第七話:大学デビューならぬ、異世界デビューってやつだな

中庭で弟子たちが修行に励んでいる間、我らが師尊シズンはというと、特にやる事もなくただ窓から見える青空をボーッと見つめていた。

 本来ならば師匠という立場柄、そして好奇心という名の我が儘から、弟子たちの育成に携わってみたい一心で高雨桐ガオユートンにだだを捏ねてはみたが、『弟子たちは今の貴方を訝しんでいるのでしばらくダメです』とあしらわれた事により色々とおじゃんになってしまったのだ。

 広々とした居室の、これまた広々とした大きな椅子で暇を持て余すかのようにボケッとしたデフォルメ調の表情で座る余楽清ユイルゥチンだったが、今しがた扉をノックする音によってその顔はすぐさまいつもの等身美丈夫に戻る事となる。

 ノックした後そっと居室に入ってくる件の人物を見やりながら、口角が自然と上がっていく。

 対して、不満そうな表情を浮かべながらのそのそと不服そうに余楽清ユイルゥチンの居室へと入ってくる洛星宇ルオシンユーは、己を出迎えようと飄々とした態度を崩そうとしない目の前の優男に対してキリッと鋭い眼光を突き刺した。

「……おい、わざわざ俺を呼び出してくるとは、よほどの事なんだろうな?」

 そう。洛星宇ルオシンユーは、与えられた部屋で妹と静かな時間を過ごしていた所を、突如として暇を持て余していた余楽清ユイルゥチンに呼びつけられたのだった。

 妹との束の間の癒しタイムを邪魔され、思わずこめかみに青筋を立ててしまうを止められそうにない。

 余楽清ユイルゥチンの伝書鳩の代わりとしてやってきた高雨桐ガオユートンは、洛星宇ルオシンユーのその怒りに満ちた表情に顔を真っ青に染め上げてしまうが、何とか硬直する身体を引き摺って彼を師尊シズンの部屋へと連れてきたのだった。

 そんな件の人物である余楽清ユイルゥチンは、洛星宇ルオシンユーの怒りなど気にも止めずにヘラっとした笑顔を浮かべる。

「おー、来てくれたか星宇シンユー

 お目当ての人物を前に、余楽清ユイルゥチンはだらけていた身体をサッと起こし、そのままビシッと人差し指を洛星宇ルオシンユーへと向ける。

「今から俺の服を買いに行く!お前は俺の護衛として着いてこい!」

「……は?」

 余楽清ユイルゥチンのドヤ顔と今しがた言い放った言葉に、洛星宇ルオシンユーもさすがに口をポカンと明けて目を見開いた。

 天下の妖王様の貴重な驚き顔に満足した余楽清ユイルゥチンは、すかさず言葉の続きを紡ぎ出す。 

「いやさー、ずっと思ってたんだけど、俺の道衣って白ばっかでめっちゃ地味だろ?せっかくこんな美形で髪も綺麗なんだし、もっと派手な服着ないともったいねぇなって思ってさ!ちょうど暇だし、いい機会だろ!」

「……馬鹿馬鹿しい。勝手に行けばいいだろう」

 何事かと思えば、いたって下らない内容だ。

 呆れたとばかりに洛星宇ルオシンユーが眉間に指を添えながら扉へと踵を返しそうになれば、余楽清ユイルゥチンは慌ててそれを止めにかかった。

「ああまってまって!頼むよー、一人で買い物とか寂しいし、同じ男の目から見ても似合ってるかどうかって知りたいんだよ、頼む!」

「……あの一番弟子を連れていけばいいだろう。何で俺が」

「だってアイツファッションセンス皆無なんだぜ!?韓流カブれのダッサいマッシュヘアーに空けたてで化膿したピアス穴だけじゃねぇ、デッケェドクロのギラギラスパンコールTシャツの上からパツパツのライダースーツ着てトゲがいっぱい生えたロングブーツ履いてたんだぞ!?んな奴に頼れるわけねぇじゃん!」

「……お前の言っている事の九割は理解できないし、あの一番弟子があの道衣以外の服を着ている所は見たことがないが……」

 そう言いながら、洛星宇ルオシンユーは件の高雨桐ガオユートンが奇抜な格好をする想像をしてみるが、いかんせん普段からあの白い道衣以外を着る事がないため、イメージがわかずに首を傾げる。

 一方、生前に見た高雨桐ガオユートン(王達喜ワンダーシー)のあのクソダサファッションを思い出し、思わず吹き出しそうになるのを何とか堪えた余楽清ユイルゥチンは、今度は思いきって洛星宇ルオシンユーの大きな手を自身の一回り小さい白い両手で包み込み、そのままキラキラとした純粋な瞳を真っ直ぐに彼の黄金の瞳へと向ける。

「なっ!?お前を助けてやった事のお礼として!これでチャラにしてやるから!そんでついでにお前の服もボロボロだから見繕ってやるし!大丈夫!今までの依頼料で貯金はたんまりあるっぽいから!」

「……」

 うるうると蒼い宝石のような瞳でこちらをあざとく見上げてくる余楽清ユイルゥチンに対し、洛星宇ルオシンユーは思わず頬をほんのりと赤く染め上げた。

 いくら美しい顔形をしていて、いくらあざとく頼んでくるからといって、そう簡単に絆されていては妖王としての威厳などあったものではない。

 しかし、宿敵としてしか見ていなかったはずの余楽清ユイルゥチンのこの瞳に、従いたくなってしまうのはいったいなぜなのか。

 この子供のような我が儘をきいてやりたいと思ってしまうのは、いったいなぜなのか。

 幾ばくか至近距離で見つめあった後、洛星宇ルオシンユーは降参したとばかりに深いため息を一つ吐いた。

「……今回だけだぞ」

「っしゃー!」

 その途端、先ほどまでのあざとさが吹き飛んでしまったかのようにピョンと飛び上がって喜びを素直に表現する余楽清ユイルゥチン

 そのあまりにも純粋で天真爛漫な様子に、洛星宇ルオシンユーも若干強張らせていた肩の力を抜いた。

 まるで身体の毒素を全て浄化してしまえるような、そんな光が余楽清ユイルゥチンには携わっている。

 嫌いだったはずなのに、いつしかその存在が少しだけ自身の中で大きくなっていく気がするようになってしまったのは、果たして空想に過ぎないのか。

 表情には出さずに洛星宇ルオシンユーが考えに耽っていると、その間に何かを抱えた余楽清ユイルゥチンが目の前にスッと現れる。

 驚く間もなく、余楽清ユイルゥチンは手にしていた物を全てドサッと洛星宇ルオシンユーの胸へと押し付けてきた。

 反射で思わず受け取ってしまった洛星宇ルオシンユーが腕の中の物を覗き込むと……。

「……おい、何だこれは」

 そこには、余楽清ユイルゥチンの弟子たちが着ている物と全く同じデザインの道衣と漆黒の髪の染め粉、そしてなぜか特大のまん丸の分厚い伊達眼鏡があった。

 想像だが、これを着れば誰でも冴えないモブ修行僧に変装する事ができるであろう、逆に見事であると言える品揃えだ。

 腕の中の物をポカンと見つめる洛星宇ルオシンユーに対し、余楽清ユイルゥチンはあっけらかんと言葉を放った。

「お前の変装道具。もしもお前が妖王だってバレちまったらやっかいだからな。わざわざ蔵から探して見つけてきたんだぜ~」

 その言葉に、洛星宇ルオシンユーはうかつにも『確かに……』と呟いてしまう(なぜ蔵からそんなちんけな物が出てくるのかという疑問はさておき)。

 服を見に行くだけとはいえ、妖怪の王が人間界に君臨すれば、途端に阿鼻叫喚の光景が瞬く間に広まる事くらいは安易に想像できる。

 かつて悪い意味で三界中に顔が知れ渡ってしまった洛星宇ルオシンユーにとっては、変装というのは身を守るための最善の選択だ。

 しぶしぶ、ぶつぶつと不平不満を漏らしながら洛星宇ルオシンユーが素直に変装道具を身に付けていく様を見ながら、余楽清ユイルゥチンは『素直な奴は可愛いな』と一人ニヤニヤと笑みを浮かべているのであった。






 

 一通り準備を終えた二人は、まずは人間界へ行くために準備をし始める。

 余楽清ユイルゥチンはこれまた小説の見よう見まねで城壁に特殊な陣を描き、そこに掌を当てて神通力を流し込んだ。

 途端、ごく普通の壁であった物が目映い光に包まれ、その光が消えていく頃には壁は大きな城門のような物に変貌していた。

「っしゃ!またできちゃった!俺ってばマジ天才」

「たわけ。神通力や妖力を使用する者にとってはこんな技は初級中のそのまた初級だろう」

「……相変わらず嫌味な奴だなー。そんなんだからぼっちなんだよー……」

 ぶつぶつと恨み辛みを呟きながらも、余楽清ユイルゥチンは城門に手をかけ、ゆっくりと力を込めて開いていく。

 開ききったその先の世界は、まるで歴史物のドラマに出てきそうな光景が広がっていた。

 数々の屋台が連なり、人々の頭上辺りに浮かぶ赤い火が灯された灯籠は、独特でどこか魅惑的な雰囲気を醸し出している。

 そう。ここは人間界にある小町通りという名所なのだ。

 三界は、それぞれが独立した世界ながらも、神通力や妖力、はたまた神器などを用いれば互いの世界を自由に行き来できるというのが原作での設定だ。

 仙界に住む者は対象の世界の門を開く神通力や神器を使い、魔界まかいに住む妖怪たちは妖力を使い、そして人間界に住む人間たちは仙人が与えた門を開く神器を使ってそれぞれの世界を行き来している。

 しかし、自由に行き来できるという事は、その分自由に暴れ、それぞれの世界を荒らす者も現れるという事でもある。

 そのため、はるか昔に存在した三界それぞれの長が『互いに傷つけ合う事を禁ずる』という掟を制定し、破った者にはそれ相応の罰が下される事も決定したはいいが、それでもなおその掟を破る荒くれ者が後をたたず、数百年に一度大きな争い事が起こる事もあった。

『まあ、こういうのって現実世界でも空想世界でもおんなじなんだろうな』と少しばかり顔を歪ませた余楽清ユイルゥチンだったが、今は服の新調に来たのだ。暗い話は一旦考えるのを止め、せっかくなので人間界を存分に楽しもうと辺りをキョロキョロと見渡した。

「ほー、人間界ってこんな感じなんだ…なんか城下町みたいだな!」

 広い通りには、様々な野菜や料理、民芸品や画集などを売っている屋台がずらりと並んでいる。

 どれも個性的であり、目を惹く商品が多い事も然ることながら、何より店主たちの活気の良さがこの通りの熱気を最高潮に上げていた。

 そしてその活気溢れる人間たちの中に交じり、真っ青な肌色をし脳天から角が二本生えている『青鬼』らしき生物や、身体は人間のようだが頭部のみが狼のような風貌をしている『獣人』らしき生物、余楽清ユイルゥチンたちと同じような道衣を身に纏った仙人らしき風格の人物など、様々な姿をした者たちが和気あいあいと店を巡っていた。

 争い事を起こす要因になるのは一部の極悪な妖怪たちのみであり、基本は皆善良な考えをした者たちが共存し、助け合って生きているのがこの三界の魅力といっても過言ではない。

 色々な商品や道行く生物たちをざーっと見渡しながら、物珍しそうにキャッキャッとはしゃぐ余楽清ユイルゥチンの横でぶすっと拗ねたように黙って後を着いてくる洛星宇ルオシンユーのその様は……。

 見事なまでに、ダサかった。

 真っ白な道衣は清潔感があるが、染め粉で真っ黒に染めた髪の毛はいつもの輝くような艶はなくなり、無造作に下ろしてある。

 丸縁の大きな伊達眼鏡は、洛星宇ルオシンユーの類いまれな美貌を半減させるほどに似合っておらず、端から見たら超絶立派な陰キャそのものだ。

 そのあまりのダサさに思わずぷくーっと頬を膨らませて笑いを堪える余楽清ユイルゥチンだったが、突如として後ろから訝しげな気配を察した。

 人がいすぎて特定する事は叶わないが、明らかにこちらに射るような視線を送ってくる者の気配がある。

 天清仙人として研ぎ澄まされた五感が、その気配を逃すはずがなかった。

 洛星宇ルオシンユーも当たり前のように気づいているのか、鋭い視線を時折後ろへと向けるが、同じように所在が掴めないせいか未だ黙ったままである。 

 (んー……誰か着いてきてるけど、まあいざとなればはっ倒せるし大丈夫か……)

 洛星宇ルオシンユーも何もアクションを起こさない事だし、まあいっかと楽天的な考えに至った余楽清ユイルゥチンは再び小町通りに目を耀かせ始める。

 どれもこれも、現実世界にはない代物ばかりで思わず喉から手が出そうになってしまいそうだ。

 しかし、本来の目的はウィンドウショッピング(?)でも冷やかしでもない。

 屋台を物悲しくも素通りしながら二人がたどり着いたのは、立派な外装をしたいかにも高級そうな物を取り扱っているであろう、呉服屋だった。

「ここが、確か余楽清ユイルゥチンの行きつけの所だよな……お邪魔しまーす」

 原作で余楽清ユイルゥチンが重宝していたというこの店は、少々値の張る、しかし肌触りのよい丈夫な質の布と確かな職人の技術によって作られた様々な服を販売している。

 余楽清ユイルゥチンや弟子たちが着る白い道衣の他にも、領地を支配する地主や位の高い者が着用する漢服、花嫁衣装に至るまで様々な服を取り揃えていた。

 さっそく暖簾を潜れば、広い廊下の奥から慌てたかのような足音が聞こえてくる。

 店の中から現れたのは、この呉服屋の若女将である妙齢の女性だった。

 これまた上質な生地の着物を着用し、綺麗に結い上げた頭をペコリと丁寧に下げながら、若女将は余楽清ユイルゥチン洛星宇ルオシンユーを出迎えた。

「あらあら、これは楽清ルゥチン道士、お久しゅうございます!本日もお変わりなくお綺麗ですね」

「よせやぁい!褒めたってなんも出ねーぞ!」

 顔を赤くしながら乱暴に頭をガシガシと掻く余楽清ユイルゥチンのその少年のような仕草に、若女将ははてと首を傾げながら、彼の隣にいる洛星宇ルオシンユーを見やる。

「……あら、道士殿は、二重人格か何かなのかしら?」

「……知らん……」

「あらあら、お兄さんもわからないのねぇ……」

 ふいに若女将に話しかけられた事により、今までの行いの罪悪感や本来の人見知りな性格が災いして冷たい返事となってしまった洛星宇ルオシンユーをさして気にも止めずに、若女将は勝手に店内を物色し始めた余楽清ユイルゥチンを不思議そうに見つめた。

「おっ!これいーじゃん!」

 雑にあれでもないこれでもないと道衣を探していた余楽清ユイルゥチンがふと手に取ったのは、真っ青な絹の糸で織られた上質な作りの道衣だった。

 夜空のような深い青色に、白い百合の花が大きく刺繍されており、その周りを小さな紫暗の蝶々が囲っているデザインのそれは、非常に出来のいい着物となっている。

 修仙に身を置く者たちにとっての道衣というのは、特に決まりはないが基本は白で地味な物、あまり派手な物は着用しないのが暗黙の了解として伝わってきた。

 しかし、元来派手な物が好きな余楽清ユイルゥチンは、いつも着ているこの真っ白の道衣には常日頃から不満を持っていた。

 そのため、この機会にぜひともいい買い物をしたいと青い生地を見ながらワクワクと胸を高鳴らせている。

 この美しい道衣を一目で気に入った余楽清ユイルゥチンは、さっそく店の奥にある店主の控え室で試着をさせてもらい、そのまま洛星宇ルオシンユーたちが待つ店内へとそわそわしながら戻る。

 (たぶんアイツ、今の俺を見たらあまりの美人さに卒倒しちゃうだろうな~)と呑気な事を考えながら裏口の扉を開ければ、途端に若女将の黄色い悲鳴が響き渡った。

「とてもお似合いです、楽清ルゥチン道士!瞳と髪の毛の青色、真っ白な肌にピッタリな、深い青色の道衣が凄く魅力的ですよ!」

 若女将の言う通り、余楽清ユイルゥチンが着用した道衣は、彼自身に非常によく似合っている。

 真っ青な生地が、真っ白な肌やブルーメッシュの入った栗色の髪によく映え、白百合や蝶々のつつましやかな美しさが、余楽清ユイルゥチンの艶やかさをよりいっそう引き立たせており、その様はまるで天から舞い降りた天女のような出で立ちであった。

 細い腰に巻いてある帯は、全体が真っ白で、生地の中にラメのようなキラキラとした細かな硝子が織り込まれてあり、光にさらされるとまるで宝石のように輝きを帯びる代物で、まさしく余楽清ユイルゥチンにピッタリである。

 百人中百人が百発百中で振り返るであろう圧倒的美しさを携えた余楽清ユイルゥチンが得意気な顔をして洛星宇ルオシンユーに近づいてみた。

 しかし、洛星宇ルオシンユーは先ほどから微動だにしない。それどころか顔を完全に下に向け、影や長い髪の毛でその顔は全て隠れてしまっており、表情を読み取る事ができない。

 その様子に何故だか不信感を覚えた余楽清ユイルゥチンは、突如として洛星宇ルオシンユーの頬に両手を当てると、すかさず顔をこちらへ向けるように上げさせ言葉を紡いだ。

「ほれ、お前も何か言えよ!まあどーせ、『知らん』の一言で済ませられちまうんだろうけど……」

 そう言いつつ、余楽清ユイルゥチンがムカムカしながら目の前の洛星宇ルオシンユーの顔を見つめれば……。

「……あ……」

 何と、洛星宇ルオシンユーは顔を真っ赤に染め上げており、更にはその黄金の瞳をキラキラと潤ませ、唇は何かを言いたいのに言えないとでもいうかのように細かに震えさせていた。

 そう。洛星宇ルオシンユーは、余楽清ユイルゥチンのそのあまりの美しさに度肝を抜かれてしまっていたのだ。

 それがわかってしまった今、余楽清ユイルゥチンだって先ほどまでの平静を保ってなんかいられなくなってしまう。

 目の前の赤い顔につられるように自身も顔を真っ赤に染め上げ、蚊の鳴くような声でぶつぶつと呟き出した。

「……な、何で照れてんだよ……こっちまで照れるっての……」

「……」

「……」

「えっ、えっと……じゃあ次はそこのお兄さんの服を選びましょうか!こちらへどうぞ!ちょうどお兄さんに合いそうな極上の着物があるんですよ~」

 二人ともがあまりの羞恥心についに黙りこくってしまい、変な空気が流れ始めた所ですかさず若女将が少し慌てたように助け船を出しながら洛星宇ルオシンユーの手を引く。

 余楽清ユイルゥチンが試着していた部屋へとどんどんと押し込まれてしまう状況に、洛星宇ルオシンユーはらしくもない焦燥した声を上げる事となった。

「いや、俺はっ……ああっクソ!」

 勢いで洛星宇ルオシンユーの試着タイムが始まった事により、余楽清ユイルゥチンは一人静かに頬の熱さを取り除こうと自身の白い手で包み込んだ。

 彼のあの顔の赤みは、間違いなく自分の容姿に反応したが故の物だった。

 あんなにも嫌っていたはずの自分に、なぜあんなにも照れた反応を示してきたのか。

 そして、そんな彼を見て照れてしまう己自身のこの心の高鳴りは、いったい何なのか。

 様々な疑問が頭の中を駆け巡っているうちに、ちょうど試着を終えた洛星宇ルオシンユーが若女将に引き摺られて戻ってくる。

 知らぬとはいえ、妖王を引き摺ってこれる若女将の堂々とした降る舞いに感心していると、ふと後ろからおずおずと恥ずかしそうに道衣を着用した洛星宇ルオシンユーが姿を表した。

 若女将が選んだ芥子色の絹の糸で織られた生地は、一見渋く見えるが着る者によってはとても肌になじみ華やかにもなる代物である。

 洛星宇ルオシンユーの小麦色の肌に芥子色が非常に映え、また、全体に大きく刺繍の施された金色の紅葉の模様が、華やかさの他にもどこか神秘的な雰囲気を作り上げている。

 がっしりとした腰に巻いてある帯は、全体が真っ赤に染まった生地でできており、所々に白銀の龍の刺繍が施された漢らしいデザインとなっていた。

 下手したらどこの組の若頭かと言いたくなるような服だが、類いまれな美貌を持つ洛星宇ルオシンユーが着用すればなぜか上品さが染みでて来るのが不思議だ。

 野暮ったい丸縁の眼鏡すら、何だか『そういうファッション』なのかと思う程に馴染んでいるのがこれまた不思議さを助長させている。

 洛星宇ルオシンユーのそのあまりの美しさに口を半開きにしていた余楽清ユイルゥチンは、垂れかかった涎を急いで吸いながらもぽそりと素直に感想を呟く。

「おぉ~、すっげーカッコいい……こりゃそこいらのアイドルやら俳優やら所の騒ぎじゃねぇな……さすがスパダリイケメン……」

「あいどる?すぱだり?はよくわかりませんが……お兄さんもとてもお似合いです!美男が二人で最高!」

 突如として聞こえてきた見知らぬ横文字に首を傾げつつ、若女将が心からの称賛を送れば、二人はまた顔をポッと赤らめた。

 美しい者が目の前におり、自分は他人から容姿を褒められ、他人は二人の美しさに目を蕩けさせるというなんとも不思議なトライアングルを尻目に、洛星宇ルオシンユーはぽつりと小さく呟いた。

「……妹以外から服を贈られるのは初めてだ……」

「……そっか、じゃあせっかくなんだし、大事にしてくれよ」

「……服に罪はないから、な……」

 遠回しに、『お前の買ってくれる服マジさいこー。この服と俺は今からズッ友だから。来世のその先まで大切にしてやんよ』と言ってくれた(?)洛星宇ルオシンユーに対し、余楽清ユイルゥチンは今までにない気持ちが奥底からせり上がってくるのを感じた。

 まるで、懐かなかった猫がやっと膝に乗ってきてくれたかのような、そんな甘酸っぱいような色が目の前でチカチカと点滅する。

 (……え!?今俺なんでコイツにときめいた?)

 不思議と高鳴る心臓の音は、誤作動か何かなのか。

 小学生の時、隣の席に座っていた女の子に初めて抱いたあの『初恋』の時のようなこの高鳴りは。

 まるで、『愛する』事を自覚した時のようなこの不自然な胸の高鳴りはいったい何なのか。

「気のせい気のせい、ただの不整脈……」

 自分の性対象は女性なはず。まさか男にときめいてしまうなぞ、今までだったらありえなかった。

 そう。『今まで』だったら。

 この時の余楽清ユイルゥチンは、まだ自分の奥に潜む本当の想いには寸分も気づいてなぞいなかったのであった。






 


 呉服屋で二人分の道衣をストック分含め購入し、試着した分はそのまま着て歩く事になった余楽清ユイルゥチン洛星宇ルオシンユーは、腹が減ったからと今は屋台の食べ歩きをしている最中であった。

 屋台で甘い香りを漂わせている饅頭に誘われ、気付けばもそもそと二人して白いふわふわの生地に齧りついていた。その間、二人の間には先ほどの羞恥心からか妙な沈黙が流れ行く。

 美丈夫二人(そのうちの一人はデカマル眼鏡着用)が、上質な着物を着て饅頭をだんまりしながら咀嚼するその様は、端から見たら異質そのものであり、道行く人間たちは皆遠巻きに見つめる他なかった。

 ふと、饅頭をモグモグと咀嚼していた余楽清ユイルゥチンの耳に、遠巻きに自分達を見ている人間たちのこそこそと呟く言葉が入ってくる。

「そういえば、聞いたか?例の……」

「あれだろ?毎晩この村から、若く美しい男女ばかりが妖怪に浚われてしまうという……」

「おお、怖い……」

 物騒な話の内容に、余楽清ユイルゥチンは頬袋に饅頭を詰め込みながら苦い表情を浮かべた。

 三界での掟が曖昧になっている今、再び妖怪が悪を働くようになってしまっているこの現状をどうにかせねばと頭をぐるぐると悩ませていると、隣でこれまた饅頭にかじりついていた洛星宇ルオシンユーも訝しげな表情を浮かべているのに気づいたので、さりげに声をかけてみる事にした。

「……何か、嫌な噂が耳に入ってきちまったなぁ……」

「……話しかけてこなくていいのか?」

「こういうのは、人間の方から仙界の方に依頼を申し込んでこない限り、俺たち仙人は何も手が出せないんだよなぁ……もどかしい」

 人間界においてのこのような困り事は、基本は仙界の方からは手が出せない。

 独断で仙人が人間に手を貸してしまうと、それは贔屓や私情ととらえられてしまい、不公平だなんだと騒がれてしまう上、引き受けた仙人は他の仙人から手酷い罰を受ける事となってしまうのだ。

 なので人間界での揉め事は、人間が神器を使って仙界に住む者に直接交渉をし、それを仙人が引き受けなければいけない決まりとなっている。

 このもどかしい掟に内心イライラとしながらも、今のところは何もする事ができない現状にただ押し黙るしかない余楽清ユイルゥチンであった。






 仙城へと戻った余楽清ユイルゥチン洛星宇ルオシンユーをたまたま出迎える事となった高雨桐ガオユートン洛林杏ルオリンシンは、先ほどまでの出で立ちからガラッと変わった雰囲気の二人を見るや否や、そのあまりの変貌振りに目を大きく見開く。

 推しに見つめられドヤ顔を決める余楽清ユイルゥチンのその美しさに、洛林杏ルオリンシンの可憐な唇からは思わず感嘆のため息が漏れた。

「凄い……とても綺麗だよ、楽清ルゥチン

「ごほぉっ!?」

 うっとりとした目でそう呟く洛林杏ルオリンシンの言葉の破壊力に、余楽清ユイルゥチンの心臓は見事に撃ち抜かれる事となった。

 あまりの尊さに勢いよく吹き出したかと思えば、その衝撃を緩和するかの如くまたもやダンゴムシと化してしまう余楽清ユイルゥチンに、洛林杏ルオリンシンは焦燥を滲ませた声色で名を呼ぶ。

楽清ルゥチン!?」

「いやごめん……推しからのファンサがエグくて心臓どっか行っただけ……ああ尊さが凄すぎて体内の悪玉菌が浄化によって消滅していく~」

師尊シズン、悪玉菌も全てがなくなると身体によくないんですよ。何事もほどほどが一番です」

「おー、お前のうんちくは今はいらーん……あ、林杏リンシンにも今度服買ってあげるから楽しみにしててね~」

「……くだらない」

 悶える余楽清ユイルゥチンに的外れな突っ込みを入れる高雨桐ガオユートン、そんな二人を見つめながら呆れたようなため息を溢す洛星宇ルオシンユーを交互に見つめながら、洛林杏ルオリンシンはこの不思議な雰囲気に思わずクスっと笑みを漏らした。

 黒化前からずっと心に帳を下ろしていた兄の、豊かになった表情や口振りをまた見る事ができ、胸の内が暖かくなっていくのを感じる。

 それもこれも、全て人が変わったかのようになった余楽清ユイルゥチンの天真爛漫さのおかげであるとしみじみ痛感しつつ、洛林杏ルオリンシン洛星宇ルオシンユーの芥子色の服の袖を控えめに数回引っ張りながら、花が咲くような笑みを浮かべてぽそりと呟いた。

「兄さんも、とてもカッコいいよ。本当によく似合ってる」

「……ああ」

 最愛の妹からの称賛を受け、心なしか洛星宇ルオシンユーの表情も幾分か和らぐ。

 仄かに目尻を垂れさせながら優しい瞳で洛林杏ルオリンシンを見つめる洛星宇ルオシンユーのその様は、妖王とは思えぬくらいにごく普通の兄のようで見ているだけで微笑ましい光景だ。

 一方、そんな二人をじーっと一心に見つめていた高雨桐ガオユートンは、先ほどまでの余楽清ユイルゥチンに対する態度とは打って変わって何やらぶつぶつと言葉を漏らし始めた。

「そんな事よりヤバいですよね彼あまりにも似合ってる野暮ったい眼鏡ですらイケメン推しがかっこよすぎる一眼レフカメラはどこだ現像して引き伸ばしてラミネート加工しなきゃアクスタ販売はまだですかぬい活に励みましょう缶バッジで痛バ作るのでブラインドの場合は交換譲渡希望転売ヤーはこの世から駆逐します見つけ次第通報案件」

 この間、何とノンブレスである。ついでに最後ら辺には私怨が含まれていたため、心なしか高雨桐ガオユートンの周りにはドス黒い靄がかかっているような錯覚に陥った。

 そんな痛いオタクを目の前にして、(お前も大概だよなぁ)とのんきに半目で見つめる余楽清ユイルゥチンへ、急にスンッと大人しくなった高雨桐ガオユートンが振り返る。

「にしても、急にイメチェンしてびっくりしましたよ。良かったですね、絶世の美青年の顔面を持てて。イメチェン大成功じゃないですか。前の貴方ならこんな上等な服着たって、『俺が服を着てるんじゃなくて、服が俺を着てる』状態になりそうですもんね」

 そのあまりの不躾な言葉に、余楽清ユイルゥチンの堪忍袋の緒が一発で切れた。

「うるせぇな!大学デビュー失敗したあげくに、牛乳瓶みてぇな眼鏡して事ある毎にレーシックしたいよーみたいな顔してる奴にだけは言われたくないわ!」

「なっ……確かに現実世界じゃそうでしたが!コンタクトすると目にめちゃくちゃ染みるし、手術は怖くてダメだったんですよ!それにこの身体になってからすんごい視力よくなったんでもうその台詞は言わせませんよ!」

「いめ、ちぇん?れーっ、しっく?こん、たくと……?」

「コイツらは、たまにこういう変な言葉を使うようになったんだ。俺も戸惑っている」

 ギャーギャーわーわーと横文字を果てしなく使いながら喧嘩をし出す二人を若干冷めた目で見つつも、洛林杏ルオリンシンはそのあまりの平和な光景にクスッと笑みを溢す。

「……本当に、違う人たちみたいだね」

「……」

「……兄さん……?」

 微笑ましく顔を綻ばせる洛林杏ルオリンシンとは違い、洛星宇ルオシンユーはどこか疑いをかけているかのような怪しげな視線を余楽清ユイルゥチン高雨桐ガオユートンへと向けていた。

 その様はまるで、隠された真実を暴こうと眼を光らせる探偵のような表情だ。

 洛星宇ルオシンユーが訝しげな視線を向けている事には気づかず、余楽清ユイルゥチンは一通り言い争いが終わった後、ふと何かを思い付いたかのような声を上げた。

「あ、なぁ星宇シンユー!」

「……何だ」

 名を呼ばれた事に対して、至極面倒くさそうにしぶしぶと返事をする洛星宇ルオシンユーを特に気にする事なく、余楽清ユイルゥチンはニッコリと人の良さそうな笑みを浮かべて言葉を紡いだ。

「お前さ、これから本格的に俺の側にいて護衛的な役割担ってくんねぇか?」

 その言葉に、洛星宇ルオシンユーはもちろんの事、高雨桐ガオユートン洛林杏ルオリンシンも目を大きく見開いて驚愕する。

 天下の妖王に、しかも先日まで険悪な仲だった相手にいったい何を。

 驚愕で硬直する面々の中、まず最初に意識を取り戻した洛星宇ルオシンユーが食ってかかった。

「な、何で俺がお前なんかの護衛なぞ!」

「いや、俺って天清仙人だから、色んな奴に狙われる可能性あるんだよ。今日だって、なんか尾行してきた変な奴らもいたし。お前なら、俺と同じくらい強いわけだし、安心するんだ」

 余楽清ユイルゥチンの言葉に、先ほどまで激昂していた洛星宇ルオシンユーの勢いは格段に落ち、ついには唇を結んでしまう。

 確かに、尾行されていた事への疑念も晴れてはいないし、天清仙人である彼をいざという時に守れるのは実力的には己しかいない。

 しかし、まだ完全に恨みが消えたわけではないこの男の護衛なぞ、好んでなりたいとは全く思わない。

 ついには呻き声をあげながら頭を抱えだしてしまった洛星宇ルオシンユーに、余楽清ユイルゥチンはふっと花が綻ぶような優しい笑みを浮かべた。

「お前ら兄妹が、幸せになる道しるべを見つけられたらここからいつでも出ていってくれて構わない。だけど見つからないうちは、俺の元にいてほしい。頼むよ」

 その花のような笑顔に、聖母のような声色に、いつの間にか見惚れていた。

 宝石のような蒼い瞳に見つめられ、そんな言葉を貰ってしまっては、もう絆される以外の選択肢など塵となって消えてしまいそうになる。

「私はいいと思うよ、兄さん」

「……林杏リンシン

 黙りこくって考え込んでしまった洛星宇ルオシンユーへ助け船を出すかのように、洛林杏ルオリンシンもまた花のようなふわっとした笑顔を浮かべる。

 そっと兄の大きな手を自身の両手で包み込みながら、洛林杏ルオリンシンは詠うように呟いた。

「ゆっくりでいいの、今までが急ぎすぎたから。楽清ルゥチンもこう言ってくれているし。それに、私も私で人間界や仙界を満喫してみたいしね」

 妹の言葉が決定打となったのか。

 洛星宇ルオシンユーはしぶしふといった具合で結んでいた唇をゆっくりと解いていくと、再び余楽清ユイルゥチンに向き直った。

「……仕方ないから引き受けるが、もしお前が有象無象にやられそうになっても俺は助けないからな」

 とりあえず交渉は成立した。

 うんうん、それでいいと余楽清ユイルゥチンは満足気に頷くが、ふと先ほどの洛星宇ルオシンユーの言葉に妙に引っ掛かりを覚えた。

 俺、護衛しろっつったよね?なのにアイツ俺の事助けないって言ったよね?と。

「ひでぇなおい!?護衛の意味ねぇじゃん!ちっとは雇い主を労れ!」

 余楽清ユイルゥチンのその渾身の叫びは、果たして洛星宇ルオシンユー本人に届いたのか否か。

 再び知らんとそっぽを向き出してしまった洛星宇ルオシンユーにギャーギャーと食ってかかっていく余楽清ユイルゥチンを、高雨桐ガオユートンは心底冷めた瞳で見つめる他ないのであった。

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