交尾ぶっ殺しドラゴン

@Thymi-Chan

交尾ぶっ殺しドラゴン

 生物の滅亡、絶滅。

 それはレッドリストを経て、地球上から敗北者が去ることを言う。ホモ・サピエンスは、自ら以外の生物が消える時、他人事であるのにも関わらず、何処か取り返しのつかない喪失感を覚えるという。

 生態系とは、複雑に絡み合い、読み解くことは困難な代物だ。蟻一つ、簡単に踏みつぶせることを嘆く人間がいる。

 けれどもそれは、人間が蟻と関わっていることを示しているだけにすぎず、生命として、種別として、特段優れた能力があるということを示す事象ではない。

 絶滅とは、単に弱い強いの問題ではないのだ。


「それでも失われた生き物は、二度と帰ってこない」

 

 一握の善意。文化か、教育か、それとも性善説か、人はそういった意見を持ち、時たま実行に移すことがある。世界は、国家は、機関は、一つ一つの種族を抱えあげて、彼らの暮らす世界を包み込み、雌雄を揃え、人間という力を使って、その種族の存在を直接的に遺していく。

 彼らの選択、彼らの生きざま、その結果を排除して、ただ記号的なゲノムを重視し、それをコレクションしていくのだ。

 そういったものの善悪を問うことは、しない。されないし、する必要もない。理解するべきなのは、”そういった”種に対する偏執的な思考が、何処か何時かに、確実に存在していることなのだ。

 歴史を重ねてしまった生き物は、生きていること、殖えることに、感慨を覚える。



「ん……」

 誰が口を開くでもなく、あるいは開かないままだからこそ、くぐもった声が響いた。

 すえた匂いに満ちたネオン街。電光は瞳を焼き、マトモな人間を追いたてるような威圧感をばらまいている。下水道は水だけの居場所でなくなってから久しく、吸い殻、紛れ込んだ空き缶、故のしれぬ切れ端、汗、涙、そういった様々な何かが、黒くねばついた何かに変わり果てるまでたむろしていた。

 そうした大地の上に、幾つもの建物が並んでいる。ホモサピエンスはそこで、殖えているのだという。

 酒を燃やし、煙をくすぶらせ、血を滾らせている。

 そこに大きな違いはなくとも、皆それぞれの方法を知っていた。

 ある一室、暗がりの中で、ホモサピエンスの一対が、ねばついた視線を互いに交わしていた。彼、そして彼女の素性は、特段特別さを纏うものでは無けれども、しかしどこにでもあるというわけではなかった。

 人は服を纏う。被服だ。同時に、それを脱がせることにも並々ならぬ執着を燃やす。それを纏わないことに、弱みと特別を見出す。

 選ばれたパートナーの前でのみ、それを脱ぎ捨てる。人間以外には出来ない、信頼の形である。床には先ほどまで、けなげに人間の脆い肌を守っていた衣服が、お礼の一つ投げかけられることなく打ち捨てられていた。持ち主たちは、それにこびりついた匂いの大本を貪るように鼻を近づけ、しきりに呼吸をしている。

「ふふ」

 どちらが、笑ったのであろうか。とにかく、笑った。こそばさか、あるいはコンテクストというものか。くらがりで響くくすくすというような笑い声は、大抵互いの列状を強く煽るものだ。

 自分以外の命を、間近で撫でつける。びく、と、躰の芯に近いどこかの筋肉が跳ねた。心臓は同期している。どくどくと鳴り響く血流の音が、相手との境界を少しずつ失っていくのだ。

 互いの胸を、互いの首筋を、熱に浮かされたまま撫でつけていた唇。

 少しずつ、少しずつ、本当に求める相手の内側に近づいていく。

「……」

 ぶつかる寸前。また、視線が交差した────その時である!


「ギ ャ ア ア ア ア ア ア ア ア ア !!!!」


 鼓膜が破れた──否!その前に窓が!その枠が!破壊された!彼らの身を包んでいたシーツは吹きとび、あるいは消し飛び、そのやすっぽい天蓋を存分に揺るがし、この場の支配を完全に奪い去ってしまったのだ!

 瞳。ねばついていない視線。通気性の良くなったその世界の向こう側から、赤く濁った暗黒が覗いてくる。実際、男と女を追っている。

 轟音の正体──咆哮である!熱された唾が周辺地域を埋め尽くす!視線の正体──もちろん眼球である!しきりに収縮する筋肉が、強固なレンズの先で蠢いている!

 巨大、雄大、偉大なその姿!山のような体躯をカンナめいた鋭さの鱗で覆い、長くとがっていく尻尾を振り上げ、ネオン光の全てを覆い隠すほどの翼を悠々と広げ、喉の奥から暴力的なまでの生命力を轟かせるその姿こそ!

 まさに神話に語られる竜、幻想世界の覇者たるドラゴンそのものであった!

 おお、みよ!まるで世界が終わるその瞬間までこびりついてやろうと、そう語らんばかりであった下水道の汚れが、社会規範を逸脱した力によって引きはがされて宙を舞う!

 暮れなずむたばこの香りもそうだ!暴力的な獣臭さに上から押しつぶされるだけでは飽き足らず、羽根の羽ばたき半分程度で、街から追放されて行くのだ!

 身じろぎに連動する尾は、それを見て逃げようとする人間をからめとってひき肉へと変換していく!

 ああ、服を着てさえいれば助かったのだろうか?逡巡の暇も、思索の余裕すらも与えられないままに、裸のホモサピエンス一対はどうにかされてしまうのか?


「......」

 男と女は、無言で向き合った。目をつむり、互いの掌を握り、何も聞こえない世界。額の隙間は縮んでい──


「ゴオッ!」


 竜は火を吐いた。ホモサピエンスの番は死んだ。




「えー、本日未明。多数目撃された生物は、依然習性と目的、性質すらわからないまま、その行動範囲を拡大しております」


 ニュースキャスターはお茶を濁すことができない。インターネットでは既に、ここに映った以上の阿鼻叫喚が広がっていることを知っている。事実として、ニュースキャスターも現実に見たのだ。夜の街、人の齎した光が消えるさまを。そして、残骸の上で燃ゆる原始の光、炎を。その竜を、その暴力を。

 条件は不明だが、決まって歓楽街にそれは出現していることが分かった。同時に怪物は、空間、時間と言ったつまらない概念に縛られているようには見えなかった。あちらこちらで、けれども確かに連続性を保ったまま、それは思い思いに蹂躙しているようだった。全く同じ時間、違う背景の中で暴れまわる竜の姿は、一週回って現実感を麻痺させていく。

 更に恐るべきことに──当然予測されるべきことに、でもあるが──海外でも同じようなことが起こった。そしてそれは、歓楽街に出入りしなければ安全ということでもなく、何の変哲もない市街地の一角に突如としてそれが現れることもあった。国連を挙げて調査しても、結局のところわかったのは「傾向」のみであり、優位な法則性も、規則性も、その何もかもがわからなかったのだ。

 ただ、あてずっぽうな陰謀論は、その日のうちにネットを席巻した。


「そいつは人間の交尾をとにかく殺しに来ている」



「こんなものどうすればいいんだ」


 あらゆる分野の賢人が頭を抱えた。歓楽街に重点的に現れる。次点で住宅街、ごくまれに屋外。それでいて人口密集地として、殺人を目的にするなら真っ先に狙われそうな集合住宅街は──案外、少なかった。

 ネットでまことしやかに語られる、人間の交尾を抹殺するために現れるという言説は、いわばこじつけであれど根拠はあった。だがそれを、裏付けを取るためだけに、国が実験するのか?

 あろうことか交尾を、ヒトを生む行為を(そしてわざわざ言及しづらい行為を)やらせて、不確定的な破滅を観測しようとする目的が設定されることを許していいのだろうか?

 結局のところ、そういった時に出来る行動と言えば、対症療法にすぎない。日本国家は軍備を強化した。同時期に、他の様々な国も、警察機構や軍隊にかけあって戒厳令がしかれた。主に歓楽街の残骸の上で、まだマトモな住宅街の上で。

 この時点で、最も期待値が高いとされたのは、歓楽街の残骸である。交尾を狙っていたのかは定かではないが、とにかく襲い掛かった実績がある。一度あることは二度もあるのだ。最悪だが考えるべき当然の予測である。

 ここに派遣された軍人たちは幸運だった。結論から言えば、荒れ果てた歓楽街だった場所に竜が現れることは無かった。まだマトモな住宅街だとか、移動中の何処か、あるいは川のほとりだとかで、人類対謎の竜のマッチアップが開始した。それも同時多発的に!


「ギャアアアアアアアアアア!!」

「全滅です!」


 嘘である。実際は壊滅、一瞬すぎて集計すら取れていないだけである。

 竜は会敵時、それは大きく息を吸った。準備段階に過ぎないたったそれだけの行動で、構成兵力の大半が窒息死した。稀有なまでに恵まれた装備を身に着け、窒息死を免れたものが居たとして、その結末の差は些細なものだった。意識を失ったまま焼かれるか、意識を残したまま焼かれるか。それだけである。

 ようするに勝率は0%であり、絶望的な戦力差が浮き彫りになった。いや、以前から予測すら出来ていないので、この結果をどう評価するかすらも議論する必要があるのだが、とにかくあらゆる国家の軍備に穴が空いたのだ。

 国家は抵抗をやめた。そして裏の取れないまま、重要な市街地での交尾を禁止した。その後も社会のあるところ、ぽつりぽつりと竜が現れたが、しばらくたてば頻度は少しずつ少なくなっていく。その頃、出生率は人類史上初の0%を叩きだし、同時に人口は、社会の維持に致命的な影響を与えるほどに減少していた。

 

 人類は相当賢かった。宇宙にまで自らの種を飛ばして、摩天楼を作り、文化という複雑な知性をはぐくみ、それを絵に残し、文に残し、そして殖えた。

 人類は相当強かった。刃を、鈍器を、銃を持ち、機械を動かして世界を思い通りに変えていく。いつの間にか霊長という存在に相応しいものになり、やがて地球に対して恩義を感じるほど、良くできた生き物を演じていた。

 そこに意味はない。意義もない。正しさも間違いも無いが、彼らは彼らの哲学の中で正しくあろうとしていた。その正しさすらも疑いながら、今まで歩いてきた。途中からは二足歩行もしたのだ。

 




────────────────

「ね。あの竜って、何を考えてるんだと思う?」

 

 少女。汗が滝のように流れている歳は10代後半、それくらいだろうか。はりついた黒い髪の毛が、より一層暑さを際立たせる。


「知らねーよ。ってかなんだよ、急に」


 少年。坊主に近い短髪。前者より涼しそうに見えるが、それでも上気した身体は赤く染まっている。


 夏。うだるような暑さ。旧型のエアコンは大して働かなくなって久しい。

 あの竜、そういった代名詞で伝わるほどに、怪物が与えた影響は世界に刻まれていた。たった数年……何せ人類の出生率は0なのだ。何の想像も及ばない、地獄のような世界が待っていた。加えて、竜は”交尾”に反応して何処にでも現れる。一度現れたときの被害と言えば、この上ない。

 結局国は因果関係を確かめたのか、どうか。それはわからなかった。けれど、こんなバカげた陰謀論を一定数認めたらしい。統計を取って尚、避けられない事実だったのだろうと、まだ幼かった二人は飲み込んだ。二人は幼いころから、互いのことが好きだった。

 何となく恋人になった今、禁止されなければ思いもよらなかった何かに手をかけている。


「そ。わからないんだ。きっと向こうだって、私たちの考えてることなんてわからない筈。私たちの数でしか見てないんだもん、きっと」


 仏か、鬼か、正体の推察はあまりにも無駄な行為だ。それはただ、交尾ぶっ殺しドラゴンだった。それ以上の意味合いを見つけることは、むしろ死者の冒涜にまでなるほどに、それは交尾をぶっ殺し続けた。人類相手にだけ、執拗に。

 それは倦怠感では済まない。彼ら、彼女らが大人になり、自由を手にする頃には、自由を実現する土台も消えてしまいかねなかった。次世代という言葉、それは死語になって久しい。

 国は、クローンをつくる計画を、倫理を投げ捨てて進行しているらしい。毎日続報が入ってきて、けれどそれが途方もない夢物語だということを再確認させられている。費用も、技術も、人的資源も、何もかも足りていない。

 人間は行儀のよいふりをし続けたツケを、今になって支払わされていた。


「ね、アイツにわかんないこと、しちゃおっか」


 そのような絶望がまた、定かではない欲望を呼び起こすのだ。

 どこかで、また、竜の咆哮が響いた。


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