人事名簿

小林勤務

第1話

 この体験談はカクヨムで公開するかどうか直前まで迷いました。


 自分の身に実際に起こったことって、何かしらの意味があると思うんです。

 例えば、何かの暗示だったり、兆候だったり、その両方だったり。


 案外こういう類ってそのまま無視を決め込めば、それで終わりというか、それ以上のことは起きないってことなのかと思って、忘れるようにしていました。


 いわゆる人の生き死に関することなら、なおさら。


 だから、あの出来事はそのまま無視を決め込もうと思ったわけです。

 今まで不吉なことなんて起きていませんし。

 でも、欲求っていうんでしょうか。

 こんな体験しましたがどうですか?って――


 カクヨムなんて小説投稿サイトで、飽きもせず創作なんて続けていると、ふつふつとある欲求が沸き上がってきます。

 世間の反応を見てみたい。

 そんな薄暗い気持ちが勝ってしまいました。

 自分でも愚かなことをしているんじゃないかって呆れながら、この体験談を文字起こししています。


 特定を避けるため全て伏字にします。

 年代、場所、固有名詞、全て伏字です。

 そして、なんとなくこの話に関する反応もし辛いので、コメントには返答しません。



 これは会社で体験した出来事です。


 私は一時期、人事部に所属していました。

 初めから、人事部に在籍していたわけではありません。いわゆる本人が知る由もない異動によってです。


 当時は、長年キャリアを積んできた部署で、そのまま経験を生かして将来的に出世していきたいという希望が強かったため、何で私がという後ろ向きな気持ちがありました。


 それに、人事なんて全く畑違いな職種。

 また、一からキャリアをやり直すのかと。


 内示を聞いてから、連日誰かを誘っては酒ばかり飲んで愚痴を零していましたが、家族や仲の良い職場の先輩から、「会社全体のことを知れるまたとない機会だから」と色々慰められて、少しだけ前向きになった記憶があります。


 いざ、人事部に異動してみると、皆が言っていた通りでした。


 人事部は会社全体の人事情報にアクセスできます。

 人事っていうのは、いわば組織の鍵となるものです。

 あらゆる業務は人が握っており、力がある人によって全てが動いていきます。

 今まで関わりがなかった偉い方々とも様々な形で接点が増え、自分のキャリアの幅が広がったのではと理解するのに、一か月もかかりませんでした。


 後で内々で上司に異動の経緯を聞くと、どうやら私が人事部に異動したのは前任の●●さんが退職したので、その補充だったようです。


 ●●さんは元々、私の上司であり、上司と部下の関係の時には色々と可愛がってくれました。いわゆる飲みニュケ―ションってやつです。その●●さんの推薦があったようです。

 この内情を教えてもらった時、少しだけがっかりしたのを覚えています。

 なんだ、将来を見越して私を引っ張ってくれたわけじゃなかったのかと。

 まあ、そんな思いも少なからずありましたが、仕事なんてどれだけ前向きに目の前の業務に取り組めるかが勝負なんで、すぐに気持ちを切り替えました。


 ただ、一点だけ今も気になっていることがあります。


 ●●さんは58歳で退職したんです。


 58歳って微妙だよな――って。

 だって、あと2年経てば退職金を満額でもらえるのに。


 退職理由は病気でも、いわゆる職場のストレス――心の病――でもなかったようです。よっぽど貯えがあったんだなと下衆な勘繰りもしてしまいました。

 それに、●●さんは独身だし、ある程度お金に余裕があったので、趣味の釣りにでも勤しんでるのかなと羨ましく思いました。

 ただ、退職する前に一言いってくれたらよかったのに、と。

 じゃあ、連絡しろよって話ですが、まあ、これは後で記述します。


 結局、今も●●さんとは連絡をとっていません。




 話を戻して――


 私に与えられた業務は新人教育でした。

 毎年、景気が良いのか新卒採用を100名前後採用します。

 あ、景気が良いというのは半分建前で、離職率もそれなりに高いということの裏返しでもあります。

 まあ、様々な業務をやっていますとカッコつければいいですかね。私自身、未だに会社全体の仕組みは理解出来ていません。

 会社ってよくわからないことだらけですよね。

 どんな仕組みで回ってるんだと。

 私の給料はどんな流れで稼がれて、利益になって、還元されて、支払われているんだろうなって。


 それはさておき、そんな人数を採用するので、人財管理が大変なんです。


 研修一つとってみても――

 ホテルの手配、

 講師の手配、

 資材の手配、

 手配、手配のオンパレードです。


 ああ、これが人事部が携わる地味な作業の代表例なんだなと、純粋な子供のようにするっと理解すると同時に、泥水も飲んできた大人な私は軽く辟易もしました。


 で――


 この人財管理なんですが、妙なことが起きたんです。


 人の名前と顔って一致しますか?

 案外これは難しいです。


 個々の名前と顔がいまいち一致しないなかで管理するわけです。

 頭の中で似たような顔と名前を思い浮かべ、パズルのように合っているか合ってないか四苦八苦。

 原始的に人事名簿にレ点を入れて、この手配はOK、返答あり、なんてチェックしていくんですが、完全に一致しないんです。


 一致しないんです。


 まあ、一人だけなんですが、一致しませんでした。

 この新人から返答ないな、と。

 この新人の名前は●●●●とさせて下さい。

 ●を4つ並べたのも適当です。

 漢字3文字なのか、4文字なのか、それとも5文字なのか。

 男性か、女性か。

 全て曖昧にしたい気持ちがあります。

 分かり難い文章ですいませんが、ご理解ください。

 唯一嫌なのが、新人なので、ある程度年齢が特定されてしまうことです。別に年齢が重要ってわけじゃありません。

 ただ、嫌なんです。


 この新人は何にも該当しませんでした。

 研修の参加はOKなのか。

 事前課題の提出はしているのか。

 アンケートの回答はあるのか、とか。

 全部。


 これはおかしいと人事データを確認してみると、なんてことはありませんでした。

 そもそも、●●●●という人間は、会社にはいなかったんです。


 新人名簿は私が作成したものではありません。

 異動する前に新卒採用は終わっていたので、既に作成された人事名簿を私がそのまま引き継いだわけです。

 前任の仕事を引き継いだという状況。

 となると、前任である●●さんの間違い。

 なんだ、ただの入力間違いかと、その時は拍子抜けしましたが、ふと疑問に感じたんです。


 数字の入力ミスならわかるけど、人名の入力ミスなんて起きるのか、と。


 よくある名前でもなく、実際に採用された新人の名前と一字違いというわけでもありません。

 既に会社にいる人間でもなければ、その一字違いでもありませんでした。

 あえて入力しないと名簿に載らない名前でした。

 つまり、打ち間違えがない名前だったんです。

 

 なんですかね。

 ここで終わらせればよかったんでしょうね。

 なんで、人事名簿から●●●●を削除して終わりにしなかったんだろうと。


 軽い気持ちで上司に、新卒採用試験を受けた学生の名簿はありますかと問い合わせると、クレームが起こる可能性があるから何年分は規程で定めて保管していると教えてもらいました。

 なんとなく、私は興味本位でそのデータにアクセスして、●●●●を打ち込みました。


 結果としては、ヒットせず。


 つまり、●●●●は新卒採用試験を受けた学生ではないということです。


 受験した学生を間違って合格扱い(入力間違い)したのではなかったのか。

 自分の推理が外れると、ますます妙に思いました。

 じゃあ、この名前ってなんだろうと。

 そのまま、何の心構えもなくヤフーに打ち込んでみたんです。



 結果としては、●●●●はヒットしました。

 ■年前から■■県の■■■■■という場所で行方不明になっていると。


 

 私は何がなんだかわからず怖くなって、そのまま画面を閉じました。

 一気に鳥肌が立ち、居ても立っても居られず、そのままデスクから立ち上がり、周囲をうろうろしていたそうです(後で上司から聞きました)。

 

 この話を上司にしたところ、単なる偶然だろうと片付けられました。

 私もあえて食い下がるようなことはしませんでした。

 変な奴と思われるのも嫌ですし、極力この件を忘れたいと思ったからです。

 普段飄々としている上司の顔がいつになく険しくなったことを覚えています。


 怖くなってその後は調べていません。

 ある程度落ち着いた後、人事名簿から●●●●は削除しました。

 単なる、同姓同名だと思います。

 そう思ってます。


 あれから、前任の●●さんにも連絡をとっていません。


 どうして、●●さんは、人事名簿にあの名前を打ち込んだのか。


 聞くのも怖いですし、聞いてどうするのかって。


 このまま終わらせた方がいいと思ってます。


 それに。


 もし、●●さんに連絡をして、繋がらなかったら嫌だから。


 今思えば、●●さんってかなりクセが強かったように思います。


 酒を飲んで酔いが回ると、いつも誰かの失敗や不幸話を楽しそうに語っていました。

 当時は上司と部下の関係だったので、人間関係が自分の評価に直結するから、冗談半分で酔っ払いながら聞いてました。

 天罰、天罰って。

 ですが、ある程度社会経験を積むと、やはり●●さんはクセが強かったなと思います。


 だから、もう連絡はいいかなって。


 もし、人事名簿にあの名前を載せた理由があったら、もっと嫌だから。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人事名簿 小林勤務 @kobayashikinmu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ