第十話:任務だ任務!さっそくパーティー組むぞ!俺勇者な!


 かの『ラッキースケベ事件』なる事案から一晩明け。

 朝の光が照らす仙城では、活発で元気のよい青年たちの気合いの入った声が轟いていた。

「うらぁぁぁ!」

「剣の筋がブレてる!」

 仙城の広大な庭では、修仙を学ぶ若者たちが皆汗水を滴しながら剣術の修行に励んでいる。

 しかもそれが憧れの師尊シズン直々に指導鞭撻をしてくれるからか、若者たちの気の入りようは皆凄まじいものであった。

 少し前までは、『洛星宇ルオシンユーとのかの戦いから頭を打ったのか、まるで人が変わってしまったかのようで不安でならない』と弟子たちが訝しげな目で余楽清ユイルゥチンを見ていたが、彼のその裏表のない天真爛漫な性格や、下っ端の者にも明るく平等に接する何気ない優しさにだんだんと絆されていき、今では以前の時の彼以上に慕う者がでてきて止まない事態となっている。

 故に、余楽清ユイルゥチンが個別に稽古をつけてくれるといった日には『自分こそが』と手をあげる者が続出し、選別するのも大変な有り様となっているため、今日の稽古に選ばれた若者は今現在他の者から羨望の眼差しで見られているのだ。

 カンッキンッと、若者の真剣と余楽清ユイルゥチンの氷の刀が交差し、摩擦を生み出す音が響き渡る。

 それまで互いに顔を向き合い、ジリジリと刀同士を擦り付け合って相手の間合いを読んでいたが、ふいに余楽清ユイルゥチンが刀を緩めたかと思えば、今度は地面を爪先で勢いよく蹴り、素早い身のこなしで相手の懐に入り込んだ。

 それに油断し一瞬身体を硬直させた若者の隙を逃す事なく、余楽清ユイルゥチンは氷の刀を持つ手に力を込めると、すかさず剣先を相手の喉仏の辺りに当てがった。

 急所を狙われては、若者が余楽清ユイルゥチンに敵う確率などもう消滅したといっても過言ではない。

 ぶるぶると震え上がりながら若者が真剣から手を話し、降参の意味を込めて両手を上げれば、余楽清ユイルゥチンもまたゆっくりと氷の刀を作り上げていた神通力を解いた。

 圧倒的なまでに差の開いた決着がついた事により、稽古を観戦していた他の若者たちは皆一斉に「おお~!」と歓声をあげるが、勝者であるはずの余楽清ユイルゥチンはいまだ浮かない顔をしている。

(……?また俺の気のせいか?)

 腹の辺りを手の平で擦りながら、余楽清ユイルゥチンは不思議そうに首を傾げた。

 なぜかここ最近、腹の奥が熱く感じる時があるのだ。

 腹痛とかではなく、とにかく腹の中に何か暖かい液体がくつくつと煮えているような感覚がし始めたのが、ここ三日間くらい続いている。

 その違和感に、毎朝着替える際は鏡で腹の辺りを見てみるのだが、いつも表面上は何もないのだ。

 薄っぺらい白い腹に何の変化も訪れていない事に更に疑問を感じながらも、熱さ以外のこれといった不調はないため、余楽清ユイルゥチンは『まあいっか』と実に楽観的な思考で構える事にした。

 腹の熱さの事は気にせず、次の若者の稽古に取り掛かる。

「剣を構える時は、なるべく腰を落として重心を意識しろ。膝は真っ直ぐよりも少しだけ外側に曲げる意識をした方がブレにくい。振りかざす時は、刃の向きがどこにあるのかを常に意識して……」

 余楽清ユイルゥチンに転生した時から、自然と神通力の使い方や肉弾戦が身体に染み付いているおかげで、中身が違かったとしても問題なく第三者に教授する事ができる。

 しかも元々オタク気質で自分の好きな物や得意な事を他人に布教するのが得意なため、相手がいかに分かりやすく物事を受け止められるのかも長年のオタ活で熟知している。

 このスキルを活かしながら余楽清ユイルゥチンが若者たちに剣術を仕込んでいる間、高雨桐ガオユートンは彼の師匠らしい行いになぜかボケッと見惚れていた。

「……師尊シズン、めちゃくちゃ師匠らしい事してる……」

 まさかあのちゃらんぽらんが師匠らしい事をするなんて思わなかったのだ。

 時には少し厳しめに若者にアドバイスをしながら、時には良かった所を褒めてあげたりと、飴と鞭の使い方が完璧だ。そりゃ誰だってボケッと見てしまうだろう。

「って、ああ。見ている場合じゃなかった……師尊シズン、お忙しい所失礼します」

「おー、どうした雨桐ユートン

 雑念を振り払うかのように頭を数回降りながら高雨桐ガオユートンが名を呼べば、余楽清ユイルゥチンはすぐさま手を止め高雨桐ガオユートンの元へと駆けつける。

 我らが師尊シズンが己の前で立ち止まり首を傾げた所で、高雨桐ガオユートンは手にしていた巻物をある程度の長さまで広げながらコホッと一つ咳払いをした。

「人間界から依頼が来ておりますので、ご説明をさせていただきたく…」

「ぃやったぁぁぁぁ!!」

「何ですか急に!鼓膜が破れるでしょうが!」

 依頼という言葉を聞いた瞬間、つんざかんばかりの大声で歓喜の悲鳴を上げ出す余楽清ユイルゥチンに、仙城中の人々が何事かとざわつき始める。

 そんな視線たちなど気にする素振りも見せず、まるで小学生男子が好きな子と同じクラスになった時のような大袈裟なガッツポーズをかます余楽清ユイルゥチンに、高雨桐ガオユートンは両耳を手で押えながら呆れたかのようにため息を溢した。

「だってよー!仙人っていったら、色んな依頼を引き受けて颯爽と敵をボコスカ薙ぎ倒していくのが醍醐味だろ!原作見てた時からやってみたかったんだよなぁ、妖怪フルボッコにするやつ!」

 わくわくと、字面が顔面に書いてあるかのような満面の笑みを浮かべながら、余楽清ユイルゥチンはボクシングの真似事のように拳を握って前へパンチを繰り出す振りをする。

 まるで男子小学生が友達同士でやる遊びのように幼稚な事をする余楽清ユイルゥチンに、高雨桐ガオユートンは再び呆れ返ったかのような表情でゆっくりと俯く。

 そんな一番弟子の苦労など露知らずといった具合に、余楽清ユイルゥチンは満面の笑みを絶やさぬまま氷の刀を手のひらに出現させ、その切っ先を地面に当てながら下に撒かれた砂の上に何やら文字を書き始めた。

 さらさらと何かを書き終え、満足したのか今度はふんぞり返るかのように偉そうな態度をとる余楽清ユイルゥチン

 目線の先には、『修仙人妖伝』のキャラクターの名前やゲームの専門用語がズラリと書かれていた。

「そんじゃ、早速パーティー組むぞ!俺は主人公だからもちろん勇者じゃん?んで星宇シンユーは神通力と妖力のどっちも使えるアタッカーだから魔法騎士、お前はガタイがいいから武術家でー、林杏リンシンちゃんはとにかく可愛くてなんか聖職っぽいからビショップか巫女、あとはヒーラーだけど……あのおっさんには頼みたくねぇなぁ……」

師尊シズン、ふざけてないでさっさとこちらへ来てください」

「はーいはい……」

 せっかく書いた編成が高雨桐ガオユートンの足で跡形もなく消された事はショックではあるが、いかんせん今は真面目に任務に取り掛からねばいけない。

 余楽清ユイルゥチンは今度こそ気を引き締めて真面目な表情を浮かべた。

 真剣にならなければいけない状況に加え、今しがた『悩みの原因第一位』である男が呼び出しを受けてこちらへとやってきたために、余楽清ユイルゥチンは姿勢を借りてきた猫のようにピンと背を正す他なかった。

「……呼んだか?」

「お、おー星宇シンユー……」

 今しがた足でぐしゃぐしゃにされた砂の上を踏みしめながらこちらへと近づいて来る洛星宇ルオシンユーは、何事もなかったかのような平然とした表情をしながら努めて冷静な声色で余楽清ユイルゥチンに問うた。

 しかし、冷静なのは声だけであり、その端整な顔がまるで林檎のように真っ赤に染まっている。

 対する余楽清ユイルゥチンも平静を装おうとはしたが、如何せん素直な性格が災いして気持ちとは裏腹に顔を真っ赤に染め上げる。

 いわば、二人ともがお互いに照れを隠せず、心なしか淫靡な雰囲気さえ漂っているのだ。

「……」

「……」

 二人の間に、微妙とも絶妙とも言える何とも不思議な沈黙が流れ行く。

 しばらくの間、その様子を静かに見守っていた高雨桐ガオユートンだったが、そのあまりの照れ具合になんだかムシャクシャとしてきたのか。

 こめかみに青筋を浮かべながら、地が震える程の低音で二人の間に入った。

「……アンタらぁ、無言で照れるの止めてくださいよ。こっちが気まずいでしょうがぁ……」

「わ、悪い……」

 そのあまりにも恐ろしい般若のような顔つきに、さすがの天清仙人や妖王であろうと震える他なかった。

 顔を青くして謝る二人を尻目に、高雨桐ガオユートンはこほんと一つ咳払いをする。

「さっそくですが、今回の任務の説明を致します」

 そう言う高雨桐ガオユートンは、手にしていた巻物を再び広げると、上質な紙と墨汁で書かれた文章をそのまま読み上げ始めた。

 曰く、人間界のとある小さな川辺付近にて、ここ最近人攫いが頻発しているというのだ。

 夜遅くにたまたまそこを通りがかった若者たちが、何者かに拐われ、痕跡すらも残す事なくどこかへ消えてしまうという事件が後を絶たず、犯人の目処も全く立っていない中、もうどうにもならないと判断した人間界の者が仙界にいる余楽清ユイルゥチン宛に依頼をしてきたとの事だった。

「あっ、俺らが服買いに行った人間界の小町通りで、そんな感じの話してた奴らがいたよな?」

「……いたな、確か」

 二人の服を購入するため人間界へと訪れた際に、人間たちがこそこそと噂話をしていた事を思い出す。

  そしてあの、噂話の中で『被害者は皆若く美しい男女ばかり』といった話が出ていた事の記憶も甦る。

 首謀者の目的は何か。拐った被害者は生きているのか。犯されたりはしていないのか。もはや遺体となってしまっているのか、はたまたどこかの裕福なタヌキジジイの元へと売られたのか……。

 さまざまな思惑がよぎる中、余楽清ユイルゥチンは訝しげな表情を浮かべる他ない。

 とりあえず現場に行ってみない限りは何も進まないからと、拳を力強く握りしめた。

 対する高雨桐ガオユートンも、眉間に皺を寄せながらも、冷静に話の続きを紡いだ。

「依頼の内容を統括して一言で言うと、小町通りで拐われていく見目の良い男女の救出及び、主犯である者を捕らえるのが我々に与えられた任務となっております」

「っしゃー!さっそく……」

「お待ちなさい、バカ」

 やる気まんまんといった具合で余楽清ユイルゥチンがガッツポーズを取り出した途端、高雨桐ガオユートンかスパンッと頭を叩いて制止した。

 余楽清ユイルゥチンの「いてーよ馬鹿力!」という叫びが虚しく木霊する。

「待ってください。まだ誰を連れていくのかとかの作戦とかも考えねば」

「うわぁ、めんど……」

 高雨桐ガオユートンのお叱りを受けた余楽清ユイルゥチンは、先ほどまでの勢いは失速し、今度は課題を提出最終日まで溜め込んだ事により、絶望を通り越してこの世の終わりのように落ち込む学生のような有り様になってしまった。

 しかし、そう容易く落ち込んでいられる程、余楽清ユイルゥチンの肝は弱くはなかった。

 強い決意を宿しながら顔をバッと上へ上げ、そのまま右手をピンと空に向かって伸ばしたかと思えば、今度はカッと開いた目で真っ直ぐに高雨桐ガオユートンを射貫いた。 

「俺!俺は絶対行く!俺俺俺俺!」

「わかったから!オレオレ詐欺じゃないんだから黙りなさい!」

 余楽清ユイルゥチンのそのあまりにも迫力のある顔面と勢いに押された高雨桐ガオユートンは、彼の任務に対する強いを今回ばかりは汲んであげようとはぁとため息を深く吐いた。

 ふと、先ほどからあまり動きのなかった洛星宇ルオシンユーが、高雨桐ガオユートンが手に持つ巻物をジッと見つめていたかと思えば、今度は小さな声でポツリと呟く。

「……この程度の任務であれば、俺と楽清ルゥチンの二人で事足りるだろう。一応、俺はコイツの護衛だから離れるわけにはいかないしな」

「えっ、でも……」

 まさか、前までいがみ合っていたはずの二人だけで任務を遂行しようと言うのか。

 洛星宇ルオシンユーは、いったい何を考えているのか。

 それはさすがにまずいだろうと高雨桐ガオユートンが制止の言葉をかけようとしたが、薄々と察していた洛星宇ルオシンユーが言わせないとでもいうように言葉を被せてきた。

「天清仙人と妖王だぞ。他に有象無象が着いてきたって、足手まといになるだけだ」

「うっ……ぐぅの音も出ない……」

「腹減った時の音は?」

「ぐぅ~……じゃなくて!ふざけないでくださいよ師尊シズン!」

 一人ふざけた事をぬかしてわははと子供のように笑い声を上げる余楽清ユイルゥチンに、高雨桐ガオユートンは内心殴りたい気持ちと、このままで任務をしっかり終える事ができるのかという心配でいっぱいだった。

 しかし余楽清ユイルゥチンは、そんな高雨桐ガオユートンの心情を察してか、徐に彼の広い肩に自身の手を添えると、そのままポンポンとあやすかのような優しい手付きで叩いた。

「だーいじょぶだって。俺とコイツがいれば百万馬力ってもんよ!それに、もしマジでヤバくなったらその時は応援を呼ぶ合図するからさ」

 そう言う余楽清ユイルゥチンの瞳は、いたって真剣そのもの。

 ふざけてはいるが、本当に最後まで責務を任うするという決意が滲み出ているその様を見れば、高雨桐ガオユートンも後は彼を信じて背中を押す事しかできなくなってしまう。

「……信じてますよ、師尊シズン

 厳かな、しかし信用を滲ませた高雨桐ガオユートンのその声色に、余楽清ユイルゥチンも深く頷いたのだった。

 高雨桐ガオユートンとのやり取りを終えた後、余楽清ユイルゥチンは再び洛星宇ルオシンユーに向き直る。

 顔を合わせる度に、『あの時の事』が脳裏を過ってしまうため、余楽清ユイルゥチンは顔を真っ赤にしながら照れ隠しのように頭をぽりぽり掻いた。

 対して洛星宇ルオシンユーも、対面した時から既に真っ赤に染まってしまった顔を少しだけ俯かせている。

 互いに羞恥が勝るためにヘタレ具合が凄まじいが、いつまでも見つめあっているわけにはいかない。

 余楽清ユイルゥチンは思いきって重い口を開き出した。

「よ、よろしくな~、星宇シンユー……」

「……ああ」

「……」

「……」

 隠しきれない羞恥心のために言葉のキャッチボールができないせいで、二人の間にまたしても絶妙な間が空く事となった。

 目線を合わそうにもなかなか合わせられず、しまいには無駄に足をそわそわと動かしたり頬をぽりぽりと掻き出す二人に呆れ返った視線を寄越す高雨桐ガオユートンだったが、あえて助け船は出さずにそっと見守る事に徹した。ここで口を出したら、何か余計な事に巻き込まれそうだと思ったが故の無意識の自己防衛が働いた結果である。

 そうしてしばらくの間、照れる大の男二人を死んだ目で見つめるこれまた大の男という何とも不思議な光景が流れ行くが、ふと余楽清ユイルゥチンが意を決したように口を開いた事によりその沈黙は破られる事となった。

「……じ、じゃあさ!さっそく作戦会議しようぜ!」

「……ああ、わかった……」

 緊張で裏返ったその声に対し、これまた妙に上擦った声色を発しながら洛星宇ルオシンユーがこくんと小さく頷いた。

 その言葉を合図に、高雨桐ガオユートンは空気を読んで巻物をそっと余楽清ユイルゥチンの手に握らせ、忍び足でその場から離れて行く。

 ようやっとこの微妙な空気から抜け出せたと安堵のため息を着きながら二人を背に遠ざかるが、後ろから「……お前、耳真っ赤だぞ」「っ……うるさいっ!お前こそっ!茹で蛸みてぇに赤いじゃねーかよ!」と言う何とも低レベルな会話が聞こえて来る事に思わず苦笑を浮かべた。

 最初はどうなるかと思っていた二人の関係だったが、先日の居室での出来事もあり急接近したであろう距離に、微笑ましく思う気持ちを抱いたのもまた事実。

 このまま洛星宇ルオシンユーが幸せへの道を歩める事を心から願うのであった。

 



 

「ふぅ……とりあえず嵐二つは去りましたね……」

 二人から幾ばくか距離を取り、精神的に溜まった疲労を解かそうと近くの大木に寄りかかった高雨桐ガオユートンがほっと息をついていると、ふと何者かの気配がそっと近づいてくるのを察知した。

 誰なのかと視線を気配の方向へと移せば、そこには長い黒髪をたなびかせながらこちらを見つめてくる洛林杏ルオリンシンの姿があった。

 洛林杏ルオリンシンはそのまろく白い頬を桃色に染め上げながら、もじもじと身体を僅かにくねらせて高雨桐ガオユートンを上目使いで見つめつつ、ぽそりとその可憐に色づく唇を薄く開き出した。

「あの、雨桐ユートン……」

林杏リンシン。どうかしましたか?」

 何か様子がおかしい洛林杏ルオリンシンに対し、高雨桐ガオユートンははてと訝しげな顔をする。

 これが余楽清ユイルゥチンに向ける態度であれば、鼻血を噴出して貧血で数日間寝込む事になるであろう可憐な彼女のしぐさだが、あいにくと高雨桐ガオユートンの推しは洛星宇ルオシンユーである。そう簡単にはなびかない(つい先ほどまで余楽清ユイルゥチンとセットで最推しの事をめんどくさがっていた事は今は棚に置いておく)。

 ふと、洛林杏ルオリンシンが何かを決意したかのように眉をキリッと上げながら 高雨桐ガオユートンに問うた。

「あの、勘違いだったら申し訳ないんだけど……兄さんと楽清ルゥチンって、恋人同士なの?」

「ブッフォアアアアッ!!」

「え、やだごめんなさい!驚かせるつもりはなかったの!」

「い、いえ……大丈夫ですら……」

 洛林杏ルオリンシンの特大爆発発言に思わず口から勢い良く吹き出した高雨桐ガオユートンのその有り様は、顔面が涎にまみれてとてつもなく汚い。早く顔面を洗ってきてほしい。

 顔についた唾を手拭いで拭きながら、高雨桐ガオユートンは恐る恐るといった具合で洛林杏ルオリンシンにどうしてそうなってしまったのかを聞き出す事にした。

「ど、どうしてそう思われたのですか?」

「……前に、私のせいで暴走した兄さんを止めるために、楽清ルゥチンが兄さんに口づけをした事があるでしょ?普通、男の人同士では口づけはしないと思うのだけど……」

「はは、まあそりゃそーですよね……うちの師尊シズンがおかしいだけなので気にしないでください」

 確かにおかしい。それは紛れもない事実である。

 しかしいくら頭がおかしくても、口づけ事件はともかくとしてあの二人の距離感は明らかに男同士の距離ではない事は高雨桐ガオユートンであってもとっくの昔から気づいてはいた。

 あー、と微妙な顔をする高雨桐ガオユートンに、洛林杏ルオリンシンは更に追い討ちをかけるかのように言葉を紡ぎ続けた。

「ううん、でもそれだけじゃないの……何だか、最初は凄く陰険な雰囲気が漂ってたのに、最近は凄く距離が近くなったというか……兄さんも楽清ルゥチンも、お互いに向ける空気が凄く優しくなってるというか……見てると、まるで恋人同士みたく見えて来ちゃう時があるの」

「あー、確かにそう捉えられてもおかしくはないですね……確かに意識し合ってる感じはしますが、まだそこまでの関係では……」

 そこでふと、洛林杏ルオリンシンが何かを考え込むかのように顔を俯かせてしまった。

 髪の毛が影になって、表情が読み取れない上に一言も言葉を発さなくなってしまった。

 まさか、実の兄とへちゃむくれな師尊シズンがそういう関係になってしまったのがよほどショックだったのか。

 高雨桐ガオユートンは哀れみの心を抱きながら、そっと洛林杏ルオリンシンに話しかける。

「あの、林杏リンシン……」

「……滾るわぁ……次の春画の題材にしようかしら……」

「……え?」

 洛林杏ルオリンシンの口から出た言葉に、理解が追い付かない。

 滾る?春画?春画って事はえっちな絵って事?題材にするって事は、普段から描いてるって事?しかも実の兄とへちゃむくれ年増のえっちな絵って事?え、この子まさか腐女子ってやつ?

 さまざまな疑問が高雨桐ガオユートンの頭の中で行き交うが、どうも情報量の多さのせいで脳のキャパを越えそうである。

 キャパ越えでサカバンバスピスのような顔をする高雨桐ガオユートンに対し、洛林杏ルオリンシンははっと我に返ったかのように背をピンと伸ばすと、そのまま何事もなかったかのように踵を返した。

「何でもないの。ごめんなさい。それだけだから、私は失礼するね」

 そしてそのまま手をひらひらと高雨桐ガオユートンに振りながら、少しずつ自身の居室へ戻ろうと歩みを進み始める。

 一人ぽつんと取り残された高雨桐ガオユートンは、先ほどからの情報の多さに思考回路の故障がすぐそこまで来ているかもという錯覚さえ覚えた。

「……なんか、フランス映画を字幕なしで見てる気持ちがする……」

 その呟きは、虚しく木々の間を流れながら小さく木霊するのであった。


 


 中庭を後にし、とりあえず余楽清ユイルゥチンの居室へと戻った二人は、さっそく机いっぱいに巻物を広げて事件の概要を片っ端から見てかかった。 

「さっそくだけど、どうすっかなー…」

 膨大な数の被害報告や、犯人とおぼしき人物の目撃情報、そして拐われた被害者たちの個人情報や情報提供のために渡された肖像画などを見ていくうちに、二人の間に様々な疑問が飛び交う事となった。

「……被害者の系統がよく似ているな」

「あー、確かに。ただの美男美女ではなさそう」

 そう。被害者の肖像画を見比べていると、どの人物も男女問わず似たような顔つき、似たような髪型、似たような雰囲気を携えているのだ。

「男女問わず、 みんな栗色の長髪で色白、切れ長の目でほっそりとした体型……あれ?なんか既視感があるな?」

 余楽清ユイルゥチンは、声に出しながら薄々と気付き始めていた。

 これ、みんな自分にそっくりじゃん、と。

 目を丸くして硬直し出した余楽清ユイルゥチンの代わりに、傍で肖像画を見ていた洛星宇ルオシンユーが言葉を続ける。

「……お前が囮になれば、主犯なんかあっという間に釣れるんじゃないのか?」

「……ですよねぇ。まさか自分がこんなにドンピシャだとは……」

 美形な主人公も大変なものだと余楽清ユイルゥチンがやれやれと言った風に大袈裟に首を傾げるが、一方の洛星宇ルオシンユーはどこか悩んでいるかのような表情で手を顎に当てながら黙りこくっている。

「…………」

「……?おーい星宇シンユー、どうした?」

「……いや、何でもない」

 声掛けで我に返ったはいいが、いまだ洛星宇ルオシンユーは晴れた表情をしない辺り、悩みはそう簡単には解決しそうにないのだろう。

 気を取り直して作戦会議を再開させたが、ふと洛星宇ルオシンユーが些か怪訝な顔をする。 

「俺は三界を滅ぼそうとした妖王として顔が知れ渡っているから、あまり表沙汰には出られない」

「それな~。やっぱ俺が囮になる作戦が手っ取り早いよな」

 しょうがないとでも言うかのように余楽清ユイルゥチンがうーんと唸り声を上げる。

 できればあまり痛い事はされたくないと思ってしまうのは、いくら仙人と言えど仕方のない事だろう。

 うんうん唸っている余楽清ユイルゥチンを対して気にもせず、洛星宇ルオシンユーは言葉を紡いだ。

「お前もよく知っているだろうが、俺の戦闘での能力は主に屍人しびとの操術だ。もしお前が囮になるとしたら、小さい屍人をお前の懐に入れて俺も後を追う事にすればいいんじゃないのか?」

「なるほどなるほど」

 洛星宇ルオシンユーの戦闘においてのプレイスタイルは、『屍人』という息絶えた人間や妖怪などの魂を具現化し、神通力や妖力を使って操り、攻撃や防御などの技を繰り出すといった物となっている。

 しかし、操るといっても無理に使役しているのではない。命の灯火を絶やした者たちの魂は、皆宛てがなく行く所も定まらずに、孤独を費やしている者たちばかりだ。

 成仏できれば御の字。そして未練などから悪質な妖怪になる者もいる中で、そのどちらにも属さずに浮遊霊のようになってしまった者たちの魂に、洛星宇ルオシンユーは直接語りかけるのだ。

『俺と共に、戦ってほしい』と――――。

 そうして洛星宇ルオシンユーのカリスマ性で彼に従う事にし、無事屍人として彼に使役される事になった魂たちは、皆主人の事を慕っているのか逆らう所を見たことがなかった。

 要は、今回の任務において屍人を有効活用しようというのが洛星宇ルオシンユーの意見である。それには余楽清ユイルゥチンも素直に賛成の意を唱えた。

「んじゃまぁとりあえず、星宇シンユーはどっか身を隠せる所で待機しつつ、俺が囮になってわざと主犯に捕まる。んで、星宇シンユーのミニ屍人を服の中に入れてGPSの役割をさせる。生存者の元まで辿り着けたら、俺と後を追ってきた星宇シンユーで誘拐犯をボコボコにするって事で」

「……みに、だの、じーぴーえすだのは知らんが、何となくは理解した。それで行こう」

 またうっかりと横文字を使用してしまったが、無事理解を示してくれた洛星宇ルオシンユーに対し、感謝の意も込めて余楽清ユイルゥチンはニコッと微笑む。

 それを見た洛星宇ルオシンユーは、先ほどと同じくらいに頬を赤く染め上げ、プイッと横を向いてしまったが。

 一通りの作戦を練り終わり、余楽清ユイルゥチンは凝り固まった背中を伸ばしながらあくび混じりの声で呟いた。

「意外と簡単にイケんじゃね?」

「……油断は大敵だ。もしもの事があるかもしれないだろ」

「まーな。その時はその時。来るかもわかんねぇ未来の事でビビってちゃなんもできねーよ。人生は挑戦そのもの!って言うしな」

 声高らかにふんぞり返りながら言う余楽清ユイルゥチンのその姿に、洛星宇ルオシンユーは眩しい物を見るかのような瞳で見つめながら、ぽそりと小さく呟いた。

「……お前は、強い奴だ」

「ん?何か言った?」

 どうやらその言葉は、余楽清ユイルゥチンには聞こえていなかったらしい。

 余楽清ユイルゥチンの問には答えずに、洛星宇ルオシンユーは再びその薄い唇を開き出す。

「……楽清ルゥチン

「……ん?」

「……この任務が終わったら、お前に聞きたい事がある」

「……?おー……?」

「……では、明日に備えて俺は部屋で休む。また何かあれば呼び出してくれてかまわない」

 そう言ったっきり、もう夜も遅いからと洛星宇ルオシンユーは静かに余楽清ユイルゥチンの居室を後にした。

 先ほどまでの穏やかな空気が遮断されたかのように、辺りはシーンと静まり返る。

 そして、取り残された余楽清ユイルゥチンはと言うと……。

「……いや今言ってくれないと気になりすぎて夜しかぐっすり寝れないじゃん」

 夜に眠る事ができれば充分だと、その場で余楽清ユイルゥチンに突っ込んでくれる者は誰一人としていなかったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

修仙人妖伝にて、悪役の光堕ちを希望します! 汐味ぽてち @yamakano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ