第47話 キジバト
この朝は優しい気温をしていた。緩やかな空気といつもに増して澄んだ空、そこに住まうような顔をして滑り続けるカラスたち、木々は微かに揺れて穏やかな合奏を奏でる。
そんな和やかな雰囲気の中で独特の鳴き声を優しい声で響かせる鳥がいた。
でーでぽっぽぽー、でーでぽっぽぽー。
時たま田舎で聞こえてくる鳥の声はこの街でも耳にすることが出来た。
「大好き」
那雪はあの鳴き声への愛しさをつい言葉にしてしまう。果たしてあの鳥の正体は何者だろう。フクロウかミミズクを想像していた。
「大好きだなんて嬉しいわ」
いつの間にここにいたものだろうか、気が付けば愛しの魔女が隣に立っていた。
全身に熱が巡り、恥じらいが喉元にまでこみ上げてくる。あまり良い感情ではない事は明白だった。早く取り払ってしまいたかった。
しかし熱は通り過ぎてくれない。那雪は感情に力を持って行かれて声を上ずらせる。
「あの鳴き声、どの鳥かなって」
分からないものは分からないのだから仕方がない、そんな言葉を挟んだのちに奈々美は答える。
「でも私は知ってるわ」
魔女の知識は那雪よりもはるかに深いもので、那雪は度々驚かされていた。きっと今回も無知をひと思いに既知へと変えてくれるものだろう。
「アレはキジバトっていうハトの一種よ」
那雪はここ最近で最も大きな驚きを拾い上げた。奈々美から贈られて来た知識は那雪の想像を真っ直ぐ否定してみせたのだから。
那雪の想像ではフクロウの仲間だと思っていたものが実はハトだったという事。
「そうだったの」
疑問は奏でられるものの、奈々美はその顔その反応を既に見慣れているためだろうか。優しい笑みを浮かべながら大きく頷いた。
「キジバトの姿、見てみたくはないかしら」
「気になる」
即答に満足感を乗せながら飛ぶ。那雪の身体は箒に乗せたところで人というより重たい荷物程度の感覚なのか、奈々美の操作に悪影響を及ぼすことも無く。
「今から屋根でも見ていて」
進みはいつになく緩やかで、那雪の目でも景色を追うことが出来てしまう。
「多分まだその辺にいるはずだわ」
奈々美を抱き締めながら見つめる景色、柔らかな触れ心地は那雪に赤子の気持ちを呼び起こしてしまう。
赤、黒、茶色。色とりどりの屋根があって、瓦だけでなくコンクリートで作られたのだろう、平らな屋根も見受けられた。
そこに留まる様々な鳥や落ち葉の姿があった。きっと風で運ばれたものなのだろう。ささやかな自然が展開されている様子に満足感を抱いていた。
「どれがキジバトなのかな」
疑問を投じた瞬間のことだった。箒が高度を下げる。見通すことが出来ていた屋根が、いつもよりも近く感じていたそれが更に近く、目を凝らすまでも無く瓦の形や敷き詰めの具合いまで分かってしまうものだった。
「そこで膨らんでる子」
屋根の上で丸まっているように見えるハトたちの中から聞き慣れた鳴き声が響いて空を彩る。
でーでぽっぽぽー、でーでぽっぽぽー、でーでぽっぽぽー。
声は那雪の耳にまでしっかりと届いた。レンズ越しの視界の中で胸を膨らませて口を開くハトの姿が愛おしい。
「あの子かな」
「あの子よ、間違いないわ」
これまで何年もの間、彼やその友だちに親にご先祖様までもが同じように鳴いていたのだろう。鳴き声の中に宿る感情が見えて来ない。ただひたすら歌っているようにしか見えないものの、もしかするとあの声の中には激しい感情が宿っているのかも知れない。
「可愛い」
人とは実に呑気なものだと呆れられているかも知れない。もしかすると人の声もハトにとっては街の中で鳴らされる音の一つでしかないのかも知れない。
「キジバトって言うんだね」
「そうよ」
改めて言葉にして確かめる那雪の顔を見つめながら答えるだけ。
「奈々美はキジバト好きなの」
投じた疑問はどのような言葉で色付けされて返って来るのだろう。奈々美の薄茶色の瞳は那雪への愛しさに濡れて感情がぼやけてしまって想像も付かない。
「まあまあかしら、たまに癒されるくらいには好き」
つまるところ、那雪と同じように自然の美しさを受けて、和やかな想いに抱かれている人物なのだった。
「それはそうと、なゆきちはこれから暇かしら」
「暇だよ」
清々しい程の即答は昼前の涼しさに馴染んで花とはならない。しかしながら空に架かる薄いリボンのよう。これから迎える時間はきっと幸せなものになる。そう確信していた。
「じゃあ、サンドイッチでも作ってくろねこも連れて一緒に何処か行こうかしら」
初めからそう決めていたのだろう。このやり取りはいつも通りの出掛け前に少しの時間を頂戴して那雪の疑問に答えただけのもの。
そのはずなのにたったこれだけの事が那雪の中では大きな事のように感じられて仕方がなかった。
今日の日記の中身はキジバトの事が殆どを占めるだろう。那雪の中だけで完結される文字の並び、書き綴っては誰にも見せる事もない感情の記録は奈々美に知られることすらなかった。
昼のお出掛けに向けてサンドイッチを作るべく、二人足並み揃えて家に向かう。
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