2-3 コーダ=ジェンパレート

 薄紫の空があった。首を僅かに動かすと、威圧的にノーザンを見下ろす城壁が目に入る。投げっぱなしの腕には、柔らかい植物の感触があった。

 体に刻まれた切り傷は、パキパキと音を鳴らしながら元通りになっていく。少しの間意識が朦朧としたが、今はひたすらに「眼を閉じるな」と直感が警鐘をならし続けている。

 草原のざわめきに混じり、足音が聞こえた。足音の主は、決まりきっていた。


 ノーザンは即座に飛び起きた。音の鳴る方へ体を向けると、赤紫の大地を映す鎧が、こちらへ向かってきていた。フランディアを統制する法の権化、コンダクターの鎧である。


「コーダ=ジェンパレート……!」

 名前を口にすると、彼は鼻を鳴らした。


「これで不審人物は二人目……我が居なくては警備も成り立たんのか」

 そう言うコーダの手には、細い少女の腕が乱暴に掴まれていた。パニック状態になった少女は、萎縮した瞳でこちらを見た。

「た、たすけて……!」


「っ、その子はどうしたんだ!」

 マズい、エリオンはもうコーダに見つかっていた。悪化していく事態に焦りつつも声を上げると、コーダは力加減もせずに掴んだ腕をこちらへ見せつけた。

「何、ただの不審者だ」


 コーダは、怯えたエリオンの腕を吊るし、淡々と言った。そして急にこちらへ顔を向け、エリオンの腕を手離した。

 腰が抜けきっていたエリオンは、その瞬間人形のように地面に崩れ落ちた。


「……そんなことよりも貴様だ!もしや、ヴァリスの呪い子ではあるまいか」

 コーダは、昂る感情のままに声を荒げた。

 冷酷な低い声。しかし殺意と興奮が入り混じるような、異様な調子だった。


「生憎だが、覚えがないな」 

「いいや、確かにそうだ」

 そう言うと、突然コーダは剣を振りかざした。ノーザンは咄嗟に硬質化した腕を構える。


 コーダは、剣を振るった。

「ぐっ……ッ」

 腕に凄まじい重みがのし掛かり、体が前に引っ張られようとする。瞬時に片脚を出して踏ん張ろうとした時には、既に重みは無くなっていた。

 呆然と一点を見つめるノーザンの耳に、ドサリと物体が落とされる音が聞こえた。


「な……」

「……然程でもない」

 コーダはゆっくりと、草原に転がった白い腕を拾い上げる。

 ノーザンは腕のある場所に目を移すと、やはりそこには断面だけが残っていた。腕からはだらだらと血液が流れだし、大きく心臓が跳ねる。


「ぐっ……ぁぁあっ!!」

 ノーザンは腕を落とされたことを理解すると、激痛が遅れて腕の断面を襲った。

 尖り続ける神経を奥歯で噛み締めるノーザンを余所目に、コーダは言葉を続けた。


「”白い獣”……二十余年前、オーリウの自警団の者が捕り逃したらしい。だが我は、その正体はヒトだと睨んでいたのだ」

 コーダは、刈り取った腕をまじまじと見て、後方に投げ棄てた。


「貴様が逃げ出した当時、民は恐怖に支配されたのだ。そしてフランディアまでの道程でも混沌を振り撒いたであろうことも、想像に難くない」

「何、だと……?」

 ノーザンは傷の塞がりきらない腕を抱えながらコーダの言葉を聞いた。しかし、予想外の話に耳を疑い、一歩脚を引いた。

「今更知らぬと云うか。貴様が殺されるのは危険因子であるためだ……逃げ惑えば民は脅える。迷惑千万、貴様が速やかに死ねばこうはならなかったと云うのに、だ」


 荒野が低く唸った。

 コーダは立ち上がり、背を正す。黒い鎧が、紅い夕景に焦げ付くようだった。


「我は秩序のため、ずっと貴様を殺したかった!」

 そう言って再度剣を構える。


 ノーザンはその巨体を見上げながらも、もう片一方の手を心臓にかざした。

「悪いが今、僕は何としても死ねないんだ!〈イブク〉――!」

 鼓動に触れた腕は、みるみる白く染まっていく。今までよりも大きく掻き立てる音は、腕の形状を荒々しく変化させた。


「清算し償うのだ……〈キル〉!」

 コーダは猛々しく剣を振り上げた。その瞬間を図り、握り締めた拳を側方に振り払う。

「はああああああっっ!!」

 強い衝撃。

 岩を打ったような重い音が響く。荒れる拳を剣の側面へ叩き付けると、切っ先が僅かに逸れてスーツの肩当てを削いだ。

 ノーザンの狙い通り、コーダの剣を振り上げる速度は遅い。そこからの重心の動きを観察し、ギリギリで剣を見極めることができた。


「この剛力、身体強化か……!」


 ノーザンの今の一撃で、剣は土に深くめり込んだ。

 この隙に懐に入り込めば、まともな一撃を入れることができる……!

 そう判断し飛び込んだが、すぐに横から切り返した刃が迫ってくるのに気付いた。予想外に早い追撃を、咄嗟に反対側に転がって回避する。

「ぐぅッ……!」

 しかし僅かに回避が足りず、残った腕に深い傷が刻まれた。


「貴様に逃げ場など在りはしない!」

 ノーザンがよろけたところに、コーダは背後から迫撃の剣を振りかぶる。


「逃げるだって……?」

 ノーザンは振り向き、脚を大きく踏み出した。大振りの構えに生じる隙に、コーダの懐に潜り込む。

 土のついたノーザンの顔が、コーダにかつてないほど接近した。

この至近距離なら間合いは詰まり、コーダの剣が届くことはない。ノーザンはそう考えた。


「――――ッ!!」

 しかし、まもなくして肩部に激痛が滾る。コーダは瞬時に剣を握り直し、ノーザンの腕に突き立てていた。

 ノーザンは苦しみに目を見開く。

 コーダは、ノーザンに残された一本の手が失墜する音を認識した。


 同時に、剣を握る篭手に重いものが乗った。

「……何?」

 地面に突き立てた剣の柄、握られた両手を、ノーザンに無い筈の腕が押さえつけていた。コーダが最初に切り落としたはずの腕が、バキバキと音を立てながらノーザンの肩から生えていた。

 ノーザンが注ぐありったけの怪力に、コーダは剣を引き抜くことができない。それどころか、じりじりと土に潜っていく。


「僕は逃げているんじゃないさ……生き延びて、回復して、強くなって……これは全部僕の布石なんだ!」


 ノーザンは剣を軸に跳躍し、空中で蹴りを放った。その脚は黒い兜に鋭くぶつかり、鈍い金属音を鳴らした。

「はあぁぁッ……!!」

 ノーザンは脚のひしゃげる痛みに耐えながら、更なる力を込める。

 こいつの体勢を崩せさえすればいい。そうしたら次の全力を叩き込める。腕と脚を何百本潰してでも、追ってこれない状態にしてやる。


「……何もかもが甘い――!」

 一喝、ノーザンははっと顔を強張らせた。

 気が抜けたその瞬間、ノーザンの体が浮き上がる。コーダは、抑え込む力が無くなった剣を、ノーザンの体ごと抜いて見せた。そして空に翳し、真っ直ぐノーザンの身を地に叩き付ける。


「ぐっ……はぁ…!」

 土くずが激しく散った。

 地面がへこむ程の圧力に、思わずノーザンの手が緩んだ。その隙をついて、コーダはノーザンを前方へ投げ飛ばす。


「―――〈キル〉ッッ!!」

 コーダは太刀を振るった。

 柄が捩じ切れる程の横回転が、コーダを世界の中心にして鋭い斥力を放つ。

 コーダの全身から奮われた全力が、滲み出る渇望が、剣身の幾倍も離れたノーザンに斬撃を届かせた。

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