140文字で呟かれた小さな物語

並木空

『文を綴り披く月2024』

Day1 夕涼み


夕暮れが乱反射を起こしている。白粉花の香りに乗ってやってくる夏の色だ。肌を灼くような太陽光線は滲んでいる。それは溶けきった檸檬色のドロップスのように、硝子の底へと沈んでいく。濁った甘いそれは夜が来る前に風のように去っていくだろう。甘い味わいとパウダリーな香りと涼やかな音色と共に。


Day2 喫茶店


「ファーストフラッシュにしなくても良かったのか?」そう向かい側に座る彼が尋ねた。彼自身は通年で水出しのアイスコーヒーを飲んでいるというのに。私とてこの暑さでは冷たいものが欲しくなる。桃のスムージーを飲みながら、硝子越しに夏の暑さを見送る。銅製のマグカップから氷の溶ける音を聞いた。


Day3 飛ぶ


自由に空を飛ぶ。そんな途方もない夢物語を人間は望むことができるようになった。一部の人間たちは肌で感じることができるだろう。大勢の人間たちは鉄の乗り物を乗って叶えることができるだろう。音の速度すら超えた先もあるらしい。もっとも私は美しく整えられた箱庭の空を飛ぶことで満足している。



Day4 アクアリウム


魚たちは不便ではないのだろうか。それとも捕食される危険がないから案外、快適なのかもしれない。私はメダカの飼育すらできない人間なので、アクアリウムというと見る専門である。大きな水槽の前で泳ぐ魚たちを眺める。訪れたことのない地域の、潜ることもかなわない水域の魚たちは楽しそうだった。


Day5 琥珀糖


「どうせ、まともなものを食べていないんだろう」と甘党な彼が渡してきた透明な小袋。近所の和菓子屋の定番商品だった。時期的なものだろう。七夕を模したような琥珀糖。砂糖を煮詰めたような塊だが、食べると美味しいのは私ですら認めないといけないだろう。袋の中のそれは純度の高い色硝子のようだ。


Day6 呼吸


息を吸って吐き出す。ごく普通の人間であったら意識もしないでしていることだろう。深呼吸をする機会など滅多にない。神さまに選ばれた一部の人間が強く意識をするだけだろう。私は生きていることを、つまり死んではならないことを頭に置いて息を吸って吐き出すのだった。彼を置いて死んではいけない。


Day7 ラブレター


一年に一度しか逢えない牽牛と織女ではないから、私は彼にラブレターを書いたことがない。彼と出逢ってから手紙を介在さる必要がないほど、離れたことがないからだ。今は便利な世の中だから、0と1になった音声がリアルタイムで届くのだ。ますますラブレターというものが存在を危ぶまれるだろう。


Day8 雷雨


セミの絶唱が聞こえない程の雷雨。白い雨に閉じこめられてしまった。幸いなことがあるとしたら、ここが買い物に立ち寄ったスーパーだということだろう。晴雨兼用の折り畳み傘は持っているがこの状況下で帰宅するのは正しい判断ではない。夕立ちなのだからしばらくすれば止むとわかっているのだから。


Day9 ぱちぱち


ぱちぱちというオノマトペ。拍手の音や焚火の音。文学的に瞬きをくりかえす様子を表すのが一般的だろう。ただ、私はぱちぱちという文字から連想するのは、彼のタイピング音だ。さほど大きな打鍵音ではなかった。キーボードは代替わりをしているだろうが、変化したとは考えにくい。懐かしい音だった。


Day10 散った


私は散った花を見て恋の終わりだと思っていた。彼は「受粉して果実ができ栄養素を行き渡されるために花弁は落とされる。果実の中には種子がある。草木を人間にたとえたら、思い通じ合って、子どもができた。恋が終わったのではなく、結実して、次世代へと譲られるんだ。幸せなものだろう」と言った。


Day11 錬金術


常温常圧下では不変の金属。黄金の魅惑。古代から誰もが魅せられて、それを至高と位置付けた。安定した金属であるgoldを溶かすことができるのは王水を代表する強酸化合物たちだけだ。goldの価値は高く錬金術が生み出された。それは化学と物理学の発展に手を貸したと現在では評価できるだろう。


Day12 チョコミント


高い飲み物を奢ってもらっておいて、こういうことを思うことは良くないとは思うが、理解はしたくない。私の手の中にはチョコミント味のフローズンドリンクがあった。店舗自体は甘党な彼らしい選択だったし、期間限定というものは魅力的ではあろう。けれども私はプリンセスに憧れるほど子どもではない。


Day13 定規


鉄製の定規を使って製図用のシャープペンシルで直線を引く。歪んだところもなく、緻密で、正確な線だ。1ミリ単位の誤差であっても許されないものだから、慎重に引いた線だったが、本当の職人というのは定規すら必要なく勘という名の経験則でもって線が引ける。ロジカルシンキングに頼るのは危険だ。


Day14 さやかな


目にも映らない風をさやかな、と歌った歌人がいた。古今和歌集にも載っている有名な和歌は秋の歌だ。俳句の世界では晩夏に当たる今日であっても、風は明らかになる。化繊の白いオーガンジーのカーテンを通して、形になるのだ。微風を緑のビーズやリボンステッチが彩る。緑は彼が好む色の一つだった。


Day15 岬


岬に立ち、空と海の境界線を見てみたいと私が言ったら、彼に失笑された。海からほど遠い場所で暮らしていれば当然だろう。小旅行ではすまない距離にしかないのだ。ささやかな願望ぐらい口にしてもかまわない、と私は思っていた。その夜に彼に連れて行かれたのは仮想現実の昼間の青の水平線だった。


Day16 窓越しの


頭痛がして目を覚ました。心の不調が体に出たのか、それとも季節柄のものだろうか。カーテンを開ければ雨が降っていた。天気は予報通りに雨を降らした。窓越しの水滴にふれる。それは泣けない私のための雫のような気がしてきた。窓越しであっても冷たさが伝わる。彼の家にも雨は降っているだろうか。


Day17 半年


加齢と共に時間の経過が早くなる、というのは本当なのだろうか。幼かった時よりも今の方が長いと感じる。あの夜から半年経過した時の記憶は鮮明だ。約束のように左手の薬指に嵌まった指輪にも慣れてきた。仕事の邪魔にならずに世界で一番安定している金属が静かに自己主張している。きっと彼の指にも。


Day18 蚊取り線香


田舎にあるような光景。寝る前に蚊帳を吊り、縁側で蚊取り線香を焚く。賑やかな鳴き声を聞きながら、まぶたを閉じる夜。そんなものは二次元にしかなかった。私が生まれてくる頃には蚊取り線香は電気式になっていて無香料だった。今は24時間ごとにワンプッシュすればいいだけの虫除けになっている。


Day19 トマト


トマトが赤くなると医者が青くなる。西洋にはそんな言葉があるように、栄養素の高い食べ物であることは確かであろう。料理用に食塩無添加のトマトジュースを購入しようと思っていたら、いつの間にかトクホになっていた。私はスタンダートなトマトソースのパスタを作ろうとしただけなのだけれども。



Day20 摩天楼


遥か昔、超高層ビル群を見た日本人は西洋の文化に驚いたのだろか。Skyscraper。空を削るという英語を摩天楼と訳したのだ。天に届く物見やぐら。西洋人は空を削ると言い。日本人は天に届くと言う。やはりこの国の文化は愛惜しい。そこには憧憬があり、私とて彼が空なら削りたいとは思わない。


Day21 自由研究


夏休みの自由研究として白粉花の咲く時間と咲き方について調べたことがある。彼からは良い顔をされなかった。Four o'clockと呼ばれるように、夕方に咲くか気になったのだ。一つの株から源平咲きや混合咲きするのだ。どこにでも咲いている花なのだから研究にはもってこいだと思っていた。


Day22 雨女


私は雨女になるつもりはないが、結果的になっているような気がする。梅雨が明けたというのに、今日も雷雨の予報が出ている。これは台風の影響ではなく、天気が不安定なことによる。夕立と言えば夕立だが、それ以外の時間も降っている。彼は用意周到だから大丈夫だと思うが、帰宅時間が気になった。


Day23 ストロー


オゾン層破壊から温暖化へ。科学者の視点から見ると地球は深刻なようだ。CO2の削減。悪足掻きのような気がする取り決めにより飲食店ではストローが廃止されたり、紙製のストローになった。地球の表面に住み着いている一生物が地球を破壊できるのなら、すでに地球は破壊されているような気がするが。


Day24 朝凪


私と彼の関係は曖昧な時間帯だった。それは私が仮想現実で名乗っている名前のように曖昧で、彼が仮想現実で名乗っている名前のように夜に向かう時間だった。今は朝凪のように停滞している。ただ夕凪と違ってこれから吹く風は、海からやってくる。生命の揺籃から朝日と共に変化をもたらす風が吹く前だ。


Day25 カラカラ


喉がひりつくように、心にある空洞のように、カラカラに乾いていた。たった一つのピースなど見つかるはずのない、終わることのないパズル。有限の中で見つかるとは思わなったし、手が届くとは思っていなかった。運命の糸車がカラカラと時節に合わせて回る。手繰り寄せた糸の色は「赤」だった。


Day26 深夜二時


誰もいないフミキリではなく、君の場所へ、駆けてゆきたい深夜二時。結局、答え合わせを必要なほどの子どものままだ。彼女を支えられるほどの強さは手に入ったのだろうか。変わらない街で変わらない自分だけが取り残されているような気がする。それでも彼女が傍で笑っているからかまわないと言える。


Day27 鉱物


石言葉はどれも素敵なものが多い。一般的に鉱物と言えば、そちらをイメージする方が多いだろう。私がはじめて彼から明確な意志で貰った鉱物は石英だ。私の誕生石でもある紫水晶だ。いまだ宝物ではあるが、もっとも大切な物というと異なる。左手の薬指に馴染み始めたgold。私にとって最上の鉱物だ。



Day28 ヘッドフォン


どのような音であっても私にとってノイズになることはない。音がない方が苦痛だ。音がない空間というのは誰とも時を共有していない証拠だった。パソコンに入っている音楽情報があれば過去をなぞって満たされる。彼がくれたCDと同一情報のクラシック。ヘッドフォンが必要な暮らしをしたことがない。


Day29 焦がす


焦がす一歩手前で火を止める。キッチンには甘い香りが充満していた。換気扇は回していたものの、この暑さだ。額どころか、体中の毛穴から汗が流れ落ちている気がする。固まらないように気をつけながら、砂糖水だった茶色の液体を耐熱ガラスの器に移していく。一人分ではないプリンを作る喜びに笑む。


Day30 色相


十六進の色コード#99cc99。緑の中でも明るさの中間色。約549.13nmの波長を持つ。自己主張のしない色なためにメインとしては扱いづらい色だろう。星の数ほどある色相の中から選ぶ人物は少数な気がする。彼にとっては好ましい色なのだ。寝室のカーテンの色は常にその範囲に収まっている。


Day31 またね


またね、と手を振って彼が立ち去っていく。その背中を私は立ったまま見送り続ける。彼が見えなくなるまで、私の家の前で。さようならではない。とお互いの左手の薬指に嵌まっている指輪が教えてくれるけど、心細く思う。すぐさま帰宅の挨拶が届くとわかっている。それでも別れの夕方が疎ましく感じる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

140文字で呟かれた小さな物語 並木空 @iotu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ