karam(からん)

 水平線がどこまでも続く、ひたすらに広い海へ出た。太陽の光が反射した水面が眩しくて、思わず目を細めてしまう。深い森を彷徨って数か月、やっと海に抜けることができた。大変、清々しい気分である。

 目を凝らすと、遠くで人魚が緩やかに泳いでいるのが見えた。私たちの気配に気づき、彼らはあっという間に逃げていく。何か危害を加える気は全くないのだが、警戒心が元々強いので仕方ない。人魚たちがいなくなり、海に静寂が訪れる。

 突然、ワンッと鳴き声が響いた。その正体は、私の隣に座っている楓(ふう)である。私が楓の頭を撫でると彼は目を細め、尻尾を振った。

 楓は白い大型犬だ。額に赤い模様のある、神様に選ばれた特別な犬。私が村を出る前から、ずっと一緒に居た相棒だ。

 私は、しばらく無言で海を見つめていた。楓も微動だにしなかった。ただ、やわらかい風が吹き抜けていく。目の前には青しかない。ひたすらに静かだった。


 いつまで無言で居たか。突然、楓が腰を上げた。小さく唸っている。私は、何事かと眉をひそめた。


 海底から、湧き上がるような鈍い音が響く。少し遠くの水面が徐々に盛り上がっているのが見えた。そのまま、どんどん盛り上がりは大きくなっていく。水面が弾け、多くの水しぶきが湧き上がる。

 私は目を見張った。出現したのは鯨だった。ありえないほどに巨大な鯨。

 スローモーションのように、鯨はゆっくりとジャンプをする。その鯨は見たこともない不思議な鯨だった。

 頭から尾まで多くの模様が刻まれている。よく見ると、模様だけでなく、無数の文字も刻まれていた。大きいものから小さいものまで。隙間もないほど、おびただしく刻まれた模様。しかし、読むことはできない。どこの文字だろうか。私は息を吸うのも忘れ、見入っていた。

 巨大な鯨は大きな水しぶきを上げ、海の中に再び入っていく。細かいしぶきが私たちの方まで飛んできた。ミストのようで気持ちよかった。

 鯨は、ゆっくりと帰っていく。尾の先が海に入り、完全に消えた。


 先ほどが嘘のように無音になる。水面さえも、揺れていない。


 私は思い出したように顔の水滴を払った。夢でも見ているかのようだった。

横では楓が身震いをして水を飛ばす。楓の飛ばした水滴が、真横の私に降りかかった。私は、再び顔に付いた水滴を払う。私への配慮をしてほしいものだ。

 楓は水を飛ばし終え、満足したみたいだった。何事もなかったかのように、すたすたと歩き出す。彼はしばらく進むと振り返り、私を急かすように鳴いた。

 私は小走りになって、楓のもとへ行く。最後に、もう一度海を見た。ただ音のない広い海がそこにはあった。

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karam(からん) @karam920

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