第22話 辛くても、忘れちゃいけないんだよ

「三森さん、その……人の過去に関わる力――みたいなのを持ってない?」


 お、おお……。

 ええと、どこかの言葉の、愛の告白だったりするのかな?

 ……なんて冗談はともかく、なるほど、この質問がしたかったのか。

 困った状況だけど、実は告白より困ってはいない。なぜなら、それに対する回答はすでに決まっているからだ。


「え? 言っている意味がわからないけど?」


 すっとぼけ!

 私は、私の能力を公開するつもりはないのだ。演劇部の取材で培った女優魂を発揮するときだ。

 だけど、葛城くんは諦めていないようだ。


「副部長が元気を出したときも、部長がお婆ちゃんの話を思い出したときも、三森がそこにいた」


「ふふん、それを言うなら、葛城くんも一緒にいたよね?」


「俺もいたけど……俺は何もしていない」


「当然、私もだよ?」


「……2人がいろいろと思い出したのは、三森が触れたときだ」


「た、たまたま、なんじゃ……ない、かな……?」


 あかん、声がひび割れてる!


「杉山さんの実家に行ったときも――野村さんの悔恨を言い当てていたよな。杉山さんは人間観察なんて言っていたけど……違うんじゃないか?」


「ここはひとつ、人間観察でお願いしたいんですけど……」


「最後、あの稽古場での出来事だ。まるで心霊現象みたいな――50年前の出来事が蘇るなんて……」


「心霊現象なんじゃないかな……?」


「それにしては、三森、あんまり驚いていなかったよな。俺たち3人は腰が抜けるくらい動揺していたのに」


 かああああああ! そこはもっと上手く処理しておくべきだったあああ!

 にして、なかなか見ているなあ、葛城くん。

 こうもあっさりと見破られてしまうなんて。


「め、名推理だね……?」


「名推理というか……目の前でこれだけ変なことが起こったら、さすがに何か気づくんじゃないか?」


 はい! 調子の乗って能力を連発した私のミスですね!

 その場その場で仕方がないと思ってやっていたけど、ちょっと軽率だったな。

 ううむ……。

 どうしようかな。ここまで具体的な疑いを持たれると、ちょっと逃げにくい。

 それに、短い間とはいえ、葛城くんが信頼できる人なのはわかっている。お世話になった葛城くんに嘘をつき続けるのも、小市民的な私としては心苦しい。


 言っちゃうか……?

 言っちゃうか……!?

 言ったことを後悔しないか?


「……三森、答えにくいことはわかっている。だけど、俺は別に、お前の秘密を暴きたいわけじゃないんだ」


「……え?」


「……もしお前が過去を思い出させる力を持っているのなら、俺に『野球の記憶』を蘇らせて欲しいんだ」


 葛城くんの真剣な目が、私の目を見る。

 野球の記憶って――

「え、でも……それは、とても辛い記憶なんだよね?」


 前に言っていた。故障して本当に悲しかった、って。


「ああ、本当に辛くて、悲しくて――そのせいで、全部忘れちまった。好きすぎたから、思い出すのが辛くて記憶に鍵をかけてしまった。虫が食ったみたいに穴ボコで、上手く思い出せない。俺が逆転ホームランを打ったときの興奮したチームメイトの絶叫も、満塁のランナーを背負って相手の4番を三振でアウトにしたときの雄叫びも、な」


 そして、首を振った。


「俺は、俺の愛した野球を忘れたくないんだよ」


「……辛い記憶があるのに?」


「辛くても、だ。それも含めて、俺の野球の思い出なんだから」


 その目は、とても真摯で透き通っていた。

 ……そんな目で見つめられると、もう嘘がつけないじゃないか。


「三森、別に本当のことを教えてくれなくてもいい。ただの偶然でもいいから、俺に力を使ってくれ。誰にも話さないから」


 私は首を振った。


「……いい。全部、話すから」


 そして、迷うことなく言葉を押し出した。


「実はね、私には人や物に触れることで、その過去の記憶を見たり見せたりする能力があるの」


 彼は一瞬、驚いたような表情を浮かべたけれど、すぐに笑顔になった。


「ほ、本当だったのか!?」


「……あんなに自信たっぷりに聞いておいて、どうしてびっくりするの?」


「い、いや、あまりにも現実離れしているから……」


「先に言っておくけど、いつでも見れるわけじゃないから、心配しないでね。今は何も見ていないから」


「お、おう……」


「それと、絶対に秘密だから」


「わかった」


「私の力なら、葛城くんの思い出を蘇らせることができるよ」


「本当か!?」


「だけど、その……本当にいいの?」


 私は言い淀む。

 ――私、そんなことしないもん! お母さんがくれた大切な人形だもん! どうして、そんなひどいことを言うの、佳奈ちゃん!

 泣きじゃくる美咲ちゃんの記憶が蘇る。

 過去を思い出すことが、本当に幸せなのかはわからないのだ。

 果たして、本当に葛城くんを幸せにできるのだろうか?


「野球の記憶を蘇らせることはできる。だけど、楽しい記憶だけと言うのは難しくて、故障したときの記憶も一緒に。全てを望むのなら、全てが。本当に、それでいいの?」


「構わない」


 晴れ晴れとした笑顔で葛城くんが、ためらうことなく肯定した。


「辛い過去も、楽しかった過去も。全部ひっくるめて、俺の思い出なんだ。俺が大好きだった野球なんだよ。それだけは手放したくないんだ。だって、今の俺を形作る全てなんだから」


「……うん、わかった」


 私は缶ジュースを脇に置くと、葛城くんの右手に手を置いた。


「思い出せる範囲でいいから、野球のことを話してくれない? 私が覗いちゃうけど、いい?」



「その……俺の着替えとか風呂のシーンとかも?」


 ぶふっ。


「そ、そういう細部はたぶん、大丈夫……あんまり意識しないで。意識すると流れ込んでくるかもしれないから……」


「わかった、気を付けるよ」


 それから、つらつらと葛城くんが野球の思い出を話し始める。

 私の脳内に、彼の記憶が流れ込んできた。小学校1年生くらいの葛城くんが野球をしている。チームメイトと一緒に練習に励み、試合で活躍している。監督や仲間たちが彼を応援し、彼自身も全力でプレーしている姿が見えた。


 それはとても輝いていて、心の底から野球を楽しんでいるのが感じられた。


 やがて、その肩の強さと打撃センスを評価されてエースで4番となり、チームの中心人物となっていく。チームメイトや監督たちから、末はプロなんじゃないか、とおだてられている。

 本人も満更ではなく、プロを目指して日々を過ごしていた。


 順風満帆。


 小学校6年生でそれが暗転する。

 大きな怪我をしてしまい、野球をする未来が断たれてしまったのだ。


 痛めた日の記憶は、まるで刃物のような鋭さだった。


 倒れる葛城くんの悲鳴と痛みが自分のことのように感じられる。それほどに葛城くんにとっては辛い記憶なのだろう。


 それから、茫然自失の日々が続く――


 ちょっと涙が出てくるなあ……押し寄せてくる悲しみの感情が……こんなにも辛かったのか……当然だろう、それくらい、野球をしていた葛城くんは光り輝いていたんだから。プロを目指していた人間が、その夢を絶たれたのだから。

 そんな灰色の記憶に終わりを告げたのが――


「君、少し僕の手伝いをしないか?」


 にこやかに麟太郎くんが話しかけてきたところだった。

 そこで『追憶』が途切れる。


「ありがとう……全部、見えたよ」


「本当か?」


「うん、だけど……本当に思い出していいのね? 故障した日の記憶も――」


 葛城くんの覚悟は知っている。

 だけど、あの痛みと恐怖と悲しさは、本当に、いいのだろうか? 他人の私でも胸が張り裂けそうだったのに……。


「言っただろう? それでいいんだ。やってくれ」


「わかった」


 もう迷うことはない。

 深呼吸ひとつして――私は葛城くんの記憶を本人に返した。そっと手を離す。


「……終わったよ」


「うん、うん。わかっている。思い出せる、思い出せるよ」


 葛城くんの両目から涙がこぼれていた。次々とあふれる涙を手で拭う。追いつかず、葛城くんは両手で顔を覆った。


「大丈夫? その……やっぱり辛かった……?」


「違う、違うんだ、三森。嬉しくて泣いているんだ。辛くても、嬉しいんだよ。やっと俺は、俺の大切なものを取り戻せたんだ。悲しみや痛みなんて、そんなものは乗り越えた話だ。今さらなんとも思わないさ」


 そして、続ける。


「ああ、俺って、本当に野球が好きで、楽しかったんだなあ……」


 嗚咽が収まってきた後、葛城くんは手を下ろした。涙で濡れる目を指でこする。


「一番、辛かったのはさ……チームを去るときの、みんなの最後の言葉を思い出せなかったんだ」


「思い出せた?」


「ああ。監督は『野球の楽しみ方はいくらでもある。落ち着いたら、遠慮せず顔を見せにこい』と言ってくれた。チームメイトは『こいつは野球の神様の試練だ、主役はまた復活してくるんだろ? 待ってるぞ!』だってさ、ははは。もう野球できないってのに、本当にバカだよな、あいつら」


 泣き笑いが、夕方の公園に響く。


「そんな言葉、忘れちゃいけないのになあ、俺は……」


「でも、思い出せた」


「うん、ありがとう、三森」


 憑き物が落ちたような表情だった。


「三森さんのおかげで、大切なものを取り戻せた」


 それは、私も同じだよ、葛城くん。

 少し自信が持てた。美咲ちゃんでの失敗がまだ胸には残っているけれど、それに囚われなくてもいいんじゃない? そんな気持ちも芽生えてくる。

 私の力は人を幸せにすることができるんだ!

 調子に乗るつもりはないけれど。

 少しずつ、世の中と自分の在り方を調整してみよう。

 私はベンチから立ち上がった。


「よーし! 新聞部の活動、頑張るぞ!」


 それには、おそらく、新聞部を続けるのがいいだろう。どうやら、私の能力はとても親和性が高いから。もっともっと役に立てることもあるだろう。

 長かった最初の取材もようやく終わった。

 麟太郎くんは新しいテーマを用意して待っていることだろう。

 それはどんな感じなんだろう?

 どんな過去があるんだろう?

 私は新聞部での新たな挑戦に向けて、気持ちを盛り上げるのだった。





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これにて終了です。お読みいただきありがとうございました。

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追憶少女のアーカイブ 三船十矢 @mtoya

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