第2話
大部分が欠け、模様の掠れた絵皿。所々が裂け、水草の絡まった雑布。それから、釘が刺さったままの、腐り掛けた酒樽の破片。ゆっくりと流れ、岩にぶつかり、藻を撫で、視界の隅へと消える。依頼の予定がないときはいつも、こうして川岸に腰掛けている。他に行く宛ても、理由もないのだ。...敢えて言うなら、面識もない人間に罵詈雑言を浴びせられるのは、おおよそ楽しいことではない。
「おーい、あんた!あんただろ、“死神”ってのは」
「…
「金なら払う、言い値でいい」
「だったら他の人に頼めば」
「どうしてそうなるんだ――いいから俺を殺してくれ!」
後ろの方から耳障りな声が降ってきた。面倒な客に溜息を吐きながら立ち上がり、裾のパンくずを払った。後ろを振り向いてみると、右上に映る人影は苛立っているようだ。もっとも、物を投げられないだけマシだ。
「それで、なんだっけ?」
「だから...俺を殺せと言っているんだ!人を殺す仕事してんだろ!?」
彼の言っていることは、大方間違ってはいなかった。確かに僕らは“死神”で、生きるために人を殺す。と言っても、殺すのは自ら死を望んでいる輩だけだ。死――即ち名誉を望む人間に誉れ高い死を提供し、その報酬として僅かな小銭を得ることを生業としているというのが、その俗称の所以でもあるが。
「そうだよ」
「じゃ、じゃあ早く――」
「こっち来て」
「…いや、あんた橋の下に――」
「跳べばいいじゃん」
「・・・・・・は?」
あぁ。やっぱり
「跳べばいいだろ、なに怖気づいてんだよ」
「いやいや、あんた正気か?こっからそこまでどれだけ―――」
「ほらな、やっぱり。殺してくれと抜かす癖に、足を折る勇気もない」
「それは当たり前だろう。これからやっと死ねるってのに、痛い思いをしてたまるか!...あんた、何が言いたいんだ?」
「そんな奴に、死ぬ資格なんてないって言ってんだよ」
検閲を逃れた聖典だとか、
「君がどうして死にたいかなんて知らない…まぁ、言われても聞かないけど。僕には君を殺すことはできない」
「はぁ!?なんでだよ、あんた“死神”なんだろ?」
「僕が殺すのは、死に対して名誉を求めてる奴らだけだよ。名誉のために死にたがるような君みたいな奴は、殺すまでもない。だから、他の人に頼むか…広場で首でも吊って来れば?それじゃ」
未練がましく罵声を降らせていたが、聞いていない僕の耳には何も届かなかった。足を踏み外して転げ落ちでもしない限り、そのうちに諦めるだろう。大きく伸びをした僕は静かに鼻先を鳴らし、垂れた古布を
しかしそれでも退屈した僕は、気怠く起き上がりながら少し大振りなナイフを手に取った。つい昨日まで使っていたからか、くたびれを感じさせないほどに右手へ馴染む。しかし、錆と乱反射するその刃は黒く濁り、かえって周囲の光を吸い込んでいるようにも見える。客を殺める度に使っていた訳ではないとは言えど、愛着の湧いた仕事道具だ。容易く手放してしまうのも惜しいから、
「―――顔、洗おうかな」
手慰みに飽きた僕が外を覗くと、既に日は傾き始めていた。すぐそこに流れる川の水で流すことも一瞬考えたが、血を血で洗っても血は落ちない。少々面倒だが、水汲みついでに井戸まで歩くことにした。川の上流へ向かって少し進み、傷んだ梯子を上って市街地へと出ると、
死の日常化はホノリアの崩壊を招くと考えた昔の統治者が、自死を集中させつつ総数を減らすために考案したとされている夏至祭。それが功を奏しているかはさて置き、この日は多くの信心深い人間が広場に集い、思い思いに有終の美を飾る。当然それが名誉を求めて死ぬ人間にとって素晴らしく思え、見物客で盛り上がりを見せる理屈は理解しかねるが。
そして言うまでもなく、“死神”もまたそこへ集う。死を司る僕らにとって、夏至祭はこの上ない餌場なのだ。如何に豪華に,如何に切なく,如何に可笑しく――そうして劇的な死を演出すれば、金額は弾む。皆が大好きなお祭りだ。
あぶれ者の、僕を除いて。
アリウス ー星宿しの本懐ー 楓雪 空翠 @JadeSeele
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。アリウス ー星宿しの本懐ーの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます