第49話 神社

 冬という季節は様々な生き物たちに静寂を与える。森や山と言った場所に潜み眠る活気、風が運び込むものは恐ろしいまでの静寂だった。

 心まで凍えてしまいそうな季節の中、カシミヤのマフラーを巻いて歩く。いつもの公園を見つめながらもそこへと足を運ぶことも無く。黒い車道は車の汚れと寒気が積もって厚みを増していて、重々しさに沈んでしまいそう。

 黒の中に塗り付けられた白の線は薄汚れていて見るからに古びていた。

 信号機の指示に従い横断歩道を渡った先に待ち構える苔が差し込む石の鳥居は神社の入り口だと灰色の身体で示している。如何にもここから先は神様の住所だと示している姿、気高く佇む帳の無い門をくぐって石の道を進む。

 三歩進んだその先に待ち構えている階段を上り、本殿には進まず横へと続く道を進んで行く。石の道は本殿へと続く直線にしか作られていないようで、靴が石を叩く音はすぐさま砂と微かに擦れ合う音へと変わる。

 乾いた木々の香りは淡白で、何もかもが寂しい季節なのだと改めて思い知らされていた。

 砂を踏む心地に身を置きながら幾つか設置された遊具の内のブランコに腰掛け、心温めてくれるあの魔女を待ち続ける事ニ十分。

 那雪の目はフェンスの外側を捉えていた。寒空から流れ込んでくる車や外を横切る人々の膨れた姿。

 那雪は寒さが苦手だったものの、服を着込むことが出来る事とカシミヤのマフラーを巻くことが出来るという二点が高い評価を与えていた。か細い脚を包む厚手のタイツとやつれた体を覆うベージュのコートと膝までを覆う薄灰色のスカート。

 自分の惨めな部分の全てを隠し通す衣は那雪の存在感を消し去ってくれる。周りと比べて嫌な雰囲気の輪郭で浮いてしまう自分が周りに馴染む季節。マフラーに手を添えて奈々美の姿を身近に感じていた。

 そうして更に待つことニ十分程度。それだけの時間を経てようやく彼女は姿を現した。

 厚みのある身体はローブによってさらに膨れているようで奈々美にとっては苦手な季節なのだという。

「でもでもなゆきちといちゃついても暑くないからそこは好きだわ」

「そんな理由で」

 呆れ混じりに呟いた。暑くても寒くても彼女の愛情は熱く燃えている。揺らめく情はきっと抑えることが出来ないのだろう。ゆらゆらと揺らめきふらふらと震える心はそれでもしっかりと根を張り生きているのだと言うもので、ある種の尊敬を抱いてしまう。

 彼女の手を握り、ブランコから降りる。地に着いた脚がつかんだ重力は緩やかでありながら夏と比べるとはっきりとしていて目が素早く微かに細められた一瞬。その瞬く瞬きに似た動きを奈々美が見逃すはずがなかった。

「そうね、この季節は少し重たいわね」

 鞄をしっかりと肩に掛ける。分厚く感じてしまう生地に掛かった紐はどうしても曖昧な印象を受けてしまう。

「今からお祈りしましょ」

 奈々美の言葉に導かれるままに地を踏み、砂の心地を身体中に染み渡らせながら石の道へと戻りゆく。

 真っ直ぐ進み、本殿と向き合って奈々美は分厚い紺色のサコッシュに手を入れる。

「奥宮までは行かないけどもいいかしら」

 那雪は鞄から財布を取り出しながら笑みを浮かべる。

「大丈夫」

 滑りやすく足場の悪い階段を上るのは気が進まない那雪としては救われたような気分だった。

 そのままブラウンのツイード生地の財布を開いて小銭を取り出し賽銭箱へと放り込む。

 金属の丸は木の格子をくぐり抜けてそのまま賽銭箱へと吸い込まれて行く。

 赤と白の縄の捻じれによって作られた太い縄を那雪の手がつかんだ途端、奈々美の手も同じように縄をつかむ。

「奈々美」

「イイでしょ」

 軽やかな笑みを浮かべながら那雪の感情を揺さぶるように縄を揺らす。重々しい鈴の音が凍りついた空気を揺らして耳を叩く。音に続くように二人は二度の礼と二拍を揃えて示して一度の礼と共に願いを無言で唱える。

 それから一歩下がって再び一礼をして振り返る。

「なゆきちはどんなお願いをしたのかしら」

「奈々美こそどんな願いをしたのかな」

 互いに話すことの出来ない事なのだろうか、話すまでもない事なのだろうか。

 どちらも共に明かすことのないまま日頃は立ち寄ることの無い道を進む。川の道のりに沿って備えられた色褪せたガードレールや残された田んぼや果てしない年季を着込んだ家を通り過ぎて小さな古墳がある公園のベンチに腰掛けて。

 奈々美の目はしっかりと那雪に向けられた。

「ここなら神さまも聞いてないし偉人も退屈して去ってるはず」

 そこまでして願いを聞きたいのだろうか。きっと、那雪の声と言葉が聞きたいのだろう。那雪の目はしっかりと奈々美を見つめ返す。

「これからも奈々美と一緒に過ごせますように」

 奈々美の頬と目元はみるみるうちに緩んで行って、人前で見せるにはだらしない崩れた笑顔が出来上がる。

「離れ離れになってもなゆきちと再び会えますように」

 溶けた表情から出て来る声は少し潤んでいたよう。二人の道が別つ時がすぐそこにまで迫っているということを那雪が知ったのは別れの時間の訪れそのものによってだった。

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