第46話 変わらないもの
永遠に変わらないもの、それはどれ程美しい響きなのだろう。ただただ保たれる綺麗な縁はずっと繋がる円を描き、回り続けることだろう。
しかしながら世のものの何もかもが変わらずにはいられない。万物は永遠という甘美な響きに入ろうとしては嫌気を感じる事となってしまう。
那雪のメガネ越しに映る海、去年は二人で中へと入って行ったが、今日は泳ぐための準備などしていない。この海に飲まれるという事は奈々美の痛々しい火傷跡を人々の目に晒すことになってしまう。
「奈々美はかき氷でも食べてて」
奈々美が肌に張り付く程締りの良いチノパンを履いて脚をくるぶしまで覆っているのはきっと火傷跡を気にしての事だろう。那雪のように自分の身体への自信の無さから選んだハイウエストのジーンズとはまた違った理由だろう。
奈々美は那雪の腰に手を回し、並んでというよりも密着に近い形で歩く。
「なゆきちは腰もうちょっと広くなりそうね」
身長は伸びない、肉付きはこれ以上良くなりそうにもない。少なくとも年と共に訪れる醜い肉付き以外とは縁が無いのだろう。そんな中で腰が広くなるのは迷惑な話だった。そこだけが強調されてしまうのはどうしても気になってしまう。
「広くなっても脚の付け根くらいしか出て見えないから大丈夫と思う」
「私の分析やめて」
しかしながら奈々美は彼女の事を見つめる事をやめようとはしない。それどころかさらに細かな所、隅から隅まで見通そうとしている様が見受けられた。
「全体的に細いし薄っぺらいからもうちょっと自信もって短い服選んだらいいのに」
「スタイルに自信ないし、奈々美こそ最近凄く艶めかしいよ、全体的にむっちりしててでもダイエットの効果は出てるね」
「ありがとね、私の事そんなに見てくれるなんて嬉しいわ」
言い返したつもりが誉め言葉として受け止められただけに過ぎなかった。人の事を細かく見つめ過ぎる事が不快だとどのように伝えれば分かってもらえるだろうか、数十秒だけ考えて諦めという場所にたどり着いてしまった。
袖を覆う長さを持ったくすんだ白のティーシャツは恐らく初秋の装いだろう。分かってはいたものの、去年よりもみすぼらしさへの自覚は増していた。故に露出は最低限にまで抑えようという考えに囚われていた。
変わるという事がどれ程残酷な事なのか、しかしながら変わるという事が自分の為になっているという事、現状は間違いなかった。
奈々美は身を溶かすような暑さに、那雪は干からびてしまいそうな暑さに、それぞれ同じように耐え兼ねて結局二人揃ってかき氷を買うという形で収まる。
那雪はその手に濃い紫のシロップのかかった氷の小山を、奈々美は青い深海のような氷の宝石を。印象を分かち合って同じものでも見方が全く異なるのだと互いに気が付いてしまった。
「奈々美は宝石とか絵画に例えてたんだね」
「そんな見方ね」
去年の那雪では気にすることもなかっただろう。前を向いたからこそ、変えあったからこそ見える景色があった。
「なゆきちは自然が好きって伝わって来るわ」
ふふっと笑い声を交え、口を隠すように手を持ち上げて奈々美に流し目を向ける。
「正解」
海岸線を歩き続ける。岩場や砂地が設置されたそこに在る空と海の曖昧な色合いに心を打ちながら隅の方に微かに彩られた木々の緑との合奏を、潮のメロディを耳に飾っては気持ちを落ち着ける。
「海の音って落ち着くから好き」
あくまでも那雪の触れる世界から零れ落ちた感想。奈々美はどのような世界を見ているのか気になって仕方がなかった。
「全てが綺麗な色の飾り。なんて絵の具かしら、神さまの特別製ね」
この二人の違いはあれども美しさが揺らぐことは無い、それだけが那雪の中に芽生えた理解。
「奈々美」
「何かしら」
海を眺めるだけで気が付いた違いはようやく那雪の言葉になることが出来たようだった。
「去年の今頃は分からなかったけど私たちの違いが今じゃしっかりと見えて来る」
「そうね」
奈々美はポケットに手を突っ込み、輝く丸い金属の塊を手にして開く。銀色の気高くも落ち着いたそれは、凹凸によって描かれた月桂樹が目に焼き付くような印象を放った蓋。開いた途端出て来るのは数字の掛かれた盤と三つの針。
「この時計が刻んだ時間はもう数え切れないわ」
それだけの時を刻んだ時計、那雪と共に過ごす日々の中でも同じように時の経過を瞳に映していたものだろうか。
「それだけの時が経てば何かが変わるのは当然かも知れない」
懐中時計の蓋の模様をなぞりながら奈々美は緩やかな瞳で那雪を見つめる。
「けど、どうしても月桂樹の葉に捧げたい願い、寄り添って欲しい気持ちもあるの」
きっと変わって欲しい事が幾つもある中で変わることが怖い事もある。奈々美も那雪と同じような想いを抱いているようだった。
「大丈夫、私たちの関係は簡単には変わらないから」
世界は変わる。いつまでもそのままでいられる事などこの世界の何処にも存在しない。
それでも二人の想いだけは変わる事なく優しく流れ続けていた。
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