残された人ら

@3tamaria

残された人ら

 深夜23時半。ある会社には2人の男女がいた。

「外、すごいですね。台風」

 深井美月は階段を降りながら、上司である横山誠次郎に話しかける。2人は業務が終わらず、台風も相まって帰ることができない状況にあった。そしてお互いがお互いのことをよく知らないがゆえに、そこには気まずい空気がただよっていた。

「先輩って、結婚してるんですか?」

 深井は横山の正面に位置する席に座り、この気まずい空気をたえかねてとりあえずの質問をした。

「とりあえずの質問だなー」

 と横山は言い、背筋を伸ばす。

「してたよ」

 それが今はもうしていないことを示しているのは深井にも分かり、とりあえず質問してしまったからには聞き続けないければいけないという状況のなか、やっぱりこの返答はきついな、質問しなきゃよかったな、と思った。

「と、いいますと、」

 さらに気まずい状況になるのは目に見えていた。が、この気まずい状況が会話を進めた。

「でてっちゃったんだよ、奥さん」

「へー」としか言いようがない。


「今日みたいに台風の日にさ、いきなり。今日夜ご飯なにー?って聞いたら、今から買ってくるー、って。

「台風だよ?」って聞いたんだけど、そのまま行っちゃったんだよ。行ったまま、帰ってこない。僕なんか気に障ったことしたかなー、ってずっと考えてたんだけど、帰ってこないしお腹空いてくるし、しょうがないからテキトーにチャーハン作って食べてたの。でもずっと帰ってこないんだよ。

 何がダメだったんかなー」


 横山はひとりごちるように話した。深井は

「奥さん台風で死んじゃったんじゃないの?」と聞きたい気持ちを抑えて、結局、

「何がダメだったんですかねー」

とおうむ返しをしただけだった。自分にも思い当たる節があったからだった。

 そして沈黙。は破られる。

「ありがとう、じゃないですか?」


 それは深井があまり深く考えずに、深井が浅い思考で言った言葉だった。言ったあとで後悔した。ありがとう、じゃないだろ、絶対。それだけで、ありがとうだけで居なくならなくなるわけないだろ。と深井は自分を叱った。

「ありがとう、かあ」

 横山はため息をつくように息を多く吐いて言った。そのあと、何度も「ありがとうねー、ありがとう、ありがとう」と単調に言った。

「確かに。あの人がチャーハン作ってくれても、雨の中迎えに来てくれても、台風の中買い物行くって言ってくれても、言わなかったかもなぁ」

 横山は後悔とも呆れるとも違うような違わないような表情で言った。眉間には、少しシワが寄っているようだった。

 深井はその表情を泣きそうだな、やだな、と感じていた。何か話さなければ、ポジティブに、とにかく舌を回さなければ、と思った。

 だが深井の口から出てきたのは、全くポジティブなんかじゃない言葉だった。

「私の話、聞いてくれますか、」

 ミスった、と深井は思った。


「私、色んな人に見捨てられてるんですよ。親とか、学校の先生とか。多分そういう体質で。彼氏の話なんですけど、彼氏も、私を置いてでてっちゃったんですよ。置いてって言うほど悪い人じゃなかったし、むしろめちゃくちゃ優しいところのある人だったんですけど。いなくなっちゃったんです。それも、同じ、なんて言ったら失礼かも知れませんが台風の日に。その日、私の誕生日だったんですけど、彼氏忘れてて。だからそれで喧嘩になって。アホらし、って感じなんですけど。で、彼氏がムキになったのかわかんないんですけど、「ケーキ買ってくる」って言って行っちゃったんですよ。止めたんですけど、行っちゃって、そのまんま、」


「し」、んじゃったんだと思うんですけど、と言うのはやめた。それは横山にもわかっていると思ったからだ。そしてそれを言ってしまうと自分がそう思っていると認めてしまう、と思ったからだった。

「何がダメだったんですかねー」

 深井はなるべく明るくいようと思って、精一杯の明るい声で言った、つもりだったが実際は絞り出したか細い声だった。

そして沈黙。はまたも破られる。

「ごめんね、じゃないかな」


 横井はよく考えてからその言葉を言った。傷つけてしまうんじゃないか、と思ったからだった。ごめんね、が言えないなんてこと自分が言われたら凹む、しかもよく知らない上司に言われたら尚更だよな、と思ったからだった。だが言った。この台風の夜の不思議な空気に委ねて。


「ごめんね、かぁ」

 深井は確かに、と思った。彼がどんなに私のタバコを注意しても、それに心配していることを言っても、私は反抗しかしないでごめんね、心配させてごめんね、なんて言ったことはなかった、と。


「ごめんね、言えたらいいね」

「ありがとう、伝えられるといいですね」

 深井と横山はほぼ同時に言った、のとほぼ同時に空に光が走った。その後、爆音が響き、部屋は停電し、真っ暗になった。



 そのとき、横山の前−つまり深井の座っているところ−に、横山の妻が、雷の光に照らされるように現れた、ように横山には見えた。横山は、拳をぎゅっと握り、言った。



 そのとき、深井の前−つまり横山の座っているところ−に、深井の彼氏が、雷の光に照らされるように現れた、ように深井には見えた。深井は、目をしっかりと開け、言った。


「ありがとう、言えなくてごめんね。」

「ごめんね、でも今までありがとう。」



 そこからどれくらいの時間が経ったかわからないが、やがて横山と深井は目を覚ました。

「なんか、変な夢見ました」

「ね。僕も見たよ、変な夢」


あ、と同時に二人は言う。窓から見える外の景色を見て言う。


「晴れたね」

「晴れましたね」

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