第5話

 「ほら行け!」


と、放り込まれたのは良いけれど、私の知っているトイレとはまるで違う。

家のトイレの倍ぐらいの広さの部屋に、おまるがポツンと置いてある。

だけど私には、戸惑っている暇は無い。

 

 何と無くの勘で、大惨事は免れた。


 

 建物ここに連れて来てくれた男性は、家主なのかな?

だとしたらお金持ちなのかもしれない。

トイレに入る前、2人の男性の姿を見たし

建物自体が大きくて開放的だった。

それに何より、おまるの横にお尻を拭く為の布がある。

拭いた後の布を入れる為の入れ物もあって、清潔を保とうとする意思を感じる。

何かの施設かな…?

とにかく、あの男の人に色々と聞かなきゃ!



「わっ!…、な、何ですか?」

 


 トイレから出ると、3人の若い男の人が扉の前で私が出て来るのを待ち構えていた。

ここに連れて来てくれた男の人がニヤニヤと笑っている。


「な?(笑)凄くないか?」


「確かに(笑)美味うまそうだ。へへっ(笑)」


 ここに連れて来た男の人が私を見て凄いと言う、2人の男の人に何をどう話したのか。

いやらしい目で見られているのは確かだと思う。

ダ・ヴィンチの話しを聞きたかったのに!

諦めた方が良さそう…。

3人の男の人が、ジリジリと近寄って来る。

逃げるタイミングを見計らっている時だった。

 


「お前達、そこで何をしている。」


 

 ウェーブのかかった肩までの金髪に、窓からの光が差してキラキラ輝いていた。

髪と同じ色の無精髭と、キリッとした形の良い眉。

力強い眼差しにドキッとした。

男性としての色気と力強い生命力を感じる。

身にまとうオーラが凄まじい。

間違いなくこの人がここの家主だ。

その家主は苛立つでもなく、それでいて笑いかけるでもなく諭す様に続けた。


 

「買い物から帰ったなら、早く昼食を作りなさい。」


「すみません。このむすめが困っていたので。」


「どうした?何だ?」


 家主が私に近付くと、ほんの少し心配そうな顔をしてくれた。


「いえ、あの、トイレに行きたくて。お借りしました。ありがとうございます。」


「トイレ?公衆トイレの場所を知らないのか?」


「レオナルド様。どうも外国人ではないかと。」

 

「レ、レ…レオナルド様!?も、もしかして!この方が!?この方が。そうなんですか!?」


 助けてくれた男の人に期待の眼差しを向けると、家主に向かい紹介してくれた。


「この娘、レオナルド様に恋焦がれている様でして…。」


 その言葉を聞いて、じっとなんかしていられなかった。

家主のすぐ側に駆け寄り、抱きつきたくなるのを慌てて我慢した。


「あ、あなたが!レオナルド・ダ・ヴィンチ様ですか!?本物ですか!?」


「本物?(苦笑)いかにも、私がレオナルドだが?」


「ずっとずっと!お会いしたかったんです!!あの、握手して下さい!」


 ダ・ヴィンチは引き攣った笑顔で、右手を差し出してくれた。

私は両手で力いっぱい握手をした。

この人がレオナルド・ダ・ヴィンチ!

手から伝わる熱と感触。

夢でも見てるのだろうか。

いや、こんなリアルな夢なんて、あるはずがない!


 やっと会えた喜びに、胸がいっぱいになって涙がポロポロと溢れてしまった。

ずっと憧れ続けた、私の目標の人が目の前にいる。

聞きたい事も話したい事も沢山ある。

時間が止まれば良いのに!


 と、思ったのも束の間…、私はこんなにも嬉しいのに…。

私の高鳴る想いは、ちゃんと伝わらなかったらしい。

ダ・ヴィンチは顔を引き攣らせたまま、私の手を解いた。

 



「どうしてこんな娘を連れて来たんだ。何を考えている。」


 ダ・ヴィンチが男の人に詰め寄り、叱っている。

ダ・ヴィンチに嫌われてしまったのだろうか。

このままでは、ここに居られ無くなってしまう。

男の人にすがる思いを込めた目を向け、2人のやり取りを見守った。


 

「すみません、面倒くさい人間を連れて来るのを嫌がるのは存じています。ですが!見て下さいよ!(笑)」


 私を連れて来た男の人が、私に手のひらを向けて、ダ・ヴィンチの視線を誘った。



「胸!デカく無いですか!?」


「えっ?えぇ…?」



 何それ??

 

 急な展開に怯える私に、2人の男達はニヤニヤと薄ら笑いを向けて来る。

ダ・ヴィンチは無表情のまま、私の胸を見た。

もしかして、ダ・ヴィンチもこの人達と同じ様にいやらしい男なのだろうか。

すると、ダ・ヴィンチは呆れて言った。

 


「だから何なのだ。女は皆んな、胸があるのは当然だろう。人間の体とはその様に出来ているのだから。」


 その言葉に嬉しくなって、満面の笑みでダ・ヴィンチの目を見ると、見てはいけないモノを見てしまったかの様に目を逸らされてしまった。



「ですが、この顔!よく見て下さい!子どもの様に幼いし、この辺りの人間では無い様に見えます! なのにこの胸!こんな人種!見た事ありますか!?」


「確かに。顔と身体がアンバランスではあるな。お前はどこから来た?歳はいくつだ。」


 

 顔と身体がアンバランス?

ダ・ヴィンチ様…、

21世紀子どもは、だいたいがこの様なものですよ…。



「私は…、東の方から来ました。歳は…18です。」


 日本や東京と言ったら大変な事になってしまう。

だから、東の方と誤魔化してしまった。

顔と身体がアンバランスだと言うし、子どもと判断されたら働かせてもらえないかもしれない。

18歳だと答えるのが無難だろう。

バレることは無いはず。

大丈夫…。



「東?それはどこだ?どうしてはっきり言わないのだ?」


「そ、それは…じ、自分の事をあまり話せないからです。」


「謎多き娘だな。 うむ…、で?私が好きだと言ったが、お前に会った事も無い。私の何がどう好きなのだ?」


「あなたは!ルネサンス期を代表する天才じゃないですか!」


「うん。確かに。」



 ダ・ヴィンチは軽く頷き納得した。

彼程の天才にもなると、謙遜などしないのだ。

なんてカッコ良いんだろう!!

 


「あなたの編み出した※スフマート技法!それがあるからこそ、あなたは唯一無二なんです!」


(※スフマート技法……輪郭を描かず、影や色彩で立体感を表現する技法。)



「スフマートを知っているのか!?」

 

「はい!それだけではありません!※空気遠近法!これだけは身に付けたいと沢山練習しています!」


 (※空気遠近法……距離が遠くなるほど色調が明るく、なおかつ青みがかり霞んで見える。色を使い遠くのものと近くのものの距離を表す技法。)



「お、お前はどうしてそんなに詳しい?」


「あなたの絵をどれほど見たか!?」


「ちょ、ちょっと待て。私は全くと言って良い程、作品数は無いのだけどな。」

 


 そうだ!そうだった!

目の前に居る生きたダ・ヴィンチはただいま30歳。

生涯を通しても作品数が少ないのに、今なんて殆どないに違いない。

何とか誤魔化さなきゃ!

 


「い、今発表されている作品を、くまなく隅々まで見てるんです!そういう意味です!これから沢山作りますよね!?私は、その作品達も好きになるに違いありません!」


「そうか。お前は、未来の作品にまで思いを馳せてくれているのか。そうだな…、描きたいと思う物は沢山ある。今年はミラノに移り住み、しばらくは彼方あちらで作品作りに専念するつもりだよ。」


「ミラノに移るのですか!?」


「そうだ。今年中にな。」


 ミラノで活躍したと記述を読んだ事はあったけど、30歳の時だったのか。

もしかしたら会えなかったかもしれない。

フィレンツェに居る時に出会えて良かった…。



「ミラノで活躍するレオナルド様を、側で見てみたいです!(笑)」


「ミラノにまで来るというのか!?」


「行きます!あなたの作品が見られるならば行きたいです!どこへだって行きます!」


「は?ミラノに来るだと!? 安易な事では無いのに…、お前は何者なのだ!?」



 ダ・ヴィンチは腕組みをして、いぶかしげな表情を浮かべ、私の頭から足までを何往復も見ている。

何を言われてしまうのか、少し怖かった。



 すると、ダ・ヴィンチは何かを閃いたかの様に、顔を輝かせて声を上げた。


「分かったぞ!お前は上流階級の娘なのだな!?」


「あぁ!なるほど!レオナルド様!それなら理屈が通りますね!(笑)」


「そうなのだろう!?お前は!外交の為にフィレンツェにやって来た、貴族の娘なんだな!?」



 私はダ・ヴィンチの突然の言葉に戸惑いながらも、話しを合わせた方が良さそうな気がして


「えっと…、そ、そうです。」


 と、答えてしまった。

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アルテミスの謝罪 とっく @tokku76

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