第48話 冬の寂しさ
過ごしてきた日々が凍りつく。灰色の空にチラつく白い雪は思い出の欠片なのだろうか。
去年と比べて随分と控えめな雪の態度に那雪の中に潜む気持ちは更に大人しさを見せる。
「私って結局奈々美に救われっぱなし」
誰に呟いたわけでもなく、ただここで一人零しただけの言葉は雪と共に緩やかに揺れながら地へと落ちていく。返事など初めから必要ない、独り言に過ぎなかった。
「いいえ、私もなゆきちに救われて来たわ」
いつ聞いてもフィクションから学んだような口調を放つ彼女が聞いていたのだと知って那雪の頬には赤みと熱が共に運ばれて流れ込む。
「あなたのおかげで私はどこまでも育って行けたもの」
言葉を疑ってしまう。那雪にとっては様々な事を知っていた人物。既に多くのことを学んで遠い存在に思えていた彼女が那雪から学ぶことなどあるのだろうか。
「お世辞は」
「お世辞じゃないわ」
ここでも落ち着いた声を優しい調子で奏でていた。柔らかでひんやりとした指を那雪の唇に当ててしっかりと微笑んだ。
「なゆきちがいなかったらいつまでも親と学問だけが私の全てだったもの」
結局のところ似た者同士だった。
那雪にとって遠かったはずの彼女がすぐ傍にいるように感じられる。歩けば歩く程同じ速度で遠ざかっていく彼女の背は幻想だったのだろうか。積もらない雪、注がれてはすぐに溶けてしまう粉雪は妨げも架空の道も作ることなくただ二人の進む道を許しているように思えた。
「似た者同士だから、魔法を幾つか教えてみようかしら」
理由がどうにも理解できない、その程度の軽い気持ちで教えても良いものなのだろうか。不安を抱く那雪の心など力なく下がった眉と不安を訴える目、胸に当てられた手がしっかりと語っていたようだった。
「大丈夫、初めてでもすぐに使えるから」
どのような魔法なのだろうか。これまで奈々美は空を飛ぶ魔法くらいしか見せていないように思えてしまう。他は殆どが嘘なのか失敗なのか、見せていない印象。
「まずは顔ね、ほら、雪を見つめながら微笑んで」
言われるままにそっと控えめに微笑んで見せる。人よりも微かな笑みは薄っぺらな顔に上手く乗せられてしっかりと色付いていること。奈々美はそんな少女の顔を見つめて落ち着きなくローブの裾をつまんでいた。
「いいね、私も思わず笑顔になっちゃう」
魔法とはこのようなものなのだろうか、納得がいかなかった。
「これが人を笑顔にする魔法、笑顔の魔法よ」
それは魔法でも何でもなく、誰にでも出来ること。奇術と呼ぶことすら出来ない代物でしかなかった。
「これって魔法なのかな」
那雪の疑惑の目を見つめながら奈々美はそっと口を動かす。
「表情は人の気持ちを動かす魔法よ」
真剣みが見えないものの、魔法が使えるはずの無い一般人に教え込むものとしては適切なのかも知れない。
表情の全てがある種の魔力を帯びたものと言葉にして締めくくった。
「次の魔法を教えてあげる」
そう告げた途端の事だった。那雪の身体を素早く抱き寄せて唇を重ねる。カシミヤのマフラーが温もりをもって二人の肌を撫でる感触をよそに、奈々美の温度が唇から伝わり顔は更に赤らんで行った。
「これが魔女の接吻、好きな人とかここでは言えない交渉術とかに使えるわ」
やはり、初めから魔法など教えるつもりはないのだろう。那雪は期待を裏切られたような気分だった。
「魔法の才能はありそうだからねえ、ちょっと教えてみようかしら」
思わず顔を上げてしまった。言葉そのものを魔法だと言いかねない流れだと分かっていたはずなのにどこか期待してしまう自分がそこにいた。
「自分の中、特におヘソ辺りと心と頭に意識を集中させて」
魔法を操る才能のある人物はヘソの辺りに魔法を操る器官でも持っているのだろうか。那雪は去年の夏の事を自然と思い返していた。奈々美の炎の魔法の失敗で火傷を負ったのは腹部から太もも辺りだった事。
「いいかしら、どんな魔法が使えるか分からないから私が教えるのは属性とか無い簡単なのだけ」
「簡単なのって殆ど失敗してなかったっけ」
「えへへ」
笑って誤魔化し無理やり流れを続けてみせる。
「とりあえず集中して」
奈々美の教えのままに意識を集中させる。三ヶ所は難しい、魔法を操る器官か何かに意識とは言っても分からない。心と頭はどのように違って来るのか。
「その魔法は助けを欲しがるサインね」
奈々美は那雪の身体に右手を回しながら心臓辺りに、左手をお腹に当てて肩に顔を乗せる。
「表情に出てるわ」
奈々美の手の感触が分厚いコート越しに伝わって来る。強い温もりに沿って意識を集中させる。
「なゆきちは考えすぎない方がいいタイプね」
整った事を確かめながら奈々美は次の意識へと移そうと指示を出す。
「右手を伸ばして降って来る雪を集めるよう集中して」
ただそれだけの言葉に気付かされた。冬の寂しさはいつの間にか和らいでいた、これもまた感情を動かす魔法なのだろうか。
那雪の細い手に意識を寄せる。
共に空を舞う雪が引き寄せられて手に積もって行った。
「よし、後は自分なりに頑張ってね」
魔法の世界に踏み入れてしまった。それを実感しつつ奈々美の目を見つめる。いつもに増してにこやかな笑顔はまさに彼女の本音。
「最後に、あと一つ魔法を教えてあげる」
那雪の手を握り締め、密着した体勢のまま流れゆく時間。寒気ですら手を出すことの許されない雰囲気が見て取れた。
それは諦めないこと、諦めなかったからって全てが叶うわけじゃないけど、諦めたら何も叶わないから。
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