第3話
綺麗なお姉さんに名前を呼ばれた。
だけど、不思議と怖くはなかった。
どこか懐かしい感じもするし…。
お姉さんの緑やオレンジ、紫の入ったカラフルな目を見ていると、魔法が掛かったかの様に、心から不安や恐怖が取り除かれる。
「あの、どこかでお会いしましたか?」
「うん。初めてでは無い。」
「いつお会いしましたか?すみません(焦)思い出せなくて…。」
「無理は無い。生まれる前だからな。」
「う、うまれるまえ?」
「気にするで無い。」
綺麗なお姉さんは、見た目に反して声が若干低くて、話し方がなんというか…おじさんみたいだった。
父親の好きな時代劇を見ているみたい。
「あの…。こんな時間にお店してるんですか?」
「ここはつぐみの為に開けてあるのだ。だから遠慮する事は無いのだぞ。」
「わ、私のため!?」
「お前には…借りがあってな。だから、望みを叶えてやろうと思っておる。」
「望み?ですか?」
「レオナルド・ダ・ヴィンチに会わせてやろう。」
「え!?え!?もう!死んでるんですよ!?どうやって会うんですか!?」
「タイムマシーンがある。それで好きな時代に行くがよい。」
「お姉さん?」
「アルテミスだ。」
「アルテミスさん。変な事言わないで下さい。お店…見せてくれてありがとうございました。もう、帰ります。」
「あんな事があったのに、帰るのかい?」
この人はどこまで知っているのだろう。
恐怖は無いが、居心地が悪い。
顔を見たまま言葉が出なかった。
「お前に借りを返す為に、望みを叶えてやろう。私は受胎を司る女神、アルテミス。お前の運命を直接変えてやる事は出来ぬが、過去への旅は手助け出来る。ダ・ヴィンチと知り合うチャンスをやる。どうだ?」
私はずっと、ダ・ヴィンチに会えたらと考えながら絵を描いていた。
もし、このお姉さんの言う事が本当なら?
いや、そんなはずはない。
タイムマシーンなんてこの世には無いのだから。
「タイムマシーンって?どんな物なんですか?(苦笑)」
口にして苦笑いしてしまう。
タイムマシーンなんて嘘に決まっている。
「見せてやろう。」
「え?」
アルテミスはカウンターの中に入ると、壁一面を覆うこげ茶色のカーテンを勢いよく開けた。
カーテンの向こう側には、ガラス張りの回転ドアがあるだけだった。
「ただの回転ドアじゃ無いですか!(笑)」
「ただの?良く見なさい。向こう側、どうなってる?」
目を凝らして見ると、あちら側は霧の様な煙の様な…白いモヤがモクモクと立ち込め、それでいてキラキラと瞬いている。
あちら側がどうなっているのか全く見えない。
そんな所に飛び込むなど御免だ。
「見えない所に行くなんて、怖くて出来ません。」
「大丈夫だ。あちら側で、弟のアポロンが待っておる。」
「アルテミスとアポロン!?神話の双子の?センスありますね!(笑)」
「何の話だ。」
「ネーミングセンスがあるなぁと思って(笑)劇団員さんとかですか?」
「私は本物のアルテミスだ。西洋美術に精通しておるお前なら分かるだろう?神話に登場するアルテミスとアポロンだ。アポロンは芸術の神なのに、会いたく無いのか?」
「本物なら会いたいですけど…。」
「ダ・ヴィンチに会わせてやると言っているのに。ダ・ヴィンチは本物で、私たちは偽物とでも言うのか?」
「どうやって信じれば良いのですか?」
「困った奴じゃのう。あの子は素直にタイムトラベルを楽しんでおるのに…。」
「え?他にも居るんですか!?」
「私はあの子にも同じ様に借りがあるからのう……。いや。 で?つぐみは、どうするのだ?」
自分をアルテミスと名乗り、双子の弟のアポロンが時間の向こう側に居ると言う。
ダ・ヴィンチにも会える。
何より、既にタイムトラベルをしている人がいる。
家に帰ったって地獄が待っているだけ。
もし、殴り殺されたりしたら…。
どうせ死ぬのなら、死ぬ前に好きな事を思いっきりやりたいな…。
「どうやったら…、良いんですか?」
「その気になったか。よしよし。」
ほんの少し嬉しそうにするアルテミスを見て、好奇心が勝ってしまった。
「その前に、守って貰わねばならぬルールがある。よぉく頭に入れておく様に。」
そう言うとアルテミスは木の板を1枚、カウンターの中から取り出し私に見せた。
―――――――――――――――――――――
其の一、病原菌を持ち込まない事。
其のニ、零時までに戻る事。
其の三、旅先の物を持ち帰らぬ事。
其の四、革命は起こさぬ事。
其の五、名前を残さぬ事。
―――――――――――――――――――――
縦30センチ、横40センチ程の木の板に、ゴシック体の文字が焼きごてで書かれていた。
手が込んでいるなぁと思った。
「その1、病原菌とは感染症の全てを言う。風邪や水疱瘡、結膜炎などありとあらゆる疾患を抱えている場合は旅に出る事は出来ない。あちらで病気になっても帰って来れぬからあまり人と関わりを持つな。」
「はい…。」
「その2、日の変わる0時までに戻る様に。戻らぬ場合、こちらの時間が1ヶ月も過ぎてしまう。1ヶ月も戻らないとなると…どうなるか分かるな?」
「はい…。」
想像しただけで身震いしてしまう。
「それだけではない。0時から5分を過ぎるとマシーンは消えて無くなりこちらには戻って来れない。タイムトラベルも二度と出来なくなる。現在に戻りたいなら0時までに終わりなさい。」
「わかりました。 …あ、それで、0時までに戻って来たら、こっちの時間はどうなるんですか?」
「タイムトラベルに出発した時間からちょうど1時間後に戻って来られる。1時間の家出で済むなら良いだろう?」
「そう…ですね。」
「その3、旅先の物は現在では大変高価な物となり得る。ポケットに忍ばせてなどは考えるな。そんなものを売ろうものなら騒ぎになってしまう。」
「あぁ、そっか…。」
「ただし、自分の体で働き稼いだ金だけは持ち帰ってもよい。ここで現在の金に両替してやろう。」
「あっちでバイトして良いんですか!?」
「うむ。良かろう。」
「私!ダ・ヴィンチの使用人として働きたいんです!」
「住み込みはダメだぞ。0時に戻って来れぬやもしれぬ。」
「そうですね…。」
「4と5は良く似ているがとにかく、歴史を変えてしまう様な事はするでない。デモなどにも参加はするな。署名などで名前を書き残す事もするな。わかったか?」
「はい。わかりました。服は!?どうしよう!?これでは行けません…。」
「服はありとあらゆる時代に対応が出来るほど用意をしておる。」
アルテミスはそう言うと、小さな引き出しの並ぶ壁の一角に埋め込まれている、木で出来たメモリの数字をいじった。
「例えばそうだな。800年10月としよう場所は日本…JPと…。」
そう呟きアルテミスは、かまぼこ板の様な木の札に細い黒のチョークで『kyoto』と書きメモリの横にある穴に差し込んだ。
小さな引き出しの並ぶ壁の向こう側で、シュンシュンと大きな物が勢いよく回っている音がする。
その音が止むと『チン』とベルの高い音がした。
その音を合図に、アルテミスは引き出しの並ぶ壁の右側に手を掛け手前に引いた。
その瞬間、引き出しだったはずの壁が一枚板の扉の様に左に開く。
中はクローゼットの様に沢山の着物が、ハンガーに吊るされていた。
「平安時代の着物だ。十二単や町娘の着物、鎧や袴などもある。」
「わぁ!キレイ!」
着物の鮮明な色がとても綺麗だった。
アルテミスは私の反応を他所に、扉を閉めてこちらを見た。
「この様に服装は何とでもなる。」
「そう…なんですね…。」
「じゃあ、行くかい?」
「は、はい…。」
「ダ•ヴィンチが何歳の時に行く?」
「あ、歳…気にしてませんでした…。」
「何度もダ•ヴィンチに会いたいならば、行く年を統一しておいた方が良い。もし、様々な年に行くとすれば、あちらは歳を取ったり若返ったりするのに、つぐみは子どものままで何も変わらないからな。」
「ん?どういう事?……ん? あ、そっか、例えば…。初めて会ったのが15歳のダ•ヴィンチだったとして…。つぎに行くのが50歳の時だったら…歳を取ってない私は…おかしいって事ですよね!?」
「そういう事だ。あの子と同様、つぐみも飲み込みが早い。 やはり頭の良い子達だ。」
「あの子って誰なんですか?」
「気にしなくても良い。で、いつのどこに行くのだ?」
「あの。ちょっと考えます。」
何歳のダ•ヴィンチに会うのが良いのだろう。
ヴェロッキオの工房に入ってすぐだと14歳くらい…?
歳が近いと仲良くなれそうだけど、働かせてはくれないだろうし…。
じゃあ、独立した時?
いや、多少は安定した時が良いか?
ダ•ヴィンチの絵画集や美術書でしか知らない情報であれやこれやと悩んでみる。
アルテミスはそんな私を、根気強く見守ってくれていた。
「ダ•ヴィンチが30歳の時…、1482年のフィレンツェにします。」
「月と日付は?選ぶ事も出来るし、選ばなくても良い。」
「選ばない場合はいつに行くんですか?」
「その年の今日の日付になる。」
「じゃあ、日付は今日でいいです。」
「よし。では衣装を選ぼう。」
そう言うとアルテミスは、小さな引き出しの一角にあるメモリを1482年に合わせた。
小さな木の板にアルファベットで何やら書いた。
きっとフィレンツェと書いているのだろう。
木の板を穴に入れると、引き出しの向こう側からシュンシュンと装置が回る音が聞こえる。
――チンッ
アルテミスがクローゼットの扉の如く、引き出しの並ぶ壁に手を掛け開くと、中にはドレスがハンガーにかけられ並んでいた。
黒や白、くすみカラーなどに混ざり赤や青などの原色のドレスもある。
だけど私は、あまり目立たぬ様に薄いウグイス色のドレスを選んだ。
「これにします。」
「よし、おいで。着せてあげよう。」
クローゼットの中の一角に、更衣室の様なスペースがあった。
麻で出来た大きなカゴが置かれ、大きな鏡まで付いている。
アルテミスに連れられ靴を脱いで入り、促されるまま全裸になると、軽く股を開く様に言われた。
アルテミスは白い布で、私の下半身をおむつの様に包んでくれた。
「パンツですか?」
「その様な物だ。」
アルテミスは私に万歳をさせると、ドレスを頭から通されてしまった。
「え?ブラジャーは?」
「この時代にあるわけが無いだろう?」
「そうなんだ……。」
ドレスは胸元が大きく開いていて、胃の辺りをキツく締め付けるデザインだった。
袖はピッタリとした長そでで、丈は地面にスレスレ。
私専用だと思えるほど、身体にピッタリだった。
私の身長は160センチで、どちらかと言うとほんのちょっとだけ、ぽっちゃりして見える。
うん…、ほんのちょっとのはず…。
服屋さんでサイズに困る事はあまり無いけれど、胸の大きさが合わない事が多々あった。
それなのにこのドレスは、胸も丈も袖の部分もサイズを測って作られたかの様に、ピッタリだった。
「絵画でよく見るドレスだ!(笑)」
扉の中にある鏡を見ながら、嬉しくなった。
アルテミスは私の肩甲骨辺りまである髪を束ね、紐で結んでくれた。
「なかなか良いではないか。」
アルテミスはそう言うと、満足そうに微笑んだ。
「靴を選びなさい。」
こげ茶色のハーフブーツにした。
紐が長くて締め付けるまでに、少し時間が掛かってしまった。
「さ、おいで。」
アルテミスに連れられカウンターの中に入り、回転ドアの前に立った。
「もう、このまま行けるんですか?」
「クローゼットと連動しておるからな。」
「へぇ…。」
「左側から中に入り、時計の様に右回りに扉を動かしなさい。徐々に速度を早め3回を回り切った後に、あちら側に飛び込むのだ。アポロンが居るから恐るで無い。」
「はい…。じゃ、行きます…。」
「うむ。」
私は意を決して扉に手をかけた。
勇気を出し歩みを進める。
扉は重た過ぎずスムーズに動き始めた。
「1…。」
徐々にスピードが上がる。
「2…。」
回転ドアの中で小走りになった。
3回目に入る直前、全く予期していなかった出来事が起こった。
私の掴んでいるガラス扉の向こう側のスペースに、1人の男の子が突然現れた。
一瞬…何が起こったのか、理解が出来ずパニックになりそうになった。
どうも、白いモヤの中から回転ドアの中に、飛び込んで来た様だった。
「えぇ?何でぇぇ!?」
私が驚くのと同じ様に、男の子の表情も驚いている。
その男の子は、歳は同じくらいだろうか。
もしかしたら少し上かもしれない。
肌の色がとにかく真っ白で、薄いピンクの可愛い唇とは対照的に鋭い目をしていた。
黒髪のマッシュルームカットがとても似合っている。
その男の子も回転ドアの扉を押している。
そして私に向かって
「ボヤァ?」
と言った。
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