第8話 さよなら、おばあちゃん
お母さんの悔いも、おばあちゃんの悔いも、なくなったのはいいことだけど、これでおばあちゃんがここにとどまる理由はなくなってしまった。
いよいよおばあちゃん、成仏してしまうのかな。
お別れなんて、したくない。
昨日は何も話さずにおばあちゃんと別れてしまった。
だからきっと今日も、待ち合わせ場所に来てくれるはず。
放課後、いつもの公園のベンチで、梓君に乗りうつったおばあちゃんが来るのを待った。
ブランコが揺れないか、気をつけて見ていたけど、そんな気配はない。
『みうちゃん』って呼んでくる声を待ち続けて、一時間くらいたってしまった。
今日はもう、おばあちゃん来ないのかな。
このままもう二度と会えないなんて、そんなことないよね。
不安で胸の中が、梅雨の空みたいになった時だった。
「笠森さん!」
向こうから走ってきたのは梓君だった。その呼び方で、おばあちゃんじゃないってわかってしまう。
わたしの前までかけよってきた梓君は「これ」と一枚の紙を手渡してきた。ノートをやぶいたみたいな紙だった。
「家に帰って、宿題しようとノート広げて、気づいたらこれが書いてあったんだ」
一番右には、『梓君へ 公園でみうちゃんが待ってると思うから、これを届けてもらえませんか。今までお世話になりました』と書かれてある。
おばあちゃんの字だって、見た瞬間にわかった。
横線の入ったノートなのに、線を無視した縦書きで、ボールペンの達筆の文字がつづられていた。
『みうちゃんへ
顔を合わせずにいなくなることを、どうか許してください。
みうちゃんの顔を見たら、つらくてまたお別れできなくなりそうだから。
約束を覚えていてくれてありがとう。
おかげで、最後に素敵な時間が過ごせたよ。
美雪とのわだかまりも、なくしてくれてありがとう。
私の作った服を、あの子が着ているのを見たら、もう本当に心残りがなくなった。
おばあちゃんはもう行くけれど、あんまり泣くんじゃないよ。
お友達と仲良くね。時々、ミシンに油を差すのを忘れないで。
さようなら
おばあちゃんより』
読んでる途中から、涙があふれて止まらなくなった。
手紙を受け取った時から予感していたことだったのに、さようならの文字をつきつけられて、もうどうしようもないんだってわかる。
おばあちゃんが、行ってしまった。
もう二度と、話のできないところに、行ってしまった。
おばあちゃんが亡くなった後も、たくさん泣いたはずなのに、涙は止まらなかった。
小さな子供みたいにしゃくりあげながら泣いていると、手にそっとふれるものがあった。
目を開けると、涙のまくに夕日がはじけてまぶしい。世界が万華鏡みたいに見える。
手の上には、紺色のチェックもようの布があった。持ち上げて見て、男の子のハンカチだってわかった。
ハンカチで涙をふくと、困ったように横で立ちつくす梓君の顔が目に入った。
「真弓、呼ぼうか?」
彼の提案に、「ううん」と首をふる。
「梓君が、いてくれれば……それでいい」
どさくさにまぎれて、厚かましいこと言ってるかなと思ったけど「ん」というぶっきらぼうな返事が返ってきた。
梓君は本当に、ただそこにいてくれた。
ベンチの隣に、一人分くらいの間を空けて、じっとわたしが泣き止むまでそばにいてくれた。
なんにも言わず、でも時々わたしの様子を気にして、こっちを見てくれて。
おかげでわたしは、存分に泣くことができた。泣いて泣いて、心も頭もからっぽになるくらい泣いて――。
気がつけば涙は止まっていた。
悲しみは、涙に流されていた。
胸の中に残るのは、おばあちゃん、ありがとうっていう気持ちと、大好きってそれだけだ。
「ありがとう、おばあちゃん」
もうその言葉は、きっとおばあちゃんには聞こえないけど、隣で梓君がうなずいてくれた。
次の日の土曜日の午後。
「んー、レモンクリームもおいしー」
ほっぺに粉砂糖をつけて、足をバタバタさせてるのは真弓ちゃんだ。
おばあちゃんと来たドーナッツ屋さんで、梓君に約束のドーナッツをごちそうすることになったんだけど、真弓ちゃんにも来てもらったんだ。
やっぱり梓君と二人っきりっていうのは、何か気まずいっていうか、照れるっていうか。
「何でお前まで、おごってもらってるんだよ」
「飲み物代は自分ではらったもーん」
「ほ、ほら、真弓ちゃんにも、色々お世話になったから」
この二人は、顔を合わせると口げんかモードに入ってしまう。一人一人でいる時は、お互いのことを思いやったりしてるのに。
梓君が食べてるのは、抹茶クリームとあずきの入った和風ドーナッツ。それにレモンスカッシュも。(メニューにあった!)
わたしは果肉入りのイチゴソースとホイップのドーナッツ。甘酸っぱいイチゴの味が、口いっぱいに広がる。
「一件落着って言いたいところだけど、梓の体質は治らないんだよねえ。みうちゃん、何かいい方法ないかな?」
真弓ちゃんに言われて、漫画で得た知識を総動員する。
「えっと、お寺で修業する……とか? 滝に打たれてみたり?」
「やだよ、そんなの」
「じゃあ、このままにしておくつもり? また、公園でおままごとしたり、ママーって泣いておまわりさんに保護されたりしたいの?」
「うぐぁっ」
梓君が見えないパンチを受けたみたいに、胸を押さえる。
もう、相変わらずだな、この二人。
三人でワイワイ言い合いながら、ドーナッツを食べ終えた時だった。
梓君がすっと立ち上がり、わたしに顔を近づけた。
「またクリームつけてる」
ふっと笑って、紙ナフキンでわたしのほおをなでる。
瞬時に真っ赤になって、ふつふつする頭で(あれ?)って思った。
この笑い方、本当に梓君?
真弓ちゃんもピンときたようで、「梓、さびと言えば?」と試すようなことを言う。
「さび? わび、かい?」
「ぶっぶー。ちがいます。さびと言えばで梓が答えるのは、さび猫。あなた、誰ですか」
真弓ちゃんに人差し指をつきつけられて、梓君はおろおろしている。
「やめてくれよ。人を何かの犯人みたいに」
ん? このしゃべりかた……。
「お、おばあちゃん!?」
「おばあちゃん!」
何で、何で? 成仏したんじゃなかったの?
気まずそうな顔で、おばあちゃんは口を開く。
「あれで本当にお別れだって思ってたんだけどねえ。何でだかまだ成仏できなくて。また、よろしくねえ、みうちゃん」
よろしくって……。
あんなに泣いたのに。わたしの涙はなんだったんだろう。
でも、でも……。
またおばあちゃんとおしゃべりできるっていうのが、何もかもどうでもよくなるくらいうれしい。
「お帰り! おばあちゃん」
太陽みたいにおばあちゃんが笑う。
「今度はミシンで何を作ろうか?」
ソーイングッ! @ryounatumagi
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