第5話
スッと目が覚める。時間遡行をしてから初めての、すんなりとした覚醒だ。時計を見ると時刻は五時半、日付は当然、五月二日だ。
兄が飛び込んだ後、事後処理は大変だった。現場は大パニック、身内だと名乗り出れば駅舎に連れていかれ、諸々の処理をした後にどうして止めなかったのかと責められた。止めれるものなら止めているし、誰よりも止めたいのは私だ。お前らには分からないだろうな!
次に待っていたのは葬儀の話と賠償の話。時間遡行をすると決めていたから耐えられたものの、時計の出現を待つ二か月間は永遠にも感じられた。クソ迷惑かけやがって。
それはそうと、兄の言う答えはなんだったのだろうか。ヒントといえるのは例の飛び込みだが、飛び込みがどうヒントになるのかは分からない。結局、兄が私に伝えたかったメッセージを、あの飛び込みから読み取らなければならないという訳だ。
私はベッドから起き上がり、休みの連絡のために電話を掛ける。プルルルという音の後に、誰かが電話に出た。課長だ。今は会社には誰もいないだろうから、先に課長に連絡を入れることにしたのだ。
「はいもしもし」
「お疲れ様です。浅田です」
思えば、かつての私は課長のことを酷く恐れていたものだ。気弱で臆病な私は、自分自身で作り出した虚像に踊らされて、勝手に被害妄想を膨らませていた。
「すみません。朝から体調が優れなくて、本日は休ませていただきます」
「ああ、そうか、分かった」
「申し訳ありません。では」
電話を切る。やはりあっさりと休みが取れる。結局のところ、私は自分自身の首を絞めていただけだった。馬鹿な女だ、本当に。
スマホをベッドに放り投げ、私自身もベッドに身を投げ出す。考えるのは兄のことだ、今まで兄の自殺を止めようと時間遡行を繰り返してきたが、兄の死を実際に目にしたのは初めてだった。それも損傷の激しい電車への飛び込み、当時の私はショックによる激しい吐き気に襲われながらも、気合だけで耐えていた。人が死ぬ瞬間、それも身内のものならば、たとえ巻き戻ると分かっていても動揺の一つや二つするものだ。ましてや本人はもっとそうだろう、兄はどうして、何度も何度も迷いなく死にに行くのだろうか。
……実は、思い当たる物が一つある。これを言うと自意識過剰みたいで恥ずかしいのだが、きっと当たっていると思う。つまり、兄が死んでまで成したかったことは、きっと私に関わる何かなのだ。
言葉にすると陳腐になってしまうかもしれないが、兄は、ずっと私を愛し、守ってくれていた。それは中二の頃のいじめからもそうだし、今だったらきっと会社のこと、いや、私自身の心の問題だ。兄は言っていた、正解を自覚して欲しいと。ということは、私に恐れることを止めてほしかったのでなないだろうか。
解を出したのなら答え合わせだ。今すぐ兄に会いに行きたい。外はもう日が暮れ
かけていて、今から出れば兄の帰宅にちょうど間に合う時間だ。
何もしなければ、明日の昼には兄は自殺してしまう。私はすぐに着替えを済ませ、連絡を入れることすら忘れて家を出た。
兄の家に向かう電車は珍しく閑散としていて、私はシートに座り夕日に照らされていた。ホームでは兄の飛び込みを思い出して一時動けなくなってしまったが、すぐに気を持ち直すことが出来たのは、時間遡行を繰り返して心が強くなったからだろうか。それとも、兄とのことに決着を付けようという意思がそうさせたのか。どちらにせよやることは変わらない。兄の部屋に行って、話をするのだ。この時間の輪を終わらせるために。
兄の家は、やはり変わらず大きな威容をたたえていて、それが私にはゲームのラストダンジョンのように見えていた。ゴクリと息をのんでエントランスに足を踏み入れ、兄の部屋番号を押してインターホンを鳴らす。
「美里じゃないか、どうしたんだい?」
「話したいことがある」
「その顔は……成程、良いよ。屋上に来て」
屋上? 屋上といったか? まさかまた目の前で飛ぶつもりじゃ。いや、シャキッとしろ浅田美里。兄の望む答えを見せつければいいだけだ。
なかなか来ないエレベーターにやきもきしつつ、屋上に向かった。途中最上階で止まり、そのあとは階段を使って上がっていく。
高層マンションの屋上とあって、強い風が吹きつけるその場所は、それこそゲームのラスボス戦みたいに開けた場所で、月明かりだけが光源となって淡い光に照らされていた。兄は、そんな場所の真ん中に、たなびくスーツを身に纏って、私に背を向けて立っていた。
「兄さん」
「やあ、遅かったね」
兄がこちらに振り向く。その表情は夜の闇に紛れて伺えない。
「答え合わせをしに来た」
私は強い意志を持ってその言葉を発する。今日終わらせるんだ、今日、止めるん
だ。
「答え合わせか……」
「まず前提の話をしよう。私はあの時計を使って何度も時間を巻き戻ってるそれは」
「僕の自殺を止めるため、だろう?」
私の言葉を引き継いで兄が言う。
「そう、そしてそれは、兄さんの掌の上だった。最初に時間を巻き戻したのは兄さんで、自殺も、兄さんの目的のための狂言だった」
だから何を試そうとも兄さんは自殺した。当たり前だ、兄さんにとって、自殺は目的のための前提手段でしかなかったから。いくら自殺しないように説得しても、それが的外れなら意味はない。
「でも、それは賭けだ」
兄さんは静かに聞いている。
「だって、私が、時計を見つけなかったら、兄さんは死んだままだった。たとえ見つけたとしても、時間を巻き戻さなかったかもしれないし、途中で諦めてしまったかもしれない」
「でも実際、美里は今ここにいる。僕は賭けに勝ったってことだね」
兄が重い口を開く。そう、兄は賭けに勝ったのだ。恐らくずっと観察してきた私の動向を、完璧に予測した形になる。ストーカーまがいのシスコンだった兄だからできたことだ。
「大事なのは賭けに勝ったか負けたかじゃない、どうしてそんな賭けをしたかよ、兄さん」
私に関する目的、シスコンの兄が死を覚悟してまでしたかったこと。
「自殺したんでしょ、私」
兄が驚いたように、はたまた意外そうに目を見開いた。その反応に、私は答えがあっていることを悟った。
「驚いたな、そこまで分かっていたとは」
「一週目、兄さんが時間を巻き戻す前の本当の一週目、私は自殺したんだ。多分、会社でのストレスで。そのことを嘆き悲しんだ兄さんは、例の時計を使って過去に戻った。あの時計が何者かとか、どこで手に入れたかとかは正直分からないしこの際置いておくけど、とにかくあの自殺は、兄さんが私の自殺を止めるための策だった」
兄が自殺することで、私が自殺することへの抑止力としたかったのだろう、そしてあわよくば、私が時計を見つければいいと思った。つまり、この状況はセカンドプランに当たる。
「そこまで理解しているのなら、僕の言いたいことはもう分かるね?」
兄が芝居がかったしぐさで胸に手を当てる。
「仕事を辞めてくれ」
「仕事は辞めない」
兄と私は同時に口を開いた。そして兄は、私の回答に驚き目を丸くしている。勝った、と思った。今まで掌の上で踊らされていた兄に一泡吹かせることが出来た。
「だ、だって、あんなに嫌がっていたじゃないか! 会社も! 社会も! 生活の琴なら気にしなくていい、僕が面倒を見てあげるから」
「違うんだよ、悪いのは私の心だったんだ。何もかもを恐れていた私だったんだ。社会も、会社も、課長も、本当は私と変わらない、ただ一生懸命毎日を生きているだけだったんだ。それを恐れて、ありもしない怪物を作り出していた。あの日、私を殺したのは確かに私だったんだ」
「美里……」
激しく動いたからか、兄のスーツはどこか草臥れて見えた。
「だが羅大丈夫。私はもう、前を向いて生きていられる」
これが私の結論。私の答え。時間遡行の先で見つけた、当たり前の生き方だ。
「そうか」
諦めたように、兄が呟いた。
「帰ろう。今日止まっていってもいいよね?」
そうして私と兄は、部屋に戻る帰路についた。
これで、兄の自殺にまつわる事件は終わった。私も兄も、もうあの時計を使うことは、二度とないだろう。
逆行時計~何度やっても兄が死ぬ~ たかし@ @yukitikoyari
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