第50話 魔女と別れ
三学期の途中の話、春休みは未だに来ないものの、中学では三年生を見送る卒業式得覆えて一週間だろうか。
那雪の心の中には優しい先輩もいなければ面白い人物さえいない。体育祭や学校の集会以外で世話になった覚えが無ければそこでの繋がりもあるのかないものか曖昧なモノに過ぎない。
そんな人々に特別な想いを馳せることも無ければ心からの祝福を与えることも無い。そんな彼女の中に一つの寂しさが芽生えてしまうのは四歳上の奈々美が高校を卒業してしまうからだろうか。
渦巻く思い出、湧いて舞い上がる過去はどれもこれもが彼女との思い出ばかりで卒業生の名前と叫び声に近い返事を上げて立つ、そんなことの繰り返しの中で那雪が浸っていたものは様々な思い出たちだった。
奈々美との出会いは話しかけてくれた事、今思えば不審人物のようにも思えてしまう。あの日の那雪が奈々美に救いを求めてしまったのはそれだけ参っていたがため。
それから箒に乗せてもらって飛んだり様々な場所に行ったり、時には魔法すら関わって来ない日常を過ごし続けただけのものだろう。
あの日々が愛しくて温かで。温かと言えば肉まんを分け合い頬張りカシミヤのマフラーをもらい、と言った優しい日々の欠片が輝いていた。
そうした目に映るものだけでなく、他にも様々な物をもらったような気がしていた。
那雪がこの日を歩んでいられるのは、日々の中に再び楽しみを見つけることが出来たのは、間違いなく奈々美のおかげだった。彼女がいなければきっと今頃笑顔など人々に愛想を振り撒いて相手の機嫌と見せかけの平和を咲かせるためだけの装飾品と化していたかもしれない。
やがて人々の全てが立ち上がる。卒業生一同に送られる言葉の薄っぺらなもの、本気で受け止めることの出来る人生の形に、言葉を贈られるに相応しい学校生活に憧れながらも今と言う時の幸せに浸り続ける。
これから一年後、那雪には変化が訪れるものだろうか。周囲に座る同級生からの扱いを思い出しながら不可能だと首を左右に振る。
どうすることも出来ない環境、変えるにはよほど大きな努力をしなければならないものだろう。
那雪が積んで来た経験や有り合わせの知能では一生かかっても上手く行かない事だろう。もう少し綺麗な顔をしていれば性別問わず味方の一人や二人拵えることも容易いだろう。しかし、今は現実を見つめるのみ。自分には何一つ人として生きる才能が宿っていないということに嫌悪を覚えていた。
卒業式を終えて歩いて行く。足取りは重く、思うように進まない。それでも那雪は進んで行く。奈々美のこれからがどのようになってしまうのか、どのような道を歩むのか、今まで通り一緒に過ごすことが出来るのか。希望を抱く事など出来なかったものの、真っ黒な絶望というわけでもない。そんな夏の気温程度の水道水のような想いを零しながら家へとたどり着く。
初めにとポストを開いたそこには一枚の葉書が収められている。
嫌な予感、怖れていたことの訪れを感じ取りながら恐る恐る手に取った。
☆
未だ満月になりきれていない月の下を歩く。冷たい風の吹く世界を歩くためにいつも巻いているカシミヤのマフラーは完全に馴染み切ってしっとりと那雪の肌に寄り添っていた。
夜闇のスクリーンにあの葉書を映し出す。追憶の像に刻まれた言葉は別れを思わせるもので、今夜突然挨拶の為に呼び出すという形。
寂しさを拭い去るにはどれだけの苦労を背負う事となるだろう。見通すことがまるでできない深い夜闇。
やがてたどり着いたそこは路地の中、建ち並ぶ家に囲まれた場所。那雪が住むベッドタウンでも表情をここまで変えるものなのだと思い知らされた。
街灯が弱々しい輝きを送り、それを頼りにしなければならないという状態。
一寸先は闇、那雪の人生そのもののように思えて仕方がなかった。
闇の向こうから訪れる柔らかながらに落ち着いた雰囲気が那雪の求める人物なのだと知らせてくれる。
やがて微かな明かりがかかるそこで立ち止まり、那雪の方を真っ直ぐ見つめる。
「ごめんなさい、私、少しの間遠くに行ってしまってなゆきちを一人置いて行ってしまうの」
想像していた、いつかは来るのだと分かっていながらも来ない事を祈らずにはいられないその時が来てしまった。
「もう高校を卒業してこれから他の魔女たちの世話になる年頃だから」
那雪の白い手をつかみ、小さな手の平の上に柔らかな手の平を重ねる。冷たい手の温もりの中に別の感触を得た。
「これを持っていて」
紙と細い布のような感触が肌同士の触れ合いの中で印象に強く残る。その異物はあまりにも愛おしいものなのだと関係が語っていた。
「なゆきちの『会いたい』って言葉が聞こえたら必ず会いに行くから」
それは紛れもない別れの挨拶、一旦幕を降ろす時間が否応なしの訪問をする。誰にも邪魔が出来ないその関係にも時間と言うものは平気な顔をして割り込んで来る。
那雪の顔を見つめながら名残惜しそうに魔女はその手を放し、箒に跨る。
きっと奈々美も別れの時間など来て欲しくなかったのだ。
溢れ出る悲しみをどうにか抑え、宙に浮かび始めた魔女の姿をしっかりと目に焼き付ける。飛び去り、星に混ざって消えてしまおうとも、那雪の瞳の中では何よりも美しく輝き続ける一等星の姿が燃えている。炎すら扱うことの出来ない彼女の魂が激しく燃え上がっているように思えた。
一人残された那雪はその手を広げ、残されたものの姿を視界にお迎えする。手に収まる小さな紙と上部に開けられた穴を通って優しく結ばれた薄水色のリボン。そこに貼り付けられた葉の姿を見て、想い出が生きていることを実感して緩やかな笑みを寒空に染み込ませる。
可愛らしい四枚の葉、幸運の葉が貼り付けられた栞がその手に収まっていた。
魔女と私 焼魚圭 @salmon777
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