食事は生命活動を続ける基礎である。身体機能の維持、活動源としての栄養摂取、これは生きる為に必要不可欠なものである。

 だが、ただそれだけの目的であれば、効率重視で無駄を省ける筈だ。今は世の中に栄養サプリメントやプロテインなど、様々な健康食品が溢れている。極論すれば、メシを食う必要が無い。効率良い栄養摂取手段が食事以外にあるからだ。

 無駄食いを省けば過剰に栄養を摂る事もなく、肥満やら糖尿病やらに悩まされる事も無くなるだろう。自分の体に必要な栄養素を必要な量だけ摂取すれば良い。至ってシンプルな話だ。

 しかし、そうはいかないのが人の性というもの。誰でも何かしら好物がある筈だ。飲食物は嗜好品としての役割も担っている。カロリーや栄養素など、数字だけを見て満足出来ないのが悩ましい。

 私も食事の際、メニュー選びには細心の注意を払う。後悔しない選択をする為だ。その料理で満足するか、空腹を満たせるか、体に必要な栄養素を充分摂取出来るかなど。

 好みの食で満足を得る為には、無駄を承知の上でメニューを選ぶ事になる。美食家を気取るつもりは無くとも、誰もがエゴイストになる瞬間だ。見知らぬ誰かの為に、ボランティア精神で食事をする者なぞ存在しない。己が欲求を満たす為に食事をするのだ。

 昨日は中華を食べた、それなら今日は和食にしよう。イヤ、ラーメンはもはや日本料理としてカウントすべきじゃないか、などと思索に耽る。

 米が連続するよりは間にパンや麺を挟むべきか、だがカレーや炒飯は連続しても飽きない……など、選択肢が多い故に熟考せざるを得ない。『迷った時はカレー』という名言もあるのだが。

 所詮は無駄カロリーの摂取でしかないが、大いに悩まされる。極力無駄にならぬよう、そしてバランスも考えねばならない。肉と野菜、味付け、食感、ボリュームなど、考慮すべき要素は多い。

 先程述べた『迷った時はカレー』という名言は、中々に良い言葉だ。カレーは総合栄養食と呼ぶに相応しい。肉も野菜もごった煮され、複数のスパイスにも薬効がある。米とも麺とも、パンやナンなどとも相性が良く、主食を選ばぬ懐の深さがある。

 医師が健康の為に推奨する料理としてもカレーが挙げられるのは、世間一般にも広まっているだろう。健康食と呼ぶに相応しい。私も今まで、カレーが嫌いだと言う者には会った事が無い。選択肢として無難でありながら、主役として通用する料理だ。

 まぁ、カレーが優れた料理である事に疑念の余地は無いのだが、何事も節度を持って楽しむべきだろう。殊に、食べ過ぎには注意したい。

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Monologue ひま☆やん @himayan

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