閉ざされた空に愛をみる

藤雲

第1話

「これは凄い」

「美味しそうですね」


レストランの煌びやかな空間の中に、ずらりと並ぶ美しいフルコースの品々。アンドロイド達によって配膳された大袈裟な皿を目の前に、彼は私へピクニックをした経験はあるのかとわざとらしく質問を投げかけてきた。その問いを受けた私はプログラムされた端的な言葉を無視し、まるで言葉のキャッチボールをするかのように優しく否定する。すると彼は楽しそうに、そうだと思ったと笑みを溢した。

私は脳内でけたたましく鳴り響くプログラムエラーの警告音にうんざりしながら、食事を楽しむ彼に変わらぬ笑顔を浮かべ続けるのであった。



巨大な要塞により外部から遮断され、光すら射さない暗闇の中、幾つもの棟が連なって構成されるブランラル研究所。正体すら公表されていないその存在は当然異質であり、外の世界に生きる人々は気味悪がって近寄る者はいないと聞いたことがある。では何故、公表に至っていないのか。それはブランラル研究所が世界に対し決して容認されるものでは無いからだと、私は認識している。下手に公表しようものならば反感を買って、攻撃を受ける可能性すらあるのだから。


「(とは言え、秘密裏に行うことで回避可能な問題では無いと考えるが…)」


その実態は、あらゆる生命体に生じる個体差の消失を目的とした研究機関である。例えば植物の薔薇ひとつを取ってみても、美しく鮮やかな花びらを纏うものや瑞々しく咲き誇るもの、香りの素晴らしいものまで様々な個体差が存在する。だからこそ見るものの感性を刺激し、観賞用や時には食用として幅広い地位を確立してきた訳だが、その一方で個体差において劣っているものの存在を蔑ろにする傾向があるのも事実だ。故に当研究所は、その理不尽な不平等さが続く未来を危惧し、個体差を消失させることで、あらゆる生命体が優劣によって判断されることのない平等な世界にすべきである、という理念と共に誕生した。そしてその理念を実現化すべくとある実験を開始する。それが所謂クローン化実験であった。

実験概要は、優れた遺伝子や特に優秀な成績を持する個体を研究所内へ収容し、その個体を構成する全データを抽出、分析する。その後、データの分析結果を踏まえ、最も優れている年齢時を基盤にクローンデータを作成。そのデータをアンドロイドへ組み込ませることで、優秀な個体のクローンアンドロイドを生み出すというものだ。

そして最終的には膨大な全データを融合させることで、最も優秀なクローンデータを作成し、そのデータを用いたクローンアンドロイドで全世界を支配することを目的としている。そうすることで、個体差も愚かな過ちも無い完成された世界へと近付くことが可能である、というのがトップと呼ばれる幹部達の考えであった。


彼らトップ達はブランラル研究所の中央に聳える仰々しい棟の最上階に集結しており、理想的な世界の在り方を実現すべく常に外部の状況を監視している。そして研究所内にその身を置く我々アンドロイドや研究員達は、トップ達の指令のもと与えられた業務をひたすらに遂行しているのだ。

一例として私自身の業務内容を挙げるとすれば、目の前で食事を楽しむ彼を常時監視し、その動向や変化を逐一報告することである。彼は私を秘書と認識するが、それは都合の良い肩書きで、本来は彼専属の監視員と名乗るのが正しいのであろう。


私が彼と初めて出会ったのは、まだ彼が「少年」であった頃だ。バーチャル上で生成された私は、当初システムへの侵入を試みるウイルスの除去や膨大なデータの収集及び解析など、トップ達のサポート業務に従事していた。振り返れば、プログラムされた処理動作を休みなく淡々と遂行する日々は、特段エラーも発生せずスムーズであったが、その反面些か味気なかったように思う。

そんな日常を送る中で、ある時私はトップ達より『とある勾留者の監視』を命じられ、実体を伴う必要性からアンドロイド化することとなった。

精巧に組まれた私のプログラムは、あらゆる指令にも応えられるものとして重要任務専用という肩書きを得ている。故に任務遂行が最重要タスクである為、一切の抵抗を許されることなく迅速にアンドロイド化を完了させた。

その後エラーテストを数回繰り返し、それら全てをクリアした私はすぐさま勾留者の元へ向かうよう指示を受ける。

通常であれば、監視に特化したアンドロイドが複数の勾留者達を担当するのだが、その勾留者は私が終始傍らで監視するという特例であった。私はプログラムされた研究所内の構内図を元に、勾留者が捕えられている勾留棟へと向かう。複数の棟を繋ぐ数多の通路は、セキュリティの一環として迷路のように入り組み、かつ深い暗闇で支配されていた。だが研究所内で従事するアンドロイドには構内図が予めプログラムされており、視界は明暗に左右されない機能の為、施されたセキュリティはどれも無効である。つまり逆を言えば、このセキュリティに困惑するのは他所のアンドロイドや人間、そして人間のデータを組み込まれたクローンアンドロイドだけということになるのだ。当然私は一切迷うことなく勾留棟へと辿り着き、勾留者達の混乱する声や怒号が飛び交う中央廊下を通り過ぎて目的の勾留部屋へと辿り着く。するとそこにはまだ身体の小さな少年が、小さく丸まるように座り込んでいた。全てのものに怯えているかのような弱々しいその姿は、アンドロイド化したばかりで理解の追いつかない私を激しく困惑させた。


これが、彼と私の初めての出会いであった。


少年が勾留されている部屋にはコンピューターが設置されており、私は早速そこからデータを抽出する。一瞬でプログラム内に取り込んだデータには少年の個人情報が記録されており、更には大まかな今後のスケジュールまで記されていた。私はそこでようやく自分に課せられた使命を認識する。


少年は、クローン化実験の被験者であったのだ。


ブランラル研究所が最も重要視しているクローン化実験。ここ最近は失敗続きだと聞いているので、トップ達も神経質になっているのだろう。失敗する要因、そして成功へ繋げる為に必要な条件とは何か。全世界をクローンアンドロイドで支配する計画を安定的に進める為にも、今はとにかく実験を繰り返してデータを収集し、成功例と失敗例を分析することで統計を出そうとしているのだろう。いわばマニュアル作成の真っ最中という訳だ。

故に貴重な被験者を無駄にすることは言語道断であり、細やかなデータ収集を行う為にも監視を強化する必要がある。そこで生成されているのが、我々アンドロイドなのだろう。


私はセキュリティロックを解除し勾留部屋へと足を踏み入れる。すると突然のことに驚いた少年は恐怖に満ちた表情で私を見つめ、距離を取ろうと慌てて立ち上がった。私は少年のその必死な表情を見て、すぐさまプログラムされた言葉を検索し投げかける。


『安心して下さい』

『私はアンドロイドです』

『私は敵ではありません』

『私はあなたの側にいるべきです』


私は壁に張り付くようにして蹲る少年へ、該当し得る言葉を羅列し続けたが、少年が警戒を解く事はなかった。私は現段階でこれ以上のやり取りは無意味であると判断し、勾留部屋を後にする。すると結果を得られなかった私のプログラムはすぐに反応し、改善点や留意すべきポイントなどを改正システムとしてまとめ上げた。私はそのシステムをインポートし、翌日に再度少年の元を訪れる。しかしながら、どれだけ声をかけようとも少年の怯えた様子は一切変わらなかった。私は数時間粘った末に諦めて、昨日と同様、勾留部屋を後にする。すると結果を得られなかった私のプログラムは、再び新たな改正システムを作成し始めたのだった。

私は翌日も翌々日もその次の日も、少年の元を訪れ声をかけ続ける。だが状況は一切変わらず、むしろ少年の体躯は徐々に痩せ、表情も虚ろになっていった。現状としては確実に悪化しているその状態を、私はプログラムに記録する。そうやって少年を見つめるだけの時間を毎日欠かさず過ごす私は、次第に何故だか擁護心のようなものを感じるようになっていった。その一方で、増えるばかりの改正システムを少し鬱陶しく感じてしまうようになる。今思えば、アンドロイドの私にとって、その傾向はプログラムエラー発生の小さな種であったのだろう。


成果の得られない日々があっという間に経過していき、それに比例してどんどんと改正プログラムだけが積み重なっていった。そして私が少年の担当を開始してから数ヶ月が経過したある日、突如として転機が訪れる。


その日も私はいつもと同じように少年の元を訪れ、何か反応を示すワードは無いかと模索しながら、俯くその小さな姿に声をかけ続けた。


『おはようございます』

『ご気分はいかがですか』


あれこれと言葉を投げかけても、想定通り少年は一切の反応を示す事なく相変わらず俯いたままであった。以前調べたところ、人間というものは非常に繊細であり、同じ言葉を何度も繰り返し投げかけてしまうとストレス値が上昇してしまうらしい。状態悪化は被験者の質が低下する為、避けなくてはならない事項だと考えた私は、それからなるべく様々な言葉を検索するようになった。すると次第に私のプログラムは様々な言葉を記憶し、更には言い回しまで考慮するようになる。被験者の監視を目的としたアンドロイドの私に、それらの機能は従来備わっていなかった。つまりはトップ達にとって、そのようなプログラムは不必要な機能なのであろう。


『室内の温度は問題ないですか』

『どこか痛むところはありませんか』


正直なところ、身体状態のデータは少年を見た瞬間、自動的に数値化されプログラムに記録されているのだが、敢えて私は担当時よりずっと少年に直接問いかけている。有無を言わさず勝手に情報を奪われるのと、声をかけられ自ら発するのとでは何かが違うと、そう感じたからだった。すると少年は俯いたままの顔を少しだけあげ、チラリと私を盗み見てから、微かに聞こえる程度のか細い声で何かを話す。


『如何いたしましたか』


私は今までの記録にないその小さな変化に、思わず少年へ再度声をかける。すると少年は戸惑ったような表情を浮かべてから、どうしてそんなに僕を気にかけるの?と、静かに言葉を溢した。私はその問いに、監視の為であると答えることが何故だか出来ず、プログラムの指示を無視してあれこれと言葉を探す。


『あなたと友達になるためです』


そう伝えると少年は、そっかと呟きながら小さくクスリと笑った。私の脳内には独断行動を感知したプログラムエラーの警告音が鳴り響いていたが、そんなことなど気にならない程に胸の高鳴りを感じ、少年へ視線を送り続ける。そしてこの機会を逃さぬよう、私に何か出来ることはありますか?と声をかければ、少年は少し悩んでから、キミの名前を教えて欲しいと話した。考えたこともないその問いに私は、名前はありませんと至極当然のように答える。すると少年は困ったように、そうなんだと呟いてから、じゃあ何て呼べばいい?と再び私に問いかけた。名前など不必要であった私は何と答えるべきか分からず、プログラムをフル回転させる。それでも答えは出なくて、私はとうとう何の思考も施策も無い言葉をつい口にしていた。


『あなたが名前を付けて下さいますか』


そう放たれた言葉に少年は少し驚いてから、分かったと僅かに顔を綻ばせる。私は身体の内側から得体の知れない何かが湧き上がってくるのを感じた。これが喜びという感情であるのだろうか。アンドロイドの私には検証できないその現象にプログラムエラーの警告音だけが鳴り続けていた。


とある日、少年はいつも通り勾留部屋を訪れた私へ、気分が明るくなるような話は無いかと問いかける。突然の要望に私のプログラムはあれこれと検索を開始するが、これといったものが選出されず、またしても私は独自の思考のもと答えを出した。


『今日の天気は快晴です』


すると少年はそっかと答えてから、ここは窓のひとつも無いから分からなかったと微笑んでみせた。

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