夏のデゥエット
いもりのもり
夏のデゥエット
“ファ〜“教室に響き渡るユーフォニアムの音。葵はそっとマウスピースから口を離し同じような息で大きくため息をついた。窓の外に目をやると外はすっかり薄暗くなり野球部が片付けをしている様子が見える。「もうすぐミーティングかな」葵は少し重い足取りでドアへと近づき他の部員が片付けを始めているか確認するためドアを開けた。“ファ〜〜〜“真っ直ぐと芯のある音が葵の耳に入って来る。その瞬間あおいはゆっくりとドアを閉めて椅子に座り机に肘を置きまた大きなため息をついた。
葵は現在中学3年生、吹奏楽部に所属している。一学期が終わり夏休みに入った吹奏楽部では一年で一番のイベントと言っても良いコンクールに向けて練習もより緊迫感が増す頃になってきた。葵も中学校最後のコンクール、そして曲中にユーフォニアムのソロパートが出てくるため今までにまして気合は十分だった。しかし、三日前顧問から合奏中に一言告げられた。「コンクール本番のユーフォニアムのソロは戸田でいく。」
戸田奈々は現在中学2年生で、一言で言うなら完璧な女の子だ。ユーフォニアムも1年生のころからずば抜けて上手く、性格もはっきりしており葵にとっては後輩だが尊敬する存在でもあった。
「まあ本当はわかってたんだけどね。」葵はそう呟きながら楽譜を握りしめて机に突っ伏した。一緒に練習するうちに彼女の方が自分よりも才能があることは感じたし、ソロだって選ばれないだろうなとは薄々気づいていた。今までも感じていたがこうも直接的に知らしめられるといくら大好きな後輩であっても羨望や妬み、自分と彼女との違いなどを感じさせられ葵の心の中は黒い何かが染み込んでいくようだった。「今日も奈々ちゃんのこと避けちゃったなぁ…。ほんとに嫌な先輩だな私。」そう呟きながら葵は横を向きまた窓の外を眺めた。10分前よりかはまた一段と薄暗くなった運動場ではもう野球部も姿が見られない。葵は地面に置かれたユーフォニアムをチラリとみたが今のこの気持ちでは到底吹く気にもなれない。ミーティングまで少し眠るか。風に吹かれながらそう思い葵はうつらうつらし始めた。
「瀬戸 瀬戸!!」パッと顔を上げるとそこはいつも合奏を行う音楽室だった。「へっ?私教室にいたんじゃ」「お前合奏中に寝るなんてどういう神経してるんだ。今はコンクール前だぞ。その意味分かってんのか!」「あっはい、すいません。」反射的に謝ったか葵の頭の中は何が起きてるのという感情でいっぱいだった。なぜか去年引退したはずの先輩方が椅子に座っているし、去年に壊されたはずの音楽室の机が壊れている様子に見えない。「話は逸れたが戸田もこれ以上変なところで間違えて皆んなに迷惑かけるなよ。一年でコンクールに入れてもらってありがたいと思ってんのか。ちゃんと頭に叩き込んでおけ!では今日の合奏は以上。」「ありがとうございました!!」部員達の号令消え掛けないうちに顧問は足早に音楽室を出て行った。「今日の顧問めっちゃ機嫌悪かったよね」「ユーフォの子達、特に一年生とかまじで可哀想だった。」部員達が各々雑談し片付けを始める。何がどう考えてもおかしい何が起きているのか全く分からず1人混乱する中「先輩。ちょっと教室行ってきます。」奈々がそう言って楽器を持ちいつもより早足で音楽室を出て行った。
その瞬間「あれっ…あの日と全く同じだ…。」葵はふと1年前の夏の日を思い出した。なぜ思い出せたのか。そもそもなぜタイムスリップが起こったのかそう考えるはずなのに葵は何故かついさっきの奈々の行動を思い出していた。「そういえば去年は何も気にしていなかったけど奈々ちゃん何してたんだろう。」いつもなら気にならないはずなのに何故かそのことが無性に気になり出した葵は楽器を片手で抱えながら音楽室を飛び出した。
1階2階と教室を見て回ったが奈々は居ない。3階にも居ないかと思ったその時、啜り泣くような声が葵の耳に飛び込んできた。まさか、あの子が泣くはずが…。そう思ったが念のため確認しようとゆっくり教室のドアを開けた。「すみません。大丈夫ですか。」そう言って教室に入るとそこには椅子の上で膝を抱えている姿の奈々だった。奈々は葵の姿を見た瞬間顔を真っ赤にして顔を背けた。そして何秒かたった後「なんで来たんですか」と冷たくも弱々しい声を発した。葵は目の前の光景に動揺し、なんと答えるべきか分からずただ目の前の奈々をじっと眺めることしかできなかった。すると「バカにしたいんですか。顧問にも皆んなにも才能がある。お前は凄いなんて言われてるのにあんなところで間違えるなんてって。もしそうなら出て行ってください。」と赤い目をしながら葵をキツく睨んだ。いつも文句なんか言わなかった奈々。何事も完璧にこなす女の子な奈々。あぁ奈々もいつもこうやって悩んでいたんだ。勝手に私が理想像に仕立て上げていただけでこの子は特別なんかじゃない。そう思うと葵に染み付いていた黒い感情が全部流れ落ちていくような気がした。そして意味不明だと分かっていても「ねえ、デゥエットしない?」そういうと葵は手に持っていた楽譜を机の上に並べ始めた。「突然何言ってるんですか。もしかして馬鹿にしてます?」と困惑と怒りの混じった表情で話す奈々を半ば無視しながら吹き始めた葵に最初は文句を言っていたものの全く聞かない葵の姿を見てため息をつくとすぐ追って吹き始めた。音もバラバラで綺麗とは言えないハーモニー。だけど今まで合奏などで一緒に吹いてきた中で一番2人の音がまとまって、対話して聞こえた。最後の一音を吹き終わった時二人はゆっくりとマウスピースから口を離した。一言も話し出さないまま顔を下に向ける奈々に微笑みながら葵は話し始めた。「私気づいたんだ。誰だって完璧な人はいないし完璧になろうとなんかしなくていいんだよ。奈々だって間違えたって良いし誰かの言葉を気にしなくて良いんじゃない。頑張ったその道のりが1番大事なんだよ。」そう話す葵の言葉に奈々は次第に顔を上げ始めた。「ありがとね気づかせてくれて。」と呟いた葵に奈々が顔を上げ何か言い掛けたその時「ありがとうございました!!」野球部の終わりの挨拶が聞こえ奈々はパッと窓を見た。ふわっと風が吹いた後再び口を開きかけ前を見るとそこには机の上に楽譜だけがポツンと置かれていた。
タッッタッッタ ガラガラガラ〜 「あの〜先輩そろそろミーティングなんですけど。あっもしかして寝てたんですか。」奈々は口を尖らせながら葵に寄りかかった。そんな奈々の姿を見て葵はふっと笑いながらこう言った
「ねえ今度一緒にデゥエットしない?」
夏のデゥエット いもりのもり @imorinomori
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