第参話

 闇夜の島原大門。島原の賑わいは、夜が遅すぎるためかさほどなく、落ち着いた風が肌を通して感じることができる。

 島原大門から少し外れた路を徘徊して待っていてもいまだ岡村之乃介は姿を現さない。やたらと通い詰めていることを考え、島原に泊まるほどの金はもう無いと考え、あえて島原の外で待ったが、読みが外れたか。

 夏の夜風が寒さを伝え、体を鈍らせる頃合いであった。暗闇の向こう側からそいつは酔った足取りでやって来た。

 前へ、はっきりと姿が之乃介に見えるまでに歩み出る。

「岡村之乃介だな。訳は言わねぇ、ここで俺様の我流朝山壱伝流で斬らせてもらうぜ」

 刀はまだ抜かない。之乃介の様子を伺うのだ。先の先を制すのはこの状況では楽だ。だが、逆手持ちを得意とする之乃介はそれを反す先の後を繰り出すのが得意であるからだ。

「――その姿、和徳だな。おいらからも理由は聞かないさ。いざ、参るぞ」

 同じ人斬り、話しだけは分かる。

 どこかの寺で八つの鐘が鳴る。風は止み、水路の流れは止まり、草木も眠るは丑三つ時。しーん、と互いを静止するように見つめる。

 さっ、と柄の陰に手を当て、抜打ちを試みる為に刀を抜く。だが、刃が之乃介の体に届くより前に之乃介が顕わにした刀の刃に当たる。

「遅い」

 之乃介は酒の匂いを吐いてほざく。

 刀は弾かれ、次の瞬間には之乃介は逆手持ちの構えで下から上へと袈裟に斬る、揚袈裟あげけさ斬りを試みてきた。

 之乃介の扱う刀身の長さは先の交わりで見極めた。間合いは分かる、なれば後はしっかりと眼を相手の手に焦点を合わせるだけであり、いつでもそこを斬れる形を整えるだけだ。

 半歩ほど身を退かせ、之乃介の刀を二寸五分外させる。

 次の技が繰り出されるであろうが、もう終わりだ。最初の二撃、そこで仕留めなかったのが運の付きだろう。唄い唄わせない、それが俺様の我流朝山壱伝流のやり方だ。

 之乃介の刀は俺様の体の寸前で空振り、その直後に繰り出す俺様の刃が小手を突き、手の甲を貫いた。之乃介は手から刀を落とし、後ろにと下がる。――甘い。刀の動きを止めないのが我流朝山一伝流、それだけで終わるはずがない。

「朝山一伝流で斬られることを光栄に思え」

 後退せず、前進する。刀のない人斬りなぞただの案山子だ。

 中段の構えで距離を詰め、仕舞には刃を喉仏に当て、近くまで寄り、よく聞こえる声で問う。

「流星刀をどこにやった?」

「流星刀なぞ、知らぬ」

「寝言をほざくな。お前が斬り殺して剥いだ刀のことだ。あるいは、誰かに頼まれでもしたか」

 黙り込む之乃介。俺様は更に刀を押し当て、観念した汗を垂らしてからようやっと喋りだした。

「麻山一伝流は知っているだろう。その今の当主である麻山一伝幸之助あさやまいちでんこうのすけなる者に依頼されて奪った。今も其奴が持ってるはずだ」

 麻山一伝流、それはかつて俺様が父から教わった流派であり、俺様が捨てた剣技だ。

 麻山一伝幸之助、十四代目麻山一伝流当主であり、俺様の弟だ。

 麻山一伝流、幸之助、どちらも憎き存在であるが、何よりも幸之助が憎い。あいつの存在のせいで俺様の性である麻山一伝は奪われ、朝山一伝と名乗るようになった。あいつの剣技のせいで俺様は父から見放された。

「何処にいる、吐け」

 首を振る。知らぬのであれば仕方がない

 喉仏に当てていた刃を離し、一呼吸置く。そして相手が完全に気を抜いたその刹那、すっ、と素早く袈裟に切り捨てた。之乃介は両腕を上げ、大の字でその場に倒れ、絶命したことを確認した。

 刀の血を払う、その時であった。まただ、あの時の廃寺で感じたあの視線を感じた。

 ばっ、と視線の方へと身体を向ける。そしてその方へと叱咤を叫んだ。

「何者だ、蔭から見てないで出てきたらどうだ」

 影が動き、その場を去るような仕草を見せた。すかさず、懐にと入れていたピストルを取り出し、発砲させてみせた。

 バン、火薬の弾ける音と共に俺様の顔が火花で灯る。そして、影の者が動きを止めた。ピストルの玉が当たったとは思えぬ。であれば、音に恐れをなしたか。いや、違う、相手はあえて止まり、こちらにと近づいて来る。

「指示通り、ここに。お久しぶりです、兄様。それとも、お気付きであれば昨晩ぶりでしょうか」

 相変わらずと肉が付いているのか怪しい細身のひょろっとした骨格の者は、間違いなく弟である幸之助であった。

「お前が、流星刀を持っているのだな。訳は言わない、あるべき者の手に返してもらおうか」

 本来ではあれば何か聞いておくべきなのだろが、今の俺様にはただ、目の前の幸之助を

斬ることで頭がいっぱいであった。

「幸之助は悲しいです。よもや、兄様が人斬りとして身を堕ちているとは。今なら間に合います、どうか麻山一伝流の道場に御帰り下さい」

「けっ、今更何を。俺様はもう人斬りでやっと生きれる体だ。お前の腰にあるもう一つの刀が流星刀だな? 斬らせてもらうぞ、我流朝山壱伝流でな」

 抜いたままの刀を中段で構える。幸之助も柄の陰に手を当てて抜打ちの構えをする。

「こちらは、麻山一伝流でいかせてもらおう」

 麻山一伝流は鞘に刀が収められてあっても、抜くまでの隙は無いに等しい。そう、この状況は幸之助にとってはもう構えであった。

 こちらがどうしまいかと、考えている時であった。揚袈裟斬り、それが繰り出されたのであった。だが退かず、しかし前進はせず、刀を交わらせて守る。唄い唄わせ、それが麻山一伝流の趣旨である。なればこそ、ここはただ耐える時であった。

「攻めぬのであれば、こちらからいくまで」

 その瞬間であった、俺様の知らぬ麻山一伝流が繰り出された。

 揚袈裟斬り、と来たらその次には袈裟斬りが当たり前であろうはずが、面を斬って来た。

 後ろに半歩下がり、二寸五分で外させる。

「やはりその動き、麻山一伝流そのものだ。本当に戻って来るおつもりは無いのですか?」

 斬り合いをしているのにも話をするほどの余裕を見せる。――そうか、真剣の斬り合いをしているのは俺様だけなのか。

「断る、俺様は斬り合いをしているのだ、にも拘わらずお前は喋る余裕を見せた。それはつまり本気でやっていないことだ。そんな者の言葉が通ずると思うか?」

 胴を狙い、横にと一閃を刀で描く。しかし、これは避けられる。だが、更に技は続ける。これも元を辿れば麻山一伝流の教えだ。そうだ、今の我流朝山一伝流だって本当はただの麻山一伝流の応用だ。結局は自分の流派すら斬れていないのだ。だが、それも今晩までだ。今日、今ここで幸之助を斬り、麻山一伝流を越えてみせる。

 胴の次は、横にやった刀を体の中心に寄せ、突きを繰り出す。しかしこれも避けられ、今度は二寸五分で避けた。だが終わらぬ。元より次で終わらせるつもりであった。

「見切れるものであれば見切ってみろ」

 前進する、どうする? 幸之助は退かなければ進んでも来ない。――勝った、その文字が浮かんだ。幸之助は見誤ったのだ。

 袈裟に斬る、そのはずであったが、即時に幸之助は鍔で受け、阻まれた。強い衝撃が幸之助の刀に伝わり、手を緩ませたのか刀を落とした。

 やっとだ、これで俺様は勝った、一度も勝つことができなかった幸之助に勝ったのだ。勝利に俺様は雄叫びを上げた。

「慢心者が」

 小さな呟きが聞こえた。その刹那、手に無いはずなのに刀を手にして幸之助は振るっており、俺様の体を抜打ちしたのであった。

「二本ある、それが麻山一伝流の基本」

 二本差しでの戦いを前提としたのが麻山一伝流だ。そうだ、それは始めに教わることであった。それなのに俺様はそれを忘れていた、いや、油断していたのだ。

「唄い唄わせ、それが麻山一伝流であるのに、兄様はそれを忘れて斬り合った。もはや、私の知る兄様はここにはおらぬ」

 そうだ、そうであった。唄い唄わせ、それが麻山一伝流だ。唄わされ、調子に乗らされたのは俺様であった。

 膝を着く、もはや刀を振るうほどの余力はない。あるとすれば、なんであろう。辞世の句を考える程度だろうか。

「最期に、言っておくことがあれば聞こう、人斬り」

「……いや、何も無い」

「ではさらば、名も亡き人斬り」

 そうか、最期にお前は俺様から名すら奪い、ただの人斬りにとするか。それも良いだろうし、当然なことだろう。名のある剣士、人斬りなど所詮は高家になんらかの伝手やコネがあったからだ。柳生宗矩とかがいい例だろう。それに比べ、俺様は何にも無かった。ただ、あったのは人斬りだけであった。それに、弱ければ死ぬ、と口にしていたのは俺様だ。――暗転する。今度は意識そのものが遠のき、世界の音も耳に入らぬ。

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