19.策略
「なるほど、シュジャ殿はお父上から調薬について学ばれたのですな」
「……はい」
ノスト・アル・カラズの領主、カザールは、いい言葉で言えば恰幅の良い男だった。
人の身長が伸びるのは知っているが、横にもここまで成長するとは、とシュジャが心の中で感心したくらいだ。
これだけ体が大きいなら、さぞ力も強いのだろうと思ったのだが、握手というものをした限りでは、普通の人族の男と大して変わりなさそうである。比べるならおそらく、シュジャの傍に立っているサディクのほうが強いだろう。ちらりと視線を向けたシュジャに対して、サディクが柔和な笑みを浮かべる。
「いかがなさいました、シュジャ様」
「い、いいえ」
ずっと傍に張りつかれているのが嫌です、などと言っていいはずがないのは、シュジャにもわかる。
シュジャが領主の館を訪れて、領主と顔を合わせられたのは、日が沈んだあとのことだった。それまでずっと、シュジャの世話という名目で、サディクは傍から離れてくれない。来客を待たせるためらしい部屋で、一人にしてもらって構わないと言っても、職務ですのでと立ち去ろうとしなかった。
実際、サディクの用意してくれた飲み物やお菓子はおいしかったし、シュジャが退屈しないようにといろいろな話を聞かせてくれて、そのどれもが面白かった。だから、悪く言うのもはばかられる。
なお、アースィーがいれば、まるで監視のようだと不快をあらわにしただろうが、シュジャにはそういう発想がない。
困ったと思いつつ、シュジャはカザールに視線を戻した。こちらもにこにこと表情は友好的で、シュジャの拙い話でも興味深そうに聞いている。
シュジャは、おそらく宴席と呼ばれるものについていた。シュジャは今まで宴席というものに参加したことがないが、これだけ豪華な見た目の食事、酒や物珍しい飲み物が用意されているのだから、食卓を囲んでいるのがシュジャとカザールだけだとしても、宴席だろうと思う。シュジャたった一人のためにここまでするものだろうかとも思うが、領主は薬のお礼という名目でシュジャを呼んでいるのだから、それなりの行動もするものなのかもしれない。
日が暮れてからシュジャのいた部屋に人が来て、サディクに何事かを伝えたかと思うと、この部屋に案内された。そこに待ち構えていたカザールは、シュジャに対してまず謝罪したのだ。権力を持った人族など、謝ったら死んでしまうとでも思っているのか、絶対に頭を下げることはない、というのがシュジャの理解だったから、ずいぶん驚いた。
それから繊細な模様の絨毯の上に惜しげもなく豪勢な食事や酒を並べ、シュジャが酒を持て余していると気づけば、果実水を用意してくれた。そして自分が見聞きした珍しい話をしてくれる間にも、何度も薬に対する礼を述べてくる。
ジューラがいい噂を聞かないと言っていたし、シュジャもあまりいい印象を持っていなかったのだが、どういうことだろう。
「では、お父上もノスト・アル・カラズに?」
「……いえ、今どこにいるかは……」
「おや、これは失礼を」
「いいえ」
シュジャが薬師として接触した以上、カザールが薬のことを聞いてくるのは予想していた。どこで薬の作り方を学んだのか、薬の材料はどうしているのか、他の疑問も出てくるだろう。
口ごもって答えられないと怪しまれるだろうことはシュジャにもわかっていたから、いくつかは事前に用意してきた。
シュジャは、薬師である父に育てられた。母は知らない。父子二人、ウルジュラザートよりも北の国で暮らしていたが、ある日父が薬の材料を探しに行ったまま帰らなくなり、シュジャは身寄りがなくなってしまった。調薬のことは学んでいたから、それで生計を立てながら、ウルジュラザート出身だったという母を頼って、こちらにやってきた。旅をする間に、いい大人にはなってしまったが。
まるっきり嘘ではないが、すべてが本当でもない。一応ばれにくいと思って作った設定だ。今のところなんとか、この設定で話を通せている。
「となると、お母上ですな」
「ウルジュラザート出身、というところまでしか、知らない、ですが」
シュジャの見た目は、母から受け継いだもの、ということになっている。北方の国で暮らしていたというのに、褐色の肌ではおかしいだろう、と考えたからだ。そもそも魔法薬で姿を変えているので、似ている人族の女性などいるはずもない。
ただ、どこにでもいそうな見た目だから探しようがない、とシュジャは思っているが、シュジャの美醜の感覚は人族とずれている。
「いやはや、シュジャ殿のお母上であれば、それはお美しい方でしょうな。私のほうでも手を尽くしましょう。きっと見つかりますとも」
「……えっと……」
目論見が外れたシュジャは、戸惑ってわずかに首をかしげた。この顔で美しいとかなんとか、聞くはずがないと思っていたのに、なぜだろうか。
それに、薬を渡しただけのシュジャに、大きな町の領主がそこまで力を貸そうとする理由がわからない。領主の病とやらは治っていないはずだし、一時的に症状が軽くなったとしても、それだけで深い恩を感じるほどのものでもないだろう。
「あの、領主様に、そこまで」
「いえいえ、あの薬をくださった薬師様ですから、協力は惜しみませんよ」
おかしい。この館に来たのはまずかっただろうか。
心の中で少し焦りを覚えつつ、カザールが機嫌よく杯を空けるのに合わせて、シュジャもちびりと果実水を口にする。少し渋みも感じるが、爽やかな飲み口でおいしい。
この館でのシュジャの目的は、アースィーを助け出すことだ。カザールと親交を結ぶことではないし、おいしいものを食べたり飲んだりすることでもない。
まずはアースィーを探し出さねばならない。人を探しに来た、などとカザールやサディクに言えるわけがないから、どうにかして、一人になる必要がある。そのあとも、見つからないように歩き回らなければいけない。
それに、そろそろ姿を変える魔法薬を飲んでおきたい。領主の館で元の姿を見せるわけにはいかないから、早めに効果を重ねがけしておきたいのだ。
「……カザール様」
「む、そろそろ時間か」
シュジャがそわそわしたのが伝わった、というわけでもないだろうが、サディクが声をかけると、カザールがぐいっと杯を飲み干した。そのまま杯を置いて立ち上がり、シュジャに笑みを投げかけてくる。
「シュジャ殿、申し訳ないが次の予定が控えておりましてな。私はここで失礼いたしますが、夜も更けておりますし、どうぞ今夜は当家でお休みください」
「え、あの、迷惑、では」
「このように暗くなってからお返しするわけにはいきません。どうぞ、ご滞在ください」
シュジャとしては、好都合ではある。
だが、カザールがシュジャを泊めるメリットがない。大きな町の領主まで勤めている人族が、純粋な好意だけで人を家に泊めようとするだろうか。
「サディク、引き続きおもてなしするように」
「かしこまりました」
シュジャが悩んでいるうちにカザールが部屋を出て行ってしまい、慌てて頭だけ下げておく。絨毯の上にはまだ料理も酒も残っているが、シュジャもこれ以上は食べられない。
「シュジャ様、お食事はいかがですか」
「もう、いっぱい、です。ありがとうございました」
「お口に合いましたようで、光栄でございます。それでは、シュジャ様のお部屋にご案内いたします」
一人でも戻れるような気はするが、内部を覚えていると知られるのも怪しいかもしれない。きょろきょろと周囲を見回して慣れない様子を見せつつ、連れていかれる先が、領主と会うまで待たされていた場所と違う気がして、シュジャは内心慌てた。荷物袋がないと、姿を変える魔法薬が飲めない。
「シュジャ様、こちらが本日ご滞在いただく部屋となります。僭越ながらお手荷物もすでに運び入れておりますので、ご確認ください」
サディクが扉を開けてくれて、シュジャはためらいつつ部屋の中に足を踏み入れた。ふかふかの絨毯、置いてある家具はどれもきれいな布張りで、細かい刺繍の施されたクッションがあちこちに品よく並べられている。ランプの穏やかな光は、とても居心地がよさそうだ。
すん、と何かのにおいに気がついて、シュジャは足を止めた。不快感はないが、嗅ぎなれない、におい。
「この部屋ではお客様にくつろいでいただけるよう、香を焚いております」
「……そう、ですか」
納得して足を踏み出し、シュジャはよろめいた。どうしてだろう。うまく力が入らない。やたらと眠いような、まぶたが重たい。
「お疲れなのでしょう。失礼いたします」
誰かに肩を貸され、脇腹を抱えられる。それは、アースィーが、いいのに。
のろのろと部屋の中を進んで、おそらく寝台だろう柔らかいところに寝かされたことまではわかったが、シュジャの意識はそこで途切れてしまった。
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