第2話

 どうして休みの日は、早起きが出来るんだろうね。

父親を起こさない様に洗濯をして、朝ごはんを作った。

食べるかどうかなんて分からないけど、怒られない様に作る。

お味噌汁と目玉焼きを4つと、ウインナーも焼いた。

お皿に目玉焼きを乗せようと、ヘラで切っていたら黄身が破れてしまった。

2つも…。

黄身の割れて目玉焼きだけの皿と、黄身の破れて目玉焼きだけの皿を作った。

横にウインナーを乗せる。


――ピロリ、ピロリ、ピロピロリ♪


 炊飯器が、ご飯の炊きあがりを教えてくれた。


 父さん、早く起きて来ないかな…。


 昨晩、もの凄く怒られて晩ご飯を食べていないから、すっごくお腹が空いている。

コーラを一本飲んだだけではダメだね。

勝手に食べると怒られるから待つしかない。



 

――バタンッ!


 ビクリと身体が跳ねる。

 

 父親がリビングのドアを勢いよく開けて入って来た。

無視できないから、恐る恐る声を掛けた。



「おはようございます。」


「メシ、出来てるのか?」


「うん。ご飯とパンどっちが良い?」


「パン。」


「はい。焼くね…。」



 ご飯が炊けていたって、パンが食べたい時はパンと答える。

父親はそんな人。

6枚切りを2枚食べるけど、一度に焼いてはいけない。

食べてる間に頃合いを見て、2枚目を焼かなきゃいけない。

父親は迷わず、黄身の破れて目玉焼きの皿を選んだ。


 父親は…、そんな人だ。





 私は何をするにも父親に気を使い、ビクビクとしてしまう。

目玉焼きに醤油をかけようと、ダイニングテーブルの上の醤油に手を伸ばしただけなのに、咄嗟に構えてしまう。

父親はそんな私を冷ややかな目で見る。

やっちゃったかな?

怖かったけど、何事もなく朝食が済んだ。

 

 父親は食器を片付ける事もなく、使っていたガラスのコップを持って、テレビの前に座った。

そして、ちゃぶ台に置いてある焼酎を、また乱暴に入れて飲み始めた。



「つぐみ!」


「はい!」


「ツマミに何か作れ。」


「魚…焼こうか?」


「焦がすなよ。」


「はい…。」


 私は細心の注意を払いながら、ホッケを焼いて出した。



 父親は昼ごはんは要らないと言って、ちゃぶ台の所で眠ってまった。

私は食器を洗い、洗濯物を干した。

制服も上靴も、冬休みに入ってから直ぐに洗っておいた。

水が勿体無いから制服は臭くなったら洗ってるんだけど、流石に時間が開くからね。

臭く無かったけど、帰ってから直ぐに洗っておいたんだ。


 綺麗好きな父親に怒られない程度に、一通りの家事を済ませて、自分の部屋に入りレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画集を開いた。

洗礼者ヨハネがまた、私を誘ってくれる。

 


「つぐみぃ!!イッツ・ショーーターイム!」

 

 そう言って笑うと、私の手を取り連れて行ってくれるんだ。


 ダ・ヴィンチはどんな人なんだろう。

誰よりも情熱を持っていて、明るい人なんじゃ無いかなって思ったりするんだ。

こんなにドキドキする様なヨハネを描くんだもん、けっこうイケイケなんじゃない?

恋愛対象は本当に男性なんだろうか。

だとしたら、もし会えたら…。

使用人として働かせて貰いたいな。

家事は一通り、出来ますよ…。





 昨日ヨハネを描いてしまったから、今日からは

『白貂を抱く貴婦人』の模写に取り掛かる事にした。

オコジョなんて見た事は無いから、白い子猫を抱かせる事にしよう。



 夕食の買い物をする為に、17時に目覚まし時計をセットして、画用紙キャンバスに向かった。

絵を描く私は無敵だ。

遥か昔に思いを馳せながら夢中で描いた。



 父親に夕食の買い物に行くと言うと、親子丼をリクエストされた。

素早く買い物を済ませ、素早く帰り素早く調理をした。

目玉焼きとは違って親子丼は上手く作れた。

自分で食べても美味しい。

 



「お前、勉強はしてるのか?」


「う、うん…一応…。」


「私立なんて行けないんだから勉強しろよ。」


「公立がダメだったら、定時制に行く…。」


「どうでもいいけど早くバイトしろ。」


「うん……。」

 


 食器の後片付けをして、洗濯物を取り込み畳みながら考えた。

私の成績は良くも悪くも無い、普通くらい。

中学の学区内にある公立高校は偏差値も低いし、担任の先生も大丈夫だろうと言ってくれたから志望校に設定してる。

でも、さすがにやらなきゃね。

洗濯物を片付けて、お風呂に入ってから勉強を始めた。



 絵を描いている時は無敵だけど、勉強してると眠たくなっちゃう。

30分もしないうちにウトウトしてしまった。

実は冬休みの宿題が終わってないんだよね。

英語と数学の宿題を終わらせて、ヨタヨタしながら洗面台に向かった。

歯を磨いてベッドに入る。

明日の準備、しといて良かったな。

眠たい時に眠れる幸せ。

今日は殴られる事も、怒鳴られる事も無かった。

なんて平和な日なんだろう…。

明日もこんな日であります様に…。


 



 眠りに就いてどれ位経ったのだろうか…。

不意にベッドが凹み、身体が揺れて目が覚めた。

温まっていた布団に、冷たい身体が滑り込んで来る。

酒臭い息が顔にかかって吐きそうになった。


「な、に?」



 父親は答えなかった。

ただ、私の体を触っている。

唇にキスをされた。

唇を硬く閉じて我慢していると、パジャマのズボンを超え下着の中に手が入って来た。

韻部を触ろうとしている。



「お父さん…やめて…。」


「少し我慢していたら終わるから、な?」


「どう、ゆう…意味?」



 父親は乱暴に体を起こすと、私のパジャマのズボンと一緒に下着まで脱がそうとした。

咄嗟に押さえて脱がされまいと抵抗した。



――やられてしまう!



 それだけは阻止したい。

だったら殴られた方が良い。


「頼むやらせてくれ!」



 この人は何を言っているんだろう。

気が狂っている。


 暴れて必死に抵抗した。



――パン!



 平手打ちを食らったけど、抵抗はやめなかった。

下着を脱がされない様に、腕に渾身の力を込めて踠き続けた。

暴れていると一瞬、父親の手が離れた。



――今がチャンス!

 

 そのタイミングでベッドから転げ落ち、瞬時に起き上がるとドアまで走った。

ドアの前のハンガーラックから上着を取りドアを開け走り抜けた。


「どこに行くんだ!!」

「戻ってこい!」

「つぐみ!!」



 どんなに叫ばれようと、私は構わず外へ逃げた。

上着を着ながら夜の街を走る。

 

 どこに行くの?

お母さんのとこ?

お母さんの家は2つ隣の駅だよ。

今何時なんだろ?


 今の時間がわかる所。

家から一番近いコンビニまで走った。

息を切らしながら中の時計を見ると、2時13分だった。

交番に行こうか。

いや、きっと助けてくれない…。

ここにいても仕方がない。

あても無く歩き出す。


 歩きながらあれこれと考えた。

幾度となく殴られたけど、胸やお尻をさわられたりキスをされる事はあったけど、こんな決定的な事は初めてだった。

実の父親にこんな事…。

 

 え?


 もしかして血が繋がってないとか?

いや、お母さんはそんな人じゃない。

色んな思いがぐるぐると頭を駆け巡る。

今帰ったら、しばかれるか犯されてしまう。

こんな事をされるのは初めてだったから、対処法もこの後の事も見当がつかない。

寒いしどうしよう。

住宅街を答えの出ないまま、ウロウロと彷徨っていると、眩い光を放つお家があった。

家と言うよりお店?


 あんなとこにお店なんてあったっけ?


 西洋絵画の額縁にありそうな、複雑な彫刻が施された大きな深い茶色の扉には、アンティークなハンドルが付いていた。

扉と同じ彫刻の窓枠にはステンドグラスがはめられ、中の光が美しく演出している。


 建物の全てが私好みだった。

ここは何なのだろう。

こんなに明るくて、近所から苦情は入らないのかな?

ここだけこんなに明るいなんて…。


 建物の端の方に、チョークアートの看板が立て掛けてあるのを見つけた。

やはりお店だった。


【アルテミス画材店】


 画材店??

入りたい!

でもお金も無いし…。


 看板と建物を何度も交互に見ながら悩んでいると、チョークアートの看板の下の方の小さい文字に気が付いた。


【お気軽にお入り下さい。見るだけでも大歓迎!】


 入って良いんだ!

勇気を振り絞りハンドルに手を掛けた。

その瞬間、心の中の不安が消え去り好奇心だけが残った。


 迷わず入ると、そこは私にとっての天国の様だった。


 油絵の具と木の匂いが私を自然と笑顔にしてくれる。

店の中に所狭しと画材が並んでいて、歩みを止める事が出来なかった。

複雑な彫刻の額縁が壁にかけられ、イーゼルやキャンバスが床に並べられている。

そのゾーンを抜けると絵の具が見えて、あまりの種類の多さに目が飛び出そうになった。

壁に設置されている棚に並ぶ絵の具は、この世の全ての色が揃ってるのでは無いかと思う程だった。

その隣の棚にはガラス瓶が並び、その中に筆が立てられている。

その筆も数えられ無いほどの数で、もしかしたらこの店で揃わない物は無いかもしれない。

沢山の画材の並べられた棚のせいで、複雑な迷路の様になっている店内を見ながら、奥へ奥へと歩みを進めると女性の後ろ姿が見えた。


 その人の後ろ姿はとても若く見える。

何やら小瓶を手に取り見ている様だ。

左側の頬が時々見えた。


 天井から床まで壁一面にびっしりと、縦10センチ横20センチ程の、小さな引き出しが並んでいる。

若い女性は、その引き出しを開け小瓶を取り出し確認すると、頷き仕舞った。

その動作を上から下へと繰り返している。

瓶の中身は顔料だろうか。

とても綺麗な色の粉が入っている。


 その女性をよく見てみると、神話に出てくる女神の様な格好をしていた。

クリーム色の布で出来たワンピースの様な物を着て、縄をベルトの様に腰で結んでいる。

足元も凝っていて、革で出来たサンダルから伸びる2本の白いリボンを、すねとふくらはぎで交差させ膝下ひざしたの所で結んでいた。

 

 白い羽の付いた、弓矢の入った弓矢筒を斜めに背負い、肩に大きな弓を掛けている。

パーティー用の安いコスプレグッズとは違い、知らないくせに、全てが〝本物〟に見えた。

このお店のコンセプトなのかな?

コスプレにしては手が込んでいる。


 いや、込み過ぎだよ(笑)

編み込まれた髪は金色に光り輝き、星の様に瞬いて見える。

お店のライトのせいだろうか?

それとも、LEDライトでも埋め込んであるのだろうか?

 

キラキラと光り輝く髪に見惚れていると、そのコスプレをした女性がゆっくりと振り返った。


 その顔は、アジア人とも西洋人とも言えない不思議な雰囲気で、瞳の色も紫や緑やオレンジの混ざる複雑な色をしている。

一つ分かることは、とてつもなく綺麗な顔だということだけ。


 その美しい顔のお姉さんは、私と目が合うと悲しそうな表情で



「いらっしゃい…。つぐみ。」



と、言った。

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