観覧車と寿司と板前

根粒菌

観覧車と寿司と板前

「観覧車と寿司と板前」


煙突からサンタさん以外が侵入した場合の対処法を考えていたら、仕事の時間が来た。お風呂に入りたかったが、いまからだと間に合わないと思い、急いで家を出た。私は遊園地のスタッフとして働いていており、仕事内容には満足している。そのため遅刻はまずい。


「おはようございます」

「エノキさん、また遅刻ですか。次やったら屈強な男性を呼んでパンチさせますからね」

「屈強な男性のあてはあるんですか?」

「私の兄はアントニオ猪木です」


これは先週、遊園地の責任者・マスダさんとの会話だ。私のラジオネームはアントニオ・エノキなので、アントニオ猪木に多少の親近感はあったが、そうはいってもパンチは相当痛いだろう。


しかし結果的に私は遅刻をしてしまった。


今日のラッキーアイテムが梅干しの種だったことを思い出し、家に帰って梅干しをなめていたら、乗ろうとしていた電車を逃してしまったのだ。


放課後に予防接種を打つ小学生のような気持ちでスタッフルームに向かった。スタッフは皆なんだか慌ただしく作業している。覚悟を決めてドアを開けた。


慌ただしい理由は、観覧車のゴンドラに寿司が投げ込まれるという事件が起きたからであった。おそらく、感染症対策で夜間にゴンドラの換気をおこなっていたところ、窓から投げ込まれたのだという。犯人は既に捕まっており、「寿司を平面方向ではなく垂直方向に回転させてみたかった」などと供述している。


余談だが、この犯人の小学生時代を知っているという人物はインタビューに対し、「調理実習でボンゴレビアンコをつくっていました。それとタイピングが異常に早いです。あと野球観戦をしていて、バレンティンが打ったライナー性のホームランを素手でキャッチしていました」と語った。昔から、寿司をゴンドラに投げ入れてもおかしくはない特質があったことがうかがえる。


ちなみに私は、スタッフ長に「観覧車の寿司を食べてもいいですか」と尋ね、二十数皿のイクラ軍艦をいただいた。そのせいで痛風を発症し、一週間、仕事を休むことになってしまった。休んでいる間は、セグウェイに乗って動物園を見て回るという、ひどく楽しい夢を見た。


目を覚ますと、楽しい夢とは打って変わり、私はまずい状況に立たされていた。妻に痛風をうつしてしまったのだ。痛風は本来、空気感染も飛沫感染もしないはずだが、妻は異常に目がよい上、清く純粋な心をもっているがゆえに、痛風に苦しむ私を見ていたところ、目視感染を起こしてしまったらしい。かかりつけ医のヤブ医者によると、強すぎる免疫が自分を攻撃し始めてしまう原理と全く同じことが、妻の身体に起こったそうだ。ヤブ医者によると、妻の視力は七十三あるという。いくらヤブ医者の診断だからと言って、素数であることに変わりはない。


痛風を妻にうつしてしまってすっかり元気になった私は、妻へのお見舞いに、バウムクーヘンを購入することに決めた。それは言うまでもなく、妻が、穴のあいたものフリークだからだ。五円玉、台風の目、滋賀県はすべて、彼女のお気に入りだ。無論、私はへそピアスを開けている。ここで注意してほしいのは、妻の贔屓にしている航空会社はJALであるという点だ。あくまでも、彼女の関心は穴という概念そのものにあり、「アナ」という言葉にあるのではない。たとえ穴が「アナ」ではなく「ムナ」であっても、彼女は「ムナ」に惹かれるのだ。

「バウムクーヘンを買ってきたよ」

「バウムクーヘン!」


妻は無我夢中で、バウムクーヘンの入った箱を開けた。しかし、中に入っていたのはのり巻であった。


「これは、のり巻だ」

「ごめんなさい」

「現実的な話をすると、穴の開いているバウムクーヘンを買おうとして、穴の開いていないのり巻を買ってしまうような人はおしまいよ」


そういって、妻はブチ切れてしまった。その影響により、かつてないほどの円高が日本を襲った。みんなが海外旅行に行ってしまい、そのすきに日銀の総裁は不動産バブルをスクラビングバブルに取り換え、その結果、日本のトイレはすっかり綺麗になった。


そうこうしている間に出勤時間になってしまい、エノキさんは身支度をはじめた。朝起きてきた妻の目にのり巻が触れぬよう、のり巻を食べてしまおうと考えた。今年の恵方を調べ、「マスダさんが何もない道で転びますように」「マスダさんにだけ労働基準法が適用されませんように」「マスダさんは所得税が控除されませんように」と願い事をしながらむしゃむしゃとのり巻を食べていたら、乗ろうとしていた電車を逃してしまい、また仕事に遅刻してしまった。


「マスダさん、おはようございます」

「また遅刻ですか」

「パンチはご勘弁を」

「ラッキーでしたね。アントニオ猪木はのり巻になってしまったので、パンチはなしです」

「のり巻!」


また、のり巻だ。しかし、その場はそれどころではなく、マスダさんは怒り狂っている。マスダさんはロン毛の男性で、髪をお団子スタイルにしているので、サングラスがよく似合う。それにもかかわらず、彼がサングラスをかけていないのには、さすがに辟易する。


「遅刻をするということは、仕事、ひいてはこの私を舐めているということですか」

「そんなことはありません」

「いいですか。私とあなたは決して対等ではありません。私が上で、あなたは下。私が大富豪で、あなたは大貧民。私がハットトリックで、あなたはオウンゴール。私がフランス料理で、あなたはウンコ。分かりますか。対等ではないのですから、私に対してア母音を一切使用しないこと。また、私の言ったことは一言一句逃さないように、すべて文字起こししてユーチューブにアップしなさい」

「分かりました」

「ア母音の意味が分かりませんか」

「ヴェッヘ」

「そう、それでよろしいです」


家に帰り、マスダさんの発言を文字起こししていると、玄関のチャイムがなった。インターホンに目をやると、そこにはイカしたスーツ姿のゲッソりとした男が立っていた。


「どちらさまでしょうか」

「夜分遅くにすみません。私は日経平均株価を計算する仕事に就業しております、モチダと申します」

「どおりで左脳あたりが発達していらっしゃる。日経平均株価を計算する人が、何の御用で?」

「これは発達した左脳ではなく、上司からのゲンコツでできたタンコブでございます」

「なんと!」

「最近の日本経済はどうかしてしまっております。そのせいで、われわれは残業残業。計算ミスをするものが続出し、上司も部下に手を出す始末です」

「はあ」

「配られる計算用紙はA4一枚きり。見直し算をしようにも、紙と時間が足りんのです」

「それは大変なことで。私に何かできることがございますですか」

「ある高名な経済学者さまにお話をうかがったところ、高円寺あたりで摩訶不思議パワーを感じると仰っておられました。一生懸命に走って高円寺まで来ましたところ、お宅の真上に台風の目らしきものを発見いたしました」

「なんですと!」


家を飛び出して屋根の方を見てみると、なるほどたしかに台風の目のようなものがあり、仰天してしまった。


「これは摩訶不思議パワーに違いありません」

「そうでしょう。最近何か変わったことはありませんでしたか」

「いろんなものがのり巻になっています。例えばアントニオ猪木やバウムクーヘンといったものが」

「それはあきらかに異様な感じがします。お願いですので、この原因を突き止めてください。私どもも、仕事にならんのです」

「分かりました」


日経平均株価を計算する人が帰ったあと、すぐに妻に事情を説明した。妻は台風の目を見た瞬間、すっかり機嫌を直してしまった。いうまでもなく、台風の目には穴が開いているからだ。猪木の住所は分からないのだから、とりあえずバウムクーヘン屋に行ってみるのはどうかということになり、二人はコートを着て家を出た。


夜のバウムクーヘン屋では、翌日の仕込みのため、トイレットペーパーの芯にバウムクーヘンの生地をまきつけているところだった。


「あの、先日ここでバウムクーヘンを購入したものなのですが」

「いらっしゃいませ」

「実は家に持ち帰ったら、バウムクーヘンがのり巻になっていまして」

「さようでございますか。ご不便おかけし申し訳ございません。そのような事例ははじめてのことですので、責任者をお呼びいたします。少々お待ちください」


店員の女性の丁寧な対応は好感がもてるもので、この店が故意にのり巻を混入させたのではないのだろうと思った。数分待っていると、店の奥から大きな声が聞こえてきた。


「申し訳ございません」

「何度言えば分かるの。私とあなたは決して対等ではないの。ア母音を使っているということは、私の発言を前向き受け止めようとする姿勢がないということよね」

「ボォッチョ」

「ようやく私の言っていることが伝わったみたいね」

「ムンゴ!」

「私が対応するので、あなたは私の発言を文字起こしして、切り抜き動画でもアップしていなさい」


それを見た妻はブチ切れた。現実的に考えて、ア母音を使わないで会話をすることは不可能だと主張している。実は自分も職場で同じ目に合っているということを話すと、妻は案の定ブチ切れ散らかした。結局、バウムクーヘンがのり巻になった理由は分からなかった。


どっと疲れが来たので、翌日の仕事を休もうと思い、マスダさんに有給を消費するという旨の連絡を入れた。すると「あなたの有給休暇はのり巻になったので休暇は受理できません」という返信が返ってきた。ため息を一つ、つかずにはいられなかった。とはいえマスダさんの文字起こしユーチューブでの収益が月百万円をこえていたので、仕事に行くのはやめた。それよりも、今はまずのり巻を食い止めなければならない。分からないことは、とにかく頭のいい人に聞くのがいいだろうと妻が言い、最寄りの大学の物理学者に話を聞きに行くことにした。そこまで決めてしまうと、明日に備えてぐっすりと眠った。


翌朝、パーマをかけ、銀色のネックレスをして大学に紛れ込んだ。物理学部の建物はセキュリティが厳しく、IDを持っていないと中に入れない仕組みになっていた。農学部の牛が首からIDを下げていたので、お願いして拝借し、お礼にデパートで買った化粧水と乳液をわたした。牛はお肌の潤いを感じ、ニキビがなくなってくれるといいなと思った。


物理学部に潜入し、できるだけ眼鏡をかけた頭のよさそうな教授を捕まえた。のり巻を取り巻く一連の出来事について話すと、教授は少し首をかしげてから答えた。


「回転寿司のクレイジー・板前が犯人で間違いないわな、理論上」


考えもしなかった視点に、二人で仰天した。この機を逃してはならぬと確信し、さらに問うた。


「それは理論上、誰ですか」

「誰か教えたらのり巻をくれるのかい」

「もちろんです」


教授はそれを聞き、ゆっくりと机の上のコンピュータをたたきはじめた。


「板前データベースによると、このあたりの板前で条件に当てはまるのは、ぐるぐる寿司・高円寺店のイソムラという奴だ」


二人はさすがに小躍りを禁じ得なかった。教授も鉄火巻き、かっぱ巻き、かんぴょう巻きをいただいてご機嫌な様子。そうはいっても、ここではしゃいではすべてが台無しになってしまうと思い直し、アキレス腱と屈伸を入念に行い、一生懸命に走ってぐるぐる寿司・高円寺店に向かった。


全国陸上競技大会の標準記録突破レベルの走りを見せ、二人は午前中のうちに店に着いた。平日ということもあり、人はまばらでひっそりとしている。待ち時間がゼロ分だったので、席に案内してもらい、とにもかくにもお寿司をほおばった。茶碗蒸しはアサリ抜きにできるかを確認しようと店員を呼び留めると、その店員がイソムラだった。


「あの、イソムラさんですか」

「はい、イソムラです」

「のり巻のイソムラさんですか」

「はい、のり巻のイソムラです」

「私のバウムクーヘンがのり巻になって困っているのですが、やめてもらうことはできますか」


イソムラは滔々と語り始めた。


「先日、ある遊園地で観覧車に寿司が投げ込まれる事件があったのをご存じですか。アテクシ、感動しちまいましたよ。それと同時に、なんでアテクシが先に思いつけなかったのだろうという悔しさがこみ上げてきました。それで決めました。アテクシは誰にもできなかったことをやるのだと。成し遂げるのだと。そもそもアテクシは三半規管に恵まれて生まれております。回転寿司にもってこいだというわけです。でもよく考えたらそれは、私が回転させられる場合の考え方でありました。そこでアテクシは自分の頭の回転速度を利用して回転寿司を作ろうとしました。でもそれも失敗です。いかんせん私は頭の回転がはやすぎる。その過程で、アテクシの脳みその回路にあったアントニオ猪木とバウムクーヘンが、のり巻のかわりに回転してしまったことがありました。大方、質量保存の法則のために、もともとそれらが存在した場所に、のり巻が出現することになったのでしょう」


なるほどそういうことかと納得した二人は、たくさん走って疲れたので家に帰ってぐっすりと眠った。目覚めた頃には台風の目が移動し、大雨暴風警報で仕事が休みになっていて、うれしかった。

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