第3話

ピクニックというよりフルコースのディナーのようだと、満足気に笑顔を見せる彼に私も思わず微笑む。


「今度は広々とした青空の下で出来るといいね」


そう言って青空など在りもしない天井を見上げながらも、彼の瞳はその情景を描いているようだった。私はつられるように天井を見上げながら、訪れる筈のないその未来を切望する。


「ええ、その時はご一緒しても?」


そう問えば、彼は少し驚いた表情を浮かべつつも、どこか嬉しそうに微笑みながら口を開いた。


「勿論」


その柔らかな笑みは、どこかあどけない幼い頃の表情を彷彿とさせた。





拘禁棟へ移動してから約一ヶ月が経過した。少年はクローン化実験の被験者として様々なテストを受けては、数え切れないほどの管に繋がれる日々を過ごしている。自由など一切無く、常時モニターで監視されているその表情は日に日に衰弱しているように感じ、焦燥感だけがどんどんと募っていく。そのくせ私は不安で満たされた感情を胸に、ただひたすら少年へ声をかけることしか出来ず、自分の無力さに嫌気が差した。


『おはようございます』

_おはよう

『今日はとてもいい天気です』

_そっか

『お身体の具合は如何ですか』

_大丈夫だよ

『痛いところはありませんか』

_うん、大丈夫


私が問いかけると、少年は笑顔を浮かべながら気丈に答えた。しかしながらその健気な笑顔も次第に力ないものへと変わっていき、遂には虚ろな表情を浮かべる時間が如実に多くなっていく。私はまるで足掻くように、せめて少年の思考が停止しないよう必死に声をかけ続けた。


それからどれほどの月日が経過しただろうか。ある日、とうとう少年のデータ抽出と分析が完了したと研究員達より知らされた。クローン化実験の被験者として連れられてきた少年。その遺伝子はやはり優秀なもので、その片鱗は少年と過ごした日々の中で幾つも垣間見ることができた。優れた知性と秀でた記憶力、的確な判断力を持ち合わせ、コミュニケーション能力も高い。きっと少年は生まれ持ったその高い知的好奇心によって、今よりもずっと幼い頃から図鑑や書物など様々な知識に触れ、より一層その能力を上げていったのだろう。


そのおかげで私は名前を授かり、そのせいで少年は自由を奪われたのだ。


研究員達曰く、少年のデータを分析したところ、20代後半から30代が知的能力及び身体的能力において高い結果を齎したらしい。よってその年齢時を基盤にクローンデータが作成され、同型のアンドロイドへと組み込まれるのだろう。

私はその結論を少年へ伝えるべく、足早に拘禁部屋へと向かう。実験中は立ち入り禁止であった為、私は逸る気持ちを抑えるのに必死であった。道中、少なからず笑顔を浮かべていた実験前の姿を思い描きながら、私はひたすらに歩みを進め、辿り着いた拘禁部屋のロックを解除する。

するとそこには無機質な部屋の中で項垂れるように座り、その身体は数多の管によって幾つものモニターと繋がれている少年の姿があった。痛々しいその姿に私は胸が引き裂かれるような気持ちになる。一番辛いのは少年だというのに情けない。


私は少年の元へ近寄り、そっと声をかけた。


『…おはようございます』


すると少年は虚ろな瞳をゆっくりと動かし、こちらを向くと、おはようと今にも消え入りそうな声で返事をした。私は込み上がる涙をぐっと堪え、少年の頬に触れる。まるで機械のように冷えたその小さな身体を温めたくて、私は管ごと少年を抱きしめた。自分の方こそ機械であるというのに、そんなことすら忘れ、私はただひたすらにその身体を包み続ける。すると少年は小さくクスリと笑ってから、温かいねと微かな笑みを溢し、その瞳から一筋の涙を流した。その涙を見た私はより一層抱き締める力を強め、少年に見えぬよう涙を流す。


それからどれほど時間が経過しただろうか。私は少年からそっと離れ、改めてその表情を伺う。すると虚ろであった瞳は微かな意志を持って私を捉えていた。私は少年の様子を気にかけながら、ゆっくりと実験の結論を話し出す。すると少年は、そっかと反応してから、このまま実験が成功すれば大人の僕に会えるんだねと笑みを溢した。なんだか楽しみだなと、気丈な態度で話す少年に、私は堪らず本心を伝える。


『どうか…お気を遣わないで下さい』


すると少年は微かに驚いてから、まるで言葉を選ぶようにゆっくりと考え始める。そしてしばらくすると、少年は努めて微笑を浮かべながらも、時折苦しそうに口を開いた。


できることなら、僕は僕自身で大人になりたかった。仮想では無くて、自分自身が確かに歩んだ軌跡で僕は大人になりたかった。


私は初めて少年の真意が聞けた気がして、思わず涙を溢した。すると少年は慌てたように、ごめんね泣かないでとそっと私の涙を拭う。その優しさに涙は止まるどころかボロボロと流れ、すみませんと私はひたすらに少年へ謝り続けた。


数日後、少年のクローンデータがアンドロイドへと取り込まれる実験が行われた。研究員達が緊張した面持ちでずらりと集まり、粛々と作業を開始する。彼らは何度もシュミレーションを繰り返したようで、その甲斐あってかエラーが発生することなく実験は無事に成功した。歓喜に沸く研究員達は揃って涙を流すが、私はその涙がくすんでいるように見えてしまい歓喜に賛同など出来なかった。研究員達によると、このまま順調に行けば、誕生したクローンアンドロイドの動作確認を一通り済ませ、幾つものテストを行い、最終エラーの発生が無いことを実証し終えると、晴れてクローンアンドロイドは実働するらしい。まだまだ長い道のりだが、きっと成功させてみせると研究員達は目を輝かせていた。クローン化実験について賛同できない私であったが、少なくとも少年がその身を削って尽力したデータを無駄にすることがないよう研究員達に強く依頼した。きっと失敗してしまえば、少年は再度同じように扱われ、今度はその美しい命を奪われてしまうだろうから。


私は少年の元へ訪れ、実験の経過を説明した。順調に進んでいく実験に、少年は良かったと溢す。その言葉の真意は果たして如何なものであるのか、私は知り得ることが出来なかった。大人の自分に会えることか、実験が成功していることか、それとも同じ苦しみを味わなくて良いことか。


しばらく沈黙が続いた後、徐に少年は私へ視線を移し、お願いがあるんだけど良いかなと溢す。私はそんな少年へ勿論ですと答え、か細い少年の言葉を待った。


あのね、僕の名前を呼んで欲しいんだ


ここに来てから一度も呼ばれていないから、自分がどうにかなってしまう前に聞いておきたいと。少年が自身の未来についてそんな風に思っていることを知り、息が詰まるほど胸が痛んでしまう。

私は涙を堪え一呼吸置いてから、少年の名前を大切に愛おしく口にした。ゆっくりと溶けるように響くその名前は、実に少年らしくて素晴らしいものであると私は思う。


『…素敵なお名前ですね』


すると少年は、ありがとうと優しい笑顔を浮かべて見せた。


それから数日後、クローンアンドロイドの最終確認が無事に完了し、とうとう実働するとトップ達より通達を受ける。そして私は少年の元を離れ、クローンアンドロイドの監視に付くよう命令された。どうやら少年へは別の監視型アンドロイドが充てられるようで、私はどうしてもその点だけ譲ることが出来ずにいた。

私はすぐさまトップ達へ私自身のクローンアンドロイドを生成して貰うよう依頼した。当然、理由を問われたが、これまで見てきたデータを保持したまま監視に当たった方が良いと適当な理由付けをし、たとえ却下されようとも何度も何度も頭を下げ続けた。すると私の熱量を受けたのか、トップ達は渋々私のクローンアンドロイドを生成し、少年の監視役へと任命した。


『…ずっと側にいると、約束しましたから』


私は私のクローンアンドロイドへ、少年を頼みますよと告げてから、少年のクローンアンドロイドが保管されている重要庫へと歩みを進めた。

するとその道中、ブランラル研究所内にトップ達からの通信音が響き渡る。その内容は、クローン化実験の著しい被験者不足についてであった。優秀な被験者をこれ以上損失するのは、最終目標を達成しうる為に最も避けるべき事項だと判断し、一時的に被験者となる対象者を変更するという。クローン化実験の成功率が安定化されるまで、既に失われた生命体のデータを使用するらしい。そして既に優秀な被験者よりクローンアンドロイドとなった者は、数多の失われた生命体の中から良質なデータを選別するようにと、最後に命令が下った。


私は一度立ち止まり、その命令を整理する。つまり少年のクローンアンドロイドは、実験に使われる側から使うデータを選ぶ側へと転身したのだ。するとすぐさま私のプログラムには、その生命の選別を行う部屋へのルートが追加され、使用方法から業務内容まで記録された。


私は一つ息を吐いてから、少年のクローンアンドロイドが待つ重要庫へと再び歩みを進めた。そして複雑なロックを解除し扉を開けば、少年のクローンアンドロイドが姿を現す。当然骨格は成人男性であるが、その表情は少年の頃の面影がしっかりと残されていた。

私は瞳を閉じたままのクローンアンドロイドを見つめながら、起動の合図とされている言葉を口にする。


『おはようございます、空様』


私は少年の、そして彼の名前を大切に呼ぶ。すると私の声に反応したクローンアンドロイドはその瞳を開き、私に優しい笑顔を浮かべてから、おはようと答えたのだった。

その表情は少年の頃と変わらぬ温かなものであり、私はその笑顔を心の底から愛おしいと感じるのであった。


そして少年のデータが幽閉されているこのクローンアンドロイドの中に、私はいつだって想いを馳せ、愛しむのだろう。


『空、…素敵なお名前ですね』




レストランの食事を満喫し、さて、そろそろ戻ろうかと彼が席を立ったので、私も彼に合わせるように立ち上がる。それと同時に私の心情は酷く落ち込むばかりだった。何故なら、レストランを出てしまえば午後の業務が始まってしまうから。それは決して業務が嫌だからではなく、転機となる重要な午後であるからだ。


そう、今日はこれまで何度も繰り返された、彼が少年だった頃の彼に出会う重要な一日である。


同一人物である二人が相対する時、それぞれの個体にどのような反応が起きるのか。そして更なるクローン化は可能であるのか。クローンアンドロイドを生成するクローン化実験と同時に進められているもう一つの検証実験。

真実に辿り着いた彼のクローンアンドロイドは、その検証実験を何度も行うため再び振り出しに戻り、幾度も同じ日々をボロボロになるまで繰り返す。

そして最終的には記憶を失い、その身を無惨にも破壊され、少年のデータは新たなアンドロイドへと取り込まれるのであった。



「さて、はじめようか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閉ざされた空に愛をみる 藤雲 @fuzikumo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ