枯れた花束

オキタクミ

枯れた花束

 シングルベッドの上に裸で寝そべったまま、ベッドの脚もとの床に手を伸ばし、くちゃくちゃに丸まって落ちていたブラトップを指に引っ掛ける。夏バテと性行為後の虚脱感でずり落ちるようにしてベッドから降り、呻き声未満の声を漏らしながらブラトップを着る。ベッドのすぐ横、狭いワンルームの真ん中のローテーブルに放られていたリモコンを手に取ってエアコンに向け、下向き矢印のボタンを二回押す。ピッピッとエアコンが返事をし、風を送る音が一段強くなる。エアコンの目の前に立って直に風を浴びていると、後ろからいびきが聞こえてきたので、驚いて振り向く。ベッドの上の達也が、全裸で、萎えた男性器にコンドームをつけたまま、大の字の姿勢で早くも眠りこけている。蹴り飛ばしてやろうかと思う。けれど、ブラトップ一枚だけの姿でエアコンの冷風を直浴びしている自分に気づいて、なにもかもくだらなく思えてきて気が失せる。喉の渇きを意識して、台所へ向かう。

 シンクのかたわらに出しっぱなしになっていたグラスをざっと水洗いして、やはり出しっぱなしになっていた袋の中で融け残っていた氷を入れる。床に置かれていた半透明の水色に金色で文字と模様の入ったボトルを拾い上げ、グラスにジンを注ぐ。その上からさらに、冷蔵庫から取り出したペットボトル入りのトニックウォーターを注ぐ。グラスはいつどこで買ったのかも忘れた安物で、氷とトニックウォーターはコンビニで買ったもの。ジンだけが、引越し祝いに職場の先輩からもらった、ちょっとだけいいやつだ。箸でグラスの中をくるくるかき混ぜる。氷がグラスの内側をかするかすかな音を手のひらに感じる。

 冷えたグラスを首もとに当て、手と首にその冷たさを感じながら、相変わらずいびきを立てているベッドの上の達也の横を通り過ぎる。カーテンくらい閉めればよかったなと思いながら、掃き出し窓を開けてベランダへ出る。むわっとした蒸し暑い空気に全身くるまれ、肌がじんわりと汗をまとう。正面の手すりに、グラスを両手で持ったまま両肘をつく。その姿勢でグラスを傾け、ジントニックをひとくち飲む。倦怠感に満ちた身体の中に、一筋の冷たい清涼感が入り込む。私はこのジンが好きだ。気のせいかも知れないけれど、飲んだ後わずかに残る香りが、どこか、実家への帰り道でたびたび嗅いだ乾いた牧草のそれに似ているのだ。

 少し見上げると、まだまだ昼のように青い夏の夕空が見える。ここは四階でさして高さはないが、角部屋で、正面と右手はそこそこ幅のある道になっており、道を挟んだ向かい側の建物たちもそれほど高さがない。おかげで、目線を少し上げさえすれば、建物の上に広がる空が目に入る。この安アパートの、数少ない良いところだ。ジントニックを少しずつ飲む。空を左から右へ流れていく雲をぼんやり眺めながら、口に含んだぶんを飲み下すたび残る枯れ草の香りをいちいち確かめ、あえて暑気にさらした体の内側で冷たさが小さくるのを感じる。

 ふと気づくと、さっきまで背後で聞こえていたいびきが止んでいる。あれ、と思っていると、達也が半分ねぼけた声で、もう一回やろうとかなんとか言うのが聞こえる。さすがに嫌になって、ベランダの窓を閉め、そこに背中を凭せてしまう。背中を窓につけたまま、ずりずりと右にずれていって、右側の手すりに右肘を預ける。自然、視線が地面のほうへと落ちる。安アパートの足もとの十字路の、こちら側の歩道。私のほぼ真下にあるガードレール。そのそばに、なにかが落ちているのにふと気づく。

 それは、萎れて乾いた、土気色の花束だった。花の種類はもはやわからない。ここに越してきてから二週間のあいだ、私は毎日、その前を通り過ぎているはずだった。

 そのとき、背中の掃き出し窓が強引に開けられ、私は姿勢を崩す。手のひらからグラスの感覚が消える。枯れた花束を見下ろす私の視界の中、グラスと、その内側からこぼれた氷とジントニックとが、同じ加速度で、向こうへ向こうへと離れていく。

 

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