20.咆哮

 体が痛い。

 突然そう思って、シュジャはゆっくりと目を開けた。硬くて冷たいところに、横向きに寝ていたらしい。周りに棒が立っていて、シュジャを囲う柵のようにも見える。なぜこんなところに柵があるのだろう。手をついて起き上がろうとして、腕の妙な重さにも気づく。目を向けると、ちゃり、と金属音がした。


「な、に……」


 手首に金属の輪っかがはめられていて、左右が鎖で繋がっている。つまり、手枷だ。足にも重みを感じるから、足枷もつけられているのかもしれない。

 ぐっと口を引き結んで、シュジャはもう一度床に手をついた。そのタイミングで扉の開く音がして、人の足音が遠ざかっていく。

 この部屋に人がいたのだろうか。まるで気づいていなかった。よく見ればもう一人いて、じっとシュジャを見ている。その腰に武器があるのがわかって、床に転がったまま、シュジャはじりじりと体を遠ざけた。背中が何か硬いものに当たって、振り返るとそちらにも棒が立っている。

 これは、柵ではなくて、檻だ。


 どうして手足に枷をつけられて、檻に入れられているのか。


 混乱し始めたシュジャの耳に、また足音が聞こえてくる。先ほどの一人だけではなくて、何人かがまとまって動いているようだ。

 扉が開かれて、入ってきたのは、領主のカザールと、シュジャを世話してくれていたサディク、それに部屋に残っていた人族と同じような装備を身につけた、人族。


「確かに目覚めたようだな」


 シュジャを見下ろすカザールは、愛想のいい笑顔など浮かべていないし、視線の色は冷たい。

 この男は、味方ではない。

 相手の目を見てそれだけはすぐに判断できて、シュジャは起き上がるのをやめて観察に意識を切り替えた。起き上がる気力もないのだと思わせておいたほうが、隙をついて逃げられるかもしれない。


「しかし、黒いエルフなんかいるのか?」

「申し訳ございません、寡聞にして存じませんでした」


 黒いエルフ。シュジャの見た目が知られている。どうして。いや、薬の効果が切れたのだろう。食べ物か飲み物か、それともあの香に、シュジャの意識を奪う効果があったのだと思う。

 一応考えを回すことはできるものの、まだ少し、ぼんやりした部分もある。時間を稼いだほうがいいのか、逃げられる隙があるのか、考えるべきことはたくさんあるのに、どれもこれもうまくまとまらない。

 そもそも、シュジャを捕まえるつもりで、呼び出したのだろうか。


「伏せったときはどうしようかと思ったが、さすがは私だ、運がいい」


 視線を向けたシュジャに気づいたのか、カザールの口がにんまりと笑みを形作る。あまり褒められた顔ではないと思ったが、シュジャは努めて無表情を保った。


 カザールは症状を自覚したあと、すぐに医者を呼んだのだという。しかしあの病は発症すれば最後、治療は難しいという話だった。ならばせめて、症状を軽くすることだけでもできないか。組合を通じて町中の薬屋に通達し、薬を探させたところ、あの薬が手に入った。だめで元々、言われた通り服用してみたところ、体調は劇的によくなった。


 そこで、今まで求めてきたものの情報が、ふと頭をよぎった。

 エルフ族は、薬作りの天才だという。ならばこの薬は、エルフの妙薬ではないのか。この薬を作ったものを探せば、エルフ族の情報も得られるのではないか。


「情報どころか、エルフ本人だったがな」


 つまりシュジャはのこのこと出てきて、捕まってしまったわけだ。歯噛みしたい気持ちはあったが、シュジャはじっと耐え続けた。今重要なのは、逃げること、そのための隙をうかがうことだ。シュジャの気持ちを慰めることではない。

 ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らすと、カザールが武装した人族を振り返った。


「本当に不老不死になれるのか早速試してみたいところだが、食べて何かあっても困るからな。あれを連れてこい」


 あれ、とは何だろう。疑問は持てても、推論するほどの思考が取り戻せない。何か、助かる術を探さなければ。

 しかし周囲を改めて見回してみても、シュジャが閉じ込められている檻の外に、絵画や彫刻、大きな皿や壺、宝石が飾られているだけだ。武器になりそうなのは、なぜか床に転がされている、一抱えほどもある大きな丸みを帯びた石くらいだろうか。ただ、あの大きさをシュジャがどうこうできる気もしない。


 近づいてくる音に気がついて、シュジャはぴこりと耳を動かした。金属がこすれ合うような音と、大声で言い争うような音だ。複数の人間が、この部屋に近づいている。一人は、抵抗しているらしい。

 ぼんやりと扉に視線を向けて、入ってきた人物にシュジャは目を丸くした。


「離せっつって……ッ……!?」


 黒髪で、黒い瞳のままだ。魔法を使えるくらいの、力は残っているのだろう。鎖で縛られているだけで、シュジャのように手足に枷はない。


「……ファ、ルカ」

「何だ、知り合いか?」


 カザールの声に、シュジャは慌てて口を噤んだ。声を出すべきではなかった。

 でも、アースィーが生きていてよかった。アースィーが領主の館に忍び込んで何日も経ったあとだったから、もしかしたらと心配だった。弱っているだろうか。どこか怪我をしているかもしれない。


「盗賊一味なら、いなくなっても構わんな」


 むしろそれが世のためだ、とせせら笑って、カザールが重装備の人族に目を向けた。動こうとしたアースィーが、床に押さえつけられている。

 簡単に押さえ込まれてしまっているということは、やはりアースィーは弱っているのかもしれない。アースィーは、人族よりはるかに強い種族のはずだ。


「エルフの足を切り落として盗賊に食わせろ。逃げられなくなってちょうどいいだろう」


 がちゃりと音がして、シュジャがのろのろと視線を向けた先に、人族がいた。腰からすらりと剣を抜いて、シュジャに向かって構えている。

 剣ですぐに足を切り落とせるものなのか、シュジャにはわからない。ただ、この狭い場所で、両手両足に枷をつけられた状態で、シュジャが避けられるとは思わない。


 どこか冷めた頭でそれだけ判断すると、シュジャはアースィーに目を向けた。

 焦った様子だったのにいぶかしげに変わったアースィーに、笑いそうになってしまうのをこらえる。シュジャよりは、アースィーのほうが可能性があるのは、間違いないのに。

 たぶんチャンスは一度しかない。


「サナーレ……!」


 アースィーが大きく目を見開いて、浅い青の中の瞳孔が縦に伸びたような気がした。ただ、それを最後まで見ている余裕はないから、衝撃に備えてぎゅっと目をつむる。


 痛いのは、嫌だ。痛いのは、恐ろしい。

 だからせめて、アースィーだけでも、逃がしたい。きっとシュジャは体を食べられて、遠くない先で死んでしまうから、二度と会えなくなる前に、アースィーだけ。


 そう決意して、最後のつもりでまじないの力を使ったのに、頭が割れそうなほどの轟音が鳴り響いて、シュジャはすぐに目を見開くことになった。


 アースィーが、叫んでいる。いや、咆哮というのが、正しいかもしれない。轟く音は猛々しく、その声自体に力があるかのように、アースィーを押さえつけていた人族を吹き飛ばしていた。

 その背中から、皮膜のある翼が生えてくる。アースィーの髪と同じ、にぶい銀色の鱗が体を覆っていき、手足や体が太く、長く、伸びていく。鱗に覆われた先には尖った爪が生えそろい、視線を移せば頭も前後に伸びていて、口が裂け、鋭い牙がのぞいているのが見えた。体を縛りつけていたはずの鎖など、チェーンレースのようにちぎれて落ちている。


 もう一度咆哮をあげると、その巨体は無造作に一回転して、尻尾を振り回した。皿や壺の割れる音、壁が崩れる音、人の叫び声。金属音は何かと思えば、シュジャを囲っていた檻が、途中からへしゃげて吹き飛んでいた。

 瓦礫からあふれる埃にむせていると、節くれだった鱗の先の爪に、ひょいと持ち上げられる。


「……え……」


 アースィーなのだとは、思うけれど。

 おそらく前脚だろうところに大事に抱え込まれて、シュジャには外が見えなくなった。

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