二心タイ流

第壱話

 京の化野に老人が竹刀袋を担ぎ、一人の若い剣士を後ろに控えさせて山奥を歩いていた。老人の名は加藤佐々吉かとうささよしと言い、長門の国で道場を開いており、そこで二心タイ流なる流派を広めていた。化野へと寄ったのは、江戸へと向かう旅の途中のことであり、江戸に居る由比正雪ゆいまさゆき由比(ゆい)正雪(まさゆき)と言う男に逢うためであった。後ろに控えさせている男の名は、東藤次郎あずまとうじろうと言い、佐々吉が旅の途中で出雲に立ち寄った際に出会い、藤次郎の懇願によって弟子にしたのであった。だがしかし、佐々吉はいまだに藤次郎に直接指導をしたことはなく、ただ共に旅をする毎日が過ぎるだけであった。そのため、頼み込んだ藤次郎は不服を覚えはじめていた頃であった。

 ところが、昨晩のことであった。宿にて佐々吉が「そろそろ仕込んでやろう」と申し、藤次郎は遂にこの時が来たと思った。そうして連れられたのがこの化野であった。

「師よ、あとどのくらいでしょう」

「まだだ。まだ暫らくだ」

 先からこのような件を繰り返しては会話が止まってばかりであった。些細なことではあったが、藤次郎にとってこれは重要なことであった。こうして会話をする中で相手の腹を探る、そして刀の業の道へと辿るのだ。しかし、今しがたにどうも佐々吉の腹、刀の業が分からぬ。

 どれほど化野の山奥を歩いた頃合いだろう。それほどの時間がかかる場所にその者はいた。

「巧妙な剣士がいると聞いたが、汝がそうであるか? そうであれば手合わせ願いたい」

 佐々吉はゆっくりとその者に近寄り、できるだけ相手が差している刀の全身を探るようにして言った。するとその者、巧妙なる剣士の男は介した。

「……手合わせか。その御老体の身で如何にして刀をお持ちになるおつもりで」

「手合わせは儂ではない。後ろに控えておる儂の弟子だ。東、前に出て挨拶をしろ」

「はい。東藤次郎である。名を頂戴致しても?」

「うむ。我は佐次本さじもとだ。性はない。ところで、如何にして決着をつける。その者、死ぬには若いだろう」

 嘲笑うように言うと、佐々吉もまたそれにつられるように微笑を浮かべた。

「それについては儂が用意しよう。これらのうちから選んで使え。勝敗の決め方はそちらに任せる」

 そう言うと担いでいた竹刀袋から袋撓刀を四振り取り出した。うちの二振りはごく普通の物であり、残り二つは小太刀を模した物であった。

「拝借」

 佐次本は四振りの袋撓刀を持っては見比べ、やがては一振りの小太刀を模した方だけを手に取った。それを見届けた藤次郎は普通の袋撓刀を手に取った。

 両者は互いを見つめながら一歩、二歩、三歩、また四歩と下がって位置に着いた。勝負は既に始まっていた。両者はそれを承知でいた。

 藤次郎は中段の構えを取り、佐次本の構える小太刀の袋撓刀は藤次郎を捉えていた。そして佐次本の注意は常に東藤次郎の体全体にとあった。

 一歩でも踏み出せば間合いであった。それほどまでに藤次郎には自信があった。しかし一歩を踏み出せば相手も仕掛けて来ることが分からないほどに愚かではない。そうなれば当然こちらとあちらの刃のどちらが先に達するかに勝敗の軍配が上がる。仕掛けの速さであれば小太刀の方が上であり、後の先では勝っている。だが、長さであれば藤次郎に分がある。

 先に打ち込んで来たのは佐次本であった。しかもそれは藤次郎が仕掛けようと気を決めた時であったのだ。

 先々の先を取られたと思ったうちには佐次本はすでに藤次郎の内に入り、袋撓刀を下から上へと揚袈裟斬りを試みた。

 刃で受け止めるには距離が近すぎて間に合わぬ。ここで退けばそれこそ佐次本の優位になるばかりであった。だが藤次郎は後退した。竹刀は擦れるところで空振り、佐次本と藤次郎が持つ袋撓刀の間は一寸五分となった。これこそが藤次郎の正しい間合いであった。後退の刹那、中段の構えは突きの形にと成り、動きの流れは後退から前進であった。それは柄の陰に隠れていた佐次本の小手を貫き擦れ、最後は肩にと当たり止まった。

 藤次郎の袋撓刀が肩に当たったことを確認し、佐次本は自らを負けと悟ったのか、構えを解いた。しかし、それの行為に佐々吉は疑問を投じた。

「佐次本と言ったな。何故止まった。反せぬほどのものでは無かったはずだ」

「不思議な物言いをする御老体だ。指を抜かれ、肩を貫かれた、真剣であれば刀を落とし、まともに構えられぬ身だ。それとも、御老体は刀を咥えてでも戦えと申すか?」

 佐々吉は至極に驚いた。まさかこのような精神を持って巧妙なる剣士との噂が立っていたとは。腕は立つが実戦での経験は浅い、あるいはない、そのように佐々吉は判断したのであった。

 大阪の役を経てから何年も経ち、平和に日和る者が増えるこの時代とは言え、この程度の者で噂が立つことに佐々吉は嘆きと失望と憤りが沸き、ただ一言「手合わせご苦労」とだけ告げて宿へと藤次郎を連れて戻った。

 この御老体、大阪の役といった数多くの戦を経験して来た。故に多くの武士を見てきたのであった。そんな御老体から見れば、あれは凡人と変わりないものであった。

 その晩のことであった。宿にて雑魚寝をする藤次郎は佐々吉の背に向かって言った。

「師よ、起きているのであればお聞きしたい。何故にあのようなこと。師であれば、反撃できたので?」

 佐々吉は規則正しい吐息を静かに吐いていた。

「佐次本殿は、刀を咥えてでも戦うつもりか、と言っていた。仮に師が佐次本殿と同じような境遇になった際はどうするおつもりで?」

「彼奴は、あの時小太刀を選んだな」

「はい、確かにそうでした」

「であれば、その使い方、小太刀での極意を知っておるはずであった。そして、何よりも並外れた洞察力があることを期待した。だが、期待は大きく外れた」

 むく、と身体を起こし、身体を藤次郎の方へと向けた。藤次郎は答えをじっと待っていたが、答えが出る前に藤次郎の喉元に佐々吉の脇差が向けられていた。いつの間に抜刀していたのか気付くことが出来なかった。

「これが小太刀での極意、間合いだ。小太刀とは即ち、相手よりも速く抜き、相手より早く刃が達することだ。そして、貴様の疑問は彼奴が答えていた通りだ。何故、儂が江戸に行くのかについて言っていなかったな」

「はい、まだです。何故でしょうか、教えてください」

 向けていた脇差を収め、佐々吉は自分が江戸へと向かう理由を語り始めた。

「儂が江戸へと向かうのはな、由比正雪という男に会いに行くためでな。由比正雪殿は今、行き場を失くした浪人たちの為の運動を企てておってな、それに参加するためだ。戦が終わり、平和な世になった。戦が終わったいま、下級武士の多くが浪人となり、行き場を失くす者が殆どだ。徳川殿のためと仕えてきた上でこの扱いよ、どうして我慢ができようか。貴様に分かるか、この気持ちが」

 佐々吉の眼は藤次郎の方を向いていたが、眼に捉えていたのは久遠の先であり、眼の中には藤次郎は映ってなかった。

 この問いに藤次郎は直ぐには答えられなかった。何故ならば、どう答えればよいのかが分からなかったのだ。東藤次郎の今の地位は父によって与えられたものであり、自らが築き上げたものでは無かった。そのため、藤次郎の心にはいまいちと佐々吉の声が響かなかったのだ。

「――どうやら、お主も奴も儂の見込み違いだったようだな。もうよい、お主は故郷に帰るがいい。教えるものなど貴様にはない」

 一方的な事の流れに藤次郎は堪忍ならず、その場を立ち上がって師である佐々吉を見下ろし、静かな声で、それでいて男の眼には煮えたぎる熱い眼差しを向けて言った。

「ならせめて、せめてお手合わせを頼みたい。師であるあなた自身で私を見定めて欲しい」

「良かろう。だが、真剣を使っての手合わせだ。儂はお前を殺す勢いで刀を振るう、この手合わせ負けることすなわち死であること承知でやるな?」

 藤次郎は迷うことなく、頷き返した。それを受け取ると佐々吉は枕元に置いてあった刀を差し、宿を出て藤次郎を夜の草原へと連れて行った。

 二人は暗い真夜中の道を歩む。人の気配など彼らを除いて無い。

 時刻は草木も眠る丑三つ時、風は鳴かず、動物の気配はせず、草原には藤次郎と佐々吉の二人が静かに互いを見つめ合っていた。先に刀を抜いたのは佐々吉であり、藤次郎は刀の柄の陰に手を添えていた。

「抜刀か。確かにこれでは抜刀が優位な場所だ。然し、我が流派である二心にしんタイ流にそれは不利ぞ」

 藤次郎は眉を顰め、佐々吉を見る。佐々吉の構えは脇構え、普通に考えるのであればそれは後の先を狙う型であり、抜刀に対抗しての構えだろう。

 藤次郎は型を崩さず、抜刀した。

 佐々吉の言う不利の意味は分からぬが、抜刀の形を作った今、此方が仕掛けなければ更に不利になるのは分かる。であれば先を何としても取るのがこちらの利である。

 抜かれた刀は佐々吉の直ぐそこまで来る、下げている刀を上へと斬り上げる。刃と刃が交じり、真金の音が響き渡る。抜刀を受け止め、流れるように佐々吉は刀を上に持ち上げて振り下ろした。その一連の流れに藤次郎はただ刀で受け止めるしかなかった。流れはまだ止まらず、振り下ろされた刀は次の間には既に振り上げられており、この流れに付いて来ることの出来ぬ佐々吉は受け流すことしか出来ない。

 繰り出される技の流れは止まること覚えず、隙を見出すことができずにいた。しかし、止まらぬ流れに一筋の隙なし、と思った時にそれは来た。佐々吉が振り上げ、振り下ろしから突如と突きの構えを作ったのだ。そのほんの僅かの変化の間に隙が生まれる。奇しくもそれは佐次本と手合わせをした時のように、小手が空いたのであった。

 隙の生まれた小手へと刃先は向かい、見事と言うべきか、小手にと当たり、佐々吉の手より刀は地に叩き落された。勝ったことに確信を持った、師に打ち勝ったのだ、と両手を上げて大の字になり歓喜に叫びをあげた。

「それでは死ぬるだけぞ」

 その直後、佐々吉の左手には脇差が抜かれており、揚袈裟に斬り、終いには胸を貫いて脇差を収めた。藤次郎からは赤い血潮が飛び、地へとゆっくりと大の字に倒れた。

「これが、これこそが二心タイ流ぞ。そして、あの時の答えこそがこれだ。片手が朽ちればもう片手、両手が朽ちれば刀を咥えてでも相手を屠る、それこそが真の剣士の在り様よ。それを見出せぬようであれば朽ちるのが道理よ」

 二心タイとは、二本の刀、即ち二本差しを前提とした型であり、二本の刀と一体となる、それすなわち二心である。そして、タイとは、体・待・対・太の意味の事である。

 実のところ、佐々吉は故意に刀を落としたのであった。それは藤次郎を見定めるためでもあり、己が勝つためでもあった。仮に藤次郎が慢心せず、歓喜を上げずに刀を振り下ろしておれば朽ちていたのは佐々吉の方であった。然し、そのようなことがあったとしても佐々吉には心残りはなかった。何故ならば、戦乱の世を生き抜いた佐々吉の心には師弟関係などと呼ばれる美徳は持ち合わせておらず、それは意味の無いものであり、ただ強いものが生き、弱きものが死ぬ、との考えしかなかったのだ。

「二心タイ、名の通り刀と体が一体となっているようであった」

 そう言と、藤次郎は暫くしてから息絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

刀剣太刀術見聞録 七音壱葉 @nanaon_ichiha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ