第4話

 回転ドアの中を小走りで周り、色白の男の子に釘付けになりながら、3回を周りきったところで思い切って白いモヤの中に飛び込んだ。

白いモヤは無臭で、冷たくも熱くも無い。

呼吸を妨げる物でもなく、ただの霧の様だった。

 

 二歩ほど進むとモヤは急に晴れて、私は画材店の中に居た。

アルテミスの居る画材店とは全く違う作りのこの店には、ほとんど物がない。

八畳ほどの四角い部屋の壁の一角に棚が一つだけあって、一通りの最低限の画材が並べられているだけだった。



「いらっしゃい!よく来たね(笑)」


 西洋人ともアジア人とも言い難い、ただただ美しい顔の若い男の人が、ニッコニコのとびきりの笑顔で言った。

西洋絵画に描かれるキューピッドの様な可愛い天使が、そのまま大人になったみたいな顔をしている。

アルテミスと同じ色んな色の混ざる目と、金色の美しい髪。

短い髪はクルンクルンと、色んな方向を向いていた。

この男性は間違いなくアルテミスの双子の弟、アポロンだろう。

 

 服装はアルテミスと同じ様に、クリーム色の1枚の布で出来た様な服を着て腰には縄が巻かれ、足元には革で出来たサンダル。

サンダルから伸びた2本のリボンは、脛とふくらはぎを交差し膝下で結ばれていた。

白い羽の付いた弓の入った弓矢筒を背中に背負い、左肩には大きな弓が掛けられている。

西洋絵画でのアポロンは、裸に大きな赤い布が一枚肩から掛けられて、大事な所を上手く隠して描かれる事が多いが、実際にはちゃんと服を着ていた。


 


「あの!あのう!さっき!中に!男の人が居たんです!あの人は誰ですか!?」


「つぐみ!落ち着いて!(笑)」


「あの人ですか!?タイムトラベルの先輩は!?」


「先輩か(笑)確かに。1週間ほどあちらが先輩だね(笑)」


「あの人も同じ時代にタイムトラベルしてるんですか!?」


「ううん。」


 美しい顔の若い男性がブンブンと顔を横に振った。


「あの子の旅先はここじゃ無いよ。時代も場所も違う。」


「え!?だっ、だって!中で会ったんですよ!?」


「姉さんのタイムマシーンは一台しかないんだ。だから渋滞を起こしたんだね!(笑)これは傑作だ!あはは!(笑)」


 双子の姉のアルテミスとは違い、表情が明るく言葉も今風だった。


「あの人は何歳ですか!どこに住んでるんですか!?」


「あの子もつぐみと同じ歳だよ。それから、韓国だ。」


「韓国!?」


「そう。」


「じゃあ!韓国に帰ったの!?」


「じゃなきゃ、どこに帰るのさっ!?(笑)」


「国も…時代…も、全部違うんだ…。」


「歳と、環境は一緒だね。」


「環境!?」


「あんまり喋ると姉さんに叱られるから、聞かないで。」


 自分から話したくせに、ずいぶん勝手な人だなと思った。

 

人?

神様か…。



「あの。絵で見るアポロン…さんは、裸ですけど、服着てるんですね。」


「つぐみは知ってるんだね(笑)」


「え?」


「神を描く場合のルールさ。神は裸で描かないといけない事になってる。」


「はい。赤い布がこう、風になびいてて、その、下半身が上手く隠れてて…。」


 絵で見る赤い布の様子を、ジェスチャーで伝えた。

 

「そうだね(笑)僕は神だから、裸になる事に抵抗はないさ。でも、人に羞恥心が芽生えてからは神々も一応は隠す様になったね。」


「へぇ。そうなんだ。」


「さ、外にお行き。楽しんでおいで。」


「あ!そうだ!ここって、どうやって戻れば良いんですか?」


「こんなに光を放つ場所は他には無いからね、少し高い所から見れば光でわかるさ。明るいうちに戻って来る場合は、直ぐそこにある街一番のパン屋を頼りに戻っておいで。街の人に聞けば教えてくれる。」


「あ!!」


「何!?どうしたの?(苦笑)」


「私!言葉!喋れません!」


「あぁ、姉さん教えてくれなかったの?」


「え?」


「自分の言語で話せば良いよ。相手には翻訳されて聞こえるから(笑)」


「言葉!通じるんですか!?」


「うん!(笑)あ、それから、このお店はつぐみにしか見えないから、このお店はどこ?じゃなく『街一番のパン屋はどこですか?』って聞くんだよ。」


「私にしか見えないんだ!?」


「そう。街一番のパン屋の前の道は左は行き止まりで右にしか曲がれない。パン屋の前を右に曲がり、一つ目の通りを左に入って6軒目の店だからね。忘れないで。それから、店に入る所を人に見られない様に。突然人が消えて見えちゃうから。」


「分かりました。あの。で、今何時ですか?」


「それも教えて貰わなかったのか(笑)タイムトラベルした先は、その日の正午だと決まってる。」


「昼の12時?」


「そう。パンを2つ買えるだけのコインをあげよう。お水は水飲み場で飲みなさい。あちらこちらから水が出ているから。」


「分かりました。」


 私が答えるとアポロンは、銀色の硬貨を6枚手渡してくれた。

どこに入れようかと自分のドレスを弄っていると、アポロンは


「これを使うと良い。」


 と、茶色い小さな古びた巾着を渡してくれた。

コインを巾着に入れて、紐を手首に掛けドアの前で立つ。

いざ外へ出ようとすると怖くなってしまった。


 

「ちょっと待って!」


 立ち止まる私に、アポロンが声を掛けた。


「人が左から来るから、通り過ぎたら出て。」


「あの。」


「まだ、何かあるの?(笑)」


「ダ•ヴィンチってどこに居ますか?」


「知るわけないさ(笑)自分で探しなさい。」


木枠とガラスで出来た扉の向こうを、左から右へ女性が通り過ぎた。


「どうぞ(笑)」


 アポロンは扉を開けて、私を外へと促した。


 私は意を決して、外へ歩みを進めた。




 街並みが…、遠くに見える人々が…、間違いなく日本では無い外国に居ると教えてくれた。

でも、ここが果たして、ダ•ヴィンチの居る世界かどうかはわからない。

ただ、パスポートも無く高い旅費も払わずに、憧れのヨーロッパに来られた事がジワジワと嬉しくなった。

街並みの全てが西洋絵画の世界に迷い込んだかの様に見える。

街ゆく人々の服装も、よくよく見てみれば絵画の中から飛び出して来たかの様だ。

私のドレスも、上手く街に溶け込んでいる。


 だが、しかし…。

話しが元に戻ってしまうが、果たしてここが14世紀のフィレンツェなのだろうか。

私には、確認する術がまるでない。

だけど、立ち止まっている訳にもいかないし…。

とりあえず、パン屋を覗いてみる事にしよう。


 パン屋の匂いは、日本も外国も過去であっても変わらないらしい。

焼きたての美味しそうな匂いが、外にまで流れて来ている。

このパン屋は街一番と言うのだから、きっと最先端の店なんだろう。

ガラス扉がとてもおしゃれで、中には何人ものお客さんが居る。

人気なのがよく分かった。

よし、絶対に食べてみるとしよう。

 

 

 パン屋の前に立ち、辺りを見渡すと正面に大通りが見えた。

たくさんの人や馬車が行き交っている。

車は一台も走っていない。

目に入る情報を、私の知る現代と比較をする事で、タイムスリップしたんだなと少しずつ理解ができる様になってきた。

だけど、あともう少しの確証が欲しいな…。


 大通りに向かい歩きながら、目に入る景色に息を飲んだ。

きっとこんな景色は現在には無いだろう。

それに、パン屋から離れて気がついたのだけど、何だか臭い。

街に漂う空気がとても臭い。

犬や猫などの動物では無く、人間の排泄物の匂い。

14世紀のトイレ事情という物を何かで読んだ事がある。

排泄物をおまるの様な物でして、家の外に捨ててしまうのだと…。

どうやら私は、本当にタイムスリップをしてしまったらしい。

だとしたら、のんびりしている場合では無い!

ダ・ヴィンチを探さなきゃ!



 そうは思っても、大通りをどの方向に歩けば良いのか、見当も付かない。

自分の横を通り過ぎる人々は私の顔を見る事も無く、それぞれの目的の為に急いでいる様に見えた。

声を掛けやすそうな人を見つけても、緊張して声が出ない。


 

「あぁ!もう良いや!」

 

 誰かに声を掛けることを止めて、街を見て回ってみる事にした。

何と無くの感覚で、左に曲がり歩き出す。

大通りは石畳みでは無く、土で出来た道で踏み固められているのかとても固い。

 


「イタッ!」


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

右の足首と膝が少し痛い。

道に出来た大きな窪みに躓いて転んでしまったらしい。

昔の人も都会に住む人達は冷たいもんなのかな。

街ゆく人々は、地面に座り込み足をさすっている私に、声など掛けてはくれない。

少し残念な気持ちで立ちあがろうとした時、ふと足を止めて私の前に立つ人が居た。


 

「大丈夫か?」


 声の主は男性だった。

低過ぎず落ち着いた声で、若そうだと思った。

見上げるとその人は、小脇に長いパンを2本抱えている。

右手にはリンゴやじゃがいもなどの入ったカゴを持っている。

見た目も若そうだった。

そして、顔が整っていてモテそうな雰囲気がある。


「だ、大丈夫です。」


 私がそう答えると男性はカゴを左手に持ち直し、右手を差し出してくれた。

私はその手に掴まり立ち上がった。


「ありがとうございます。」


「んあぁ。別に。」


「あの、つかぬことをお聞きしますが。」


「なん?」


「レオナルド・ダ・ヴィンチさんは知っていますか?」


「は?(笑)この辺りで知らない奴いる!?」


「やっぱり!?有名人ですよね!?(笑)私!大ファンなんです!どこに居るか知ってますか!?」


「へ?ファン?ファンってなんだ?外国語か?」


「あ、あの、大好きなんです!レオナルド・ダ・ヴィンチさんの絵が!憧れてます!!」


「お前は絵を描くのか?」


「え?なんで分かるんですか?」


「憧れるって言ったじゃ無いか。」


 この時代にはファンだとか推しといった、概念が無いのだろうか。

慎重に話さないと大変な事になりそう…。



「そ、そうなんです。絵を頑張って描いてます!」


「ふ〜ん。じゃあな。」


「え!ちょっと待って下さい!」



 私は咄嗟に男性の正面に立ちはだかり、引き止めた。


「な、なんだよ?」


「レオナルド・ダ・ヴィンチさんの工房!知っているなら教えて貰えませんか!?」


「なんでよ?」


「働かせて貰いたいんです!」


「どうかな。今募集してないよ。」


「え!?って事は知ってるって事ですか!?」


「あ、えっと、その…。」


 目の前の男性が、バツが悪そうに顔を歪め頭を掻いている。

この男性を逃す訳にはいかない!

ダ・ヴィンチの事を聞き出さなきゃ!

ダ・ヴィンチの事だけではない。

今私は、最大の危機に直面している…。

 

 猛烈に、トイレに行きたい。



「あの!工房を教えて下さい!」


「自分で探しなよ。」


「それから!」


「なに!?」


「トイレに行きたいです!」


「だから何!?その辺でしなよ(笑)」


「そんなの無理です!お願いします!どこかトイレ教えて下さい!」


「はぁ〜??」


「お願いします!もう、もれちゃう!」


「知らねーよ!」


「ここでしますよ!?あなたに強要されたって騒ぎますからね!?」


「なんだって!? なんだコイツ!?はぁぁ!ったく、しょうがねぇなぁ!ついてこい!」


 目の前の男性は、モゾモゾと足踏みしながら泣きそうになっている私に観念して、すぐそばの建物に連れて行くと、

トイレを教えてくれた。

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