夢の話「乗れなかった電車と夫と女医と煙草」
西しまこ
夢を見た。
私は、デニムの短パンをはいてTシャツを着ていた。Tシャツはサーモンピンクと白の太いボーダー柄だった。このTシャツは持っているが、デニムの短パンは実際には持っていない。
デニムの短パンから太い脚を覗かせて、駅に向かう。何かを買うために出かけたのだ。暑い夏の日差しが照り付け、木々の緑と空の青の、濃い色彩の風景だった。蝉の声も聞こえた。
駅は小さな無人駅で、剥き出しのホームはなぜかアスファルトで、そのアスファルト特有の黒さと古いアスファルト特有のごつごつした感じと草の緑が印象的だった。
電車に乗ろうとしていたけれど、夫が後から来て、私に何事かを言い、そしてポケットの切符を出そうと手間取っていたら、電車は行ってしまった。切符は分厚い紙の切符で、私は電車の中の駅員さんに、手を伸ばして切符を渡そうとして渡せず、ドアは無情にも閉まってしまったのだ。夫が乗ろうと私を導いた場所も、いつもとは違う場所で、彼はどうしてここから乗ろうとしたのだろう、とも思って不愉快な気分になった。
そして、予定していた電車に乗れなかったので、私は夫のことを責めた。夫は悲しそうな顔をしたけれど、私は背を向け夫のことを拒絶した。夫が立ち去る気配を背中で感じた。そうしてしばらくして、また電車が来て停まった。
電車のドアが開いて、高校生らしき女子生徒の群れがわらわらと下りて来た。そして私を見て、くすくすと笑ったのだ。あの服変だよね、何あの太い脚。短パンなんて信じられない。
ああ、私、なんでこんな服を着てきてしまったんだろう?
私は恥ずかしくて恥ずかしくて、その場に座り込んだ。傘を持っていたので、大きな傘を開いて、傘の影に隠れた。近くには薄紫色の紫陽花が満開だった。早く、早く過ぎ去って。女子生徒たちの笑い声が胸に刺さった。涙を流しながら、彼女たちが過ぎ去るのを、傘の影に隠れて小さくなって待っていた。醜い自分を隠さなくてはいけない。
泣いていたら、女性がやってきた。
女医さんだ、と分かった。疲れているのね、無理しちゃだめよ、と言われた。
いつの間にか診察室のような白い空間にいて、私は泣きながら、訴えた。ケーキ屋さんのこと、本当は訴えたいんです、証拠もあるんです、訴えられますか? 女医さんは言う。本当のことですか? 本当のことです、みんな記録してあるんです、と私は泣きながら応える。
女医さんはにこやかに笑いながら、両手一杯くらいの煙草の吸殻を処理しようとしていた。私はその様子をじっと見ていた。捨てるのではなく、円筒の中に入れて、何かの液体に浸していた。浄化しているの? と思ったら、きれいにしているのよ、と女医さんは微笑んだ。
どうして死んじゃ駄目なんですか?
手術では治せないからだよ。
私の問いに、今度は老齢の男性の医者が応える。髪は短く白髪交じりで、痩せた肉体をしていた。
手術では治せないから、死んではいけないんだ。
改札のない、古い小さな無人駅。
黒いアスファルトのホーム。
途中から雨が降って来ていた。
私は何かを買いに行きたかったのに、行けなかった。
ケーキ屋さんで起こったこと、みんな日記に書いてあるんです。
本当に辛かった。酷かった。
それを分かって欲しい。
本人が分かっていないのが一番腹立たしい。
煙草をきれいにしているのよ。
手術では治せないから、死んではいけないんだ。
薄い紫の紫陽花。
古いアスファルトのにおい。
雨。
私はどうして短パンなんてはいて出て来たのだろう?
買い物に行けなかった。
小さな寂れた駅のホーム。
渡せなかった厚い紙の切符。
誰もいない駅。
濃い、夏の色の景色。
――急に、シャットダウンされる。
了
夢の話「乗れなかった電車と夫と女医と煙草」 西しまこ @nishi-shima
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
うたかた/西しまこ
★84 エッセイ・ノンフィクション 連載中 127話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます