序章① アンチホープ (2/2)

戦線を離脱した数刻後、レオナルドはキリシュタル荒野の南西を駆けていた。


-「レン、今どのあたり?騎士団は上手く撒けた?」-

先程と同様に少女の声がレオナルドの頭の中に響く。


-「もうだいぶ戦線からは離れた。今は骸骨水晶のあたり、敵影も見当たらない。一旦ここからは”節約する”。」-


声を聴いたレオナルドは立ち止まり、アンチホープの武装を解除しながら返答する。

黒髪に一本の赤メッシュで目つきが鋭い赤い瞳、左手には黒い宝石が施されたバングルを装着し、赤いインナーの上に丈が少し長めの黒いマントを羽織った青年。それがレオナルドの本来の姿である。


-「了解。今ガーカスがそっちに向かってるわ。あんたがアルドリックと交戦してるって聞いた途端勢いよく飛び出してっちゃって。」-


-「別にあいつと交戦はしてねぇだろ。それに援軍も必要なかった。次はあのキザ男含めて俺一人で全員やれた。」-


-「またそうやって……いい?アルドリックはあんたの想像より遥かに強いわよ。騎士団にいた私にはわかる。今のレンじゃ差し違えも良いところよ。大体アルドリックとの戦闘自体計画に無いのにあんたは…」-


-「はいはい。わかりましたよ。”元”フェアリース騎士団 天翔馬-ペガサス-軍隊長 シフィナ・エーデルシュタイン“様”。」-

シフィナと呼ばれるその少女とのやり取りが億劫になったのか、レンは彼女の言葉を遮り、煽るように言葉を返した。


-「…その呼び方、やめてって言ってるでしょ。まぁいいわ。とりあえずそのまま拠点の方へ向かってきて。ガーカスと合流出来たら周囲に警戒しつつ拠点まで戻ってくるのよ。それじゃ。」-


「…いちいちうるせぇ奴だな…。」

頭の中に響いていたシフィナの声が途切れたことを確認し、レンが愚痴を漏らす。

それをレオナルドの傍で聞いている存在が居た。


「ギシシシシ!痛いとこ突かれたなぁ!たしかに元騎士団さんが言うようにあの騎士団長さんは俺様たちと同格以上だと思うぜぇ!」


レオナルドの視界の左下から歪んだ声が響く。彼が視線を落とすと、左手首に装着しているバングルの宝石部分から高さ20cmほどの黒色のオーラのようなものが湧き出ており、そこには不気味な一つ目がギョロっと浮かび上がっている。どうやらそのオーラが意志を持って彼に話しかけていたようだ。


「黙ってろ。お前には関係無い。」

シフィナとのやり取りで若干苛立っているのか、オーラに対して吐き捨てるようにレオナルドが言葉を返す。


「冷てぇこと言うなよ~!俺様と相棒は一心同体みたいなもんだろ?”アンチホープ”…って呼ばれてんだっけ?この力も俺様が居なきゃ使えないんだし、もうちょっと感謝してくれてもいいんじゃねぇか~?」

「あと!いい加減”お前”じゃなくてデスペルって呼んでくれよ~!せっかく名前考えたのに…」

デスペルと名乗るオーラが立て続けにレオナルドへの不満を漏らす。


「この力は俺の身体を貸してやってる分の家賃みたいなもんだ。わざわざ名前を呼ぶ筋合いはない。文句があるなら今すぐこのバングルをこの荒野のど真ん中に埋めても構わないんだぞ。」


「おいおいおいおい置き去りとか冗談キツいぜ相棒~…俺様はこのバングルに封印されてる思念体。誰かがバングルを運んでくれなきゃ何もできねぇし、何故だかわからんがお前以外の人間が装着しても意思疎通ができねぇ。」


「それなら宿代はきっちり払え。あと相棒じゃない。俺たちはお互いを利用してるだけだ。」


「ッハー!!ツレないねぇ~!…でもまぁ、今はそういうことにしといてやるよ。これからもよろしく頼むぜ相棒!」


「……」


「おい無視すんなよ~」


慣れ慣れしいデスペルの態度に呆れたようにレオナルドは口を閉じる。

デスペルは不満げな様子だがレオナルドはそれを気に留める様子もなく、合流地点であるレジスタンスの拠点に向かって歩き出した。

歩みを進めるレオナルドの視界の先に水色に輝く物体が映る。


「お!骸骨水晶が見えたってことは拠点まであともう少しだな!ここから見る分にはすげぇ綺麗なんだけどな~。」


デスペルもその物体に視線を向けている。

その物体は”骸骨水晶”と呼ばれていた。キリシュタル荒野南西部に存在する高さ10mほどの水晶体である。遠目から見る分には至って美しい水色に輝く水晶体なのだが、”骸骨”という名が付くにはそれなりの所以がある。


レオナルドが歩みを進めて骸骨水晶の目の前までたどり着く。

神々しく水色に光る水晶体の中に、美しさとはかけ離れた”何者かの亡骸”が祈りを捧げるように両手で錆びた金属片を握り、指を組んだ格好で正座していた。


「ほらほらこれだよこれ。いつ見ても不気味だよなぁ。例の神像様にでも祈ってんのかねぇ。」


亡骸を見たデスペルが不思議そうに呟く。

デスペルの言う”神像”とは宗教国家フェアリースの都市中心部にある高さ100mほどの巨大な石像のことである。

フェアリース聖騎士団をはじめ、フェアリースの人々はこの石像を”外なる邪悪を退けた神が眠りについた姿”とし信仰対象にしている。


デスペルの発言に対してレオナルドが口を開いた。


「いや、この水晶はフェアリースが建国される前からここに存在しているらしい。少なくとも信仰対象がフェアリースの石像でないことは確かだ。」


「あーたしかに。前に元騎士団の嬢ちゃんが言ってたっけな。どこから来たのかわからない鉱石な上に、特殊な魔力が込められるから破壊はおろか削り取ることすらもできねぇんだっけか?」


「あぁ。シフィナの分析だと水晶の内側に行くほど硬い性質らしい。」


「なんであの子はそんなに詳しく調べられてんのよ?」


「水晶に込められている魔力がシフィナに近い系統なんだと。魔力の波長を調整して構造の一部を調べたり、さっきみたいに水晶を経由してテレパスの有効範囲を広げたりとかは出来るらしい。」


「ほ~!あの嬢ちゃん。意外と器用なんだな…」


「まぁ…それでもこの骸骨が何を誰に願ってんのかはわからねぇが。弱い奴が信じた結果がこの姿…哀れむ言葉も出ねぇよ。」


水晶の亡骸を不憫に思ったのか、レオナルドは少し物憂げに言葉を発した。


「ギシシシ!天下のレオナルド様が感傷に浸ってらぁ!珍しいこともあるもんだねぇ。」


「……(それにシフィナだけじゃない。俺もこの中からは何か特別なもの感じる。)」


「おいおいおい、黙り込むほどのことかよ。」


言葉を発しないレオナルドをさすがに気遣ったのかデスペルが心配そうに声をかける。


「何でもない。行くぞ。」


レオナルドが拠点に向かって再び歩き出そうとした時、その視界に進行方向からこちら側に近づいてくる何かが映った。


「ヴァウ!!ババウ!!」


白と蒼の、まるで蒼い炎が燃え広がるような毛並みをした狼が2m近くあるその体を揺らしながらこちらに駆けてくる。

彼がさきほどシフィナとのテレパスで名前の挙がっていた”ガーカス”である。


ガーカスとレオナルドの出会いは、レオナルドがレジスタンスに合流して間もない頃まで遡る。

フェアリースの南部にあるケオス森林でガーカスが倒れていたところを森の調査に来ていたレオナルドと三首長のガウルが発見し保護したのだ。

それ以来、ガーカスはレオナルドに対して非常によく懐いており、時にはレオナルドと共に戦場を駆けたり、戦場から戻るレオナルドを出迎えに来たりするのである。


ただ、ガーカスはこれまでにフェアリース周辺で発見されたどの狼にも属さない完全な新種であり、その習性や生態系はほとんどわかっていない。

少なくとも、人慣れはしているがレオナルドを含め自身以外の種族に尾を振るようなことはなく、プライドが高い種族であることは確かである。


「ヴァウ!」


レオナルドたちの元にたどり着いたガーカスは、”乗れ”と言わんばかりに自身の背中をレオナルドたちに向けて吠えた。


「お節介焼きのワン公の到着だ!よかったな相棒!こっからはわざわざ歩かなくても良さそうだぜ!」


「別にここから拠点まで大した距離じゃねぇだろ。まぁ、お前と二人きりなのが退屈なのは間違いない。来てくれて助かったぜ、ガーカス。」


「一言多いんだよなぁ~お前…」


デスペルのぼやきを他所に、レオナルドはガーカスの背中に跨る。


「ヴァオーン!」

“行くぞ!”という合図なのか、ガーカスは大きく吠えると荒れ果てた大地を力強く蹴って駆け出すのであった。


-数刻後-


ガーカスと合流して20分ほどは経っただろうか。

キリシュタル荒野をさらに西側に抜けた山岳地帯の奥で、見慣れた鉄門がレオナルドたちの視界に入った。


「おっ!拠点が見えてきたぜぇ~」


「分かってる。いちいち騒ぐな。」


真っ先に口を開いたデスペルをレオナルドが冷たくあしらう。


「ヴァウ!」


門番への合図なのか、鉄門に向かってガーカスが大きく吠える。


「おっ、ようやくお帰りだ。門を少し開けるぞ!周囲の警戒を頼む!」


ガーカスの合図に気づいた門番が周囲へ指示を出す。

ズズズッと両開きの鉄門が動き、人間2人分くらいの隙間を作った。


ガーカスは門の隙間を一気に駆け抜け、その先の広場のような場所で一気にブレーキをかけ、停止した。

ガーカスの通過を確認した門番が手際良く門を閉める。


「ふぅ~やっと一息つけるぜぇ…」


レオナルドがガーカスの背中から降りる傍ら、デスペルが軽い溜息を混ぜて呟いた。


「お前は無駄口叩いてただけだろ。」


「おいおいおい、いくらなんでもそれはねぇぜ相棒~。”アンチホープ(あの)”状態は俺だって疲れんのよ?」


「はいはい。お疲れのとこ悪いけど、一息つくにはちょっと早いわよ。」


2人の中身のないやり取りを聞き覚えのある声が遮った。

レオナルドが声の聞こえた方へ視線を向ける。


そこには声の主であるブロンドヘアーを三つ編みにして大きな輪状にした髪型の少女が着古したフェアリース騎士団の白いコートを纏って立っていた。

彼女がシフィナ・エーデルシュタインである。

レオナルドと視線が交わったことを確認し、シフィナが再び口を開く。


「奥でエリザベートさんたちが待ってるわ。明日の作戦会議よ。」


そう伝えると、シフィナはレオナルドに背を向け、拠点の奥に向かって歩き出した。


「漸くか。ここまで長かったな。」


レオナルドの言葉にシフィナが足を止め振り返る。


「えぇ…準備は整ったわ。明日、私たちレジスタンスは…」


少し言葉に詰まったシフィナだったが、意を決したように続ける。


「宗教国家フェアリースを制圧する。」


そう言い放つシフィナの瞳は鋭く決意に満ちながらも、少し波を打っていた。

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