ソウテンとシュクエン

月輪雫

第1話 ソウテンにピース

 みさき冬弥とうやの入院が水綴みつづり流唯るいの耳に届いたのは、冬弥が病院に搬送されてから三日後の事だった。

 今は病院まで母親に送ってもらっているところ。車中ではローカルラジオが午後からの天気予報を伝えている。予報通りの重く垂れ込めた雲のせいで、窓の外はどこか薄暗い。流唯はソワソワと視線をカーナビやダッシュボードから窓の外へと泳がせている。

「冬弥くん、元気だと良いね」

「そう、だね……」

 運転する母親への返答も歯切れが悪い。それ以上言葉を交わすこともなく、車は後続車もなく県道をひた走る。

 大きな駐車場に止まった車から降りると、蒸し暑い熱気が身体を包んだ。雨が降り出しそうな湿気の匂いを感じながら入口へと向かった。

 家から一番近い県立病院の中は、いつもよりどこか人が多い。にわかに騒がしい外来受付を抜け、病棟のナースステーション前まで来ると、母親が看護師に声をかけてくるからと待つように促された。

 待っていられそうな場所はないかと視線を向けた先だった。エレベーター傍のベンチの奥で、うなだれて座り込む少女の姿があった。切りそろえられて肩にかからない程度の黒髪、そして少女の膝の上で握られている物には見覚えがある。

「響夏ちゃん?」

 流唯がそう声をかければ、少女の肩が少し驚いたように跳ねた。彼女の手に握られていたのは、白く塗装された上に赤く飛沫のような模様がデザインされたヨーヨー。そしてその持ち主は入院している岬冬弥の妹であるみさき響夏きょうかだった。

「流唯兄ぃ…… お兄ちゃんのとこに来たの?」

 響夏はどこか不安そうな表情を浮かべている。彼女からの問いかけに流唯は静かに頷いて、響夏の隣に腰を下ろした。

「ナースステーションで母さんが話聞いてくるって、ちょっと待たされててさ。響夏ちゃんはなんでこっちに?」

「……お母さんが先生とかとお話するから、ちょっと外出てなさいって」

 響夏は今年で小学五年生なったはずだ。妹とはいえ小学五年生に聞かせられない病状ということなのだろうか、と脳裏に嫌な考えが浮かぶ。

 響夏の髪が風もないのにサラリと揺れた。見れば彼女の肩には白い体に赤い文様が走る白蛇が寄り添うように這っている。響夏はその頭を撫で、

「シロも…… なんかソワソワしてて」

 と心配そうに語った。

 シロは響夏の肩に乗る白蛇の名である。

 異能は複数の種類があるが、響夏の場合は『契異けいい』 ――超常的な存在との契約によって形を成す。彼女自身と深く結びついた存在であるこの白蛇も、その心中を感じ取ったのだろう、肩の上をソロソロと行ったり来たりしていた。

 響夏が何か言おうと口を開いたところで、看護師さんと共に流唯の母親が声をかけてきた。聞けば、冬弥の母親と医師の話が一段落したらしい。

「響夏ちゃんは一緒に来る?」

 流唯は一度立ち上がったが、座ったままの響夏に屈んで視線を合わせた。しかし、響夏は静かに首を横に振って視線が下へと落ちる。対称的に首を持たげたシロと目が合った。宝石のような赤い瞳が流唯をじっと見つめ、『自分がついている』と言っているようだった。

「……分かった。じゃあ、またね」

 母親と共に、消毒液に似た匂いの満ちた廊下を進む。日の出ていない曇天の下では、どこか薄暗く不気味ささえ覚える。

 少し開いた病室の扉から部屋の灯りが廊下に差し込んで来ていた。流唯は恐る恐る、部屋の中へと入っていくと、

「よっ」

 いつもより顔色は良くないが、声は元気な冬弥がベッドに上体を起こして座っていた。

 声より先に、ため息と共に安堵が漏れる。彼の母親に会釈をしながらベットの脇に立てば、どこかやつれた様な冬弥の顔に笑みが浮かんだ。

「……なんだ、元気そうじゃん」

「まぁ、ぼちぼちってやつ?」

 冬弥の母親に促され、ベッド傍の丸椅子に座る。母親は母親同士で何かあるらしく、二人で一階にある売店へと降りていった。数秒の間、流れる沈黙を先に破ったのは流唯だった。

「今度は何をやらかしたんだ?」

「別に大したことじゃねーよ。ただ、まぁ…… 今回はちょっと重症でさ、脛骨骨折だってさ」

 と言って冬弥は自身の足に視線を落とす。白いギプスの巻かれた足は冬弥のものでないようだった。他に症状や怪我は無いが、回復の程度によっては早くても歩けるようになるには三ヵ月はかかると、冬弥は淡々と説明した。

 困ったように微笑んで、

「響夏が狙われているのを『創異そうい』が教えてくれたから、動かずにはいられなかったんだよ」

 流唯は呆れたように、ため息をついた。

「見えたから庇った…… まったく、何回目だよ」

「しょうがねぇだろ。俺のはそういう異能だから…… それに、大事な妹を守るためなら兄貴は体をナンボでも張れるってもんだろ?」

 どこか自慢げに胸を張るのだが、

「流唯みたいに使いやすい力だったら良かったんだけど、な……」

 と、どこか悔し気に零すのだった。冬弥の持つ『創異そうい』と呼ばれる種類の異能は、強いショックや出来事によって異能が変質したり、修練によって自身の扱いたい異能を文字通り「創り」出したりできる。だが、冬弥の場合は前者、未だ異能が確定していない状態だった。

 冬弥の瞳が数秒、金色に輝く。その金の瞳は冬弥が異能を使用するときに出る状態だった。

「……また見えただろ」

「ありゃ、ばれてら。いや、なーんか最近キてるみたいで、結構見えるからさ…… 流唯、頼みがある」

 いたずらっ子のように笑った冬弥だったが、その目はすぐに真剣な眼差しに変わった。固唾を呑んで次の言葉を流唯は待った。

「流唯ー? 響夏ちゃん、部屋に来なかった?」

 冬弥が口を開く前に、病室の扉が開いた。戻ってきたのは流唯の母親だけで、ベッドサイドに買ってきた袋を下ろしつつ、困ったように廊下の方へと視線を向けた。なんでも、冬弥の母親がそろそろ一度家に戻ろうと思って探しているのだが見つからないそうだ。先ほどまではエレベーター傍の休憩スペースでシロと一緒にいたはずなのだが、どこにもいないらしい。

「響夏を頼む。アイツが―― まだ厭忌えんきが狙ってる」

 母親につられて廊下へと通じる扉に視線が持っていかれていた流唯だったが、冬弥の声でハッとして振り返った。冬弥の金色に輝く瞳が流唯を捉える。

「……頼む。川沿い、商店街の入り口に近いところにいる」

 遠雷が微かに病室の窓を揺らした。流唯は冬弥が言い終わるが早いか、窓へと駆け寄り締められていたレースカーテンを開け放つ。クレセント錠に手をかけると、後ろから母親の声が飛んできた。

「ちょっと! 何する気!?」

「こっちの方が早いから! 母さんゴメン、帰りは先行ってて!」

 窓を開け放つ。夏の纏わりつくような熱気が病室に流れ込むのを感じつつ、流唯は自分の異能に集中する。

「冬弥、任せとけ!」

 振り返って冬弥の方を見ると、その瞳はいつもの明るい茶色に戻っていた。冬弥は何も言わず頷き、流唯は答えるように左手でピースサインを向ける。

 蝉時雨交じりの熱気の中、曇天の下、空気中の水分を撚り合わせて作るイメージ。

水綴すいてい、道を ――撚り結べ!」

 さながら、緩やかなウォータースライダーだ。

 母親の静止を後ろ手に聞きながら窓枠を蹴り、自身の異能で作り出した水のスライダーの上に降り立ち、そのまま滑り降りる。病室がそんなに高い位置でなくて良かったと思ったのは滑り降りている最中だった。

「また『才異さいい』の無駄遣いして…… ほんと、親に似ちゃったんだから」

 流唯の母親はそう言って病院から遠ざかる息子の姿を目で追った。

 『才異さいい』 ――親や血族の遺伝による異能。流唯の持つ異能は親から受け継いだ水を操るもので名がついており、『水綴すいてい』と言う。先ほど流唯が作り出した水のスライダーも、その上に足を乗せて沈まないのも、『水綴すいてい』の能力だ。

 息子を見送る彼女の表情は、どこか嬉しそうにも見えた。

 片や見送られた流唯。病棟から始まり、病院の駐車場、その先の道の上…… その上を、川面に流した帯のように走る青い水面。流唯は緩やかに下るスライダーの上で必死に目を凝らしている。冬弥が告げた場所、『川沿い、商店街の入り口』が響夏の居場所であり、響夏を狙う厭忌の居場所になるのだろう。可能ならばその位置より早く、響夏を発見したいと思っていた。

「厭忌…… なんでそんなもんが響夏ちゃんを?」

 辺りに視線を走らせながら、疑問が口をついて出る。厭忌えんきとは、正体不明、しかし明確に人を害する存在 ――そうとしか言いようのない黒い体躯の化け物。捕食するわけでもなく、その攻撃の理由など一切が未だわかっていない。全国各地に出没し、この町でも時折姿を現している。

 遠く川沿いが見えてくる。その傍には、商店街入り口の『大橋アーケード』と書かれたアーチも見えた。その傍から土手を降りて川べりへと出ることができるのだが、少し広くなった辺りに人の背丈を越える白く長いものが蜷局とぐろを巻いているのが目に飛び込んでくる。近づくにつれ、それは響夏を取り囲むように巨躯へと変貌したシロで、その外には不気味な黒い靄が濛々と立ち上っているのが確認できた。

「白蛇、火炎となりて――」

 聞こえてきた響夏の声に合わせ、手の中で白いヨーヨーに赤い炎が宿る。同時にシロの赤い瞳が怪しく輝きを増した。サッと正面に放られたヨーヨーは炎の軌跡を引き弧を描く。

「喰らえ!」

 ぐるぐると響夏を中心にシロがその巨躯を躍らせる。真っ赤に裂けたシロの口から火の粉が散り、それを纏うようにして踊る。波打つようにシロへと忍び寄っていた黒い靄は、尾や体にぶつかって容易く散らされるが、瞬く間に寄り集まり、その度に体積を増しているように見えた。

(何かしら力を喰らってるのか?)

 今はシロの体でせき止められているが、その体を乗り越えて響夏を飲み込むのも時間の問題だろう。

 流唯は声を張り上げて響夏の名を呼んだ。

「響夏ちゃん、手!」

 水の上を滑走しながら響夏に向かって手を伸ばした。ハッと上げた響夏の視線とかち合う。伸ばされた細い腕をシロの蜷局の中から掠め取るように掴み、しっかりと抱え上げ、勢いそのままうねる靄から距離を置く。

 シロはいつの間にか響夏の肩の上に戻ってきていて、再び髪の間から顔をのぞかせた。

「流唯兄ぃ! どうしてここに?」

「冬弥に言われたんだ。響夏ちゃんこそ、どうしてこんなところに?」

 ぼこぼこと粘度の高い泡のような不可思議な音を立て始めた厭忌を、響夏は恨めしそうに睨みながら、

「流唯兄ぃが病室に行った後に、病室行こうとしたらアレが廊下に居て…… 倒そうと追いかけてたら、ここまで出てきちゃったの……」

「一人じゃダメだって、危なすぎるだろ!」

 流唯はそう言って響夏の肩を掴んだ。炎を纏う異能を使用した後のせいなのか、火傷しそうなほど彼女の肩は熱を持っていた。

「流唯兄ぃも、黙って見てろって言うの!?」

 ザワりと激情に触れた彼女の異能が溢れだして、響夏の切りそろえられた黒い髪が空気を孕む。肩の上でシロが少し苦し気に身をよじらせていた。

「お母さんもそう言って、私に何もするなって……! お兄ちゃん、私を庇ってあんな怪我したのに…… 私、私のせいで、でも、許せなくて、あんな奴、私だってやっつけたくて……!」

 そう言って恨めしそうに眉間にしわが寄っていた表情が崩れ、ポロポロと涙が零れ出した響夏の頭に、流唯はそっと手を伸ばした。

「大丈夫、大丈夫だよ。ここまで頑張ってくれてありがとう。でも、俺も冬弥も、響夏ちゃんに怪我してほしくないんだ…… だから、一緒にやろう」

 宥めるようにそう言って、ぴっと左手でピースサインを作る。響夏は流れた涙を腕で拭い、冬弥に似た強い眼差しで頷いた。

 流唯は不快な音を立てて変質していく厭忌に向き直る。靄のように不定形だった体に質感が生まれ、定型を成し、ドロリとした一塊の物体が生まれた。その体に大きな弧が描かれ、カッと開かれたのはギョロリとした目だった。異形の目に、ギラリとした意思が宿る。

「響夏ちゃんはアイツが逃げ出さないように、シロで大きくこの辺りを囲んでほしいんだけど、できそう?」

「まかせて!」

 先ほどまでの余裕のない声ではない。再び響夏の手でくるくるとヨーヨーが輪を描く。それに合わせてシロが再び体をうねらせ、みるみるうちにあたりを囲むほどの長さ、大きさに変貌した。

 それは流唯と厭忌を中心とした野外リングのようだった。白い巨躯に囲われてなお、厭忌はその変貌を止めようとしない。泡立つスライムのように大きな泡が黒い体表の上ではじける。

 流唯の体を包むように周囲の空気が震えた。いや、正確に言えば『空気中の水分』が震えたのだ。ざわつく空気が流唯の髪を揺らす。

 一歩、厭忌へと足を踏み出した時だった。

「kkkrrrrr……」

 唸るような、動物の喉が鳴るような音と共に厭忌の体表がさざ波立ち、一本の触手が勢い良く伸びて流唯へと迫る。

「このっ……!」

 とっさに左手を振り上げ、辺りの水分をかき集めた水塊でその攻撃を凌ぐ。水塊がはじけるのと同時に触手も一度流唯から離れるが、すぐさま二撃目、三撃目が襲い来る。

「流唯兄ぃ!」

 響夏の声が後ろから聞こえる。

「大丈夫、大丈夫!」

 厭忌との距離は約十メートル。厭忌の触手による攻撃を凌ぐ度、鞭が鳴るようにバチンバチンと破裂音にもにた音が川面に響いた。時折、防ぎきれなかったものが体を掠め、わき腹や足に、まるでそこだけ引きちぎられたかのような痛みが走る。

 それでも――

冬弥アイツだって退かなかった!)

 鼻から大きく息を吸って吐き、歯を食いしばる。先ほどまで耳に届いていた遠雷すら、流唯の耳には聞こえていなかった。厭忌はあたりを囲むシロの体にも攻撃を浴びせているが、威力としては流唯に浴びせるモノの方が上だ。標的はどうやら響夏から流唯へと移ったらしい。

「上等だ…… 冬弥の分まであるからな!」

 流唯は襲い掛かってきた触手を防ぐだけでなく、勢いよく弾き飛ばし、柏手 ――というには少々乱暴だ―― を打った。重ね合わせた手と手のわずかな間で、細く糸のように水が渦を巻く。力を込め、手と手を目いっぱい広げるころには、糸のようだった渦は太い綱ほどまで寄り集まって行く。

 閃光が瞬きの間辺りを白く染め上げ、雷鳴が轟音となって響く。ぽつぽつと雨が降り始めた。

 轟音が収まる頃、流唯の手に一振りの刀が握られていた。降り注ぐ雨を受け、涼やかな光が灯る刀身にぼこぼことうねりを増す厭忌が映っている。

水綴すいてい ――斬り飛ばせ」

 ずるずると這いずるようになった厭忌から、流唯に向かって再び触手が伸びる。流唯は異能によってもたらされた刀 ――異能刀を上段に構え、迫る傍から触手を斬り払った。切った触手は厭忌の体へと戻ることはなく、塵となって雨に流されていく。先ほどとは違う攻撃を喰らい、一瞬、厭忌の攻撃が怯んだように止まり、その目が大きく見開かれる。

「位置に、ついて……!」

 その一瞬を逃さなかった。流唯はぐっ、と足に力を込める。厭忌までの道を地面だけでなく、空中にも描く。

「よーい、ドン!」

 足元から帯のように道が伸びる。厭忌を取り囲むように伸びたそれを、流唯は身軽に飛び移り、伸ばされた触手を斬りながら駆ける。一番近い触手の攻撃を搔い潜り、その体を、見開かれた厭忌の目ごと横一線に斬り裂いた。

 流唯は手ごたえを感じつつ、駆け出した勢いを殺しきれずにもんどり打ってシロの背にぶつかって止まった。降り注ぐ雨を遮るように、心配そうなシロの顔がこちらに近寄る。

「イテテ…… あぁ、シロ。俺は大丈夫、って、あれは……?」

 斬り裂かれた体の内側からあふれ出したのは、血や斬り飛ばした触手のような塵ではなかった。

 どろり、と粘性の高いそれは不快なくぐもったような音を立てて、切り口からあふれ出してくる。明らかにその黒い体躯には収まっていなかったであろう物量がぶるぶると大きく震え、その全体が流唯に向かって一斉に覆いかぶさってきた。

「こいつ……!」

 吞み込まれる寸前、流唯はこの一瞬でつかめるぎりぎりの量の水を覆いかぶさろうとする厭忌にぶつけた。ぎりぎりと黒い粘液と流唯の操る水が競りあう。内側から水越しに見る厭忌は、濁流のように黒い何かが渦を巻いていた。

 外側では響夏とシロが火炎を纏いながら、流唯に覆いかぶさる厭忌を引きはがそうとしていた。

「シロ! お願い、もう少し頑張って……!」

 響夏は必死にヨーヨーを駆っている。しかし、すでにシロが作った円の中は厭忌の黒い粘液で満ち始めており、近づこうにも流唯と厭忌が競り合う部分を中心に、波打つ粘液に阻まれてしまう。そうでなくても、この黒い粘液を溢れさせないようにするので手一杯だった。

 半球状に盛り上がっていた流唯と厭忌の競り合っている部分が、じわじわと小さくなっていき、やがて、波打つ粘液に沈んだ。

「流唯兄ぃ…… 流唯兄ぃー!」

 響夏の声が辺りにこだまする。雨が弱まり、辺りには少し増水した川の流れが聞こえるばかりだった。

 ぐわ、とシロの円に満たされた粘液が持ち上がった。その持ち上がった先端、突き破るようにして何かが飛び出した。

 見上げた響夏の瞳に映ったのは、刀を振り上げた流唯だった。くるりと頭が下に来るように体制を変え、足元に作った水を蹴って目下の厭忌へと刃を突き立てる。粘液の体に深々と刺さった刀の鍔に足を乗せ、柄頭に左手の掌底を押し当て、 

水綴すいてい、滞ること無き流れを綴る者。綴じし流れを刹那解かん ――全部飲み込め、龍飲りゅういん!」

 刃を中心に、青く大きな流れが渦を巻く。辺りを取り囲むシロよりも大きく、太い流れとなった水は、さながら龍のようにのたうちながら、轟音と共に厭忌の体を喰らっていく。そのすべてを飲みこんだ流れは空へと昇り、土手、さらには商店街のアーケードや建物より高く昇った。

 雲の隙間から、一筋、光が差し込む。晴れ間の光を受けたそれは一度ぐっ、と一塊になり ――花火が散るようにはじけ飛んだ。

 厭忌の体は文字通り、塵一つなく、辺りにはさわさわと霧状の水が優しく降り注いで、小さな虹を作っていた。

 辺りには、ずぶ濡れの流唯と響夏、響夏の肩に戻ってきたシロだけが取り残されていた。流唯は刀を地面に突き刺し、片膝をついて肩が上下している。響夏は厭忌を飲み込んだ水塊がはじけ飛んだ拍子に尻もちをついており、その状態で半ば呆然とへたり込んでいた。

 ツイツイ、とシロが響夏の頬を鼻先でつつく。我に返った響夏はよろよろと立ち上がり、流唯のもとへと駆け出した。

「流唯兄ぃ……! 大丈夫、怪我は?」

 響夏が流唯の元へと着く頃には異能刀も解けるようにして消えていた。支えを失ってぐらり、と流唯の体勢が崩れる。地面に倒れ込んだ流唯はそのまま仰向けに転がり、息も荒いまま左手を上げた。

 今にも泣きだしそうな顔の響夏に向かって、流唯は寝ころんだままピースを作る。腕でごしごしと目元を拭い、響夏も笑みを浮かべて流唯にピースする。

 夕立が去った後の洗われたような蒼天に、ずぶ濡れの流唯と響夏のピースサインが日差しを受けて輝いていた。

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ソウテンとシュクエン 月輪雫 @tukinowaguma

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