借りてきた言の葉の短編集

鷹仁(たかひとし)

勇気の貰い方

「先輩、お金を貸してください」

 僕は旧校舎の空き教室にたむろしていた二歳年上の先輩に頭を下げる。

 先輩は後頭部を刈り上げ、長く伸ばした前髪を三つ編みにして顔の側面に垂らしていた。ジムで鍛え上げられた肉体は、制服からはち切れんばかりに膨れ上がり、着崩したYシャツから六つに割れた腹筋が顔をのぞかせている。傷害事件を起こして退部した元野球部の彼は、煙草の煙を体にまとわせながら気だるげにスマホをいじっていた。今でも、なぜ彼が退学を免れたのか理由が分からない。

「悪いな、俺も金がないんだ」

 しかし僕の願いは彼に届かず、先輩は顔を横に振ってそう言った。

 先輩の周りには、バットを持って「ヒヒヒ」と笑う焦点の定まっていない目をした男や、そもそも高校生なのか判別が出来ない異様に老けた男が破れた革のソファに腰を下ろしている。

 割れた窓の下に散らばったガラスの破片に反射する夕日が、僕の眼を差した。

「親に頼ればいい」

 先輩は僕に冷たく言い放つ。僕は内心、彼に失望しかけていた。なぜなら、いつでも俺を頼れと言ってきたのは当の先輩だったのだから!

 入学初日、何故か僕は先輩に好かれてしまった。鼻水が出た先輩にティッシュを渡したのがきっかけだった。義理堅い先輩はティッシュの恩は返すと言っていつでも僕の力になってくれると約束してくれた。

 しかしそれがどうだ。先輩は僕に空っぽの財布を空中で振って見せた。

 

「そんな! ウチの親は銀行員で財布の紐が固いんです!」

 僕の家は、父は銀行員、母は専業主婦のいわゆる中流家庭だ。父は四十歳で支店長なので、生活には困っていない。しかし職業柄、父は母に家計簿の代わりに貸借対照表バランスシートをつけさせ、僕もお小遣いを貰うためには月初めに事業計画書を提出しないといけない。その上、鉛筆や消しゴム一個に対しても経費として計上するため、申請書を通して一円単位で僕の支出は管理されている。

 もちろん、学業に支障が出るのでバイトは禁止。僕は学生生活をすべて勉強に費やしていた。

「まともな親ならちゃんと説明すれば子供に金くらい出してくれるだろう」

 先輩はそう言うが、僕は返す言葉もなかった。

 首を横に振る僕を見て、先輩はハハと笑う。

「親に言えないことなのか?」

 僕は先輩の言葉に頷く。

「だったら、黙って拝借しろ」

 先輩は、僕に親から金を盗めと言っているのだ。ありえない。

「出来ません」

 一円単位で家計を把握している父にとって、お札が一枚なくなるということは大問題だろう。確実にバレる。そしてバレたらどうなるか。あの眼鏡の奥の冷たい目のさらに奥。かつて営業で年間通してトップの成績を維持し続けた頭脳は僕にどんな罰を下すのか考えるだけでも背筋が凍る。下手をすると家からお払い箱になるかもしれない。

「それに、親の金を抜くのは悪いことじゃ……?」

「ドラクエを知ってるか?」

 唐突に、先輩の口からドラクエという単語が飛び出した。顔に傷と何かで焼けた痕がある先輩から遊びの類が出て、僕は一瞬混乱した。

 闘争に明け暮れ、子どもらしい遊びとは無縁と思っていた違う世界の先輩が、急速に僕に近しい兄のような存在になった気がした。

 

「ドラクエの勇者は、他人の家のタンスを漁り、壺を割っている」

 先輩は、ドラクエを知っていた。しかも、相当詳しく。

 ドラクエは管理に厳格な父が唯一僕に与えてくれたゲームだった。僕はそれが嬉しくて、冒険の書が消えても何度も何度も裏ボスまで倒して真のエンディングを見るほど遊んだ。

「洞窟の宝箱を開け、敵を倒して戦利品をいただいている」

 ドラクエの勇者はコマンドがある。それはおそらく正義とは大きくかけ離れた選択肢。ダンジョンや人の家、はたまた宝物庫からアイテムを手にいれ、自分を強くし、冒険を進めるための。

「何のためだ?」

「魔王を倒すため……」

「そうだ。お前の目的はなんだ?」

「パチスロを打ちに行くこと」

 僕は目の奥から熱いものがこみあげてくるのが分かった。僕は厳格な管理で圧政を敷く父という魔王を倒すため、先輩という仲間が欲しかったのだ。ギャンブルという還元率を考えると最終的には損をする無法に手を出すために。

 そして、魔王を打倒する手段に、お金が必要だった。ひのきの棒ではなく、はがねの剣を手に入れるための軍資金が!


 ――確かに親の財布からお金を盗むのは悪いことだ。


「それにだ」

 先輩は懐から煙草を一本取りだした。

「まだ負けたわけじゃないだろう」

 そして火をつけそう言った。

「ッ……!」

 僕は先輩の言葉に穿たれた。その通りだ。分の悪い賭けではあるが、必ず負ける訳ではない。

「勝てば、その分の金を親に返せる。これは親孝行と言っていいんじゃないのか?」

 パチスロで儲ければ、その儲けた金で自由を手にすることが出来る。そして受け取るだけだった親に対し、こちらから金を渡せば親も認め管理を緩めるかもしれない。

「自分が、親孝行を……」

「伝説の剣は勇者にしか抜けない」

 先輩が吐いた白煙が、僕の頭を薫陶する。


 ――だけれども、僕はこの十六年間ずっと親の監視を黙認してきた。


「いいか。人生に迷ったら、勇気が必要な方を選ぶんだ」

「勇気が必要な方を……」

 正当性の鎧が、ひ弱な僕の勇気をガチガチに固めていくのが分かった。


「お前にとっての剣は、神聖な祠じゃない。親の財布の中にある」

 僕は、親の金を抜き、パチスロにいかなければならない。そして、必ず勝って魔王を打倒する。

「勇者の剣、いや……さしずめそれは、勇者の券。といったところかな」

 先輩の言葉遊びに少し時間がかかったが、ようやく理解し、僕は納得した。


 ――でもそれじゃダメなんだ。

   僕はこの鎖を引きちぎる必要がある。


「日本銀行券だからですか」

「やめろ、わざわざ説明するな」

「何でですか」

「ギャグは説明したら色褪せるんだ」

「まるであの日の夕焼けみたいですね」

「そうだ。とにかく、勇気を出して砕けてこい!」

「分かりました!」


 先輩に頭を下げ、僕は家に帰った。丁度リビングに置いてあった親の財布から僕は三万円勇者の券を抜く。そしてその足で近所のパチンコ屋に行った。


 ――僕は大人になりたい。監視を振り切って自由を手に入れたい。


 初めてのパチンコは特に大きな当たりはなく。僕は三時間粘って、手ぶらで帰った。

 

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借りてきた言の葉の短編集 鷹仁(たかひとし) @takahitoshi

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