第33話 この気持ちだけはずっと真実
「っ、伝えたいことが、たくさんあったのに! あなたがいてくれて救われたって、助けてくれてありがとうって、ちゃんと言いたかったのに。それなのに、もう会えないなんて、嫌……っ」
声を詰まらせながら、自分の素直な気持ちを吐露した。
きっとここで伝えなければ、もう二度とこの人に会えないという確信があったからだ。もうエリザとの縁を切り離すと決めた彼を、つなぎとめることは無理なのかもしれない。けれど、このまま何も告げずにいなくなられるのだけは嫌だった。
突き放さないでと願いを込めて彼を見つめる。
その瞳を受け止めて、エリックは少しの逡巡のあと、そっと手を伸ばしてエリザの肩を抱き寄せた。
「そんなことを言われたら、手放せなくなる。せっかく、嘘つきの僕から逃がしてあげようと思ったのに」
エリックは苦しそうにぎゅっと眉根を寄せる。嘘つきだと己を貶める言葉は、任務と己の感情で揺れているように思えた。
「でも……あなたは最初から、私に本当の名前だけでなく、素顔を見せてくれましたよね? 諜報員の任務であるなら、顔を変える必要があったはずです。それでも顔を偽らなかったのは、できるだけ私に嘘をつきたくないと思ってくれていたんじゃないですか?」
諜報員は任務ごとに顔も変えると言っていたが、一緒に過ごした時間を思い返して、エリックが変装をしているとは思えなかったのだ。
顔を変える魔法は、一種の認識阻害に過ぎないため長期間接していれば不自然さに気が付くはずだ。
最初から、この人は表情豊かだと感じていた。だからこれが彼の本当の顔なのだろうというと思ってそう告げてみたのだが、指摘されてエリックは苦笑いを浮かべる。
「参ったな。全部ばれていたんじゃないか。諜報員失格だな。こんな有様じゃ師団長にクビにされてしまうよ」
「クビになったら……私が養います」
「だからそういうことを言ってしまうから、クズが寄ってくるんだよ」
お互い顔を見合わせてぷっと噴き出す。
「君の前では余裕のある態度をとっていたが、本来の僕は私情に走って仕事をしくじるような情けない男なんだ。こんな僕でも、君の隣にいてもいいかい?」
「私だって、情に流されて彼氏をダメ男に育てちゃうようなダメな女ですよ? エリックさんこそこんな私でいいんですか?」
「そんな君がいいんだよ。エリック・アシュフォードはエリザ・ルインストンが好きなんだ。ずっと前から君を見ていた。もし叶うなら、僕が君の隣にいることを許してほしい」
まっすぐ気持ちを言葉にされてかっと顔が熱くなったが、彼が名乗った家名を理解した瞬間、エリザは一気に血の気が引いた。
「あ、アシュフォードって!? アシュフォード家の方だったんですか? こっ、侯爵様じゃないですか! どうしてもっと早くいってくれなかったんですか。我が家とでは爵位が雲泥の差ですよ」
貴族の勢力図に詳しくないエリザでさえも、アシュフォード家の名は知っている。優れた魔力持ちの血筋であり、代々宮廷魔術師をかの家の者が務めているから、魔法師団に所属していれば知らないはずはないのだ。
「どうして? 家名なんて大した問題じゃないよ。僕は家に縛られたくなくて『赤狗』に入ったんだ。僕の意思は家に左右されたりしない」
「でも……周囲の人はそれを許さないですよね?」
エリザの心には、先ほどのクロストの言葉が引っかかっていた。
『子を成すことがあなたの使命』
『貴族ならばその役目を果たすべき』
上位貴族ほど魔力持ちの子を貴ぶ。とある貴族の家では過去に、結婚せず子だけ産ませて魔力持ちならば引き取り、只人ならば金だけ渡して縁を切って優秀な子だけを家門に残すという悪辣なことをしていた。
もちろん許されることではないが、この国の爵位は魔力の強さと比例しているところがあるため、下位の貴族で優秀な魔力持ちが多数生まれれば地位が逆転することもあり得る。
だからエリックから家名を聞いた時、エリザはとっさにこの人と付き合ったら子を産むことを家門から強制されるのではないだろうかと思ってしまった。
クロストから上位貴族の腐った価値観を押し付けられそうになったあとだったから、その考えが頭をよぎった。
エリックを疑うようでその懸念は口には出さなかったが、彼にはエリザが何を不安に思っているのか気づいたようだ。
「ごめん、あの男に襲われたあとなのにデリカシーがなさ過ぎたね。アシュフォード家は分家も含め皆魔力持ちだ。魔力量はほか貴族に比べ突出して高いけれど、政略結婚はほとんどしていないんだよ。うちの両親も恋愛結婚だし、魔力のない者と結婚した例もある。だから……僕も僕の家族も、あの男の家とは思考が違う。結婚相手に魔力の素質を求めることはないんだ」
重要なのは、好きかどうかだ。と手の甲にキスをされ、エリザは肩の力が抜けた。
何を不安がっていたのだろう。
最初から、エリザを助けるために諜報員に志願してくれて、それを恩にも着せず泥をかぶるかたちで姿を消そうとしたこの人を、疑う余地などなかった。
「君を不安にさせるものは、全て僕が取り除く。だから僕の気持ちだけは疑わないでほしい。嘘ばかりついたが、君を想う気持ちだけはずっと真実だったから」
真剣な瞳で見つめられ、エリザもまっすぐに彼を見返して答える。
「信じます。ありがとう、あなたの気持ちが……嬉しい」
まるで結婚式の誓いのようだと思いながら返事を返すと、エリックが少年のような顔で笑った。以前の作った表情ではなく、これが本来彼の笑い顔なのだろうと思うと胸が痛いほど高鳴る。
同じように自然と笑顔になるエリザに彼がそっと顔を寄せてきた時、部屋の扉がバーンと開いたので、二人して飛び上がって驚く。
「おいお前らァ! 終わったんならいつまでもいちゃついてねーでこっちを手伝えや! 告白してくっつくだけなのに時間かかりすぎなんだよ!」
「師団長……デリカシーなさ過ぎでしょう。いちゃつくのはこれからなんですから、もう少し空気を読んでください」
しれっと恥ずかしいことを言うエリックに思わず吹き出してしまうと、師団長がブチ切れた。
「二人きりの時間を作ってやった俺に感謝もねえのか! いいからエリザは早くこっちを手伝え。人手が足りねえんだ」
「申し訳ないですがエリザさんは退勤させてもらいますよ。さっきまで薬を盛られて倒れていた人を働かせようなんて、師団長は酷い上司ですね。こんな悪辣な労働環境は改善するよう王家に報告しないと」
うっと言葉に詰まって師団長がひるんだ隙に、エリックはエリザを抱えて窓から飛び出した。
「きゃああ!」
二階の窓からひらりと地面に降り立ったエリックは、渋い顔でこちらを見下ろす師団長に笑顔で宣言する。
「エリザさんはこれから傷病休暇に入りますね。度重なる事件の被害者になって心身ともに疲弊しているようなので」
「おい、ちょっと待て! まだ事情聴取もあるんだ……」
エリックは勝手に休む宣言をして、エリザを抱えたまま走り出した。
「ちょ、ちょっと大丈夫なんですか? あとで怒られません?」
「いいさ。ちょっと君は働きすぎだ。君も忙しくして辛い気持ちをごまかしているようだけど、クロストの件もあるしもう限界だよ。休んだほうがいい。ホラその隈。今直さないと一生こびりついて離れなくなるよ」
「そ、それは困りますね……」
冗談めかしているエリックの言葉に思わず笑ってしまう。だが、彼がエリザの不調に気づいてくれていたことがこの上なく嬉しくて、うっかりすると泣いてしまいそうだった。
(フィルは、ただの一度も私の体調を気遣ってくれたことはなかったな……)
思い返せば、フィルはいつも自分のことでいっぱいいっぱいだった。
自分の不幸しか見えていなくて、エリザの大変さは気づいていなかった。
だからこそ、エリザが自分を苦しめる存在だと思うようになってしまったのかもしれない。
エリックの優しさに触れて、フィルとの関係がとても歪でおかしかったと気づけた。彼がいなかったら、自分がどうなっていたか分からない。
「……ありがとう」
「ん? なんだい?」
無意識に感謝の言葉が漏れる。それは彼の耳には届かなくて聞き返されたが、首を振ってごまかす。お礼を言うのなら、こんな簡単な言葉で伝えてはいけない。もっとちゃんと感謝を込めたかたちで伝えよう。
「なんでもないです。それより、エリックさんも一緒に出てきちゃったけど、これからどうするんですか?」
「もちろん僕も有休をもらうつもり。君の看病をしないといけないからね」
冗談か本気か分からないことを言って、エリックはパチッとウインクをして見せる。わざと胡散臭いしぐさをするのがおかしくて、エリザは声を出して笑う。
見上げると、エリックの微笑む顔の向こうに満天の星が輝いていた。
薬の影響がまだ残っているのか、光がにじんで彼も輝いているように見える。
(奇跡みたい……)
何年経ってもきっと、彼と二人でこの日のことを笑って語り合う時が来るだろう。
エリザは確信めいた気持ちでこの光景を目に焼き付けるのであった。
おわり
恋人に「お前ただの金蔓だから」と言われた場合の最適解 エイ @kasasagiei
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