死はすぐそこに

 祭りの4日前、この日はイオもカリストもフォルトゥナの調査に出ていた。祭りの日までは訓練は無しということになっている。訓練場は祭りの警備を行う保安官達が使っていて、空きがないのだ。

 しかし、体をなまらせるわけにはいかないので、別の練習場所はないかと街中を探し回っていた。


 空は鈍色にびいろの雲で覆われ、昼だと言うのに薄暗い。今にも雨が降り出しそうな天気の中、ソルはマルス、ヴィーナと共にレオの街を歩き回っていた。

 紡績や鉄鋼の工場が立ち並ぶ通りを抜けると、小さな広場に出る。中央には噴水があり、それを見つめるような形で3柱の女神の銅像が三角形に配置されていた。広場には、待ち合わせだろうか、男女が数人、バラバラに立っている。


「少し休憩しない?」


 ヴィーナの言葉に賛同し、近くのベンチに腰掛ける。待ち合わせの男女はパートナーを見つけ、次々と広場から去っていく。数分経った頃には、残っているのは3人だけとなった。


 そろそろ散策を再開しようかと思い、席を立つと、ポツポツと雨が降り始めた。傘を持っていない彼らは近くに雨宿りができる場所はないかと、小走りで適当な道を進んでいく。

 右側に開店しているカフェがあった。扉を開けると鈴が鳴り、初老のマスターが顔を出した。立派な口髭を蓄え、焦茶の髪をオールバックにしている。


「お客さんかい?珍しいね。」

「すみません。雨宿りついでに良いですか?」

「構わないよ。」


 カウンターに座り、店の中を見回した。客はソル達の他にもう1人。見窄みすぼらしい格好をしている、彼らより少し年下と思われる少年。

 話しかけようと思ったが、あまり触れない方が良いのかと思って視線を向けるだけにとどめる。


「彼が気になるのかい?」


 コーヒーを置くと同時に、マスターが小声で話しかける。


「彼も不憫なものだ。まだ若いのに資本家どもに搾取されているんだ。」


 哀しげな表情を浮かべている。


「良かったら、彼の話し相手になってくれないか?」

「え?」

「私と彼のことを以前から知っているんだが、どうも年が離れているせいか心を開いてくれなくてね。今の話は風の噂に聞いたんだ。」

「僕達が話しかけてもあんまり意味はないと思いますが。」

「私よりも君達の方が話をしてくれるんじゃないかな。まあ、無理にとは言わないけれど。」


 ソラは悩んだ。他人の事情にあまり口を挟んで良いものかと。


「暗い顔してどうした?」


 いつの間にマルスが少年に向かって語りかけていた。「何してるんだ!」と心の中で叫んだ。


「何してんのよ、あいつ!」


 ヴィーナがマルスを制止しようとする。マルスの肩を掴んで説教が始まった。


「いいよ。どうせ短い命だし。」


 少年がぼそっと呟いた。


「あんた達に話した方が気が楽になるかも。」


 口元だけに笑みを浮かべている。


「俺はレールモントフって言うんだ。町工場で扱き使われてる労働者の1人。今は16だけど、あと3日で17になる。」

「てことは、ソルやルーナと同じか?」

「ソル?ああ、そこのあんたか。」


 ソルの方に虚ろな目を向ける。


「俺さ、16で死ぬんだ。」

「え?」


 思わず声が出る。先ほど、3日後に17になると言ったばかりではないか。


「意味わかるだろ?あと3日以内に死ぬのさ。もっと早く死ぬもんだと思ってたんだけどさ、ここまで延ばされちまうと死ぬのが怖くて。」


 恐怖心のせいか声が少し震えている。吐き出す言葉も弱々しく聞こえる。


「俺さ、死にたくないんだよ。妹だっているのにさ。あいつ残して死んでくのが怖いんだ。」


 ソル達はどうにかしてやれないかと思い、互いの目を見つめ合う。しかし、ライブラでの事件は「運命の変更」が現状如何に危険なものであるかを思い出させる。


「ごめん、今はどうすることもできない……」


 絞り出すような声でソルが言う。


「あと3日……いや、生きているうちにやりたいことをやった方が良い。」

「やりたいこと、ね。」


 天井を見上げ、レールモントフは少し考えてから、

「じゃあ、妹に美味いものでも食わせてやりたいな。今までさせてやれなかったから。」

と悲しそうな表情で言った。



 雨が止む気配はない。マスターが貸してくれた黒い傘とレールモントフが持っていた白い傘に4人が入る。


「妹さんは何が好きなの?」

「わからない。今まで何が好きとか言ってなかったから。」


 レールモントフは1つの看板に視線を向ける。看板には“チョコレートケーキ”の文字が目立つように書かれていた。


「何の店かしら?」

「ケーキ屋だよ。最近の流行りなのさ。」

「おいしいのか、それ?」

「そりゃ美味い、と思う。」

「食べたことないの?」

「俺の家には金がないから。」


 ズボンのポケットに手を突っ込んで、小銭があったりしないかと探すレールモントフの姿に憐憫れんびんを垂れる。


「私達が買ってあげるよ。」

「え?そりゃ、流石に悪いよ。」

「ヴィーナ、その金使っても大丈夫なのか?」

「イオから数枚渡されていたの。何かあった時のためにって。」


 窓は閉められているが、明かりが漏れている。きっと営業中だ。彼らが店に入ると、若い女性の店員が「いらっしゃい」と愛想よく声をかけた。カウンターでは中年の女性が同年代の客と世間話をしている。1つ前の客が去り、レールモントフがショーケースの前に立つ。


「どれが良いかい?」

「1番おすすめは?」

「そうだね、やっぱりこのチョコレートケーキだね。こいつを買っておけば間違いはないよ。」


 ヴィーナが手持ちの銀貨20枚を店員に渡す。ケーキの入った箱を手に提げて、雨に濡れないように傘をしっかりと箱の上にやる。


「家はどこなの?」

「街の外れにある。ここからだと、30分は歩くことになる。」

「え?工場街ってここからもっと離れてない?」

「ああ。1時間以上は歩くかな。」

「鉄道とか使わないのか?」

「そんな金、うちにはないよ。」

「カフェで話していた時から思っていたのだけれど、もしかして親がいないの?」


 レールモントフが不意に立ち止まる。


「ああ。」


 彼が見せたのは怒りと悲しみが混在するような表情であった。短い返事はなんだか突き放されたような感覚を味わわされる。


「亡くなったとか?」

「親父はそうさ。だけどお袋は違う。お袋は……俺達を置いて夜逃げしたんだ。」


 急に重い話になり、ソル達は反応に困った。事故で両親を亡くしたソル達は「親に捨てられた」という感情を抱いたことはない。レールモントフの辛さを彼らが知る術はない。


「親父は酒癖悪くってさ。家にいる時はいつもお袋や俺に当たってた。幸い、幼かった妹には手出さなかったけどな。んで、俺が10の時に酒のせいだと思うけど、ポックリっちまったよ。お袋はやっとクソ親父から解放されたって喜んでたけどさ、その後に親父が借金してたことが分かったんだ。それも大量に。おかげでお袋は強制的に工女にさせられて朝から晩まで働かされて、どんどん弱っていったよ。俺も13の年に働かされるようになった。多分その年だな、お袋が逃げたのは。ある日、目覚めるとさ、机の上に手紙があって、そこには『もう限界です。』って一言だけ。俺達を連れ出しもしないで逃げたんだ。しかも一言も謝りやしない。本当、酷い親だった。」


 レールモントフの話を聞き、心が痛む。しかし、返す言葉は浮かばない。ソル達が抱いているのは「同情」であって、「共感」ではない。ソル達は皆孤児であるから、「同情される」感覚を1回は味わったことがある。彼らにとっては少なくとも気分が良いものではなかった。だから、彼らは同情を声に乗せなかった。


「悪い。こんな話をしちまって。」

「いや、全然。むしろ、させてしまったこっちの方が謝るべきだよね。」

「俺が勝手に話したことさ。」



 話が終わった頃には、木々がまばらに立ち並ぶ林を歩いていた。


「あそこにある赤い屋根の家。あれが、俺と妹が暮らしている家さ。」


 指差す先には、塗装の剥げた赤い三角屋根の小さな家が1軒だけ建っていた。周りに他の家はなく、人の気配もない。家の外壁にはつるが少し伸びていて、門から扉までの道は歩ける程度に草が刈り取られている。


「お兄ちゃん!」


 足音を聞いたのか、12、3歳と思われる少女が勢いよく扉を開けた。レールモントフよりも明るい茶色の髪を二つ結びにしている。ソル達を見るや否や、少女は驚きの声をあげた。目を拭って夢でないことを確かめる。


「え?お客さん?お兄ちゃんの?」

「あんた達にはまだ紹介してなかったな。こいつが妹のソフィア。」

「まさかお兄ちゃんにお友達ができるなんて……」


 ソフィアが大袈裟に目を潤ませる。「おい」と短く言い、レールモントフがソフィアの頭をポンと叩く。


「えーと、こんにちは!」


 ソフィアは笑みをたたえ、快活に挨拶する。その元気さにソル達は追いついていないようで、「こ、こんにちは」と詰まりながら返した。


「さあ、家に入ろう。ソフィアに良いものがあるんだ。」

「え?何!?」


 レールモントフはヴィーナから箱を受け取り、蓋を開けてみせる。チョコレートの匂いが家の中に漂い始める。


「今まで美味いもの食わせてやれなかっただろ?だからさ、俺が死ぬ前に食わせてやろうって思ってさ。」


 ソフィアは黙ってうつむいた。


「……して。」


 小さな声で何かを呟いた。


「何?」

「どうして?」

「どうしてって……」

「私、そんなのいらない!」


 ソフィアは叫ぶと、目に涙を浮かべながら家を飛び出した。その場にいた皆、呆然としている。誰もが喜んでくれると思っていた。

 1番に我に返ったのはヴィーナで、彼女が門を出て見回した時には、既にソフィアはいなかった。

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ラプラスの悪魔 元目嘉月 @Mac_Lap

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