永遠
おおきたつぐみ
永遠
八月七日、旧暦の七夕の日。仙台七夕祭りの中日。
朝十時過ぎには私たちは仙台駅近くのアーケード街、クリスロード大町の入り口に立っていたけれど、通りはすでに大勢の人々で埋め尽くされていた。みんなこの日を、この祭りを待ち焦がれていたのだ。
「ああ、始まったね、七夕さんが」
隣を歩く
頭上に揺れる色とりどりの吹き流しは、和紙を染め抜いたもの、折り紙で丁寧に飾りを象られたもの、花飾り、折り鶴、扱う商品を模した飾りを付けたものなどそれぞれデザインが美しい。そして豪華な吹き流しが翻る中を笑顔で歩く佳海もまた、年齢を重ねてもなお美しい。
「このちゃん、結婚記念日おめでとう。さ、記念日デートの始まりだよ」
佳海が微笑んでそう言った。今日は入籍して五年目になる日だ。
五年前、長年の議論の末にようやく法改正されて同性婚が実現した。
佳海は高校三年生の時の初恋の相手で、初めて付き合った人だった。就職後、佳海と同居すると決めた時にプロポーズして指輪も渡したけれど、あの頃は入籍がいつできるのか、全くわからなかった。
佳海の父親がようやく私たちの仲を認めてくれた三十歳の時にパートナーシップ宣誓を行い、ふたりでウェディングドレスを着て、ホテルでお互いの両親と佳海の兄一家を招いてささやかな食事会を開いた。デコルテが大きく開いたドレス姿の佳海はまばゆいほどの美しさだった。私が選んだのは総レースのクラシカルなドレス。私のドレス姿を見て感激した母と同じくらい、佳海と佳海の母の
会社にも届け出て、私と佳海は公にパートナーとして認められたけれど、それでもやはり入籍はしたかった。佳海と私が確かに家族で、この先財産を共有していくためにも、どちらかにもしものことがあっても安心していられるためにも必要だった。
だけどいざ同性婚が可能になり、佳海からいつ入籍しようかと聞かれた時、私はかすかな不安を感じて言葉に詰まってしまった。
「……このちゃん、もしかして気が乗らないの?」
「そんなことないよ、今までずっと入籍するのを夢見てきたんだから」
すぐに答えたけれど、佳海には私の気持ちなんてすべてお見通しだった。佳海は優しく微笑んで私を抱き締めた。
「ずっと夢見ていたことが叶う時って、嬉しいと同時に不安なものだよ。それまでの目標が消えて、この先何を目指して生きていけばいいのかわからなくなるから。でも大丈夫。このちゃんの次の目標はもうあるよ。私といつまでも仲良く幸せに生きていくこと、わかった?」
佳海の体温が胸の奥の不安を拭い去っていくのを感じて、私は頷いた。
「入籍したい日はもう考えていたの……八月七日」
「七夕さんの日ね。このちゃんはいつまでもロマンチックね」
ふふっと笑う佳海に私もそうでしょ、と笑った。でも本当は――。
「佳海、足痛くない? しんどかったら言ってね」
「平気平気。毎朝ウォーキングして鍛えているもの」
佳海は今年五十歳になった。このちゃんと呼ばれている私は五十一歳だ。高校三年生の秋に佳海と思いが通じ合ってからもう三十四年、ふたりとも年を取った。変わらないところも多いけれど、変わったところも多い。私は昨年秋に
「あー、やっぱりいいね、七夕さんは。みんなが幸せそうで」
仙台生まれのように、佳海は七夕祭りを七夕さんと呼ぶ。
「佳海は本当に七夕祭りが好きだね」
「仙台が好きなの。街路樹だらけでうっそうとしているところも、何かと伊達政宗を持ち出してプライドが高い県民性も、それでいて七夕飾りをいそいそ準備しているピュアなところも」
「ちょっとちょっと、さりげなく仙台をディスってるよ。高校生の頃の佳海は、牛タン大好き、ずんだ餅大好き、萩の月大好き、だから仙台に住みたいって言っていたのに」
「……このちゃんがいるからだよ。大好きなこのちゃんが生まれ育った場所だから、仙台が好き。もうすっかり私の故郷でもあるし」
生意気なことを言うかと思えば、急に可愛いことを言う。これだけ一緒に暮らしてきても、いまだにときめいてしまう。
「私も佳海が来てから、仙台も七夕祭りももっと好きになったよ。仙台は東京みたいにおしゃれなお店もないし、テレビ番組も少ないし、七夕祭りは青森のねぶたのように動くわけじゃないし、迫力もなくて退屈だと思っていた。でも佳海が、呉服屋さんの紙衣は本物の着物みたいだ、鞄屋さんの巾着はちゃんと留め金まで凝っている、カフェの七夕飾りにはコーヒー豆が付いていて可愛いっていちいち感動するから、こんなにも人々の思いが込められた祭りがある街って改めて素敵だなと思うようになったの」
「うん。七夕さんは仙台っ子の誇りだよね」
話しながら歩いていると、先生! と呼ぶ声と共に紫色のワンピースを着た若い女性が佳海に向かって走り寄ってきた。きっと佳海の大学の教え子だろう。佳海は母校である東北大学の理学部で講師をしている。軽く会釈をしてから少し離れたところにあるベンチに座り、楽しそうに話している佳海を見つめていると、鞄の中のスマートフォンがメッセージの到着を告げた。
見てみると、佳海の兄の娘、つまり私たちの姪である大学生の
女同士の私たちふたりは、生物学的な親にはなれなかった。その分、佳海の兄、
華たちが佳海に似て利発で、余りに愛しかったので、佳海が子どもを産んでいたらこんな子たちだったろうか、佳海も母になりたかったのではないかと考えがちだったけれど、ある時佳海はこう言った。
「子どもって親だけでは育てられないと思う。親、そのきょうだい、親戚、地域の人、学校の先生、いろんな大人と関わって子どもは育っていく。私自身そうだった。このちゃんのパパママにもたくさん愛情をもらって支えてもらって今がある。
そして、私たちには華と真太郎がいるし、私は大勢の教え子たちがいる。このちゃんには会社に大勢の後輩や部下がいるでしょ。だからこのちゃんも私も普通の親以上にたくさんの子どもたちを育ててきたんだよ。それってすごく幸せなことじゃない?」
そう、私は幸せだ。佳海と出会えて一緒にいられるんだもの。
私の祖母、真希子と佳海の祖母の千佳さんは四十代の時、千佳さんの旅行ブログで子どもがいる主婦同士で出会い、友人として親しくなり、お互いを理解していくうちに深く愛し合うようになった。一年に一度ふたりで日本各地を旅して愛を繋ぎ、いつか一緒に暮らしたいと願っていたけれど、千佳さんが六十五歳の時に突然心臓発作で亡くなり、それから十九年間、祖母は恋しい人を思いながら生きた。
祖母が亡くなった時、中学生の私に祖母たちの恋について教えてくれたのが千佳さんの娘である成海さんだった。成海さんは千佳さんの死後、母の秘密の恋――私の祖母との関係に気づき、何年もかけて受け入れて祖母に本当の娘のように尽くしてくれたし、祖母の死後はおばあちゃん子だった私をずっと支えてくれた。祖母の生前から成海さんは時折子どもたちを連れて遊びに来てくれたから、私と佳海は幼なじみとも言える。子どもたちの成長と共にひとりで祖母のお墓参りに来るようになったけれど、私が高校三年、佳海が二年の夏休み、成海さん一家が東北への家族旅行で仙台に立ち寄った時に私たちは再会した。
佳海は夏の太陽をまっすぐに見上げるひまわりのような女の子だった。無邪気で素直で、祖母と同じように同性の佳海に惹かれる気持ちを閉じ込めようとした私の心に、光を差し込んでくれた。
夏の終わりに佳海から告白された時、嬉しかったのに祖母たちのような悲恋になるのが怖くて、私は友情として誤魔化そうとした。それでも佳海は私にもう一度告白するために、親に黙って千葉県から長距離バスに乗って仙台に来て私の高校前で私を待ち続けた。その思いの強さにようやく私も佳海が好きと打ち明けることができて、祖母たちがお揃いで持っていたスノウ・ドームのひとつを佳海に渡し、遠距離恋愛が始まった。
佳海の驚きの行動力はそれだけでは終わらなかった。私の側にいるために猛勉強し、東北大学に合格したのだ。私は私大に進学し、卒業後は通信会社に就職して、仕事に慣れた頃に実家を出て佳海との同棲を始めた。それ以来私たちは、私の三回の本社勤務期間以外はずっと一緒に暮らしている。もちろん祖母たちのふたつのスノウ・ドームも一緒に。
「このちゃん、お待たせ」
そっと肩に手を置かれて顔を上げると、佳海が笑顔で私を見下ろしていた。横には佳海が話していた若い女性がにこやかな表情で立っている。
「私の妻のこのみよ。このちゃん、彼女は三月まで私の研究室にいた竹原さん。卒業後は東京で働いているの」
妻と紹介されるたびに私はいまだにドキッとしてしまう。佳海と一緒にいて偏見の目で見られたこともあったし、同性婚が認められたとは言え、まだ私は人前で佳海を妻と呼んだことはほとんどない。結婚についても限られた信頼できる人にしか報告していない。でも佳海はいつも堂々と私を妻だと紹介してくれる。それはやはり嬉しかった。
「初めまして、竹原です。先生には卒業まで大変お世話になりました」
竹原さんに手を差し出され、慌てて立ち上がって彼女の手を握る。竹原さんの目には好奇の色は一切無かった。
「今日はおふたりの結婚記念日だと伺いました。素敵な一日になりますように。先生、お似合いのパートナーさんで羨ましいです」
「ありがとう。竹原さんもお仕事頑張ってね」
ぺこりとお辞儀をして彼女は去って行った。見送っていると、どこかで待っていたのか彼氏らしき男性が彼女に寄り添って歩いて行った。
「待たせてごめんね。竹原さん、東京でうまくいっているか心配だったから、元気そうで安心して話が弾んじゃった」
竹原さんの後ろ姿を見つめる佳海の目は、優しい保護者そのものだった。いつもこんな目で学生たちに接しているのだろう。学生たちがちょっと羨ましい、なんて思っている自分に気づき、慌ててスマホを佳海に見せた。
「そういえば、華からメッセージが来ていたよ」
佳海もスマホを取り出して画面を操作する。
「本当だ。結婚記念日のお祝いか、華はこういうの絶対忘れないよね」
〈おかげさまで五回目の結婚記念日です〉
そう打ち込んだかと思うと、佳海は私の肩を掴んで引き寄せ、笑ってと言いながらスマホを向けた。カシャッと撮影音がして、吹き流しを背景に頬を寄せた私たちがスマホの中に閉じ込められる。
私のスマホが震えたかと思うと、グループ画面に私たちの画像が表示された。佳海は華なみに操作が早い。
〈今年も七夕デートしているんだ! 相変わらずラブラブだね〉
華がすぐに反応してくれる。私も慌てて〈ありがとう〉と猫がお辞儀をするスタンプを押して〈また遊びに来てね〉と書き添えた。
「さ、行こうか」
佳海が私の手を握る。年を取ってよかった点のひとつに、佳海と手を繋いでいても人々にスルーされるようになったことがあった。若い頃は驚いたように二度見されたりしたから、私は街中で手を繋ぐのを避けた。手を振りほどくたびに佳海がしょんぼりするので胸が痛んだけれど、どこで仕事関係の人に会うかもわからないのだ。でも、四十代後半からは佳海から手を握られてもそのまま歩くようになり、佳海は満足そうにしている。
マーブルロードおおまちと一番町商店街の交差点には、東日本大震災からの復興を願って小学生たちが折った八万五千羽の水色と白の折り鶴が、一辺が六メートルを超える巨大な立方体となって吊されていた。空の青と雲の白に統一された鶴の美しさと荘厳さに誰もが足を止めて撮影している。
七夕とは、人々の願いが込められる場なのだと改めて思う。平和、復興、商売繁盛などの普遍的な願いから、家族の健康や志望校合格、子どもの成長、恋人との未来などのささやかで切実な願い。だからこそこんなにも美しい。
交差点を右に折れて一番町商店街を進むと、短冊が書ける場所がある。そこも私たちの定番のコースで、書き込む願いも毎年ほとんど同じものだった。
――いつまでも佳海と健康で幸せに暮らせますように。
隣で書いている佳海もきっと同じ願いなのだ、書かれる名前が私の名前になるだけで。
係の女性に短冊を渡し、また並んで歩く。
「いつまでも健康で幸せで……って、若い頃は当たり前すぎたけれど、年々真剣味が増していくよね。私もまさかの骨折したし、このちゃんも手術したしさ。ずっと生理で苦しんでいたんだろうに、私は妻で同じ女で一番側にいるのに、なんで気づかなかったんだろうって悔しくって。このちゃんもちゃんとお腹が痛いとか言ってくれたらよかったのに!」
「ごめんってば。生理なんて女ならみんな多少はしんどい思いしているから、こんなものなんだろうと思っていたのよ。人間ドックでも貧血ではあるけれど治療する程ではないって言われていたしさ……」
だんだんと興奮してきた佳海から目を背け、私は何度目かわからない言い訳を再びごにょごにょと言う。
女同士で暮らしているからといっても生理まで見比べたりしないし、期間中はお互いに同じように眠気や腹痛があるので、特に自分の生理が重たいとも思っていなかった。ただここ数年、ピークの時の出血量が増えてごくために服を汚してしまうことがあったけれど、毎年受けている会社の人間ドックでは子宮に異常はなかった。年々貧血の数値が悪くなったものの、ドック後の医師の診断でも、もともと低血圧だしそういう体質なのでしょうと言われるだけだった。たばこも吸ったことがないし飲酒もしないので自分は健康だと思い込んでいたのかも知れない。佳海は毎日晩酌するしお菓子も好きだから、むしろ佳海の身体を心配して口うるさく言ってきた。
そんな私が突然倒れたのは昨年秋の夕方、会社でだった。生理のピークが来ていたので念のために夜用のナプキンを使っていたけれど、長い会議が終わって立ち上がった瞬間に一気に出血する感覚と鋭い腹痛を感じ、そのまま意識が遠のいた。二時間後に目が覚めると市民病院のベッドで、医師からの説明で初めて自分が卵巣嚢腫を患っており、出血量が多い過多月経になっていたため貧血が進んでいたことを知った。
スマートフォンで佳海に電話すると、連絡が取れずに心配していた佳海はすぐに駆けつけてくれた。病室に入ってきた時の佳海の表情は忘れられない。私を失うかも知れないという恐れと、緊張と。私の顔を見た瞬間、子どものようにわああと泣き崩れた佳海を抱き締めながら、祖母のように佳海をこの先何十年もひとりにしてしまう可能性もあったのかと思うと、私も震えるほど怖かった。
そのまま入院し、翌日改めて診察を受け、右の卵巣に子宮内膜症のひとつであるチョコレート嚢胞ができており、放置しておくとがん化の恐れもあると説明されて嚢胞の摘出を決めた。手術の同意書に家族として佳海が署名した時、結婚していて本当によかったと思った。手術は無事に終わり、貧血の治療にも取り組んだので、数値はだいぶ良くなった。
佳海は若い頃からよく食べ、よく寝ていつも元気な人だった。その佳海が転んで骨折した時は、やはり重ねた年齢を痛感させたので佳海はひどく落ち込んだ。手術は日帰りで済み、私は自分の時のお返しとばかりに佳海の身の回りの世話をした。幸せだったし、普段学生たちに囲まれている佳海を独り占めできて嬉しかった。こうして私たちは共に老後を迎えるのだ。祖母たちとは違う、この先もずっとふたりで続く未来。
一番町の端まで出ると緑豊かな定禅寺通りを渡り、県庁前からバスに乗って、私が通っていた高校に向かった。
この記念日のデートコースは、入籍した時に佳海が決めた。
「毎年結婚記念日にはふたりで七夕さんをゆっくり満喫してから、このちゃんの高校に行った後、このちゃんパパママに会いに行きたいな」
「七夕祭りはわかるけれど、普通、素敵なディナーとかじゃないの? なんで私の高校なんかに行きたいの?」
「私が仙台で最初にこのちゃんを待ってた場所だから。何があっても、あそこに行けばあの時の、このちゃんを大好きな気持ちを絶対に諦めないって誓った気持ちを思い出せるから」
そう言われたら頷くしかない。
いつも明るく前向きな佳海と、争いごとを好まない私ではあるけれど、長い年月の間には何度かケンカもあった。
私が最初に東京本社に転勤した二十八歳の時のケンカが一番深刻なものだった。初めての本社勤務、初めての東京生活に私はいっぱいいっぱいになっていた。やはり支社と本社での仕事は同じ営業分野であっても扱う規模が違うし、全国に展開する企画を一から作り上げるのも初めてだった。やりがいもあるけれど苦労も多く、企画も調整も何段階も必要で毎日時間が足りなかった。終電を逃して会社で寝たり、なんとか家に帰っても佳海に連絡する余裕がない時期が続き、佳海は寂しさを募らせていた。二ヶ月に一度は仙台へ帰省するか、佳海が東京の私の家へ遊びに来てふたりの時間も確保しているつもりだったけれど、佳海には足りなかった。
六月の私の誕生日当日、また新しいプロジェクトが始まったので私は仙台に帰れず、佳海を呼ぶこともできないほど忙しくしていたけれど、佳海はなんと内緒でプレゼントを持って東京に来て、本社のビル前で私を待ち続けた。まさに高校時代の行動力そのままだった。
そんなことも知らない私は相変わらず夜遅くまで働いていたけれど、チームのひとりがSNSを見て私の誕生日だと気づき、みんなで飲みに行こうと提案した。私を待ち続けた佳海が見たのは、他のメンバーに少し遅れて私が男性の先輩と〝親密そうに〟並んで出てくる姿だった(もちろん誤解)。出て行って泣き叫びたい気持ちをなんとか抑え、佳海は電車を乗り継いで私のアパートへ向かうと、私が渡していた合い鍵で部屋に入ってじっと私を待った。日付をかなり超えて普段は飲まないお酒で酔っ払った私が帰ってきてから、地獄のようなケンカになったのは言うまでもない。
あの時は私の配慮が足りなかったと思う。寂しいのは私も同じだし、慣れない場所、慣れない仕事で大変な思いをしているのだから理解して欲しいとばかり思っていた。だけど、ふたりで住み慣れた家でひとり残されて私を待つ佳海がどんな思いでいるか、甘えん坊の佳海の方がよほど寂しいことくらい想像すべきだった。
それからもいろいろあったけれど、あれほど大きな衝突は起きていない。でも日々の暮らしの中でどうしても気持ちがささくれ立つ時もあるから、こうして年に一度、結婚記念日に私たちの恋の始まりの場所に行くのは大切な行事になった。
バスに三十分ほど揺られ、高校前の停留所で私たちは降りた。毎年来ているのにやっぱり懐かしい。佳海が校門横に生えている
「この木の陰で私は三時間もこのちゃんを待っていたの。なんて一途で健気なんでしょう。それなのにこのちゃんはとっくに帰っていただなんて」
「佳海がいたら絶対気づいていたはずよ。でも、運命の悪戯であの日はいつもより早めに帰ってしまったの。悔やんでも悔やみきれないわ」
私も大げさに嘆いて見せる。これも毎年繰り返される会話だ。
笑い合いながら校舎へと続く坂道を一緒に登り、玄関前の円形の花壇を取り囲むように設置されているベンチに並んで座ってグラウンドを見渡した。在校生たちが野球やサッカーの部活練習をしている。校舎からは吹奏楽部の楽器の音色が響いていた。私がいた頃と変わらない風景だった。
「ああ、私もここに通いたかった。仙台で生まれてこのちゃんとずっと一緒に育って、もっと早くからこのちゃんと付き合いたかった」
子どものように足をぶらぶらさせながら佳海が言う。
「ずっと近くにいたら、私なんて好きにならなかったかも知れないよ」
「そんなことない。どんな時のこのちゃんに出会っても、私は絶対にこのちゃんを好きになっていたよ。それが私の運命」
そう言いながら、佳海ははっとして私を見つめた。
「私がここに来た日、このちゃんに誓った言葉を覚えている?」
「〝私が一生掛けてこのちゃんに運命も永遠も信じさせてあげる〟」
あの頃、運命を恐れ、永遠を信じられなかった私に佳海が告げた言葉。あれからずっと、花火のようにきらめきながら私の胸にある言葉。
「……私、ちゃんとできてる?」
「もちろん。佳海は毎日好きとか愛しているとか言ってくれるけれど、これからもずっと聞きたいし、私も全然言い足りない。それが私の永遠。佳海に出会ってから三十四年間、佳海だけが好きだし、これからも佳海だけを愛していく。それが私の運命だって信じている」
「ありがとう……このちゃん、愛してる」
微笑んだ佳海の目尻に涙がにじんでいた。
「でも……お腹空いたね。ミルキーウェイに行こうよ」
涙を見せたかと思えば、すぐにこんなことを言うので私はなかば呆れつつ笑ってしまった。ミルキーウェイは校門を出て道を渡ったところにある在校生行きつけのファミリーレストランで、佳海のお気に入りでもあった。
「もう、せっかくの記念日なのにファミレスなんて……」
そう言いながらも校舎を後にして坂道を下っていくうちに、懐かしいメニューを思い出してお腹が鳴っている。こんな平凡で飾らない記念日が、私たちらしい。
ランチに佳海はハンバーグセット、私はパスタセットを食べた後、私の実家に寄って父母とおしゃべりを楽しんでから再びバスに乗り、中心部に戻ってくる頃にはもう日が傾いていた。疲れたのだろう、バスに乗るとすぐに眠った佳海はぱっと目を開けると、もう一度七夕さんを見たい、と言って電力ビル前でボタンを押した。
クリスロードは午前よりさらに見物客が増え、さざめきが波音のように反響していた。はぐれないように佳海の手を握り、仙台駅に向かって歩く。
「ねえ、このちゃんが今日を入籍日に選んだのは、いつかどちらかが先に死んでしまっても、今日ならみんなが笑顔だから、残された方も寂しくないだろうって思ったからじゃない?」
「――わかっていたの?」
驚いて佳海を見ると、えへへと照れくさそうに笑う。その通りだった。人々の笑顔と願いと、私たちの思い出が詰まったこの日なら、たとえひとりでも笑顔になれる。だから仙台七夕の日を記念日に選んだのだ。
楽しげに吹き流しを見上げながら歩く数え切れないほどの人々の中で、佳海のほかに誰がここまで私の気持ちをわかってくれるだろう。たったひとりの相手と出会えて愛し合えた奇跡。
「……佳海はやっぱり私の運命の人だよ」
うん、と頷いて佳海が私の手をぎゅっと握る。
「私たち、運命で結ばれているから死んで生まれ変わってもまたきっと出会えるよ。でも、できるだけ今の私たちで一緒に七夕さんを見たいから、お互い体に気をつけて長生きしようね」
「じゃあ、早速今日から佳海は休肝日開始ね……と言いたいところだけれど、久しぶりに牛タン食べに行っちゃおうか? 特別に地酒もセットで」
「いいの? もう胃もたれするから食べないって言っていたのに」
しばらく封印されていた大好物を思い出し、佳海の目が嬉しそうに輝く。
「うん、今日なら大丈夫な気がする」
本当? と言いながら佳海が笑う。その笑顔が心から愛おしい。
私たちの運命は永遠に続いていく。
私たちはそう信じている。
(終)
永遠 おおきたつぐみ @okitatsugumi
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