慣れていないエミーリアを思い、事前に用意したようだ。

 エミーリアはペンダントを受け取り、そのままぎゅっと胸に抱いた。


「ありがとうございます、ウィルバート様」


 笑顔で伝えると、ウィルバートは目尻を更に下げて微笑んだ。

 あぁ、今すごく幸せだ。


「……ウィルバート様」

「はい?」

「大好きです」


 エミーリアはちゅっとウィルバートの唇に自分のを押し当てた。

 それは一瞬で、ウィルバートは琥珀色の瞳をパチパチと瞬かせる。

 そしてジッと動かなくなってしまった。


「あの……ウィルバート様……?」


 大胆な事をしてしまった。

 反応が無く、嫌がられたかと不安でウィルバートの方をチラリと見た。

 だがすぐ目の前で手を振ってみても動かない。

 そして次の瞬間グラリと倒れてしまった。


「ウィルバート様?!」


 よく見ると、小刻みに身体を震わせながら両手で顔を覆っている。

 息はしているみたいだが、こうもあっさり倒れてしまうと不安になってしまう。

 だがその心配もあっという間に払拭される。

 ウィルバートは身体を起こすと直ぐ様エミーリアを抱き締めた。


「貴女という人は、どこまで僕をおとしたら気が済むんですか!」

「それは……」


 ギュウギュウと抱き締められて苦しいものの、エミーリアの頬は緩みっぱなしだ。

 ウィルバートは肩口で小さく笑うエミーリアに意趣返しをと目を光らせた。


「貴女がその気なら僕だって大人しくしてませんからね。 覚悟してください」

「え?」


 ウィルバートは少しむくれた様子でエミーリアを抱き上げた。


「ま、待って下さい! ウィルバート様!」

「待ちません。 手始めにお風呂に入れます」

「?!」

「まずはお風呂でしっかり温めて、ブラッシングもして、ご飯用意して、しっかり食べてもらって……」


 エミーリアは真っ赤になって必死に抵抗するが、心の声がだだ漏れのウィルバートはびくともしない。

 そのままリビングをでていく二人を半眼で見ていたラズは、欠伸をしながらのそりと体を起こす。

 そして隣りでオロオロとしているカルダに声をかけた。


『おいカルダ、外で寝るぞ。 こんな甘ったるい空気は胃がもたれる』


 そう言ってラズは、まだ空気の読めないカルダを引き連れて、同じくリビングを出ていったのだった。




 

 

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引き籠もり聖獣番は令嬢を溺愛したくて仕方がない 夢屋 @-yumeya-

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