2-2 約束
陽が傾き、人気がまばらになった住宅街、一軒の古屋の扉が音もなく開いた。
「おい、本当にやるからな!?」
プリモは、精一杯に力みながらダリアに確認した。
扉の中ではプリモがダリアとノーザンの背中を押し、そのプリモをジャックとキッドが押している。一見意味不明な状態だが、これがダリアの提案だった。
商店街でプリモとジャックが衝突した際に、ダリアはプリモがバケツに力を溜めてジャックに投げつける姿を見た。そのときのように自分たちの体に力を溜め込んで、壁外まで飛ぼうとしているのだ。
「これで失敗したら絶対骨折じゃすまねえぞ!?」
「望むところですわ!ノーザン様も離れないように掴まって下さいまし!」
ダリアはそう言って、ノーザンの腕をぐいぐいと引き寄せる。
「……君はどうして、これほど僕たちへ尽くそうとするんだ」
目を逸らしたままのノーザンは呟く。
「どうして、ですか?」
「これが危険な行動だと、君も分かっている筈だ。恩を返すほどの報酬も無い。それでも君が、僕らに歩み寄る理由はなんなんだ」
ノーザンの問いは、しばらく返ってこなかった。ノーザンが思わず振り向くと、小さく微笑むダリアと目が合った。
「もちろん、もっとたくさんのことを知りたいからですわ」
その言葉を聞いて、今度はノーザンが言葉を失った。
ノーザンが人に近づく理由は、いつも決まって「生きるため」だった。自分が死なないため、立ち向かうように人々に触れるのだ。かつてはそうでなかった筈なのに。
人に触れる度に凄惨に擦り減っていった気持ちを、当たり前にあった童心にも似た優しさを、彼女の一言に掬い上げてもらったようだった。
いつの間にかノーザンは、自分でも理解できない笑いを溢していた。
「……そうか」
「それに、報酬ならもう決まってるんですの。叶えてくださいますわよね?」
ダリアは皆の方を向いて、いたずらっぽく笑う。
「おい、もう充分”溜まった”!じきに飛ぶぞ!」
プリモが声を上げる。後ろで背中を押していたジャックとキッドは、静かに手を離す。
「報酬か……何としても叶えないとな」
「本当ですの!?……あら」
ダリアがぴょんと反応した瞬間、体がふわりと推進力を帯びる。プリモによって蓄えられた力が、徐々に解放され始めているらしい。
「動いた!このまま加速するぞ!」
プリモの一声で、ダリアとノーザンは開かれた扉へ吸い寄せられていく。自然と前へ踏み出す二人の足は、軽やかな駆け足へと変わる。
「ノーザン様!わたくし、皆様とランチを食べに行きたいのです!」
「……ああ、わかったよ。約束だ!」
ノーザンが言うと、ダリアは眼を見開き、瞳に夕日の輝きを映した。
ダリアは顔に喜びを滲ませ、胸に手を当てる。そして、沸き立つ思いを振り撒くように、自らの営みを発現させた。
「……〈マウ〉!」
そのとき二人は重力から解放され、心地よい浮遊感を纏う。
二人の脚は地面を蹴った。扉をくぐると同時に、二人の体は強い夕景に曝される。 ノーザンは小さく呻いたが、プリモによって与えられた推進力は構わず二人を空へ連れ出す。
急激に速度が上がり、空を貫くように斜めの線を描く。二人はそのまま、家と家の隙を縫うように突き進んでいく。
そのつもりだった。
「ノーザン様、前!壁が!」
明らかに進行方向が逸れている。プリモのエンタープライズ〈タメル〉の精度に問題があったのか、隙間から数十センチずれる形で壁が迫っていた。
「身を寄せてくれ。少し無茶をする」
ノーザンはそう言うと、ダリアを自分の胸の方へ抱き寄せる。そして丸めた背中を向けて壁に衝突した。
「ぐっ……!」
奥歯を強く噛み締め、受け身の体制で衝撃を横方向の力に変える。壁に手をついて家と家の隙間に滑り込んだ。
しかし乱暴に軌道を変えた影響で、体の重心が安定しない。暴れるように壁に体を打ち付け、壁面を転がりながら強引に推進していく。
「もう少しこらえてくれ……!」
ノーザンは腕を前方に伸ばす。それはパキパキとはぜる音と共に、白く歪んだ化け物のような腕に変化していく。人肌の柔らかさを失った腕は、壁面に擦り付けると木質をやするような音を上げた。
ノーザンは歯を食いしばり自らの腕を壁面に押し付け、跳ね回る体を必死で抑えつける。
「ノーザン様、腕を労って下さい……!」
「これでも肉叩きよりはマシだ!」
前方から勢いよく迫る障害物に手を着き、大きく飛び越える。その瞬間、ボロボロの体を西日が照らし出した。
涼しげな風が吹き、風に乗って若草の匂いが鼻に届く。そして前方には、遠くまで赤く染められた草原が広がっていた。
「や……」
二人が後方を見ると、今の障害物が街を囲う城壁の最上部だったことに気付いた。
「やりましたわ!」
「本当に超えた……」
ノーザンは城壁を見つめたまま、呆然と呟いた。しかし直ぐに、強い西日と体中のダメージから顔を歪ませる。
「ノーザン様!」
「すまない、影に隠れさせておくれ」
ダリアはノーザンの言葉に黙って頷くと、肘に掛けた深緑の日傘を開いた。
日傘はバサリと開くとふんわり風を受け止め、体に蓄えられた勢いを優しく奪っていく。二人は花弁のようにゆっくりと下降を始め、城壁で生まれた濃い影に体を潜らせた。
影の中で、降下を続けながらノーザンは溜め息をついた。
「ノーザン様、お体は無事なのですか!?」
「ああ……これだけ暗ければ直ぐに回復する。もう大丈夫だ……」
そう答える疲弊した白い顔のノーザンを、涙を潤ませながらダリアは見つめた。
「ご無事でよかったですわ~っ!!」
「―――離れてくれっ!」
ダリアが泣きつこうとするが、ノーザンはダリアを力づくではね除けた。
ノーザンはダリアを強く突き飛ばすと、すかさず腕を硬質化させて防御体制を取った。
「君は早く逃げるんだ!」
離れ離れの空中でノーザンが叫んだ瞬間、下方から発される殺気を、ダリアもハッキリと感じ取った。
ノーザンは風圧のようなもので吹き飛ばされ、後方の壁に叩き付けられる。そして、壁もろとも巨大な傷跡を抉り込まれた。
「ノーザン様!!」
ダリアは手を伸ばすが、勢いのままどんどん引き剥がされていく。必死で何かを叫びながら離れていくダリアを見送ると、ノーザンは重力に抗うことなく草原に落下した。
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