第九話:お前の心のよすがになれるなら
広々とした椅子に、肩を寄せ合うかのように座る二人の間にはしばしの沈黙が訪れる。
しかしその沈黙も、
「……俺は、この世の全てを憎く思っている。それはあの時の戦いが終わってもなお、消える事はない」
やっとの思いで振り絞った、しかし静かな声に強い思いを滲ませた言葉が詠うように部屋の中に流れ行く。
今までずっと目を固く瞑り、何事をも視界に入れず拒絶するかのようだった
「……俺の母親の事は知っているな?」
「あー、俺が生まれるちょうど千年前に生まれたっていう、
そう。原作でもある通り、
原作ではほんの少ししか登場せず、挿し絵などはいっさいない上に実写映画にも役はなかったため、その風貌がどんなものだったのかはわからないが、文章によると兄妹似の美形で学や武にも優れている仙人だったらしい。
「そうだ。そして今から百六十年程も前、絶世の美女であった母は妖王だった父に見初められた。あの男のどこが良かったのかは全くわからないが、母もまた父に惹かれていき、そのまま俺を身籠った。その数十年後、妹の
(そういや、原作設定では俺が二百十歳で、コイツが百五十六歳だったな……俺らめちゃくちゃじいちゃんじゃん!?)
しかも、今目の前にいる大人の色気を携えた超絶美青年よりもかなりの年上。
自分が一気に年増になってしまった事実を受け入れ難いのか、途端においおいとふざけた涙を溢す
「父は妖王として、仙人である母の存在が疎ましくなっていったのだろう。俺たち家族には見向きもせず、あの戦いの時まで俺たち兄妹は父と直接会った事はほんの二、三回程度しかなかった。それでも俺には、愛する母と妹、そして俺と唯一仲良く接してくれた幼なじみの親友の存在があったから、慎ましくも幸せな時を歩んでいたんだ」
そう言うと、
しかし、眉尻は下がり、口角は上に上がりきらない中途半端な完成度の笑みだ。
言葉には出さなかったが、『寂しい』と言っているようにしか見えなかった。
「しかし、それも長くは続かなかった。父はそのあまりある力で独裁的に魔界を支配していたから、三界全てを征服しようとしたあの日の戦い以前から恐れられる存在だった。ある日、仙界の連中から、母が宿敵である妖王との間に子を成した事がどこからか知れ渡り、母は責任を持って処刑された。不老不死の仙人を殺せる唯一の存在である、とある存在に……」
(……そういや、確かに天清仙人が処刑されたってのは原作にも書かれてたけど、不老不死の存在が死ぬってのは改めて考えると矛盾してんな)
現実世界で普通に修仙人妖伝を読み込んでいた時は、ここら辺の設定に若干の矛盾があるのは薄々と気づいていたが、作者の設定ミスという事でスルーしていた。
しかし、今はこの世界こそが自分にとっての現実そのもの。つまり、この三界においての大きな謎になり得る。
「……そのとある存在って?」
「……それは、俺にもわからない。そいつは、仙界でも一部の上層仙人しか知らない存在らしく、極秘扱いされ謎に包まれたままなんだ。天清仙人であるお前も知らないのなら、相当情報の漏洩には敏感なんだろうな。俺も死にもの狂いでそいつを探し、殺そうとしたが、もう今となっては尻尾すら掴めないからそれは諦めがついている」
あの何でもできてしまう超スパダリ妖王の
諦念を滲ませた苦い笑顔を浮かべる
「母が殺された事により、俺たちも処刑されそうになったが……仙界の連中は俺たちが子供だった事で舐めていたんだろう。そのまま野放しにされ、俺たちは半仙半妖として疎まれながら育ってきたんだ」
今までのその生活が、どれほど辛くて苦しかった物なのかを考えただけで涙が込み上げて来そうになる。
好きで半仙半妖に生まれてきたわけじゃないのに、何故疎まれる必要があったのか。
その中でも愛情を失わずに、親子三人で睦まじく暮らしてきた事がこの話の唯一の光だ。
「俺たち家族が泥を舐め、這いずってでも生きてこられたのは、それでも俺たちを支えてくれた親友がいたからだった。なのにアイツは、父である妖王との戦いで俺を裏切った」
確か、
小さな村の中で疎まれていた
ずっと陰のように
「いや、裏切ったというのは語弊があるな……アイツは元々、万が一に備えて俺たち兄妹と母を見張るために父が送り込んでいた刺客だったんだ。戦いの最中、ふいをつかれて親友からの攻撃を受けた俺は、それでもお前の力を借りて満身創痍ながらも妖王を倒す事ができた……けど」
言葉の途中で、
幾ばくか緊張したかのような面持ちになり、拳をギュッと力強く握り締めながら言葉を紡いだ。
「……父を殺した瞬間、俺の中で何かが壊れた。数多の連中に見放され、馬鹿にされ、殺されかけ、裏切られ……もう何もかもが俺には地獄の業火に見えてしまった。俺に苦痛しか与えてくれないこの世界なぞ、全て燃やし尽くしてしまえばいいのではと……今思えば、こんな俺の傍にずっといてくれた
そう言うや否や、
「……お前は、命懸けで三界を救うため、そしてあの戦いで俺がもうあれ以上に傷つかないために、俺を黒化して静めてくれたんだな。少し考えればわかる事だったのに、俺はお前の心根の優しさに気づく事ができなかった」
その戸惑うような、しかし真っ直ぐに向けられる懺悔と後悔の気持ちに、
しかし悲痛な表情を浮かべる
「……俺は愚かだった。妹を、そしてお前を裏切り続けてきたのは、まぎれもなくこの俺だった。俺は、どこまでも悪党でしかないんだな」
「……そんな事ない」
自身を無下に扱うその言葉に対し、
いくら彼が凄惨な人生を歩んできたとしても、自身を卑下していい理由なんてどこにもない。
「頼むからさ、自分を卑下するのはもうやめてくれよ。確かにお前がしてきた事は、そう簡単には許される事じゃないとは思うけどさ……なぁ、
自身の事を存在価値のない半仙半妖だと何の疑いもなく思っていたが故、それ相応のように『お前は許されない存在』なんだと何度も何度も聞かせられてきた。だからこそ、許されたいかを問うてくる者なんて今この時までは誰一人だっていなかった。
「……叶うのなら、な。俺自身のためじゃなく、妹のために。俺が極悪非道だと言われているせいで、
その言葉によって、
愛する妹のために、自分をないがしろにするこの男に光を与えたい。
伝えたい。お前が心から幸せになるのを、誰よりも願っている事を。
その思いで、お前が救われるなら。
「許されたいって思うんなら、一人じゃ不安だって言うなら、俺がお前の傍にいてやる。回り道しちゃったってんなら、俺が手を引っ張って元の道に連れ戻してやる。俺が、お前のよすがになってやるよ。それが、お前と
そう言うと、
「……お前は、幸せになっていいんだよ」
「っ……!」
そう言い終わるや否や、
小さな子供をあやすかのようにトントンと優しい手付きで背中を叩いてやれば、強張っていた
(……呪いとかそんなの関係ない、俺は
もう呪いなんてどうでもいい。どんな結果であれ、この男が幸せになってくれればそれでいい。
出会ってからまだ幾ばくも経っていないはずなのに、その心の柔さや孤独に触れてしまった瞬間もう後戻りできなくなってしまった。
そうしてしばらくの間、静寂に包まれながら互いに抱き締めあっていた二人だが、ふと冷静になった
先ほどまでは勢いで色々と恥ずかしい事を普通にやってのけてしまっていたが、少し間を置いて頭が冷えた今、自分が行っていた事を思い返すととんでもなく羞恥心が芽生え始めた。
先ほどまでの聖母のような姿から一変、
「ほら、ちっとは元気出たか?てか俺ってばマジかっけー事言っちゃったわ~。さすがは天下の天清仙人!」
「……天下のっていうより、馬鹿の頂点って言った方が正しいんじゃないか?」
「はぁ、テメェ俺の事舐めんなよコラ!」
その小馬鹿にしたような言い種に
ふと、そんな和やかな雰囲気の最中、
そしてとても小さく、しかし辛うじて聞き取れるであろう声量で何かを呟き出した。
「……礼を言う、
「……お前が俺を下の名前で呼ぶの、復活してから何気に初めてじゃん?」
「……そうだったか?」
和解してから、初めて己のファーストネームを呼んでくれた。
つまりそれは、今まで頑なに自分を信用しようとしてくれなかった
その事実に、
「そーだよ!事あるごとに
「ふる、ねーむ……?」
急に出てきた横文字に不思議そうに首を傾げる
「おい、襟が破けてるぞ」
「あっ、本当だ。あの変態おっさんに掴まれた時か……」
せっかく新調したばかりだというのに、さっそくお気に入りの服が破けてしまった事に内心苛立たしさが込み上げてきた。
自身の胸元を見下ろしながら
(てか、さっきあのおっさん、『相手に服を贈るというのは、自分がその服を脱がせたいという意味がある』とか何とかほざいてたけど……あっ!)
そういえばとバッと目線を上げれば、目の前には己が購入して贈ってやった
「ち、違う違う違う!俺は断じてお前の服を脱がせたかったからお前に服を買ってやったとかそんなんじゃ……ってぇっ!」
顔を真っ赤に染め上げながらぶつぶつと何かを弁解する
そのまま悲鳴を上げる間もなく身体が地面へと吸収されるはずだったが、
不思議に思いながら固く瞑っていた目をおそるおそる開ければ、自身の身体と地面の間に、何故か
すなわち、今現在
どうやら、つまづいて地面に倒れそうになった
「……お前は何をやってるんだ」
至近距離で呆れ返ったかのような表情を浮かべる
転んだ事だけでも恥ずかしいのに、更にはドが付くほどに整っている顔面とキスしそうなくらい近いのだ。普通の思考回路を持っている者ならば、恥ずかしく感じるに決まっている。
あまりの羞恥に
「……あ、と……マジでごめんなさい」
「……謝るくらいなら、さっさと退け」
「はい、ごめんなさい……」
謝罪しつつも、硬直から解かれずほとんど身体を動かそうとしない
いまだ固まる
そして自身は軽く服をパンパンとはらって埃を落とすと、もう用は済んだとばかりに部屋から出ようと扉に手をかけた。
「……俺は一旦部屋に戻る。何かあったら呼べ。一応護衛だからな」
そう言いつつ扉から出ていく
スタスタと軽やかな足音が遠ざかる中、
「……なんで、こんなにドキドキしてんだろ?」
今までに感じた事がないくらいに甘く色づくこの気持ち。
推しである
ほのかに切ないような、きゅっと締め付けてくる心臓の痛み。
これらが成す意味に、
いつかわかる時が来るだろうかと、大切な物を閉じ込めるかのように手を固く握り締めるのであった。
一方。
「……グッジョブ
推しの
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