21.幸せ
シュジャは、ごつごつした皮に覆われた巨大な手のひらと思われるものの上に、大人しく収まっていた。完全に包まれているわけではないので、視界は暗くない。ただ、囲われているので周囲の状況がわからないし、下手に動いたら危ないかもしれない。
しかし、ずっとこのままというわけにはいかないのもわかっている。領主の館で感じていただるさは、もうほとんどない。
そっと身を起こして、シュジャはどこに視線を向けたものか迷い、ひとまずの策として上を見上げた。硬そうな皮と鱗に覆われた体と、空が見える。
「アースィー……?」
揺れはなかったが、乗せられている手のひらがかすかに動いた。
目の前で見たから、間違いはないと思う。今シュジャを手のひらに乗せている巨大な生き物は、アースィーのはずだ。
ただ、領主の館では怒っているようだったし、ずっと、ひと言も話してくれない。それともこの姿だと、人間種族とは話せないのだろうか。
「アースィー」
乗せられている硬い皮を、ゆっくり撫でる。手足の枷は、手のひらに乗せられたあとすぐに外れて、外側に落ちていった。今は、シュジャを拘束するようなものは何もない。
『……ごめんね、シュジャ』
ぽつり、とこぼされた言葉は、音ではなかった。
「……魔法か?」
『……この姿だと、人間の言葉は難しいかな』
アースィーが喉を鳴らしていたときのような、唸るような音がする。この姿で話そうとすると、こうした唸り声になってしまうのだろう。
「……何に対して、ごめん、なんだ」
シュジャには、謝られるような心当たりがない。アースィーはおそらく、あの場から助けてくれたのだろうし、また会おうという約束は、今こうして会話しているのだから果たせている。
また少し、シュジャの乗せられているところが動く。
『……ドラゴンなの、黙ってたこと』
アースィーは、一人前のドラゴンであることを認めてもらう通過儀礼として、あるものを探しに人間種族の領域まで出てきていた。そのときの条件が、ドラゴンであることを隠すことと、探し物を取り戻すには魔法を使わないこと。
だから、シュジャにはドラゴンであることを話さなかったし、シュジャのためにしか魔法を使わないと宣言していた。
「それも含めての通過儀礼なら、仕方ないだろう」
実はドラゴンですなどと、安易に明かせるものでもないだろう。シュジャだって初めは、エルフ族の血を引いていることを隠そうとしていたわけだし、アースィーが人族に擬態したままでいたことを、責めるつもりはない。
『……危ない目にも、遭わせた』
薬を作って領主の館に届けることを話した時点で、アースィーはシュジャが危険にさらされるのではないかと案じていた。わかっていながら領主の館に出向いたのはシュジャなので、アースィーが気にすることはないはずだ。
「むしろ、私が謝るべきだ。探し物の邪魔をしてしまっただろう? すまなかった」
『そんなことはないよ。あの部屋に入るの、ちょっと苦労してた』
領主の館に入ること自体は、アースィーには簡単だった。ただ、宝物室は厄介で、忍び込もうにも警備が多すぎる。あれこれ試みたあとだったのであえて捕まってみたものの、それでも手段も情報も得られない。
捕らえられている間に食事は与えられたから、餓死させるつもりはなさそうだったが、取り調べられることも牢から出されることもなかった。それが不可解で、警戒し続けていた。
アースィーが話している途中でまた低い音が聞こえ始めて、シュジャはそちらに視線を向けた。結局はにぶい銀色で覆われた体が見えるだけだが、位置としては首だろうか。
『それが急に連れ出されたから何かと思ったら……あいつら、人間のくせに調子に乗りやがって……』
アースィーが何かに怒っている。
そう思った瞬間、咆哮が轟いて、シュジャは耳を覆って倒れ伏した。
「ッ……」
『ご、ごめん、ごめんねシュジャ』
基本的に、人族よりエルフ族のほうが身体能力は高い。五感も鋭いから、間近で轟音など聞けば、聴覚が使い物にならなくなる。アースィーの声は魔法で届けられているから理解できるが、周囲の音はまったく感じ取れない。
そもそも、アースィーの手のひらに載せられていること以外、今の状況は把握できていないが。
『……シュジャ、いったん下りるね』
魔法で届けられる声のあと、ふんわりとした感覚があって、気づけばシュジャは人族に擬態したアースィーに抱えられていた。シュジャを覗き込んでいる顔は、心配しているのだろう。
『大丈夫……?』
「……魔法で話してくれると、助かる」
よしよしと撫でてくれるアースィーの手は、いつものようにひんやりして気持ちいい。
ただ、周囲もそこまで暑くないことに気がついて、シュジャはそっと視線を巡らせた。
「森……?」
『だいぶ飛んできたけど、俺の巣遠いんだよね』
「とん……巣……?」
困惑して聞き返すと、アースィーがきょとんとした顔をする。
『ドラゴンが歩いたら、人間踏み潰しちゃうから……』
基本的にどの生き物も、ドラゴンにとっては獲物か気にも留めない相手かのどちらかだ。ただ、むやみやたらに殺していいものと思ってはいないから、移動するときは踏み潰さないよう、飛ぶことにしているらしい。
つまり先ほどまで、シュジャは生まれて初めての空の旅をしていたということになる。
遅れてやってきた恐怖できゅっと身を縮め、シュジャはアースィーの服を握りしめた。アースィーは不思議そうにしているが、普段から空を飛ぶような生き物でない限り、地に足がつかなければ恐ろしく感じるものではないだろうか。
子どもをなだめるようにシュジャを撫でつつ、アースィーが行儀悪く何かを足で引き寄せた。一抱えほどもある、黒地ににぶい銀色の模様の入った石だ。簡単にころころ動かせる大きさには思えないが、ドラゴンには小石と同じ感覚なのかもしれない。
『これが探し物だよ』
「……あの部屋にあったか?」
何か助かる手段はないかと見回しただけだが、あの部屋でこんな石を目にした記憶はない。怪訝な顔をしたシュジャに、アースィーが苦笑する。
『……ちょっと、問題があって。それでシュジャを、巣に連れて行かないといけなくて……』
ドラゴンは、メスが卵を産む。しかしその卵には命が宿っておらず、そのままではただの石だ。ドラゴンのオスと、もう一人、誰かの魔力が注がれて初めて、その卵に命が宿る。必要な魔力量はドラゴンのオスの膨大な力でまかなえるので、魔力を注ぐもう一人は、特にドラゴンである必要もない。
『シュジャ、俺を回復させてくれたでしょ? あのとき、卵が魔力吸っちゃって……』
「……え」
シュジャはせめてアースィーだけでも助けたい、と癒やしのまじないを唱えたが、アースィーの知識ではあれは魔法であって、魔法を使うからには魔力が放出される。
その魔力が、同じ部屋に置かれていた卵に吸収された。
また、領主のシュジャに対する行為に激怒したアースィーの魔力も、シュジャだけは傷つけないよう魔法で庇ったために、同じく卵に吸収された。
『だからこれ、俺とシュジャの子どもが産まれる』
「こっ……」
子ども。突然そんなことを言われても。すでに命が宿っているなら、そんな扱い方をしてはいけないのではないか。
何を言っていいのか、頭の中にいろいろな言葉が渦巻いて、シュジャはとっさに何も言えなかった。
言葉に詰まってただ茫然と見上げるシュジャに、アースィーがまた苦笑する。
『俺もちょっと、まだ番いになってない相手と子どもができちゃった場合、どうしたらいいかわからない』
そのためシュジャを伴って、アースィーのいたドラゴンの巣に戻り、両親に尋ねようと考えた。
今はノスト・アル・カラズをずいぶん離れ、巣に戻る途中の森に降り立ったところ、だそうだ。
「アースィー……」
しかし、シュジャを連れていったとしても、混ざりモノのエルフ族では、拒まれるだけだろう。
不安になって、しかし何を言えばいいかわからない。うつむいたシュジャを、アースィーがぎゅっと抱きしめてくれる。
『本当は、もっとちゃんとしたところで伝えたかったんだけど』
抱きしめていた腕を緩めると、アースィーはシュジャの手を取った。シュジャが戸惑って見つめるアースィーの顔は、いつも通り穏やかで優しい。
『シュジャ、俺の番いになってほしい』
「番い……?」
『人間種族で言うと……ああ、バナフとルイムみたいなやつ』
ノスト・アル・カラズに卵が持ち込まれたことがわかって、調べるうちにシュジャに出会った。
初めは、砂の国にエルフ族がいるなんて珍しい、と思っただけだった。しかしそのエルフ族は、アースィーがドラゴンであることを知らなかったとはいえ、庇護を受けるつもりなどないと断った。まさかドラゴンの申し出が断られるとは思わなかったから、驚いたし、その誇り高さに心惹かれた。
かと思えば、一緒に暮らすと案外無防備で、些細なことでも嬉しそうで、かわいらしかった。
『だから、シュジャに、俺の番いになってほしい』
するりと何かが体に触れて、シュジャはにぶく銀色に光る鱗を目にした。アースィーの尻尾が、シュジャを抱きしめるように巻きついてきている。
「……嫌では、ない、と、思うんだが……」
シュジャは自分の感情を把握するのが苦手だ。だからはっきりとは答えにくいのだが、不快感はないと思う。
ただ、それとは別に、気がかりがある。
「……私のような、混ざりモノの洞窟エルフでも、いいのか……?」
きょとんとした顔になったアースィーは、少ししてから考え込むように眉根を寄せた。
ドラゴンのような強い種族なら、なおさら問題になるだろう。目を伏せたシュジャの体に、アースィーの腕が回ってくる。
『シュジャ』
見上げたアースィーの顔が困っているように見えて、シュジャは体に力を入れた。
わかっている。混ざりモノは、どこでも歓迎されない。
『俺はエルフ族に詳しくないから、よくわからないんだけど……混ざりものか、そうじゃないかって、エルフ族にとってどれくらい重要なこと……?』
ただ、アースィーの言葉は、思っていたものとずいぶん違っていた。
ぽかんと見つめるシュジャに、慌てた様子でアースィーが重ねていく。
知らなくて、ごめん。でもシュジャにとって重要なことなら、きちんと知りたい。何か問題があるなら、力の及ぶ限り努力するし、シュジャのために何でもする。
予想外の言葉のせいで、ただアースィーを見つめるだけだったシュジャにどう思ったのか、アースィーのほうが泣きそうな顔になってしまった。
『シュジャ……だめ……?』
「いや……」
だめではない。
そう答えようとして、しおしおとうなだれたアースィーに目を瞬く。
「ああ……いや、ふっ……ふふ……」
嫌だ、に聞こえたのかもしれない。
思わず笑い出してしまって、アースィーが戸惑った顔をしているのがますますおかしくて、止まらない。
『シュジャ……?』
「アースィー、私でいいのか」
なんとか笑いを落ちつかせて、不安そうな顔を見せるアースィーを見上げる。
にぶく銀色に光る髪は、鱗の色。おそらく、ドラゴンになったときの瞳も、浅いオアシスのような青をしているのだろう。
『……俺が選んだのは、君だよ、シュジャ』
「……そうか」
抱きついたシュジャに少し慌ててから、アースィーがゆっくり抱きしめる腕に力を込めた。
生まれついたものは、変えられない。だからずっと、混ざりモノと言われて誰にも受け入れてもらえないのだと思っていた。
けれど、混ざりモノであることに何の意味があるのか、正直なところシュジャもよく知らないのだ。意外と、大したことではないのかもしれない。エルフ族以外には、混ざりモノであることなど、問題ではないのかもしれない。
「私も、アースィーがいい」
目元が熱くて、また悲しくないのに涙が出るな、とシュジャはアースィーにぐりぐりと顔を押しつけた。
これもきっと、嬉しいときの涙に違いない。
【BL】はぐれエルフは愛とか恋とかよく知らない phy @phy_ma
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