2-4 重く聳(そび)える壁

「があああああああああっ!!!」


 それは飛ぶ斬撃。剣に触れてすらいないノーザンの身体は、たちまち獰猛な斜線に食い裂かれた。

 びしゃりと血液が飛んで、ノーザンはそのまま無抵抗にふっ飛ばされる。


 芝を転がり続け、ようやく停止した。

 その傍で座り込んだエリオンは、絶望と恐怖にか細く喚いた。

「ひぃっ……!あぁ……!ぁぁあ!」


「貴様が逃げていないだと……?私利私欲を幾ら正当化しようと、民の恐怖から目を叛ける貴様は、悪人に他ならないではないか!」

 コーダは、一層怒気を込めて言い放った。

 ノーザンは胸に深々と刻まれた溝を押さえながら、痛みに呻き続けている。


「しかし驚いた、身体が再生するのか。不死、いや超回復……形状記憶か……何れにせよ、都合がよい」

 不自然に、コーダの声が調子づいた。


「……クソっ」

 ノーザンは、コーダの話す様子から違和感を確証へと変えた。

 この男、僕を殺さない気だ。

 今までの攻防で何度も死を覚悟したが、奴はあらゆる機会を見逃した。的確に急所を外し、多くの傷を付けるために調整をしているのだ。

 ノーザンは痛みさえ堪えれば死ぬまで足掻き続けられる。しかしコーダはまるで、その足掻く姿すら楽しんでいるようだった。


「お前、何のつもりだ……!」

 回復しつつある腹部を押さえながら、膝をついて正面を睨む。その姿を見たコーダは、剣を掲げ、付着した血がゆっくりと垂れる様子を眺めた。

「先に言っただろう、“清算”だ。貴様の背負った罪は重く、一振りの剣で赦されるべきものではないのだ」

「なに……?」

 ノーザンは、即座に疑問符を返した。

 ノーザンは、これまでに被ってきた数々の仕打ちを思い出す。目に焼き付いた顔ぶれは、どれも悦びに満ちた卑しい笑顔だったではないか。コーダの言葉と結びつけるには、とても無理があった。そのどうしようもない混乱は、乾いた笑いとなってノーザンの口から漏れた。


「はっ、僕が初めて襲われたのは産まれるより前だよ」

「ならば元より、最初から産まれるべきでなかったのだ。しかし貴様はこんなにも生きてしまった……」

 地平線に太陽が落ちて冷ややかな風が吹くと、ざわざわと草花が騒いだ。


 コーダは、ようやく立ち上がった僕を威圧し、こちらに剣を向けた。

「だから我が、貴様の罪を清算するのだ。我々に与えた数々の損失を、痛みで贖うのだ……!」

 コーダは凄まじい怒気を発し、声を荒げた。

 ノーザンは両手を握りしめ、そして小さく笑った。こんな姿で正義を笑う男は、奴から見れば立派な悪役だろうな、と思った。だが。


「悪いが心は決まってるんだ。僕が産まれた時からね」


 ノーザンは、後ろで怯えるエリオンに手を差し伸べた。怯えてすっかり冷えた手が、僕の手のひらを掴んだ。

「あと少しだけ頑張れるかい?」

 振り向いて訊ねる。エリオンは深く息を吸うと、こくりと頷いた。


「……然らば、向かってくるが良い!」

 コーダは、フランディアの城壁を背に剣を構えた。僕がエリオンの手をぎゅっと握ると、エリオンは弱々しくもその場に立ち上がった。


「コーダあああぁッ!!」

 二人は駆け出す。足元の見えない草原を一心不乱に、コーダの護るフランディアの方へ走った。

「構わぬ!二人とも斬り伏せるッ――!」


 コーダは腰に剣を構えた。その様子を見て、エリオンの手を引いて「屈め」と合図をした。

 コーダは深く息を吐き、重心を前に傾ける。今、この瞬間だ。

 鼓動が強くなり、バキバキと音を鳴らす。右腕は白く、固く、荒く変質した。


 もう空は暗い。

 太陽が沈み、闇で何人にも見られなくなった今なら。



 僕は“際限なく身体を自由に動かすことができる”――――!



 コーダの剣が振るわれた。目にも留まらぬ閃きが、宙に一文字を描く。エリオンは刃筋の下を、僕は目一杯に跳んで上を突っ切る。

 思った通り、刃筋は僕の方に追従している。日光が少ない分、夕刻と比べて脚力も増している。

が、刃は僕の脚を捉えて逃さない。


 僕の目前に、両脚が舞った。

 相変わらずの恐怖的な映像に、思考が止まりそうになる。だがそれでも、ここで死ぬわけにはいかなかった。

 空中でコーダの兜を見下ろす。

そして興奮の昂るままに、白い片腕を振りかぶった。


 心臓が滾る。

 バキンと何かが砕ける音がした。


 明らかに“違う”。枝木のようだった腕は、組織が無秩序に暴れ狂う剛腕へと変貌した。人間の形は影もなく、怪異や未知の生命体と称した方が相応しい外見だった。


「……奥の手か」

 コーダは切り返した剣を瞬時に逆手に持ち変える。常軌を逸した判断速度の防御行動だが、もはや関係はない。


「僕はお前をッ……」


 コーダの頭頂に掌を置いた。多節の指やら触手のような管やらが、乱暴にコーダの顔を覆う。


「“越える”んだ――――!!」


 そして精一杯の力で兜を下方向に押さえ付け、僕たちは更に跳躍した。


 強く手を引き、エリオンを手繰り寄せる。そして直ぐに後方を確認する。と、既にコーダは次の一撃を入れるべく、剣をこちらに向けていた。


「無駄だッ!貴様の無き脚が地に降りるより早く、我が斬首してくれるッ!」


 気迫に満ちた叫びが、辺りを震わせる。身体が強張るが、これが恐怖なのか、興奮なのか、自分でも分からなかった。

 僕は巨腕を目の前に構え、一太刀を受け止めることに全ての神経を集中させる。


 呼吸をした。


 恐らく僕の体を幾ら硬質化させても、奴の攻撃を防ぐことはできない。僕は必死に足掻いたが、今はまだこの男の正義を越えることはできない。だから―――。




 君が僕を連れ出してくれ……!




「ノーザン様あああぁぁぁっ!!」

 風が強く吹き、舞うようにやってきたダリアは、ノーザンの手をすくい取った。

 一瞬剣の重みが腕に伝わったが、ダリアの営みが体を軽くした途端に、その力はノーザン達の推進力と化した。そして僕たちは、勢いのまま高くまで上昇していく。


「ナイスタイミングでしたわ!」

「……助かった。君の言葉のお陰だ」


 ノーザンは小さく息を吐いた。

 ノーザンがダリアを咄嗟に突き放した直後、ダリアは「再び助けに戻る」と叫んで伝えてくれた。その時ノーザンはダリアを、コーダのいる方向の反対に突き飛ばした。だからダリアは城壁を一周回って裏門方向から飛んでくると察したのだ。


 ノーザンは思わず苦笑した。

 ダリアを突き放した直後に「助けに戻る」なんて、僕だったら言えない。揺るぎなく、真っ直ぐな気持ちで手を差し伸べたから即座にあの言葉を出せたんだと思える。そして、だからこそダリアは間違いなくここに帰ってきてくれるのだと信じられた。


「ノーザン様、この方が……!」

「エリオンだ。外傷は無い」

 ダリアは、僕が腕に抱えたエリオンを見つめると、安心したように目を細めて笑った。


「無事で良かった!」

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