第八話:お前の胸は、暖かいんだな
広大な中庭で体術の修行に励む弟子たちの、気合いの入った声が仙城中に響き渡る。
汗にまみれながら正拳突き千本を打ち込む若者たちを、居室の広々とした窓から見つめていた
「おーおー、頑張ってんなぁ。ファイト~」
ひらひらと中庭に手を降る
先日、護衛隊長へと任命された
仙城の中であれば安全が保証されているからと平然とした顔で護衛の任を自ら退こうとした
黒化前後の時期であれば、とっくに遥か彼方へと逃げ出していてもおかしくはないほどに面倒な事この上ない今の状況に、目一杯のため息をつきたい思いでいっぱいであった。
ふと、のどかな風が流れ行く居室の扉がコンコンと軽やかにノックされた。
『どなたですか~?』とこれまたあくびをしながら
「
その名前に、
前々から、己を邪な瞳で見つめてくるあの変態おやじがまた来たのかと思うと、心なしか頭痛が酷くなってきた気がする。
「……あー、通せ」
言い終わるか終わらないかのうちに、扉がゆっくりと開かれていく。
その隙間からひょっこり顔を出したのは、案の定、どこか胡散臭い笑みを携えた
「久しいですね、
「……ん?どした?」
ドヤ顔で仁王立ちしたかと思えば、今度は
地蔵のようになってしまった
「……噂には聞いていましたが、まさか本当にあの妖王・
「あー、昨日から俺の護衛隊長に任命したんだよ。強いしめっちゃ打ってつけの人選じゃね?」
「……俺はまだ納得しきっていない」
ふふんと鼻高らかにドヤ顔をする
一見、真逆の雰囲気を醸し出している二人だが、その間には不思議と険悪さなどはなく、むしろどこか穏やかで凪いだ空気が流れていた。
『かの戦いの後も、もう一戦交えるくらいにはギスギスとした関係なのだろう、
「……前から思ってましたが、口調も性格もずいぶんと変わりましたね、
広々とした椅子に一人座る
自身を性的対象として見てくる年上の男にこうして服であれ触られるなぞ、いい気がするわけがない。むしろ殴りたい気持ちでいっぱいになる。
万物を射殺すようなその鋭い視線を間近で受けてもなお、
そんな余裕綽々とした
「……貴方ですか?
「……知らん。コイツが勝手に色々やらかしてるだけだ。むしろ俺は巻き込まれた側の立場だ」
二人の間に、バチバチと閃光が飛び交う。
そのあまりの静かな迫力に、扉の入り口で突っ立っていた
早くこの修羅場を誰か何とかして、と。
一方、
先ほどまでの、殺意が限界までに籠った物とは打って変わって、今度はまるで恋人を愛おしむかのように甘く、しかしどこか沼のようにドロッとした怪しげな瞳を一身に浴びる事となってしまった
この視線は、危険。
逃げなければと、脳が警告を出している。
しかし、脳の指令とは裏腹に、
黒化から解かれた
「……お綺麗ですよ、
恐怖で硬直する
そしてついに、椅子に座る
ビクッと身体を震わせる
あと少しでも顔を動かせば唇同士が接触してしまう程に距離が縮まったのをいい事に、
「……相手に服を贈るというのは、自分がその服を脱がせたいという意味があるので……ね?」
その言葉を合図に、
開いた服の隙間から、
こんなのは、まるで強姦だ。
しかも、
突如として襲ってきた今まで感じた事のない種類の嫌悪感と恐怖心に、
「……や、めろ……どけよっ……!や、やだっ……!」
「……酷いなぁ。僕はこんなにも貴方を抱き締めたくて仕方がないのに……それに、貴方に治癒を施した褒美の逢い引きもまだ果たされていないのですよ?」
「っ……さわんなっ……!」
暴れる両手を片手で一纏めにされ、頭上へと押さえ込まれる。
両足の間には、
何より、恐怖で上手く身体に力が入らず、ましてや神通力を使う余裕なぞこれっぽっちもないため、
あまりの出来事に、深い蒼の瞳からは自然と涙が一筋溢れる。
これはさすがにまずいだろうと、同じく恐怖と驚愕で硬直していた
「えっ!?なんですか!?」
束の間ではあったが、その強い風にあてられ思わず目を閉じた
どうやら今の突風は、
骨が折れそうな程に握り絞められる右腕の痛みに顔をしかめながらも、
「……何で、邪魔をするのですか?貴方には関係ない事ですよね?
顔は青色を通り越して真っ白、荒い息を細かに吐きながら、涙目でガタガタと身体を震わせているその姿は、見ていてあまりにも切ない。
無意識にこめかみに青筋を立てた
「……嫌がってるだろ。この辺でやめておく事だな。じゃないとこの腕、へし折るぞ」
視線だけで誰も寄せ付ける事は叶わないであろう冷たい黄金の瞳、振動が伝わってきそうな程に迫力のある低音を奏でる声、ミシミシと確実に腕を折りに来ている片手。
その全てから、この男に敵うわけがないと悟った
それを合図に
チッと悔しそうに舌打ちをし、
「……僕は、どんな事があろうと貴方を追い続けますよ、
そう言い残し、今度こそ仙城を去る事にした
まさか男である自身が、同じ男に襲われかける日が来るなんて思いもしなかった。そしてそんな危機的状況において、自身は何もする事ができずに悔しい思いでいっぱいだった。
まだ恐怖で足が震えるが、それでも懸命に
「……ごめん、助かった」
「……礼を言われる程じゃない。俺もアイツが気に食わなかっただけだ」
「……てかさ、護衛なんだからもうちっと早く助けろよな……」
「……お前ほどの実力があるなら、自分で何とかできると思ったんだ……でも、すぐに助けなかったのはすまない」
口調はそっけないながらも、その声色自体は
一見冷たく見えるこの男は、本当は長男気質で心優しい性格をしているんだという事を、今改めて知る事ができ、
しかし、先ほど性的に襲われかけた事への恐怖心がまだ癒えたわけではなく、ふるふると震える両手をどうにかしようと意を決したかのように言葉を紡いだ。
「……あの、
何事かと頭一つ分程下にある心臓付近に感じる温もりに目をやれば、
所謂、
不安や恐怖に打ち勝つには、人の温もりが一番の特効薬になるかもと考えたが故の、
急に抱きつかれた事により驚愕で固まった
もう片方の手の行き所は迷った末、その華奢な背中に添える事にし、
「……怖かったのか?」
「うん……俺ってこういうセクハラみたいなのって今まであんまり気にしなかったんだけど、何かさっきのはどうしても生理的に無理な感じがして……ごめん」
「……俺の腕の中は大丈夫か?」
「……うん、不思議。安心する」
「……なら、気が済むまでこうしていればいい」
そう言いながら、
艶のある、蒼色の混じる不思議な色合いの髪の毛をサラサラと指ですきながら、時折ポンポンと軽く叩いてやれば、先ほどまでガチガチに硬直していた
「……お前は不思議な奴だなぁ」
ぽつり。今までずっと口を閉ざしていた
「……お前にだけは言われたくないが……」
「へへっ、確かに一理ある」
だいぶ硬直が解け、少しずつ笑顔を見せる事ができるようになった
「
心配をかけないようにニッと無邪気な笑みを浮かべる
しかし、今この場にいる中で
「……御意」
焦燥と心配の入り交じった複雑な思いを抱きながらも、
『後はよろしく、我が推し』との願いを込めて。
一方、二人きりになって少しばかりの沈黙が流れ行く中、ふと
「なぁ、せっかく俺たちすこーしだけ仲良くなってきてるわけじゃん。だから、カウンセリング的な感じでお前の今思ってる事とか、今までの事とか話してくんねぇかな?」
「……かうんせりんぐとかいうのは知らんが、そんな事をして何の意味がある?」
再び訝しげな表情を浮かべる
怪しんだ顔でこちらを見つめる
「意味とかそういう事じゃなくて。お前らがここから出ていく事になるまで一緒にいるんだしさ。少しでもお前の事を俺は理解したいわけよ。だから、何でもいいからお前の事について教えて」
その言葉に、一瞬ぐっと言葉を詰まらせた
頭を抱えながらも、意を決して少しずつ自身の気持ちを語らい始めたのであった。
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