第2話
「そういえば、ここのスタッフも大半がアンドロイドだったかな」
「ええ、調理に特化したタイプが主となって従事しています」
「そう、色んなアンドロイドがいるんだね」
私達は一糸乱れぬ動きで規則正しく歩き回るアンドロイド達を眺めながら、ピクニックと銘打った豪華な食事を堪能する。時折その味や見た目に感嘆の声をあげる彼の姿を見て、私はある筈のない心というものが満たされていくのを感じた。体温など存在しないのに、心地よい温もりが身体中を巡り、此方まで嬉々としてしまうような、そんな不可思議な感覚に私のプログラムはエラーだと警鐘を鳴らす。
「(鬱陶しい)」
私はいつまでも流れ続けるエラーコードを無理矢理に消去して、優しく微笑みながら彼を見つめる。すると彼は食事を楽しみながらも、どこか悲しそうな表情で動き続けるアンドロイド達に視線を送っていた。私は何故だか胸が騒つくような感覚を覚え、まるでその表情を変えさせるかのように彼へ声をかける。
「最近お疲れのようですが問題はないですか?」
すると彼はどこか気まずそうな表情を浮かべながら、日頃の自分を思い返すかのように宙を見つめる。私はその様子をじっと観察しながら彼の言葉を待った。
「あぁ、そういえばなんだか急に疲れやすくなった気がするね」
そう言ってから、彼は少し困ったような笑顔を浮かべる。私は幾つか要因となりうる事例を挙げたが、そのどれにも当てはまらないようだった。彼は心配してくれてありがとうと、少し照れたように言い、疲れやすい年齢に差し掛かったなどと自虐して雰囲気を一転させようと努める。だがそんな彼の気遣いをよそに、胸を痛める私のプログラムは、その心情とは裏腹に『体力面での欠落および頻回な疲労感、若干の鬱状態を確認』『日常生活には支障なし』と彼の言動を記録し、トップ達へ報告するのだった。
ブランラル研究所にとって重大な事件が起こったのは、何の変哲もないある日のことだ。勾留棟からとある被験者が逃げ出したと、耳を劈くような緊急事態のアラーム音が研究所内に鳴り響く。そしてその被験者が少年である事を知ったのは、私が勾留部屋を訪れた時だった。無機質な空間にあるはずの小さく温かな存在が、何故だか何処にも見当たらない。私はアラーム音に包まれながら、空っぽの勾留部屋をただ呆然と見つめ続けた。
少年のデータはすぐさまブランラル研究所内に知れ渡り、従事する全てのアンドロイド達に確保命令が出される。当然だが私にもその命令は下り、送られた少年のデータには罪人と明記され、まるで極悪非道の犯罪者のような扱いがされていた。
『…違う』
私は思わずそう呟くと、空っぽの勾留部屋に足を踏み入れる。そして少年がいつも身を丸めて座り込んでいる部屋の角へと向かい、そっとその床に触れてみた。すると掌に広がるすっかり冷たくなった床の温度が、私の身体にまるで穴を開けるような感覚を覚えさせる。
『これが…寂しい、という感情か』
私は瞳を瞑り、少年の姿を思い浮かべる。やっと少しだけ気を許してくれたその小さな存在は、いつの間にか私の中で大きな意味を持っていた。皮肉なことに少年が失踪したことで知り得たその喪失感が、私にとってただのクローン化実験被験者という存在だけではないことを示唆している。
『…どうか、ご無事で…』
どこかで怪我をしていないだろうか、心細い思いをしていないだろうか、空腹ではないだろうか。私はひたすらに少年の身を案じ、そして叶うならば、ここへは戻らないことを願った。少年にはこの無機質で窮屈な空間ではなく、自由な外の世界で伸び伸びと生きて欲しい。当然、監視をする為に生み出されたアンドロイドに有るまじき思考だと認識しているが、それでも私は少年の自由な未来を切望して止まない。
だがそんな想いも虚しく、数日後、少年は確保命令を受けた数多のアンドロイド達によって捕らえられ、再びこの勾留部屋へと姿を現したのだった。
私は部屋の隅で俯いたままの少年へかける言葉が見つからず、ひたすらにその小さな姿を見つめる。溢れそうなほどに募るこの想いをどう言葉にするべきか、どうしたら少年の心に届くのか、あれこれ考えれば考えるほど沈黙は続いていった。
そんな中、突如として少年はほんの少し顔を上げて私の表情を盗み見る。どうかしたのかと思いその様子を見守っていれば、…怒ってる?と少年の不安気なか細い声が勾留部屋に小さく響いた。
『いいえ、怒っていませんよ』
そう答えると少年は、本当に?と不安そうな表情でこちらを見つめる。自身の不遇さや起こした事の重大さよりも、私の心証がどうであるかを気にかけているような言動に私は内心驚いた。それと同時に、少年との距離が当初と比べ少しだけ近付いているのだと感じ、そっと胸を撫で下ろす。きっと私は、これまで共に過ごした月日の中で、少年の心が離れてしまうことに恐怖を覚えていたのだろう。
数日後、私はトップ達より少年を拘禁棟へ移動させるよう指令を受けた。どうか下らないでくれと願ったその無慈悲な指令は、私の精神をいとも簡単に沈めてしまう。何故なら拘禁棟への収監は、即ちクローン化実験を開始するということを示唆しているからだ。
まだ未完成のクローン化実験。成功する確証はなく、被験者は死に至る可能性が高い。私は凄惨な結果に終わった被験者達の姿が脳裏に浮かんでは、まるでそのデータを払拭するかのように業務に打ち込んだ。
『…お話しがあります』
ある日、とうとう私は少年へ拘禁棟への移動とクローン化実験の概要、そして少年が被験者であることを告げた。叶うことならば一生隠してしまいたいその話題は私の声を無遠慮に震わせる。だが一方で少年は私の話を聞き終えると、そっかと返事をし、何かされるのだろうなとは思ってたから大丈夫と、淡々と話した。
『…申し訳ありません』
私が思わずそう溢すと、なんでキミが謝るのと少年はあろうことか笑みを浮かべた。その温かな優しさに私の胸は強く締め付けられるような感覚に陥り、不意に視界が滲む。すると少年は更に、謝るのは僕の方だよと続け、勾留部屋から逃げ出したことを謝罪し頭を小さく下げた。ずっと閉ざされていた少年の胸の内が垣間見え、私は更に目頭が熱くなる。少年は私の表情を柔らかく見つめると、急に怖くなってきたのだと、そして迫り来る閉塞的な未来を目前にせめて自由を見たかったのだと、そう話し始めた。
『自由は、見れましたか』
そう問うと、少年は晴々とした表情で頷き、キラキラと輝いてどこまでも広がる澄み渡った自由を見上げてきたと満面の笑みを溢した。それから、道端で美しく咲き誇る花を見つけたのだと。真紅に色付くその花は、如何なる物にも影響されず、自らの意思を貫くような強さを感じる凛とした姿であったと少年は嬉しそうに話した。そして今度は少し照れたように、その花が私を連想させたからと、口籠りながらまるで私を呼ぶように単語を発する。
『それは、花の名前ですか』
そう問うと少年は小さく頷いてから、キミの名前でもあるよと恥ずかしそうに答える。私は突然のことに驚愕したが、それは嫌な驚きではなく、むしろ柔らかな熱のようなものを感じる驚きだった。もっと少年の話が聞きたくて、なぜ花の名前を知っているのかと問えば、昔読んだ図鑑にその花が載っていたのだという。昔から調べ物が好きなのだと、いつかまた様々な書物を読みたいと話す少年に、私は個性を無くそうとするクローン化実験が果たして有益であるのか疑問に思った。少なくとも私は、自身にとって敵であろうアンドロイドにこんな素敵な名を考えてくれる心優しい少年の個性を失いたくないと心の底から切望する。
『ありがとうございます』
そう言うと少年は照れたように、どういたしましてとはにかむ。私は相変わらず鳴り響く警告音を無視して、プログラムに大切なその言葉を登録した。大勢いるアンドロイドの一部でしかなかった私に、私だけのものを与えてくれた少年。私は身体中が得体の知れない温かなもので満たされていくのを感じた。
『ずっとずっと、大切にします』
すると今度は少年が少しだけ驚いた表情を浮かべたが、どこか嬉しそうに、うんと頷く。私はそこで完全に理解したのだ。監視役としての責務を投げ打ってでも、私はこの少年を護りたいのだと。クローン化実験の被験者としてではなく、この世でたった一人、唯一無二の心優しい少年として、この尊い命を護り抜きたいのだと。
私はすぐさまトップ達に少年の拘禁棟移動命令をどうにか撤回できないかと掛け合った。馬鹿馬鹿しいと門前払いされようとも、アンドロイドのくせにと忌避されようとも、私は何度も立ち向かい訴え続けた。だが、どれだけ声を上げようともトップ達の意向は一切変わらず、自分の無力さを痛感させられる日々だけが過ぎていく。そしてとうとう少年は勾留部屋から拘禁棟への移動を余儀なくされた。
『申し訳ありません』
そう言って頭を下げれば、だからどうして謝るのと少年は小さくクスクスと笑った。私は少年の寛容な精神の裏側に隠れる諦めにも似た感情に堪らず胸が痛くなる。まだ幼く無限に可能性のあった未来を我々は少年の身体ごと奪ってしまったのだと。私は自責の念に苛まれ、プログラムエラーの警告音さえもコントロール出来ずにその場で呆然としてしまう。するとそんな私に勘付いてか、少年は優しい声色で私の名前を呼ぶ。少年が与えてくれた私という存在の証。アンドロイドである筈なのに、その温かさに触れ何故だか視界が涙で滲んでしまった。
ローザ、実は二つお願いがあるんだ。
一つ目は、これから先もずっと側にいて欲しい。僕がどんな風になってしまっても一緒に生きて欲しいんだ。独りはとても寂しいから。
そしてもう二つ目は、外に広がる自由な空について教えて欲しい。この目で見れない代わりに、どんな色をしているのか、天候はどんな具合か。時間や季節によって変化する空模様をもっともっと知りたいんだ。
そう話す少年に堪えた涙は頬を伝っていた。
『必ず…約束いたします』
すると少年は、ありがとうと優しく笑って見せた。
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