2-4 舞う先にノーザンは華を見た

 コーダの振るう剣の勢いに流され、三人はまとめてふっ飛ばされた。壁面に接触しそうになるのをノーザンが受け流し、壁を蹴って更なる上昇力に変える。三人の位置が城壁の高さを越えた辺りでダリアは真っ赤な日傘を開き、空気をたくわえた。



「協力者か……!」

 踵を返し、ノーザン達の影を捕捉する。

 一瞬たじろいだコーダだったが、すぐに刃を腰に構え直した。


 前に屈み、息を吐き切る。そして僅かに静止し、一太刀に全身全霊を賭けるように、神経を集中させた。

「……どこに逃げようと、我が斬り伏せるのみッ!」

 コーダとは大分距離が離れたが、殺意がまたこちらへ迫ってくるのを感じた。

 飛ぶ斬撃が、また放たれようとしている。


「マズい、攻撃に備えるんだ!」

 僕は再度、大きな手で二人を隠すように受け身を取った。しかし、ダリアは慌てる様子もなく傘を揺らした。


「お二人とも、ちゃんと掴まっていてくださいまし」


「〈キル〉――――!!」

 コーダが刃を振り、斬撃が高速で迫る。しかしあと寸分のところで、ダリアの飛ぶ軌道が大きく変わった。


「きゃあっ!」

 急に振り回されたエリオンは、たまらず悲鳴を上げる。空と地面が何度か視界を通りすぎ、ようやく地平線が安定した。一瞬の間に位置もかなり動いており、ノーザンはしばらく何が起こったのか理解できなかった。だが、確かに自分達は無傷で飛行し続けている現状を飲み込んだ。

 遠距離とは言え、ダリアはいとも容易くコーダの剣を避けた。その事実にノーザンは呆気にとられ、ダリアの顔を見た。

「す、凄いな……」


「ふふ、空を舞う花びらは、強引には捕まらないのですよ?」

 澄ました顔で遠くを見たまま、ダリアは言った。

「……なるほど、風圧か」

 ノーザンは一人納得する。コーダの放つ斬撃は凄まじい風圧を纏っていた。すなわち極度に軽くなり、宙を舞っているうちは刃が届かない。それはノーザン達がこれ以上、遠く離れたコーダからあらゆる妨害を受ける心配がないことを意味していた。

「身体が軽いのも中々いいでしょう?」

 ダリアはノーザンに視線を送る。ノーザンはダリアと結び合った手の熱を感じ、静かに肯定した。



「不覚、不覚、不覚ッッ!!」

 コーダは完全に沸騰していた。はるか遠方に遠ざかるノーザン達を睨むが、まもなくして外壁の影に消えた。

 コーダは大剣を鞘に納められないまま、両手で強く握り直す。……しかし、今どう動こうがノーザンを捉えることはできない。

 全身は次の一撃を振るおうと強張っているのに、恥辱が覆いかぶさってあらゆる暴行に至れなかった。


 「あと僅かな時間で罪を裁くことができた……あと数刻で巨悪をこの手で滅ぼすことができた……!だがしかし……ッ!」


 ―――あの時、何かが飛んで邪魔に入った。暗闇に紛れ、黒く見えたあの人物が、崇高なる使命を果たさせなかった。

 恐らく初撃で撃ち落としたと思われたあの時に逃がしたのだ。そして再帰し、窮地の二人を攫って見せた。

 一度目は気に留めなかったとはいえ、二度も。そして渾身の迫撃もついに届くことはなかった。その揺るがぬ事実がコーダを焦らせる。手に握る剣が、カチャカチャと金属音を鳴らした。


「予感するぞ……かの者は必ず我々フランディアに仇成す……ッ!」

 コーダは俯き、歯を食いしばる。未だノーザン達を追い続ける切っ先は、フランディアの夕闇を映していた。


 遠くまで唸る風が、静寂を強調した。冷ややかな夜風が鎧に入り込み、静かに熱を奪っていく。

 コーダは荒い息を吐き切ると、ゆっくりと剣を納めた。

「……………先ずは護衛への周知だ」


 コーダは直感していた。飛行していた影は、最後まで機敏な動作を見せなかった。動きを見るに制御に難があるか、もしくは真に飛行をしている訳ではない。従って、フランディアの門を厳重にする価値はある。同時に外壁の見張りをつければ、身を潜めようとする奴等を荒野へ追い立てることができる。

 コーダは迷いなく歩みを進め、拳を握り締めた。

「我は必ず、貴様の“繋がり”とやらを断ち切るぞ…………ヴァリスッ!」




 コーダの影も見えなくなり少しの時間が流れると、ノーザンはようやく警戒を解いた。しかし、その瞬間周囲を見回したことで、また怖気が蘇った。ノーザンは、焦りつつダリアに声を掛ける。

「……駄目だ!これでは荒野に流されてしまう!」


 底抜けの闇がゴウと唸った。

 ノーザン達はコーダの風圧で大きく押し流され、気付けばフランディアの外壁すら小さく見えようとしていた。

「あら!ほんとですわね」


ダリアが下を見下ろすと、地上の闇の中にちらちらと石畳が見えた。昼間ダリアが渡ってきたタイルの道もたった今終わり、荒々しい土肌の道が露出した。フランディアから離れればその分道は細くなり、やがて途切れる。そうして気を抜いて、帰る方向さえ手離した時には……最悪だ。


 空虚。フランディアから離れて気を抜いたノーザンの頭を、その二文字が覆い尽くした。コーダや、オーケスティアの脅威から逃げ、街を出た者がどうなるか、ノーザンは勿論知っていた。


 逃げ出した者の“最期”に襲い掛かるもの、それが空虚。人の一人も居ない広大な世界は、快晴を見つめたように意識を遠ざけていく。気が遠くなる。そうしてやがて、人は朽ち果てる。


 ノーザンは報いのような衝撃に身体を震わせた。

「ダリア、フランディアを見失うのはマズい!今すぐ地上に降りて――」

「ここから門まで歩くのですか?」

「何をっ!……いや、門。そうか……僕たちは門をくぐれない。街に戻るには、何か……」

 


「心配しなくても大丈夫ですわ」

 ノーザンは汗を滲ませて思案するが、ダリアは変わらず、気楽にして風に身を任せている。優しく目を瞑り、眠りを待つように静かに息を吸った。


 するとやがて―――柔らかな風が吹いた。


 風はダリア達の背中を押し、ゆっくり、ゆっくりとフランディアへ進み始める。

 揺らぐ波のような草原のざわめきは、ノーザンを手招くように一点を目指しているのが分かった。それは家々の灯が瞬く丘の街、フランディアだ。

「これは……」

「今朝、犬飼のおじさまに教えてもらったんですわ」


 ノーザンはハッとした。この街には周囲の荒野から集まるように風が吹く。風が吹き、丘が生まれ、人々が集まって営みを根付かせた。誰の思惑でもなく、フランディアの丘は人々を受け入れるように佇んでいる。吹く風の名は―――


「“集い風”…………」

「そうですわ。こうして時間とともに、私たちは街に集まった…………ですわよね?」


 その言葉を聞き顔を見合わせると、暗闇にパッと、ダリアの表情が照らされた。正面を向くと、フランディアの塔から打ち出された青や紫の花火が、空中に華々しく咲いていた。

 フランディアが、新しい夜を告げていた。


「……なんだか、いい気分だ」

 心做しか硬直していた心がほぐれた気がした。ちらちらと消えゆく花火を見ながら、風に運ばれる。

久々に顔の憑き物が落ちたようで、僕はぎこちなく笑った。

「私もですわ。私、この街に来られて……貴方たちに出逢えて、本当に良かった!」


 ダリアは、気持ちが溢れるような笑顔を魅せた。

 ノーザンは澄んだ空気を肺に目一杯取り込み、いつもより少しだけ明るい夜を噛み締めた。

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夜明けのエンタープライズ いろは @irohas0168

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