第8話 守るためならなりふり構わずに
エミーリアとウィルバートは、使用人達の妨害を振り切りようやく庭園に辿り着いた。
ウィルバートとパンサーのお陰で怪我もなく目的地まで来ることが出来たものの、ヴェッチェル家の庭は広大で、生気に満ちた花や草木が生い茂りまるで迷路の中にいるようだ。
「はぁ、何処にいるんだろう……」
地面に座り込んだエミーリアの側へ先にやってきたのはパンサーだった。
その様子にウィルバートは目を見開いた。
滅多な事では人に気を許さない聖獣が、エミーリアを慕っているのだ。
余程の事があったのだろう。
ウィルバートはハンカチを取り出し、エミーリアの腕へと巻いた。
「腕……レイドリーにやられたんですか?」
「はい。 でもこの子が助けてくれたので、かすり傷で済みました」
だいぶ疲労が溜まっているようだが、明るく振る舞う彼女が健気でたまらなく愛おしい。
と同時にエミーリアを傷つけたレイドリーへの怒りが込み上げてくる。
「どうやって始末しようか……」
ウィルバートの口から心の声が漏れ出る。
一刻も早く問題を解決させて、レイドリーをみじん切りにしてやりたい。
いや、挽き肉にしようか。
とにかく粉々にして跡形もなく消し去ろう。
「……ウィルバート様?」
「はい?!」
小首を傾げる愛しい人の声に、ウィルバートは飛び上がるようにして我に返った。
直ぐ側でパンサーが耳を倒してプルプルと震えているのを見て、慌てて表情筋を指で解す。
するとエミーリアが表情を曇らせた。
「ウィルバート様、ごめんなさい。 結局巻き込んでしまって……」
「いえ、僕の方こそ何も出来なくて申し訳ないです。 まさかあんな形で捕まるとは思ってもみなくて……」
ウィルバートはブルっと身体を震わせた。
慣れない女性との駆け引きに相当骨を折ったのだろう。
その様子にエミーリアはクスッと小さく笑った。
「ありがとうございます。 ここまで来れたのはウィルバート様のおかげです。 そしてあなたも一緒に来てくれてありがとう」
そう言ってエミーリアはパンサーの頭を優しく撫でた。
パンサーの嬉しそうな顔を、ウィルバートはすぐ横でジッと眺めている。
自分にもしてほしい。
だが今のところ自分はこれといった活躍がない。
早く良い所を見せなければ。
ふむ、とウィルバートは顎に手を添えてグルリと周囲を見渡す。
何処もかしこも花だらけでパンサーの鼻も効きそうにない。
(どうしたものか……)
ふと空を仰いだウィルバートは、ピンとあることを思いついた。
「――僕に力を貸してくれないか?――」
低音で優しい口調。
何よりも安心出来るウィルバートの声。
それに惹かれてエミーリアは振り返ると、目の前の光景に息を呑んだ。
バサバサバサッと幾羽もの鳥達が、次々とウィルバートの元に集まってきたのだ。
「――この広い庭に人が隠れているらしい。 見つけるには君達の力が必要なんだ。 いいかな?――」
次の瞬間、集まっていた鳥達が一斉に飛び立った。
「な、何、今の……?」
「本当にここに妹君がいるなら、彼等がきっと見つけてくれますよ」
「すごい! 鳥さんにもお願い出来るんですか?!」
「これで僕も役に立ちましたか?」
「はい! ありがとうございます!」
エミーリアの満面の笑みに、ウィルバートも満足気な表情を見せる。
まるで褒められ待ちをする犬のように。
「エミーリアさん!」
「はい?」
「あの、良ければ僕にも……」
すると振り絞った勇気をへし折るように、一羽の鳥がウィルバートの頭に降り立った。
「もう見つかったんですか?!」
「そ、そのようですね……」
「じゃあ早速行きましょう!!」
「は、はいっ」
結局ウィルバートの願いは叶わぬままに、ステラの捜索が再開された。
◇
丸く剪定された植え込みが続く小道を走ると、少し開けた場所に出た。
そこに、とても人が住んでいるようには思えない丸太小屋があった。
横には整頓された農道具が置かれている。
どうやらこの道具庫の中に人が隠れているらしい。
「ステラ! ステラ!!」
エミーリアはたまらず駆け出し、木製の扉を力一杯叩いた。
どうか、どうかそこにいて。
「だれ……?」
すると弱々しい少女の声が返ってきた。
「ステラ! 私よ、エミーリアよ!!」
「エミーリアお姉様……? 本当に?」
「本当よ! 待ってて、今助けるから!」
と言っても扉には細長い鉄杭に鉄製の錠がかかっている。
これは鍵がないと開けられそうにない。
「どうしよう……」
木製の扉だから石などをぶつければ壊せるかもしれない。
だが手入れの行き届いた庭園に、大きな石が転がっているようにも思えない。
考えあぐねていると、ウィルバートが声をかけた。
「ここに妹君がいるんですか?」
「はい。 でも鍵もないから……」
「なら僕がやります。 危ないので離れててください」
「え? 一体何を……」
エミーリアは言われた通りに扉から離れた。
するとウィルバートはフゥ、と小さく息を吐くと両手で鉄杭を掴んだ。
「よっと」
バリバリバリィッッ!!!!
大木が折れて倒れていくような音を立てて、鉄杭が扉から引き剥がされた。
真っ直ぐだった鉄杭も湾曲している。
人並み外れた握力にエミーリアは呆然とした。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
エミーリアは顔を引き攣らせながら、ボロボロになった扉をそっと開いた。
「エミーリアお姉様……?!」
すると部屋の隅で、妹のステラが目に一杯の涙を溜めて座り込んでいた。
「ステラ!!」
「お姉様!!」
エミーリアは直ぐ様ステラに駆け寄り、力一杯に抱き締めた。
だが同時にその身体の細さに驚いた。
「こんなに痩せて……! 食事はどうしてたの?!」
「いつもパン一つと水と運ばれてくるから、それを食べて何とか……」
すると話の途中でステラがフラリと倒れてしまった。
よく見ると顔色も悪く、衰弱している。
「早くお医者様に見せなくちゃ!」
ステラを担いで運び出そうとした時だ。
「貴様ら!! やっと見つけたぞ!!」
振り返ると、レイドリーとアリシアが怒りに震えながらこちらを睨んでいる。
その周囲には大勢の警備兵。
中には頭が一つ飛び抜けた巨体の男も数名いる。
「何だか物騒ですね」
ウィルバートはエミーリア達を庇いながら溜息をついた。
背後には小屋、前方にはレイドリーと約三十程の警備兵達がいる。
この状況にレイドリーは勝ち誇った顔でいた。
「フン、よく考えたら何十年も現れなかった引き籠もりが、こんなタイミングよくでてくるわけがない! どうせユーステンに雇われた只の探偵と狼だろう。 貴様ら全員不法侵入と詐欺の罪で訴えてやる!」
レイドリーの後ろでアリシアがウンウンと大きく頷いている。
さっきまでウィルバートに色目を使っていたというのに都合の良い性格だ。
だがエミーリアも負けじと声を張り上げる。
「彼は本物の聖獣番よ! こっちこそ、妹を監禁した罪で訴えてやるんだから!!」
「そんな話、たかが男爵位の貴女が告発した所で誰が信じるものですか」
「……!!」
嘲り笑う二人に怒りを覚えつつも、反論できない。
この国の下級貴族は上級貴族に逆らえない。
そんな風習が根強い為に格差が生まれ、没落する貴族や窮乏する市民が後を立たない。
上級貴族でなければ、家族を、命を守る為には虐げられ踏み躙られても黙認するしかない。
エミーリアは唇をギリッと噛んで口を噤んだ。
「言いたいことはそれだけか?」
するとエミーリアの代わりにウィルバートが声を口を開いた。
ふっと二人の高笑いが止んだ。
ウィルバートは薄く微笑んでいる様に見えるが、声色と気配がまるで別人のように冷ややかだ。
「何百年もの間にこの国はこんなにも廃たれてしまったのか。 先代達が聞いたらさぞ嘆くだろうな」
「な、何の話だ……?」
「僕らは今もこれからも、この国の政に口出しするつもりはない。 だが彼女は聖獣を救った恩人だ。 今回の件については僕が国王へ告発させてもらう」
「何をどうやってだ? たかが下民が偉そうに……!」
「下民はどっちだ」
その刹那にこの場が殺気で満ちた。
ウィルバートの射抜くような視線に、レイドリー達は凍りついたように動けなくなった。
「これ以上我々を愚弄するなら容赦しない」
するとフワッと頭上から大きな影が降ってくる。
砂を巻き上げて現れたのは、屋根に上がっていたラズだ。
その巨体と威圧感、そして陽の光を蓄え輝く銀色の毛並み。
野生の狼とは明らかに格が違う。
「まさか……、ほ、本物……?!」
血色の瞳に気圧され、レイドリーだけでなく、アリシアや兵士達も恐怖に飲まれ身体を震わせる。
側にいるエミーリアでさえも、呼吸をするのがやっとなほどの気迫だ。
「僕は殺生は好まない。 だが
慈悲のない笑顔を浮かべ、ウィルバートは唸り声を上げているパンサーを宥めるように優しく頭を撫でてやる。
「折角だし、聖獣達に食われるか、地位を失くすか、どちらか選ばせてあげるよ」
「そ、それは……」
「三秒以内に決めてくれ」
「は?!」
「三、二、一……」
「分かったぁ!! 命だけは助けてくれぇ!!!!」
「決まりだな」
レイドリーが叫んだ直後、ピンと張り詰めていた空気が解放された。
アリシアや兵士達の殆どが失神し、何とか留まっていたのはレイドリーと二、三名の兵士のみ。
その醜態にラズは大きく溜め息をついた。
『主よ、こやつらを今から突き出しに行くのか?』
「一刻も早くそうしたいけど、僕は先にエミーリアさん達を送り届ける。 ラズは先に城へ向かってくれ」
『……はいはい』
息苦しいほどの殺気は消え去り、いつも通りの穏やかなウィルバート達の会話にエミーリアはホッと息をつく。
だがそれも束の間。
ラズはレイドリーの身体をパクリと咥えた。
「「「??!!」」」
その光景にこの場にいた全員の顔が蒼白になる。
「た、助けてくれ――!!」
『動くんじゃない。 牙が刺さるぞ』
ラズは咥えたまま器用に説明するが、レイドリーは気が動転し、打ち上げられた魚のようにバタバタと暴れている。
そして牙が食い込む度に呻くのだった。
呆れたラズは説明を諦め、まるで母親が我が子を咥えて運ぶかの様にして表へと歩いていった。
ウィルバートはそれを見送ると、今度はくるりとアリシア達の方に身体を向ける。
「さて、後の皆さんは各自で出頭してください。 勿論、逃げ出しても彼が何処までも追っていきますからね」
口調はいつもの調子でも、言ってる事は優しくない。
きっと彼等が体感した恐怖は、一生払拭できないものになっただろう。
「エミーリアさん」
「は、ハイ……!」
一部始終を見ていたエミーリアの声が思わず裏返った。
それを聞いてウィルバートは苦笑いを浮かべる。
「怖がらせてしまってすみません。 でもこれでもう彼らから虐げられる事はありませんから、安心して妹君を病院に連れて行ってください」
「あ、ありがとうございます……」
そして今度はステラの顔を見て呟いた。
「エミーリアさんが言う通り、可愛らしい方ですね」
「えっ」
「ケガもなさそうで本当に良かったです」
「そうですね……」
「僕としては、正直まだ目が覚めないでいてくれて助かりました。 あんな姿見られたら、きっと嫌われてしまいますし……」
眉を下げ、ステラに優しい眼差しを向けるウィルバート。
その穏やかな表情に、ふとエミーリアの胸の奥にチクンと痛んだ。
(もしかして、ウィルバート様もステラを好きになったのかしら)
衰弱して青い顔をしているステラだが、まるで眠り姫のような、不思議な魅力を感じる。
きっとウィルバートも感じたのだろう。
途端に胸の奥に刺さった痛みが、波紋が広がるように徐々に大きくなっていく。
「エミーリアさん、大丈夫ですか?」
「あ、はい……」
俯いたままのエミーリアを見て、ウィルバートは心配下に声をかけた。
ようやくステラと再会出来たというのに表情が冴えない。
この時、ウィルバートは感情的になってしまった事を後悔した。
捕獲されていた聖獣は無事に奪還出来たのだから、もっと冷静に動けたはずだ。
なのにエミーリアを傷つけるレイドリーが許せず、かなり殺気立っていた。
結果、彼女は萎縮してしまったのだろう。
もっと話がしたいのに、喜びを分かち合いたいのに、手を伸ばしたくても躊躇している自分がいた。
「……無事に妹君も見つかりましたし、屋敷まで送ります。 それとも先に病院に行きますか?」
「いえ、屋敷へ……」
「わかりました。 じゃあ馬車まで僕が運びますね」
自責の念に囚われつつも、ウィルバートはステラを抱き上げ、先に玄関へと歩き始めた。
そしてエミーリアも不安を抱えたままでその後ろをついていく。
そうして互いにその胸の内を明かさぬまま、ステラの失踪事件は幕引きとなった。
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