第9話 諦め切れない想い

 ステラを救出してから三週間が過ぎた。

 予定されていた結婚式は、ステラの体調にも配慮して一度延期する事になった。

 公爵家と男爵家の結婚ともあって以前は何かと騒がれていたが、延期の理由は誰にも知られる事はなかった。

 何故なら、町はレイドリー伯爵の爵位が剥奪されたという話題で持ち切りだからだ。

 加えて彼の不正に加担していた貴族らが芋づる式であぶり出され、レイドリーが仕切っていた組合も全て解体される事が決定した。

 その結果、エミーリア達のような小さな商工会にもようやく仕事が回り、下流貴族達にも平等に取引出来る機会が増えてきた。

 上位貴族を目指す事も夢ではなくなった。


 だがエミーリアの気持ちは今夜も沈んだままだった。

 結婚式も無事に終え、明日の朝にはロスウェルがステラを迎えに来る。

 笑顔で送り出す為にも早く寝ておかねばと思いつつも、エミーリアはクッションを抱えたまま寝付けずにいた。


(ウィルバート様は今日も料理を作ってたのかしら)


 三週間経った今でもあの光景が忘れられない。

 ウィルバートが運んできた食事を美味しそうに食べている聖獣達の顔。

 それを困り顔で見ているウィルバート。

 その彼が自分に笑いかけてくれる時の優しい顔。

 エミーリアは後に、自分がウィルバートに好意を寄せている事に気付いたのだ。

 だが同時に罪悪感にも悩まされることになる。

 あの時、上手く話せなかった理由。

 それはステラへの嫉妬だった。

『嫌われたくない』と言った時のウィルバートの淋しげな顔が、報われない恋だと悟った時の男達の顔によく似ていたのだ。


 勿論ステラのことは今でも可愛い妹で、この屋敷を出ていく今も淋しくて堪らない。

 なのに大好きな妹に嫉妬してしまい、自己嫌悪に陥っていたのだ。

 何とかして立ち直ろうとクッションに顔を埋めていると、コンコンと部屋の扉を叩く音が聞こえた。


「エミーリアお姉様……まだ起きてる?」


 ステラの愛らしい声が聞こえる。

 エミーリアは急いで扉を開けると、寝間着姿のステラが枕を抱えて立っていたのだ。 「なぁに、どうしたの?」

「うん……その、こんな年になってもこんな事言うの、恥ずかしいんだけど」

「うん」

「一緒に寝てほしいの」

「え? 私と?」

「……駄目かな?」

「ううん! 大丈夫よ!」


 悩んでいたことに感づかれないよう、エミーリアは精一杯の笑顔でステラを部屋に入れた。



「フフ、お姉様あったかい」

「ステラが冷え過ぎなのよ。 明日からもちゃんと食べるのよ?」

「はぁい」


 ステラはまるで小さな子どもの様にクスクス笑いながら口元まで上掛けを被る。

 そしてエミーリアもその隣で横になった。


「昔は広く感じたけど、もう大人二人じゃ狭いわね」


 母を亡くした頃、毎晩の様に泣いていたステラを寢かす為、エミーリアは枕をくっつけて一緒に眠っていた。

 そんな日々も遠い昔の事。

 何だか感慨深い。


「ねぇお姉様、ちょっとだけ良い?」


 ステラはエミーリアの方へと身体を傾け話しかける。


「なぁに?」

「今夜が最後だからどうしても聞きたいんだけど」

「なにを?」

「お姉様はロスウェル様の事、どう思ってる?」

「どう思ってるって……。 まぁ身分が違いすぎるから複雑だけど、一応家族になるんだし、これからも仲良く出来たらと思ってるけど」

「それ以外は?」

「それ以外?」

「その……特別な感情とか……」

「特別な感情?」

「その……実はロスウェル様の事が好きだったとか!」

「……え?」


 突拍子のない話にエミーリアは目を丸くした。

 だが涙目になったステラを見ていると冗談でもなさそうだ。


「いきなりどうしたの? あんなに仲良さそうにしてるのに何で私が出てくるのよ」

「……本当は、 ロスウェル様はずっとお姉様を慕ってたの」

「…………嘘でしょ?」


 ステラは泣くのを必死に堪えてポツリポツリと話し始めた。


「昔、彼から聞いたから本当だよ。 『エミーリアは全然自分に関心がない』って言ってて。 だから私はロスウェル様を応援してた。 ロスウェル様ならきっとお姉様を幸せにしてくれるって思ったから」


 申し訳ないが、エミーリアには全くもって心当たりが無かった。

 確かにこれまで夜会で話しかけてきたのはロスウェルだけだ。

 だがその時は身につけていたアクセサリーがきっかけだったので、てっきりその方面に興味があるのだと思い、宝石商について語っていただけだ。


 それにその頃はレイドリー率いる組合と交渉権で揉めていた時だ。 自分の事なんか構う暇もないのに、他人の好意に気づくわけがない。


「彼の話を聞いてる内に、私の方がどんどん彼を好きになっちゃって……。 だからお姉様に嫉妬してたこともあったの。 本当にごめんなさい」

「そんなのステラが謝る事ないでしょう」

「ううん。 お姉様は私と違って、いつもはつらつとしててキラキラしてる。 敵わないし諦めようと何度も思った。 でもやっぱり諦められなくて告白したの。 何度も断られたけど、お姉様に負けたくなくて頑張ったら、やっと私を受け入れてくれて……」


 そしてステラはとうとうポロリと涙を零した。

 エミーリアは急いでクローゼットへと向かい、しまってあったハンカチを取り出しステラの目元を拭った。


「ステラってすごいわ。 それに比べて私なんて全然駄目よ」

「何が駄目なの?」

「私ね、最近やっと好きな人が出来たの」

「そうなの?!」

「えぇ。 でもこんなの初めてだから気づくのが遅れちゃって。 だからもうきっと叶わない」

「そんな……じゃあその人の事、もう好きじゃないの?」

「え」


 即座に『好きじゃない』と否定出来なかった。

 もう叶わないと言いながらも、まだ未練があるのだ。

 ステラは口籠るエミーリアの両手を握り、ジッとエミーリアを見つめる。


「お姉様、好きならまだ諦めちゃ駄目だよ」

「ステラ……」


 もしも本当にウィルバートがステラに好意を寄せていたら。

 そう考えただけで胸が苦しい。

 でもそれは自分の空想の中の彼であって、本物の彼が何を思っているかはまだ知らない。


「 本当に終わりにしていいの?」

「でも、もう会ってもらえるかもわからないし……」

「そんなのわからないでしょ? 今度は私の為じゃなくて、自分の為に聖獣番様を探してよ」


 ステラはハラハラと涙を流すエミーリアを力一杯に抱き締めた。


「大丈夫。 私の大好きなお姉様を振ったら私が叱りにいくから!」

「ステラったら……何だか頼もしくなったわね」

「そうよ。 だから今度は、お姉様が幸せを掴んできて!」


 守るべき存在だった妹が、こんなにも逞しくなっていたなんて。

 妹の成長が垣間見れて益々涙が止まらない。


「ステラ、ありがとう。 私も頑張ってみる」

「私もロスウェル様の心を離さないよう頑張るから。 一緒に幸せになろうね」


 そうして二人は泣きながらも、これまでで一番穏やかな気持ちで眠りに落ちたのだった。



◇◇◇◇



「聖獣番様! どうか出てきてください!!」


 次の日、ステラ達を見送ったエミーリアはその足でカルカラの森へと向かった。

 森に入るなり冷気に晒されるが、今回はしっかりと防寒対策をしてきたので躊躇うことなく足を踏み入れた。

 そして今回は一本の角材も担いでいる。

 以前ウィルバートが動物たちを『家族』だといっていた事を思い出し、最小限の装備で来ていたのだった。

 とはいえ光の少ない森の中。

 幾ら防寒しているとはいえ、一時間もずっと冷気に晒されていると指先もジンジンと痛む。

 もう諦めるしかないのだろうか。

 会えない不安に押し潰されそうになりながら返事を待ち続けた。

 するとガサガサッと茂みが動いた。

 まさかと思いジッと目を凝らすと、茂みの奥に見えたのは幾つもの金の光。

 現れたのは銀鼠色の毛並みを持つ三匹の野生狼。

 エミーリアは慌てて角材を構えた。


「私は聖獣番様に会いに来たの! お願いだからそこを通して!」


 だが狼達に届くはずもなく、どんどん間を詰めてくる。

 ジリ、と後退った瞬間、狼達が牙を剥いて向かってきた。


「ウィルバート様ぁ!!」


 今一番会いたい人の名を必死に叫んだ。

 直後、巨大な影が降りてきたのと同時にゴォッ!と沸き起こった暴風で身体ごと吹き飛ばされる。


「きゃあぁぁぁ!!」

「危ない!!」

 

 咄嗟にエミーリアの手を引き、抱き止めたのはウィルバートだった。

 一体何が起こったのか。

 エミーリアはウィルバートの腕の中で呆然とする。


『すまん、勢いをつけすぎた』


 今度は足元からラズの声がする。

 どうやら自分はラズに跨ったウィルバートに抱きかかえられているようだ。

 先程の影の主はウィルバートを乗せたラズだった。

 ただ急いでエミーリアの元へと駆け込んだ為、辺り一面に大量の木屑が散乱し、狼達も爆風の衝撃で目を回している。


「……まぁ緊急事態だったし仕方ないか」


 ウィルバートはバツの悪そうな顔をして頭をかいた。

 そして視線をエミーリアへとうつし、眉を下げた。


「でも、無事で良かったです」


 そう呟いたウィルバートを見て、エミーリアはぼろぼろと涙を零す。


「もう、会ってくれないのかと思いました……」


 そのままウィルバートにしがみつき、しゃくり上げる。

 そんなエミーリアに戸惑つつも、ウィルバートは身体を包みこむ様に優しく抱き締めた。


「僕はずっとずっと、会いたいって思ってましたよ」

「……本当に……?」

「本当です。 だから引き籠もってたんです」


 会いたいのに引き籠もってた。

 その言葉の意味がわからず、エミーリアは目を白黒させた。

 その顔をウィルバートは愛おしげに見つめ、乾いた指で優しく目尻の涙を拭った。


『おい、いちゃつくなら後にしろ』


 ラズの呆れ声に我に返った二人は慌てて顔を背けた。


「そ、そうだ! 折角ですし、屋敷に来ますか?」

「……良いんですか?」

「カルダも喜ぶと思います」

「カルダ?」

「エミーリアさんが助けたパンサーですよ」


 するとエミーリアの表情がみるみる明るくなっていく。


「会いたいです! ぜひ連れて行ってください!!」


 カルダの名前を聞いて瞳を輝かせるエミーリアに、ウィルバートは少々複雑な表情を浮かべる。

 それでももう二度と見れないと思っていた笑顔が見れたことに、心底からホッとしたのだった。

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